Neetel Inside ニートノベル
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 ミシュガルド大陸アルフヘイム領海に何隻ものふねが集結していた。
 国境のごとく並んだアルフヘイム艦隊に、一隻の戦艦が近づいていく。
 木造のアルフヘイム艦に対して、この艦は鉄製で黒塗りだ。艦体には煙突が建造されており、黒い煙を絶え間なく吐き出し続けている。艦体の側面には髑髏を模した紋章。甲皇国の艦だ。
 その黒塗りの戦艦を迎え入れるかのようにアルフヘイムの艦隊が陣形を変える。
 やがて甲皇国の艦はゆっくりとアルフヘイム開拓団が建設した港にその艦隊を寄せた。
 自然との調和を国是とするアルフヘイムの港は珊瑚を加工して造り上げたもので、そこに停泊する艦も木造だ。そこに寄港した鋼鉄の甲皇国戦艦はどこか違和感を覚えさせる。
 戦艦を待ち受けていたように港にはダートとニフィルが立っている。遮光眼鏡と目隠しで表情は定かではないが、眉間に寄るしわが彼らの心情が穏やかでないと示している。
 大戦の折、甲皇国とアルフヘイムの間で繰り広げられた戦闘は基本的に海上戦であった。故に甲皇国製の戦艦を眺める彼らは唇を固く結んでいる。
 やがて戦艦から男女が降りてきた。
 男性が着るのは鮮やかな縹色の軍服。赤いマントが潮風になびく。髪の色は輝くばかりの黄色。しかし、後ろ髪の先端のみ黒い。
 浮かべる笑みは不信感を抱くほど。纏う雰囲気は警戒心を呼び起こすほど。
 彼に追随する形で歩く女性は妖美な笑みを浮かべている。男のように煌めく笑顔ではない。官能的だ。
 白と黒を基調とした特殊な形の軍服だ。引き締まった腹筋と脚が露わになり、彼女の艶然さを引き立てている。
 藤色の髪を腰ほどまで伸ばし、胸元には甲皇国の象徴たる髑髏の飾りが目立つ。
 甲皇国の二人はアルフヘイムの代表たるダートとニフィルのもとまで進んだ。
 磁石の反発のように彼らが近づくにつれ目に見えない力が反発を起こしているようだ。緊張感はいや増し、警戒が凝縮される。
 その中でも笑みを絶やさない男はダートに向けて手を差し出した。
 「お久しぶりです。ダート・スタンさん」
 「…こんな形で再会はしたくなかったぞ。オツベルグ・レイズナー」
 形式的に手を握る。ダートは低い声で答えながら、ちらとオツベルグと呼ばれた男の後ろに控える女性に目をやった。
 「…乙家か?」
 それだけで全てを察した女性はすっと前に出た。
 「お初に御目文字仕りますわ。ダート様。わたくし、甲皇国は乙家出身。ミシュガルド整備開発局局長、ジュリア・ヴァレフスカと申します」
 オツベルグと同様にジュリアと名乗った女性は手を差し出す。
 力強く手を握る。ダートは豊満なジュリアの胸に視線を向けながら尋ねた。
 「整備開発局局長…ではお嬢ちゃんが甲皇国のミシュガルド開発の実権を握っているのかの?」
 ジュリアは目を細めた。その一動作にも妖艶さが弾ける。
 「嫌ですわ、お嬢ちゃんだなんて。…丙家といえども大規模な開発は私を通してしか行えませんわ。もちろん、私のもとに来た開発許可は貴国とSHWの協議を通すことになっていますから、ご安心くださいませ」
 「お前さんを疑ってる訳ではないわい。…ただ、近頃はあまり開発許可の協議が開かれていないと聞いておるからの」
 「…乙家は基本的に交易所での事務に追われております。どうやら甲家も体よく甲皇国の駐屯所を追い出され今は入植地ガイシの地下で発見された遺跡の調査に力を入れている様子。丙家は丙家で駐屯所で表向きは大人しくしておりましたのに」
 ダートは重々しく頷いた。
