Neetel Inside 文芸新都
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 その朝の目覚めは最悪の一言に尽きてビジネスホテルの固いベッドから上半身を起こした瞬間俺の頭に鈍く重い痛みが迸った。ガンガンガンガン音が連続して、爆発し続けるみたいに俺の頭の中に鳴り響いている。思わずこめかみに手をやって、スクランブルエッグのようにかき混ぜられた思考の中でとりとめもないことを巡らせていると突然ここがどこだかわからなくなってパニくった。あれ、なんで俺はホテルなんかにいるんだろう?
 天井の白い壁を見上げるがでもよく見てみると白というよりかはグレイに近いような気もしてあれなんでグレイなのかボーっと見続けるとその白には影が上塗りされていてグレイに見えたのだとわかった。影の出所をラインを追っていって確かめるとそれは窓際の大きなカーテンから出ていた。どす黒いカーテンの縁は不自然なほどに輝きを放っていて反射的に目をそむける。ベッドから降りてスリッパを履きカーテンを開けると窓の向こうにはどこかで見たような風景が光の中満遍なくも広がっていた。若干銀世界である。
「あぁ」ようやく俺は自分が米原に来たのだと把握し、再確認した。飛び降りでもされたら困るから開閉禁止の四階の窓を大きく開け放って俺は米原の冷たくも酸素に満ち満ちた空気を肺一杯に繰り返し深呼吸する。うーん気分がいい。田舎の自然の空気は良いとか悪いとか賛否両論だけど、やはり俺は都会にはない人間に豊かさをもたらしてくれる特別な何かがあると思う。それが二日酔いの時だと尚更だ。スチームの湿気で曇った窓の下の米原は昨日の夜に雪が降った影響でところどころに白い傘を被っている。遠くでは雪遊びをしている幼い子供達も見受けられる。日光の暖かさを半身に受けていると、子供たちの作る雪だるまの固さがまるで嘘のように感じられる。きっとかつてはあの場にいる俺を大人たちが同じ様なことを考えながら眺めていたのだろう。三月だというのにそこら辺の様子は流石に雪国らしさがあった。
 駅前広場の時計台は午前10時を示している。さて今日は何をしようかななんて笑いながら大きく伸びをしていると俺の部屋のドアをノックする者がいる。
「おい啓介、起きてるか、開けろ」
 その声の指示するとおりに入り口の鍵を開けると昨日ぶりの光太郎がそこにいた。スーツ姿である。相変わらずの仏頂面を顔面に引っさげて愛想がない。
「どうした昼飯か」
「いやまぁそれもあるけど」光太郎は隣の部屋から引いてきたであろうキャリーバッグを扉の段差に詰まらせて、しばらく四苦八苦した後咳き込んだ拍子にこちら側にいれることに成功した。立ちすくむ俺を尻目に荷物を床に放りベッドに腰掛けると、光太郎は上着の胸ポケットから煙草を取り出して溜め息混じりにふかした。
「なるべく早く出よう」煙草の先端がポッと燃え徐々に灰に移っていく。灰の塊がマットの床にポロポロこぼれたが光太郎はそれらを拾おうともしなかった。光太郎は窓辺のほうへ顔を向けていて、俺はなんとなく光太郎の言いたいことをうっすらと察した。
「俺は行かんぞ」
「腹すいてないんか」
「いやそうやなくて」開けっ放しの扉を閉めて、光太郎の隣に座るというのは男二人気持ちが悪いものであったから俺は薄いベニヤ板で工作したようなデスクと椅子に腰掛けた。体重を降ろしていく途端椅子の四脚は軋むので半分中腰のようになる。
「病院へは俺は行かんぞってこと」
「何でや、昨日は行ったやろうが」
「やから昨日行ったからもうええやろう、俺は」
「ええことあるか、お前、奈津美ちゃんから聞いたやろう、お袋さんの状態」
 光太郎は声を低く荒げて指に挟んでいた煙草の火をベッドのマットレスに無理やりに押し付けて消した。曲がりくねった短い蛇のような形になった煙草を窓の外へと投げ、押し付けられたマットレスのそこは丸く焦げている。腰の火傷のようだ、とふと思った。
「聞いたよ、いやそりゃヤバイのはわかるけど知ったことあるかよ」
「知ったことあるかってお前知ったことやろうが。息子やろう。お前とお袋さんの間に色々あったんは、理解してるつもりやけどな、もうそろそろええ加減にせえや」
「ええ加減ってなんじゃその言い方、今さら仲良しこよしにでもなれってか」
「そうや今さらじゃ、もうその時期やねんな、わかっとんのか。仲良しかなんかはそれこそ俺の知ったこっちゃないけどもやな、ある程度の関係には戻っとくべきなんちゃうんか」
「ある程度ってなんやねん」
「親子になれって言ってるんや。今みたいな絶縁状態やのうてもうちょいマシに顔合わせられるくらいになっとけ言うてるんや」
「無理や!」俺は自分でも驚くぐらいの声量で怒鳴った。「できるかほんなもん!」
「やからお前はいつまでそうやって駄々こねてるつもりなんじゃ! いくらひどい親かて親は親やろうが! お前あのお袋さん見て何も思わんかったんか、あぁ!?」
「知るか!」
「ええかアホなお前にもういっぺん俺から言うとくけどな」光太郎が尋常ならざる怒りに満ちた形相で俺を睨みつけながら言う。「お前のお袋さんもう長うないんやぞ、わかるか、もうあとちょっとそこらで死んでまうんじゃ!」
「おう死ねばええわあんなクソババア、清々するわ」
「お前それ本気で言うとんのか」
「当たり前やろが」俺は止まらない貧乏ゆすりを手で抑えながら鼻で笑った。「初めからそうじゃこっちは」
「ならなんでここまでついて来た!」
 光太郎が叫んだその言葉は部屋に反響して木霊する。俺はその言葉に虚を突かれる思いで何か言い返そうとするも上手く口に出てこない。光太郎は変わらずじろりとこちらに眼光を飛ばしていて、俺はそれから逃げるように膝に肘を置き、頬杖をついた。
「なぁ、啓介よ。ほんまに憎いだけやったらここまでくるんか」
 びっくりするほど優しい声を腹から出して光太郎が言う。
「ほんまにお前お袋さんに、心の底から死ね思ってるんか」
 俺は黙りこくって何も言わない。いや俺の中にはお袋に対する憎しみは今日まで確かにあるしあんなお袋はこの世にはいないほうがいいのだとももう何千回考えたかわからない。しかし俺は昨日の夜お袋を殺せなかった、コンセントを引き抜けなかったことがやはりどこかで引っかかり続けている。俺はお袋を一体どうしたいんだろうか。殺したいのか?
生かしたいのか? 光太郎の言うことは的を射ていてどうしても俺の中にはお袋をどこかで許す気持ちがあって、今俺はここにいてお袋の母性を愛を求めているのだろうか。否定はできない。しかしまた一方で俺はお袋を殺したい。なんなんだ。

       

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