とぼとぼと大通りを歩く。もうすぐ夕飯時だ。今晩はどこで食事をとろうか。
元研究者であるロンドは、金銭の全てをもってこの大陸にやって来た。その額は生活をするには十分なものであるのだが、いかんせん現在は収入がないようなものだ。ボランティアで行う青空教室以外に日雇いの仕事をすることもあるのだが。体力はないし年も年だ。あまり開拓地で自分に向いた仕事はない。だからロンドは生活を切り詰めているのだ。
今日もあの酒場で軽く済ますか、と考えた時である。
「せんせぇー!!」
聞き覚えのある声がした。
見るといつも教室に来てくれる獣人の子が大慌てで走って来ていた。全身土埃にまみれている。
ロンドは思わず少し身構えてしまった。過去が過去だけに、特に人間以外の種族に一対一で関わるのが苦手なのだ。朝にであった人間と非人間の二人組と話した時も無意識にあの青い髪の男性としか話さず、女性からは目をそらしていた。
「なんだい、そんなに慌てて」
「みんながうもれちゃって…!ぼ、僕らの秘密基地!あの、マンホール…!」
要領を得ない話し方であったが、その表情から大変なことが起きていることだけはわかった。
獣人の子に引っ張られるがままにロンドは駆けだした。
こんなところに地下通路があったのか、と素直に驚くところではあった。子供のもつ力には全く驚かされる。
ロンドは梯子をできるだけ早く降りながらそう思った。
事態は急を要する。走りながら聞いた話からそう判断していた。自分一人でどうにかなるのだろうか、という疑問を持つ間もなかった。
「先生、こっち!」
獣人の子が先導する。ロンドは力の限り走った。
それは誰のための疾走であっただろうか。
フリオは惨めな気持ちで土砂を掘り起こしていた。指には擦り傷がたくさんできている。それでも我慢して、機械のように手を動かし続けた。後から後から土砂は崩れてくるため意味がないことはわかっていた。
やがて足音が近づいてきた。フリオはちらと振り返ったが、その足音の主を確認すると何事もなかったかのように作業に戻った。
「フリオ君」
ロンドは静かに語りかけた。
「…」
フリオは無視した。しかし、ロンドは続けた。
「フリオ君、二人でやろう。一人じゃ無理だよ」
「……嫌だ」
本当は、子供一人と大人一人でも困難だ。
しかし、そんなことを言っている場合ではない。巻き込まれた二人の子供の息が荒い。腹部をずっと圧迫されているのだ。これ以上は危険だ。
ロンドはフリオの隣にしゃがみ込んで、土をどかし始めた。
「フリオ君、私が土砂をかき分けるから、フリオ君は上をおさえててくれるかな」
「あぁあああぁあああぁあぁぁぁああああああああぁっ!!!!!!!!」
突如フリオが吠えた。振り返りざまにロンドをぽかぽかと叩きはじめる。大音量の叫び声に比べて、弱弱しい殴り方だ。ロンドはフリオの急変に動じながらも、叩かれ続けた。
「でてけよぉ!!ここは俺たちのヒミツキチなんだぞ!!なんで来るんだよ!!俺が助けるんだ!!お前なんかどっか行け!!どっか行けよぉ!!」
本物の教師なら、こういう時になんと声をかけるのだろうか。
泣き叫ぶ声ならいくらでも研究所で聞いてきた。だが、目の前の泣き声はそれとは明らかに違う。
何を言えばいいかわからなかった。それでも、何をするべきかはわかっていた。
「…私は、みなさんの先生だから」
そう口にする。フリオはしゃくりあげながらもまだこぶしを振り上げている。
「私は、みなさんの先生だから、何があろうとみなさんを助けるんです」
違う。自分が生きるために、罪滅ぼしのために、その相手がほしいだけなのだ。そんな自嘲が内心に生まれるが、無視した。
フリオをのけて土砂を掘り起こし始める。フリオは地べたに座り込んでしまったまま動かない。獣人の子がロンドを手伝った。
足元で土砂に巻き込まれて子供が泣いている。
何としてでも助ける。
ロンドが土をどかし、犬の子が体全体を使って土が崩れ落ちてくるのを防ぐ。ようやく腰が見えてきた。もうすぐだ。ようやく1人救い出せる。
ロンドは埋まっている子供に優しく語りかけ続けた。
「もうすぐだ。心配しないで」
大人が来た安心感からか、泣き止んだ子供は弱弱しくもそれに応答した。
「絶対助けるからね」
先生ではない。生徒ではない。所詮懺悔のための学校ごっこ。
いや、もうそれは関係ない。目の前の命を今度こそ救いたいのだ。
少なくとも、もう奪いたくはないのだ。
もう、土をのける必要はないだろうと判断して、ロンドは子供を抱え土砂の中から引っ張り上げた。どうやら骨は折れていないようだ。胸をなでおろす。
「大丈夫かい?」
子供は泣きながらも首を縦に振った。
ロンドは優しく子供の頭を撫でた。
「もう大丈夫だからね。ちゃんと診療所にも行こうね」
さぁもう一人、救出しなければならない。
そこで獣人の子の息が荒いことに気づいた。
無理もない。ロンドを探して交易所内を走り回って、今度は一緒に救出作業に参加したのだ。人間よりも体力があるとはいえ、まだ子供なのだ。
そういえば、獣人を解剖して筋肉の付き方を人間と比較したこともあったなぁ、と苦い記憶がはじけて消える。
そんな中、フリオがその獣人の子の肩を掴んだ。
「もうお前は休め」
まだ涙声に近い。だが、はっきりと言い切る。
「俺がやるから」
獣人の子が渋った。
「で、でもフリオ君、手がボロボロじゃ…」
「いいんだ。俺がやる」
絶交などと叫んだことはもう忘れているようだ。
フリオは無理やり犬の子をどかして、ロンドと一緒に土を掘り返し始めた。
背は腹に変えられぬということなのだろうか。ロンドはフリオの顔を見た。
目は赤く、頬は汗と涙でぬれてしまったゆえに泥まみれだ。
下手に話しかけてもこじれるだけだろう。ロンドは黙って作業を続けた。
やがてもう一人の男の子も救出された。こちらの子は足の骨が折れていた。
ロンドはその男の子を背負った。体力がある方ではない。それでもこれくらいの子供なら簡単に背負える。
軽い。だが、その内に宿す未来はとても尊く、それを奪い続けたロンドの責任は重い。
5人は無言のまま地下通路を歩き、地上へと戻った。