 そう。最近まで丙家の主だった動きはまったく見られなかったのだ。
 「まったくじゃて。…そうじゃとも。今回はそのために来たのであろう?」
 「えぇ、その通りですわ」
 ふわりと微笑み、今度はニフィルと握手を交わした。
 と、そこでニフィルの顔が歪んだ。
 「…っ、あなた…!」
 いよいよジュリアの口角はつりあがる。
 「あら、あなたそういうのわかる人?」
 「なんじゃ、ニフィル。この嬢ちゃんがどうかしたのか」
 「……ダート様。この方、男性です」
 「…………は?」
 何を言われているかわからず、ダートの思考が停止した。
 「あらあら、別に言わなくてもよかったのに」
 上機嫌でダートに見せつけるようにジュリアは自分の胸を手で寄せる。
 「ただ、別に女ばかりじゃなくて、男もいけるクチだから、安心してくださいな。上下しっかり備えていますし、責めでも受けでも大歓迎ですわ」
 「えぇ…」
 ようやく合点のいったダートは力なくそう声を漏らす。
 詰まる話、このジュリア・ヴァレフスカという人間は外見こそ女性に見えるが男性である部分はしっかり男性だというのだ。しかも、性に奔放。
 「皇国の人間にまともな人はいないのですか!?」
 ニフィルが激昂した。
 が、ジュリアは涼しい顔だ。
 「あら、アルフヘイムとの友好を求める我ら乙家を侮辱してしまっては、いよいよ停戦協定の存続が危うくなりますわね」
 「…っ!」
 「これニフィル。乙家の方々に失礼じゃろう…」
 力なくダートが諌める。
 口喧嘩をしに来たのではないのだ。
 「…オツベルグ殿、ジュリア殿。我らアルフヘイムは再び貴国による侵略の危機にさらされようとしている。諸君ら乙家は我々に協力し、かの丙家の者共の企みを打破するものと信じてよいのだな?」
 オツベルグは煌めく笑顔を振りまいた。
 「当然じゃないですか!私は世界平和を本気で願っているのです。そのためにはあなた方との協力が必要不可欠!」
 「大言壮語も甚だしい…!世界平和などと軽々しく口にする輩に…っ」
 「ニフィル!……すまないの、彼女は少々気が立っておる」
 「いえいえ、構いませんよ。我らの行いを顧みればアルフヘイムの方々が私の言葉を信じられないのも当然です。だから、この想いをポエムにします。聞いてくだ――」
 「いずれにせよ」
 オツベルグが仰々しくポーズをとっている間にジュリアがずいと前に出た。
 「あなた方には我々と結託してこの海域を守るか、我らすら無下に扱い皇国と戦う道を選ぶか、二つに一つであるはずですが?」
 信頼とは長い年月をかけて積み上げていくものだ。
 70年に及ぶ戦争が集結してまだ数年。まだ互いに信頼できるかどうか腹の内を探っている段階。共闘にはほど遠い。
 要は互いにとって利益になるかならないか。今はそれだけを考えよ、と。事態は急を要するのだ、とジュリアは言外に主張している。
 「…」
 ダートとて愚か者ではない。ジュリアの主張に間違いはないし、今ここで乙家がアルフヘイムの味方たる証明を求めている場合ではない。
 しかし、それでも彼には国利だけを優先させることができなかった。
 ちらとニフィルを見る。
 憤懣やるかたなしと言う体で彼女はしかし、ジュリアの言を無理やり己の内で消化しようとしていた。
 大戦末期、禁断魔法の発動はその時点のアルフヘイムにとって最も国に利する方法であった。
 少なくとも彼女はエルフ族の有力者たちにそう説得された。
 しかし、それは保身に走ったエルフたちの詭弁であることをニフィル自身もわかっていた。
 そして、それを利用して甲皇国軍だけではなく他種族にも打撃を与えようという打算があったことも。
 その結果は言うまでもない。
