Neetel Inside ニートノベル
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 ペリソン提督は悩ましげに艦の進行方向を眺めた。
 戦後から数年、戦場から離れたとしても刻み込まれた経験は今もなお精彩を放つ。
 見渡す大海原は青く、広く、しかし何隻もの艦が自分の乗る艦の行く手を誘導するかのように並んでいる。
 無理やり進路を変更すればそれらの艦との衝突は避けられない。かといってこの進路に素直に従った場合。
 「黒い海…か」
 遠目からでもわかる。海が一部どす黒く変色し、その一帯だけ波が荒れ狂っている。
 いくら甲皇国の艦隊が最新鋭の戦艦をそろえたものであっても、あの海域に踏み入るのは自殺行為だ。
 「SHWめ…我々に大人しくしていろということか…」
 甲皇国ミシュガルド領海から出立したペリソン提督率いる艦隊がSHW海域に到達したのが小一時間ほど前。
 SHWの艦隊はものの見事に隊列を整え皇国艦隊の行動範囲を制限した。その結果がこれである。
 彼らの艦は甲皇国の船を黒い海へと導く一本の道を成している。さらに、馬鹿正直にこの道に艦隊をすっぽりと収めてしまえば、SHWの艦隊に挟み撃ちにされてしまう上にそれを突破した先にあるのが黒い海。
 故に甲皇国の艦隊はSHW領海と甲皇国領海の境界でその動きを止めていたのだ。
 ペリソン提督は大戦期に数々の海戦で勝利を収めた名将として名高い人物である。この程度の劣勢なら何度も経験してきた。
 脳内にはこの状況を打破するための戦略が次々と構築されていく。
 が、今は戦時中でもなければSHWを侵略しに来たわけでもない。あくまでテロリストの捜索だ。
 さしものSHWも領海内に皇国の艦が自由に侵入ってくることには抵抗があるのだろう。
 それに、もし甲皇国の艦がSHWを通過しアルフヘイム領内に侵入したとすれば、アルフヘイムのSHWへの印象が悪くなる。
 商業国家としてはそれも避けなければならないだろう。どちらにも加担せず、どちらにも敵対せず。それが彼らの方針だ。
 「あまり感心はせんがな」
 そう切り捨てペリソンは後ろの部下を振り返る。
 「総司令は?」
 「まもなく皇国領から出立するものかと」
 「ふむ」
 となるとここで停滞しているだけではまずいかもしれんな。
過激派のあの男の事だ、無理やりにでもSHW領を突破しろと言いかねない。
 これだから陸の男は、とペリソンは想像のホロヴィズ将軍を批判した。
 ここは海上だ。陸戦とは全く勝手が違うのだ。
 あの男に主導権を奪われる前にこちらも相応の行動をしておかなければならない。
 ペリソンは雄々しく号令を発した。
 「全艦、両舷微速で隊形を維持しつつ後進!」
 さて、これで相手はどう出てくるか。
 彼はSHW艦隊の動きを注視した。
 と、そこで思う。
 そういえば、SHWの代表者は艦隊戦に長けていると聞いたことがある。
 もし、それが天性のもので、自分が長年積み上げた経験と努力を遥かに上回るものであったら。
 そう考えるとうすら寒いものがペリソンの背中を駆ける。
 このテロリスト捜索の裏に丙家の思惑があるのはペリソンとてすでに勘付いている。ないとは思いたいがSHWと衝突した場合どうなるだろうか。相手はこちらの動きを読んで皇国艦隊の動きを制限したのだ。
 とはいえ、それは考え過ぎだろう。
 SHWのお偉いさんがさすがにこのミシュガルドまで出てくることはない筈だ。
 ペリソンは記憶を手繰り、その男の名前を思い出そうとした。
 SHWの代表者。大社長と称されるその男の名は――


