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「…!あそこ、壁が崩れて…っ」
「馬鹿者!今は目の前だけに集中せんか!」
気をそらしたイナオをアマリが叱責した。
イナオの術とて完全ではない。
ともすればたやすく津波に飲まれてしまうだろう。
2人は先ほどまで交易所を守っていた凍結魔法が消え去ったことに当然気づいていた。
波本来の勢いにイナオも必死の表情を見せる。
アマリはそんな彼へ霊力を変換して分け与えているのだ。
彼女の行使する力は狐火。その甚大な霊力をもってすれば先ほどの氷魔法のように防御壁全体を炎で包むこともできた。
しかし、彼女の故郷流に言うならば水克火。水は火を消し去るものだ。
土克水。水の勢いを止めるのは土。しかしながら、崩れ落ちた土の壁を見れば明らかなように大きすぎる力の前に相性は意味をなさない。
土克水すら覆されるのだ。いつまで続くかわからない津波の襲来に相性の悪い炎で挑むのは幾分か躊躇いがあった。
それに、嫌な予感がした。
ここで全力を使ってしまってはいけない、そう直感が告げていた。
そこでアマリはイナオに霊力を付与することで交易所の防御を手伝っているたのだが、彼があまりにお人好しなことをしでかしけるもので、いずれにせよ炎で海水を蒸発させることになるだろうとふんでいる。
「今のお主ではそこまで気を配ることはできないじゃろ!」
「だけど、あれを放っておいたら…っ」
集中力が途切れ、彼の築いた守りの力が揺らいだ。
「大丈夫じゃ、他の者が何とかする!」
そうアマリが言う間にも海水の流入は止められたようだ。
それを認めたイナオも安心したように息をつく。
「気を抜いておる場合か。術に集中せい」
「わかってますよ…」
そう返しつつイナオは歯を食いしばった。
アマリの言う通り自分はまだまだ未熟で、できることはまだまだ少ない。
本当なら、この交易所ごと守れればいいのに、とないものねだり。
アマリは自分を諌めつつも霊力の供給を止めない。恐らくこの場は1人で切り抜けろということだろう。
いざともなればアマリ自身が力を開放するのかもしれないが、それを頼るのは甘えだ。
イナオが気を取り直して術に力を込めた時だ。
視界の隅で吹き荒れていた風が弱まったように感じた。
1人の術者が風でもって波を押し返していたのだが、その力が小さくなっているのだ。
「また…っ」
津波の勢いは強く、それでいて何度も何度も押し寄せてくるのだ。
イナオもアマリの力がなければここまで粘れていなかったかもしれない。
「イナオ!何でも言わせるでない!」
「ならアマリ様!消耗している人に力を与えるとかできないんですか!?」
今弱まりつつある風魔法の術者でも、先ほどの凍結魔法の使い手でもいい。
アマリの膨大な力ならそれが可能だろう。
しかし、その希望とは裏腹にアマリは首を横に振った。
「…妾がお前に与えている力は、お前が行使する力は、普通の魔法とは異なるものじゃ。妖の霊力をエルフに分け与えたところで使いこなせぬわ。…イナオ、それは分かっておるじゃろう」
イナオは唇をかんだ。
わかっている。わかっているはずなのに、それでも願わずには、頼まずにはいられないのだ。
その悔しさを知らないアマリではない。
それでも、ここで全力を出すわけにはいかない。イナオのもとを離れるなどもっての外。
が、どうにもあの風魔法は限界の様だ。
頃合いを見計らうアマリの横を何者かが駆けた。
傍を走り抜けたその影に見覚えのあるアマリとイナオは驚きとともにその名を口にする。
「お主は…!」
「ケーゴ!」
彼らに応えることなくケーゴは走り、弱まりつつある風の障壁に向けて炎を放った。
微弱ながらも風はケーゴの放つ炎の勢いを大きくする。
水と炎がぶつかり合う。
昨日はその力比べに負けたケーゴだが、今度こそは、との思いが瞳の奥で燃えている。
熱せられた海水が蒸気となり辺りに充満する。
放たれる炎は短剣自身が持つ魔力によるものだ。ケーゴは疲労することなく力を行使し続けることができる。
アマリはその炎から生じる力の源を鋭敏に感じ取った。
純然たる魔力、これは。
「…精霊のものか……?」
あの少年の剣に宿る力は精霊の、それも相当上位のものだとアマリは気づいた。
その出自が気になるが今はそれどころではないと、アマリは頭を振った。
「少年!」
叫ぶ。ケーゴがこちらを向いた。
アマリは続けた。
「その炎、いつまでもつ?」
「分からないけど…、多分まだいける…っ!」
確証はないようだ。だがその言葉に間違いはないだろうとアマリは感じた。
「アマリ様…!ケーゴは…っ!?」
目の前でイナオが友の身を案じた。
視線こそ目の前の術に向けているが、心が揺らいでいることなどお見通しだ。
アマリはイナオの頭を小突いた。
「彼ならお前よりもよっぽど頼りになる。今は術に集中しろと言っておるじゃろ」
「…わかりました」
そう言って再び術に集中しようとするイナオの顔はどこか固かった。