Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシュガルド冒険譚
穢れに捧げ、癒し歌:3

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 「アマリ様ったら、いつもいつもこうなんだ。僕の事なんだと思ってるんだか…」
 「わかる。俺もさぁ、なーんかいいように使われるというか、なんというか」
 砂浜をだらだらと歩く2人の少年。口にする愚痴に反して、その表情は明るい。
 「ただ、逆らえないだよね…」
 「そうそう!逆らう訳にもいかないからって思うんだけど、絶対これ損だよな!」
アンネリエとアマリに押し付けられた串をゴミ箱に捨て、ケーゴイナオ、そしてピクシーは何の気なしに砂浜を歩いていた。
 イナオとケーゴは年が近い。仲良くなるのに時間はかからなかった。
 ミシュガルド大陸に上陸して以来、ケーゴには同年代で同性の知り合いというものがいなかった。
ロビンやシンチー、ヒュドールは自分より年上だし、アンネリエとベルウッドは年こそ近いが男のロマンが分からない。
ブルーとは年自体は近いようなのだが、いかんせん彼が大人びているのであまり同世代とは思えない。ピクシーは論外。
どうやらそれはイナオも同じだったようで、お互いに意気投合するに至った。
 斯くして、2人は愚痴をこぼしながらだらだらと歩いているのだった。
 「ケーゴはさ、どうしてミシュガルドに来たの?」
 「俺?俺は…トレジャーハンティングをしにってところかな」
 イナオは顔を輝かせた。
 「へぇー!かっこいいなぁ!ミシュガルドに眠る財宝を探すとかそういうのでしょ!?」
 イナオの頭に浮かぶのは金銀財宝。そしてそれをスリルに満ち溢れた冒険の末に勝ち取った自分の姿。
 そんな彼の脳内を見透かしたようにケーゴは言いつくろう。
 「いやいやいや!トレジャーハンターって言ったって全然駆け出しだよ?それに大したお宝を手に入れたわけじゃないし…」
 そういえば自分もこんな風に大成功を夢見てミシュガルドにやって来たんだったなぁ、とふと思い出す。
 正直、あの頃はちょっとした危険はあっても死ぬことはないだらうと甘い考えがあった。
 なんとなく、自分なら上手くいくという謎の万能感があったように思う。
 だけど、あの森で犬野郎に追い詰められて自分は特別じゃないと思い知らされた。それが数週間前の話というのだから驚きだ。
 そう薄く懐かしむような表情を見せたケーゴの隣でイナオがそれに気づいた。
 「……そういえばケーゴ、なんだか今日は船が多くない?」
 「そうなの?」
 イナオの視線の先、確かに何隻もの船がゆっくりと移動をしている。
 だが、海初心者のケーゴにとって、船が海に浮かんでいるのは当然のことで、多いと言われても正直困る。
 当然イナオが指した船とはSHWやアルフヘイム、そして甲皇国の船団のことである。SHWは海水浴場の経営者に今回の顛末を伝えたのだが、彼らは開業したばかりの海水浴場の休業を嫌がったのだ。
 「んー…俺にはよくわからないんだけど…いつもはもっと少ないの?」
 「うん、いつもは船なんて見ないもの」
 そうなんだ、と返してケーゴはその船団を眺める。何かあったのだろうか。
 と、そこで気づいた。
 海が黒い。正確に言えば黒い部分がある。
 青い海に墨で線を描いているかの如く、その黒はまっすぐにこちらに向かってくる。
 何かの影だろうか。否、確実に海が穢れに染まっている。
 「…なぁ、イナオ。あの黒いのって何?」
 もしかしたらよくあることなのかも、と微かな希望と共に質問をする。
 しかし、ケーゴが指を指したその海の不浄にイナオも眉をひそめた。
 不快な感覚が胸の奥でざわつく。嫌な予感が警鐘を鳴らす。
 どす黒いそれの存在は既に他の客も気づいており、不安が波紋のように海辺に広がる。
 「ケーゴ、逃げよう、嫌な予感がする」
 緊迫したイナオの面持ちに異常事態を察したケーゴはしかし、躊躇いを見せる。