 様々な種族が入り混じるアルフヘイムの意見の統一は非常に困難で、むしろ水面下では常に争いがあって。
 そのしわ寄せを一身に引き受けたニフィルの苦しみを少なからずダートは理解していた。
 元はと言えばアルフヘイムの者たちが手を取り合っていれば、皇国に国土を攻められることもなかったし、彼女がこんなに苦しむことはなかった。
 だからこそ、ダートは現在各種族の友好を最優先にアルフヘイムを取りまとめようとしている。打算だけでの付き合いはいつか綻びを生む。強引な利益の選択は不利益に泣く者を生み出す。皆が互いを尊重し合い、納得する結論が出せればそれが一番望ましい。
 そのためにはやはり信頼が必要なのだ。
 ダートの渋面を認めたジュリアはさらに畳みかける。
 「我らが丙家と結託するようなことがあれば、そもそも皇国と交易所にいる丙家監視部隊が無事ではないはずですが?」
 「っ…!」
 丙家監視部隊。アルフヘイムと乙家の間で動く妖の部隊。
 ダートは渋々首を縦に振った。
 「…あいわかった。じゃが、一つだけ。乙家のお二方には我らと同じアルフヘイムの艦に乗り込んでいただきたい」
 「ええ!喜んで!」
 即答したのはオツベルグだ。
 人質にされたことを理解しているのかいないのか。
 渋い顔をしてジュリアは背後の甲皇国戦艦に目をやる。
 アルフヘイム艦隊の中に一隻、非常に目立つだろう。
 丙家の思惑は分からない。だが、もし攻撃に転じることになっても最低限同じ甲皇国の艦を狙うことはしないだろう。
 いや、むしろ乙家しか乗り込んでいないことが明らかなのだから積極的に狙ってくるだろうか。ともすれば、アルフヘイム艦隊によって守られるダート達と一緒の方がいいかもしれない。
 いずれにせよ最低限の信用のためには彼らの要求を飲んだ方がよさそうだ。
 ジュリアは軽く頷き口を開いた。
 「丙家は既に動き出していますわ。既にSHWとも交渉を結び、エルカイダ構成員捜索の名目でミシュガルド大陸SHW領海の航行権を得ています。恐らくそのまま常駐を続け、アルフヘイムへの牽制をしてくるのではないかと」
 「じゃが、SHWがそれを許すかの?」
 「所詮は商業国家。大金が動くことだけは確かですわね。それに、もしSHWにも不利益が生じることになれば、彼らとて剣をとります。今のSHWの代表者は艦隊戦を得意とするお方ですから、何かしらの保険はかけているものかと」
 「…なるほどな」
 商業国家故にSHWがアルフヘイムを攻めることはない。それ故甲皇国とアルフヘイムの間に緩衝剤のようにSHWの領土は存在しているはずだったのだが。
 「いずれにせよ、我々もすぐ艦に。国境の警備をさらに手厚くし、早急にエルカイダの者を捕えてしまいましょう」
 そう、その目的が達成されれば甲皇国は大義名分を失うのだ。
 「皇国はもちろん、SHWにも乙家の者が配置されていますから、もしテロリストを捕えた場合は、それを秘匿することはできませんわ。ご安心を」
 もちろん、テロリスト捜索が方便でなければという前提のもとではあるが。
 内心そう懸念を抱きつつもジュリアはダート達に続いた。
 と、そこでふと思い出した。
 「そういえば、噂に聞く黒い海は…?」
 あの海域の調査は困難を極めるだろう。
ダートはそっけなく返した。
 「あぁ、おそらく今はSHW領海じゃろう。……そういえば、SHWが海水浴場を整備したと聞いたの」
 儂も海で羽を伸ばしたいものじゃて。
 そう軽口をたたきながらダートは艦に乗り込んだ。


       

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