 「ヤー様のおっしゃる通り皇国の艦隊は後進を始めたようです」
 SHWの艦。その一隻の操舵室でそう報告がされる。
 報告を受けた人物は静かに頷き目を開けた。
 「うん、そうするしかないよね。さすがに突っ込んでは来ない。…陣形を変更。第一第二艦隊をSHW領と公海の境に単縦陣で展開してくれるかい。第五艦隊はアルフヘイムとうちの国境で単横陣。どちらも変わらず第三種戦闘配置でよろしく」
 穏やかな顔をした男だ。整えられた黒髪、落ち着きのある双眸。しかし、その目には戦況をはるか先まで見通す鋭利な光が煌めく。
 首から下はこの操舵室に存在していない。
 顔だけが魔法陣を介してこの操舵室に現れているのだ。
 ヤーと呼ばれた男は近くに控えていたエルフに指示を出した。
 「皇国は公海から黒い海を回避しつつアルフヘイム領に近づくつもりのようだ。通信魔法陣をアルフヘイム側と同調させてくれ」
 その言葉に従って1人のエルフが魔法陣をヤーを出現させている魔法陣の前に出現させた。エルフがそれに手をかざすと、魔法陣の周囲に描かれている文字が回転し始める。同時に中央に描かれた文様が大樹を基調としたアルフヘイムの文様へと変化した。
 同様に文字が回転している魔法陣から声と像を出現させているヤーは、目の前の魔法陣を介してアルフヘイムの代表、ダート・スタンの顔が現れるのを認め、口を開いた。
 「皇国が公海を経由してそちらに向かうようです。こちらからも圧力をかけますが、恐らく黒い海海域を迂回してミシュガルドSHW海域に入ってきます。口実上皇国をうちの領海に入れない訳にもいかないので、仕方がないことです。ただし、それ以上は進ませないようそちらもご尽力願います」
 「うむ」
 ダートは重々しく頷く。
 「…だが、そちらばかりに気をとられてはおれぬ。たった今、ホロヴィズが率いる艦隊が動き始めたと報告が来た」
 「…なるほど」
 皇国の今後の動向をヤーは頭の中で組み立てた。状況と思惑を線で結び、仮説と戦略が海上に描かれる。
 ダートは争いごとに聡いわけではない。魔法陣を介して話し合う目の前の男の内でめまぐるしく展開される計算を把握することができない。
 SHWとアルフヘイムは決して協力関係にあるわけではない。
 今は皇国に対して同様の警戒心を抱いたというその一点のみが彼らを繋げているのだ。それがダートの疑心を膨らませる。
 すなわち、SHWが今後アルフヘイムに対してどのような態度をとるかということだ。今回の事件の結果、最終的に得をするのがSHWだけで皇国もアルフヘイムも馬鹿を見るという事態は避けたい。
 そもそもこの協力はSHWの方から持ちかけてきたものだ。彼らにも何かしらの目論みがあるのだと考える方が自然だ。
 それでもダートはSHWと協力せざるを得なかった。事態はそれほどに緊迫していたのだ。
 先の先まで見通す余裕のあるヤーに対して、ダートは今に対して最善を尽くすことしかできない。その最善も商業国家や甲皇国乙家の協力があってようやくなのだから、彼の心中は複雑である。
 呼吸5つ分の沈黙の後、ヤーはゆっくりとダートに尋ねた。
 「…皇国は一体何を考えているんでしょうね?」
 ダートはヤーの突然の質問に答えあぐね、唸った。極端に言えばそんなことは皇国の将軍にしかわからない。
 「私はですね、エルカイダの捕虜なんてもの自体信じていないんですよ」
 「…そうじゃろうな」
 とはいえどもそこを論点にしてしまっては水掛け論に帰する。だからこそ皇国の捜索にやむを得ず乗った。
 ヤーは続けた。
 「ただね、だとするとどうしてこのタイミングで?ということになるんです。確かに皇国から総司令ホロヴィズが来たというのもあるでしょう。…ですがそれにしてもやり方が強引すぎる。…彼らの本当の目的というものがあるように思えてしまいます」
 「…お主は若いから知らんかもしれんが、彼奴らは70年前も同じように突然戦いを仕掛けてきたのじゃ。蛮族に道理を求めても無駄じゃよ」
 言葉にこもる憎悪にヤーは内心苦笑いをする。
 怒りに囚われた者もまた、道理を捨てるのだ。冷静なようで、やはり皇国を相手にするとそうではいられないらしい。
 「…とにかく、SHWの領海内では皇国に好きな動きをさせる気はありませんよ」
 「……じゃが、先ほどのように皇国が公海を回ってこちらに攻め入ってくるかもしれんぞ?それに、先ほど艦を動かしたことで皇国側の警備が手薄になったのではないか?」
 ダートの懸念を拭うようにヤーは穏やかに笑った。
 「そうですね…SHW領海内で、一部手薄になったところがあります。が、そこを無理やり進んだところで行きつく先は黒い海。なに、ちょっとした嫌がらせですよ。皇国の艦といえども黒い海を抜けるのは至難の業でしょうし、仮に総司令が乗った艦が先ほど同様に公海を回ってくるというのなら、やはりSHWとアルフヘイムが合同で迎え撃てばいい。SHW本国からも増援を出しましょう。アルフヘイムのミシュガルド領海にはそちらの国からよりもうちから艦を出した方が到着が早いですからね」
 「うむ…ではそのように。アルフヘイムからも増援を呼ぶことにする。艦だけではない。騎竜隊にも出てきてもらおうかの」
 「それがいいでしょう。…それでは」
 通信魔法がぷつりと途切れる。
 国の最高地位にある2人のやりとりの緊張に支配されていた艦内に、少しばかりの安堵が生まれた。
 ヤーはアルフヘイムとの通信が途切れていることを、こちら側の会話がもはや彼らに聞こえることがないことを確認して、口を開いた。
 「聞いた通りだ。本国に連絡をして船団を寄越してくれ…と言いたいところだけど本国に連絡するまでもなく僕自身が本国にいるんだったね。どうも操舵室にいる気になってしまうね」
 ハハハと笑う彼に通信魔法を展開したエルフが応えた。
 「最近発明された魔法なのですが、非常に便利ですね。個人間の伝心魔法と違い、場所を繋げる魔法だから、全員と話すことができる上に術者自身が話し手である必要もない」
 「もとは戦争中に発明された音声伝達魔法なんだってね。…いやはや、この国は素晴らしいね。この艦と言い、通信魔法と言い、各国から様々な技術が集まってくる。…と、そんな話をしてる場合じゃなかった。…とにかく必要な情報はすべてここに集まってくる。アルフヘイムの事も、甲皇国のこともね。こういう時は情報がものを言うんだ。さすがに皇国がこちら側に仕掛けてくることはないと思うが…とにかく、上手いことやっていこう。強かに強かに、我々は2国の間を行き来すればいい」

 ミシュガルド大陸を北に据えると、アルフヘイムはちょうど向かいの南側に位置する。そのアルフヘイムから北西に海を隔てて甲皇国があり、SHWはアルフヘイムの東側に位置する。
 ミシュガルド大陸に最も近いのはSHWであり、また、ミシュガルド大陸内のアルフヘイムの本拠地は東側に位置することから、SHWの増援も迅速にアルフヘイムに駆けつけることができる。
 ヤーはダートと協力し、アルフヘイム領海を皇国から守るべく布陣を敷き、本国からもアルフヘイム領に向けて艦が出立した。

 それは、SHW船団がアルフヘイム領海を包囲することに他ならない。

       

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