 「え、でもアンネリエが」
 「あの人ならアマリ様が何とかしてくれるよ!とにかく僕らだけでも――」
 刹那、海を染める一筋の線が膨れ上がり、黒い水柱が爆ぜあがった。
 穢れた水を纏って空中に現れたのは少年の人魚。
 身体の一部が腐食し崩れ落ちている。蒼白な肢体は生者のものか死者のそれか。
 人魚の周囲には黒い水が浮かぶ。その水を自在に操ることで空中での行動を可能にしているようだ。
 人魚は、悲鳴を上げて散り散りに逃げまどう客の中で硬直してしまったケーゴとイナオに気づいた。
 息も荒くその人魚が吠える。体を蝕む不浄が形を成し、槍へと姿を変え彼の右手に収まった。
 赤く発光する目をぎょろりとケーゴとイナオに向けると、その人魚は怒声とも泣き声ともつかぬ声をあげ、2人に飛び掛かった。
 「うわああああああああああああああああああああああああ!?」
 「なんだぁあああああああああああああああああああああああああっ!?」
 2人の悲鳴が重なる。
 が、寸でのところで人魚の槍を躱す。 
 槍は白い砂浜に突き刺さるとそのまま砂浜を黒く染め上げた。
 人魚の動きの要である黒い水も辺りに飛び、穢れがまき散らされる。
 「マスターケーゴ、この高性能自立性記憶装置である私がエラー音を出しながら警告するに、あの腐食性の液体の正体は未だ不明。ただし高度の魔力を感知したことから、無暗に触れることは推奨しません」
 「言われなくてもわかるだろ!あれ!」
 喚きながらもケーゴは身を翻し、短剣を抜いた。
 「くっそぉっ!!何なんだよ一体!?」
 ピクシーは空中を旋回しながらその人魚の観察を行う。
 「私が観察結果を報告するに、あれは人魚族の少年です。ただし、当然のことながらと前置きを付け加えて警告するに通常の人魚族とは全く別物です。どうやら一部機械化がされている模様。加えて通常の人魚族では有し得ない異常な魔力を全身から発しています。その発生源は98.975%の確率で黒く変色した部分であると推測」
その場の緊張感にそぐわないほどの長々とした説明にイナオの端的な言葉が重なる。
 「こいつ僕たちを狙ってるみたいだ!」
 その言葉を是とするかのように人魚は唸り、赤い眼光を2人に差し向ける。
 そして再び槍を持って突撃する。速い。
 ケーゴは躱そうとしてバランスを崩す。
 尻餅をついた彼の目と鼻の先を黒が駆けていく。
 ぞくり、と悪寒が背を滑り落ちた。
 物理的な腐食だけではない。それ以上の正体不明の恐怖がケーゴの内に宿った。
 愕然とするケーゴに人魚は狙いを定めた。
 「ケーゴ!」
 イナオの言葉ではっと我に返る。
 反射的に短剣から魔法弾を放つ。
 「…っ」
 が、どこか躊躇があった。それが魔法弾の威力を弱める。
 目の前にいるのは化け物だと、危険だと、そう本能が叫んでいるにも関わらず、どうしても、それでも人魚じゃないのかと心のどこかで声がする。
 黒い人魚はケーゴの魔法弾を槍で弾き、なおも突進する。
 「うわっ!」
 転げまわりながら人魚の攻撃を躱す。
 ケーゴはイナオの姿を探した。イナオは大丈夫だろうか。全く武器を持っていないようだったが。
 が、彼の懸念に反してイナオは気丈にも人魚と対面していた。
 ズボンに括り付けてあった護符を手に取り、ケーゴには理解できない呪文を紡いだ。
 「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン!」
 破邪の力が護符に宿る。
 その護符を勢いよく放つが、黒い水に遮られ真言は効果を失くす。
 「…っ!ならっ!」
 軽く瞠目しつつも今度は刀印を組んだ。
 魔力を独特の霊力へと変換し、退魔の力を具現化する。
 「臨める兵戦う者皆陣烈れて前に在り!!」
 その力は白銀の刃となって人魚に襲い掛かる。
 今度は黒い水ごと斬り裂いて人魚に攻撃が届いた。
 裂傷を負いながらも人魚は吠えた。
 「…すげぇ」
 目の前でこんな魔法を見るのは初めてだ。これが戦闘中でなければケーゴはイナオを褒め称えていただろう。が、今はそれどころではない。
