Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

小料理屋の一人息子番野徹は中学までらずっと一緒だった幼馴染で、腐れ縁ともいえた。しかしその腐れ縁が切れたのが高校に進学してからで進路も違ったからいつしか疎遠になっていった。そういう意味でいえば関係性は光太郎と似ているかもしれない。徹は俺たちが気付いたことに嬉しそうに笑っている。「ほんま久しぶりやな、啓介、光太郎さん」
混乱と困惑が入り混じった表情の光太郎は完全に忘れ切っているようでその視線を俺と徹の間で今も右往左往させている。「コーちゃんマジで忘れたんか、徹やんけ徹。ガキんときよう遊んだやんけ」
「ん、んんほうね、徹、徹なぁ」わかったようなわかっていないようなそんな曖昧なふう、一人無理やりに納得するように光太郎は頷き、徹は呆れたように光太郎を見た。「まぁ光太郎さんとは年も違いましたしね」
「徹、お前、いつから板前なんかなったんや」
「お前が東京行ってからや」徹は和帽子を被り直し包丁を持って魚をさばいて造りにする。天井にある丸い暖色の蛍光灯がかんぱちの切り身に反射してまばらに輝き水々しさを感じさせる。「高校出たら修業始めるって親父と約束してたんや」
「ならさっきのはお前のお袋さんやな」箸の先を小皿の醤油につけて片手間に光太郎が入口の方を指差した。先程俺たちがそうしたように入口のガラスの格子の奥ではまた誰かがのれんをくぐり、重たげにガラガラと扉を開けて店の中に入ってくる。小柄な体に不釣り合いに思える厚手のコートを羽織って2人、どこかそのへんの中小企業の会社員だろう。店の奥からはバタバタと足音が近づいて、またあの女将が客たちを出迎えた。
「ええ、本当なら母さんにはもうゆっくりしていて欲しいんですけどね」徹は客を通路の奥へ連れて行く母の背中に目をやって言う。大きいとは言えない小柄な背中。「親父がもう悪くてね、自由きかないし、人手もないから」
そうして俺たちはしばらくの間8年分のとりとめもないことを談笑して、たまには昔のガキの時分の馬鹿話に花を咲かせながら、次々出される料理を舌鼓を打つわけでなく感動を起こすわけでなくぼんやりとしながら片付けていった。ゆっくりと夜が更けていって、そろそろ俺たちが店を出ようと席を立ったとき徹が俺に声をかける。「そや、啓介。今からおばさんの見舞いいこ」
「いやもうとっくに病院閉まってるで」そう言ったのは光太郎で俺は酒でほどよくかき混ぜられたみたいな頭で半分寝ながら何も言わない。
「大丈夫大丈夫やから」「やから無理やって」「大丈夫向こうに内通者いるから」徹は手を洗い黒い長靴を脱いで店の奥に歩き出そうとする。内通者?「んじゃ俺車出してくるで外出とれや」「待てやなんやねん内通者って」
俺が言うことにはまるで耳を貸さず徹は裏口から出て行く。やつが何を言ってるのかわからないがとりあえず上機嫌なのは確からしく、やつのお袋でもある女将がこちらを申し訳なさそうに覗いていた。よくあるのだろう。俺たちが会計を済まそうと声を掛けると、笑って首を横に振る。
「お金はええんよ、あの子の相手してくれてありがとうなぁ」
「はぁ」俺がそのまま店を出ようとすると、後ろで光太郎が女将に聞いているのが聞こえる。「あの、内通者ってなんなんでしょう」
「あぁ、なっちゃんのことやろねぇ、ナースしとるから大丈夫や考えてるんちゃうかな。まぁ付き合ったって、あの子もあんたらに会えて嬉しいんよ」
「なっちゃん?」「うん? あぁ光太郎くんはわからんかぁ、啓介くんならわかるよな」
そのとき俺は立ち止まって、後ろから向けられる2人の視線を背中に感じるともなく、頭の中でその名前の人物に思いを馳せていた。なっちゃん? 俺はその人物を知っている。遠い昔の俺の鼻を塩素のにおいがくすぐって風と共に去って行く。緑のタイルの上、プールのサイド際に立って揺れるレースのカーテンのようになびいた髪をその手で押さえつける彼女を覚えている。俺と彼女は友達で恋人じゃないけどお互いのことを親しく話すようなそんな関係だったはずだ。あれはいつの事だった?

       

表紙
Tweet

Neetsha