Neetel Inside 文芸新都
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「ほんまどうかしてるでお前」しかめっ面をしながら光太郎がいう。両手はハンドルに添えて。「昔から変わったやつやとは思ってたけど、さっきはやりすぎや」
「そうかな」
「俺も一部始終見てたけど、ムカつくけどあんな殴ることないやろう」
俺は窓の外に目をやる。もう午後の3時を過ぎた東京の空はいつしか磨りガラスのように平板で、不透明で薄暗い。
「人殴ったんなんていつぶりやろ」
俺は拳を摩る。あのとき確かにあの金髪の男の顔を思い切り殴った拳だ。いまだ骨の感触が遠く響いているような気がする。
「うん、そりゃあ俺だってできるならあんなやつ殴りたいわ。バコーンてお前みたいにな。でもそれができてたのは俺らがガキの時の話やで。気に食わんからすぐ手出すのは、なぁ」
光太郎は割と真面目な顔をして言う。そういえばこいつはなにしてるのだろう、職的な意味で。
「光太郎」
「うん?」
「お前教師みたいやな」
「まぁ実際教師やからなぁ」
えっ。俺は声に出して驚いた。意外だ「嘘やろ」
「ああ嘘や」光太郎はびっくりしている俺を見て朗らかに笑う。「教員免許は持っとるけどな」
俺は舌打ちして白髪の光太郎を睨みつける。面白くない冗談は嫌いな性質なのだ。「じゃあ何やってんねん」
俺の質問に口の端を少しだけ上に吊してうーんと唸る。口元のシワが束ねられて10歳は老けたように見える。
「なんやろなぁ、まぁ強いて言うなら詩人?」
「はぁ?」俺は呆れてムカつきもしない「おもろないぞその冗談」「まぁそうやわな」
そういえば当然だけど8年振りに俺達は会ったわけで全然そんな気はしないけど俺は光太郎の今をまったくと言っていいほど知らなかった。8年もあれば人が環境も性格も変わるには十分過ぎる長さだ。俺は目の前の光太郎に興味が湧いてくる。
「そういやコーちゃん結婚とかしてんのか」独り身でワンボックスに乗る奴は少ない。車内にあるクレーンゲームのプライズみたいなぬいぐるみも含めて光太郎の趣味にしては可愛すぎる。
「おう、してるで」「マジか、いつからなん」「もう3年くらいになるわ、見るか」
車が交差点で止まって、光太郎が懐からケータイを取り出してアルバムを開いてこちらに見せてくる。何十枚もの光太郎と若い女の姿。俺と同年代か一つ二つ年下に見えた。
「仕事で知り合ってな、もう意気投合してすぐ籍いれたわ」
「今日は仕事かなんか?」
その瞬間光太郎がねっとりした笑みを浮かべる。にや〜って擬音が付いてるようだ。「実はな」「何やねん気色悪い」「いや実は妊娠中やねんうちの嫁さん」
これもまた俺は驚いて大げさなくらいのリアクションを取ってやる。「ええ〜うっそーん」光太郎は満足したらしく俺の肩に手をやってうんうんと頷く。
「これで俺も一児の親ってやつや」
「嬉しいもんか?」
「うーんなんやろな」元から細い目を更に細めて光太郎はどこか遠い所でも見るかのように視線を宙に浮かせた「いや嬉しいっちゃ嬉しいけどなんかいまいちな、実感ないわ」
「親としてのか?」と俺が訊く。光太郎は笑いながら頷き、ゆっくりと言葉を選ぶようにして口を開く「うん、まぁ、正直俺が腹痛めて産むわけじゃないからよ、なんかこうそれこそコウノトリが運んでくるんちゃうかっていうかな、それにこう、何してやればええんかもわからんしな」
視線を浮かせたまま光太郎は何か悩むような表情をした。なにを考えているか全然つかめない。信号が黄色くなってもそうなので、俺は見兼ねて言う。
「そんなに考えることもないやろ今はよ。実際に産まれたとこに立ち会って、子供と顔合わせてみれば良いと思うで」
それでも何か考えていたようだが、やがてまた深く頷いて光太郎は笑った。「それもそうやな」
そのうち車が動き出して光太郎は運転を続け俺がうとうと首を揺らしている間に新横浜に着く。そして改札を通る直前俺はさっきのコンビニで金をおろしていないことに気づき呆れた顔をする光太郎に両手を合わせて拝み倒して片道分の交通費をゲットする。光太郎の奢りで適当な駅弁と酒を買って新幹線の座席に腰を下ろした時にはもう時刻はもう五時を回っていて太陽が灰色の空に半分浸かっている。新幹線が動き出す頃には運転の疲れが出たのか光太郎は上着を布団がわりに座席を斜めに寝てしまっていて、喋り相手のいない俺は1人グイグイ酒をあおりながら暗くなっていく東の空を見てぼんやりと考え事をした。天気予報では滋賀の湖北は雪が降っているらしかった。8年振りの俺の故郷。2度と行くとは思っていなかったのに今こうして向かおうとしているのはなんでだ? 俺は寝ている光太郎の分の酒も空けてすぐに飲み干してしまう。 脳裏にお袋の姿と無駄に多い思い出が顔をちらつかせるのでそれを必死に酒で紛らわせているのだ。親か。

       

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