 体勢をようやく持ち直したケーゴは剣を人魚に向けて突き出す。
 ごくりと唾を飲む。
 前の犬野郎の時と同じだ。あいつは敵なんだ。
 そう自分に言い聞かせる。
 どうしてだろう、こんな時にヒュドールの顔が脳裏に浮かぶ。
 頭を振ってケーゴは歯を食いしばる。
 宝剣の使い方を熟知しているわけではない。だが、体が覚えている。
 「…っ!」
 ケーゴを中心として一陣の風が吹いた。
 宝剣から炎が吹き上がる。
 「…ケーゴ!?」
 その魔力の大きさにイナオは一瞬動きを止める。
 ケーゴ本人からはこんな魔力を感じなかった。魔法使いであるような気配もなかった。
 あの剣だ。あの剣がそれだけの力を秘めているのだ。そうイナオは理解した。
 吹き荒れる炎の中、赤に照らされる黒曜石の瞳は純然たる煌めきを放つ。人魚の纏う水とは一線を画す黒色だ。
 「はぁああああああああああああああっ」
 気合一閃。
 声と共に振り下ろされた剣から業火が放たれる。
 人魚の槍を振り下ろす動きに合わせて黒い激流が巻き起こる。
 炎と水がぶつかり合う。
 両者の力は拮抗し、辺りに水蒸気が沸き起こる。
 ケーゴは短剣を両手で握りしめ、人魚の力に対抗する。
 と、そこでこちらに駆けてくるアンネリエの姿が目に入った。
 肝を冷やして叫ぶ。
 「…っ!アンネリエ!駄目だ!来るな!」
 気が緩んだ。
 力比べに負け、炎が弾けた。
 「うわああああああっ!」
 ケーゴが吹き飛ばされたその光景にアンネリエは息をのむ。
 駆け寄ろうとしたが共に走って来たアマリに制される。
 どうしようもなくアンネリエはケーゴの身を案じた。
 どうやら辛うじて霧散した炎に身を守られ、彼が奔流に巻き込まれることはなかったようだ。
 全身を叱咤してのろのろとケーゴは立ち上がる。
 彼と人魚の間にイナオが割って入った。
 「イナオ!」
 アマリが声をあげた。
 「アマリ様!」
 それに気づいたイナオが手を伸ばす。アマリがそれに呼応して力を開放する。
 イナオの手の内に炎が宿り、それが刀に姿を変える。刀の先には護符がくくりつけてある。
 刀を握りしめ、こうなれば百人力だとばかりにイナオは人魚を見据える。
 が、目の前の人魚はどこか今までとは違う様子だ。その姿にイナオは眉をひそめた。
 人魚はどこかおびえた様子で辺りを見回している。
 「なんだ…?」
 ケーゴも人魚の変化に気づいて胡乱気な表情を見せる。
 と、そこでアマリが2人のもとへ合流した。アンネリエもケーゴの身を案じて傍に寄るが、ケーゴは彼女を守るかのように後ろに下がらせる。
 「イナオよ、これはなんじゃ?」
 アマリの声は冷たい。
 品定めするかのように人魚を観察する。
 人魚の挙動がさらに奇妙になった。
 アマリから距離をとるように後ずさりをする。
 「…わかりません。ただ、なんだか様子がおかしいんです。さっきよりもなんだか怖がってるみたいな」
 「…怖がっている?」
 アマリと人魚の視線が合う。
 人魚は唸り、さらに後ずさった。
 そして。
 「むっ」
 「えっ?」
 「なんで…?」
 人魚は黒い水を伴って海へと飛び込んだ。
 逃げたということだろうか。
 残されたのは黒く染まった砂浜と海水、そしてケーゴの魔法と人魚の水がぶつかった跡。
 「……なんだったんじゃ」
 「わからないです…」
 呆然とそう言い合うアマリとイナオ。
 つい先ほどまであれだけこちらに敵対心を持っていたというのに、一体何が起きたというのだろう。
 考えても答えは出ない。
 と、イナオははっと思い出したかのようにケーゴへと駆け寄った。
 「ケーゴ、大丈夫!?」
 ケーゴはのろのろと頷いた。
 「…なんとか。……アンネリエ、どうしてこっちに来たんだよ」
 言葉に多少の怒気がこもる。
 アンネリエに悪気がないのは知っているはずなのに。
 ただ、ケーゴは彼女に危険な場所に来てほしくなかったのだ。
 ただそれだけなのだけれど。
 アンネリエのことを案じる訳でもなく、ただ感情任せに言葉を吐いてしまった。
 それが自分の弱さへの苛立ちの裏返しであると、今のケーゴには理解できない。
 アンネリエは常のごとく黒板に文字を書いてケーゴに気持ちを伝えようとした。
 しかし、焦っているからか、上手く言葉が出てこない。
 白墨を持ったまま固まってしまったアンネリエの頭に手を置いてアマリがケーゴに説明した。
 「この子はお主が心配だったんじゃよ。そこまで怒ることはないのではないか?」
 「…別に、怒ってはないですけど」
 つんと澄ました表情でそう言われてケーゴもばつが悪そうに口ごもる。
 何を言えばいいかわからず、ケーゴは黙り込んだ。
 気まずくなってしまったその場を取り繕うかのようにイナオが口を開いた。
 「そ、そういえばケーゴ。その剣すごいね。ものすごい力が込められてるみたい」
 「あぁ、そういえばそうじゃの」
 「えっ、そんなにすごいの?」
 魔法が使えるすごい剣、程度の認識しかなかったケーゴとしては、先ほどイナオが使った術の方がすごいと感じるのだが、そうでもないようだ。
 アマリが挑発的に首を横に振った。
 「こやつの術などまだまだ未熟じゃ。せめて最初の術であの程度の魔物は除けられねばの」
 「…って、アマリ様!まさか僕たちを遠くから観戦してたんですか!?」
 「馬鹿なことを言うでない。妾がこちらに急ぎ駆けつけている時にお前の術を感知したまでじゃ。お主に教えた術はエルフたちの魔法とは異なる力ゆえにわかりやすい」
 「…そうですか」
 内心納得のいっていない様子のイナオを無視して、アマリはケーゴに先ほどイナオが使った刀を見せた。
 「この太刀は妾の力を宿しても大丈夫なようにこの護符で強化をしてある。これがなければ妾の力を込めた瞬間にこの程度の武器は使い物にならなくなるじゃろうな。そもそも護符で保護をしたとしても妾の力の全てを引き出せるようになるわけではない。…が、ケーゴよ、お主の得物なら妾の力を存分に発揮できるぞ」
 「…そうなんですか?」
 まさかそんなにすごい剣だったとは。
 しげしげと短剣を見つめる。そしてふと思ったことを口にしてみた。
 「…じゃあもしかして、今以上に強い魔法も使えるようになるってこと?」
 「それにはお主自身の鍛錬が必要になるじゃろうな。せめてお主自身が剣なしで魔法が使えるようにならねば」
 「なるほど、俺が魔法を…うぇえっ!?それは無理じゃ!?」
 素っ頓狂な声を出すケーゴにアマリはにやりと笑ってみせた。
 「先ほどの戦いを見る限り、おそらく魔剣に宿る魔力の扱いはできておるからの、後は魔力を自身の身体に取り込んで操作することができればいい」
 「そうなんすか?」
 「本来の魔法補助具はそれを行うためのものなんじゃがの。この短剣は剣そのものが魔力を有しているから、お主は己の内に魔力を取り込むことも、魔力を変換することもなく、ただ剣に己の意思を伝えればよい。いうなれば今のお主は誰かにおぶってもらって指図をしている状態。が、もしお主が1人で歩くことができれば、つまり、お主自身が魔力の扱いを会得し、短剣の魔力と一体になることができれば、普通の人間…いや、エルフ以上の魔法が使えることになるかもしれぬぞ。なにしろ、この剣に宿る魔力は妾が認めるほどのものなのだから」
 「へぇ…」
 痛みを忘れてケーゴは短剣を握りしめた。
 さっきの戦いでもしイナオがいなかったら。もしアマリが来てくれなかったら。もし、アンネリエが狙われていたら。
 ちらと隣を見る。
 アンネリエはすっかりしょげかえってケーゴと顔を合わせようとしない。
 今更のようにずきんと心が痛んだ。
 「…ごめん、ちょっと言い過ぎた。…だけど、アンネリエ、もし俺が危ない目に遭ってても、そのまま逃げてくれよ。俺、心配かけ通しだけど、アンネリエまでも危ない目に遭うのは嫌なんだ」
 アンネリエは首を縦に振ることも横に振ることもなく、ただ黙ったまま目を閉じた。


       

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