心労がたたり、老皇帝クノッヘンはルントシュテット総合病院に入院していた。眼窩は落ちくぼみ、血色の悪い顔に死相が見て取れる。自分の残された時間はあとわずかしかない。それまでに世継ぎを決めなけば。やはり皇太子であるユリウスが浮かぶ。長く伸ばした黒髪、薄く生えそろった口ひげ、あごひげ。左目を隠す眼帯。現在は悌部卿(財務大臣に相当)として手腕を発揮している。
ユリウスは暴火竜レドフィンを撃退して以来、国民からの支持も厚い。何よりクノッヘンを喜ばせたのはユリウスが一番早く見舞いに訪ねたことだった。
ユリウスは傭兵騎士を一人だけ伴い病室を訪れ、努めて笑顔で話しかけた。
「父上、お加減は。」
「ユリウス、お前が顔を見せてくれて、気分が良い」
クノッヘンは幼いころの無邪気なユリウスの姿をありありと思い出した。
「これは見舞金代わりです」
ユリウスは金鎖の懐中時計を手ずからクノッヘンの首に下げた。ユリウスに対してすでに愛情を失っていたクノッヘンだったが、体を触られることに不快感はない。
やはりユリウスに譲位すべきかとも思ったが、一つだけ懸念材料があった。ユリウスが本当に自分の子であるかという疑惑である。ユリウスの実母である皇后エレオノーラはハイランドの王ゲオルクと姦通していたというのだ。ほどなくしてエレオノーラがハイランドに出奔したことで、疑惑はさらに深まった。
もともと女性に対する愛情に欠けたクノッヘンは、女性不審に陥る。持病のホモとショタの
ユリウスの連れてきた傭兵騎士アウグストを狸寝入りして観察する。傭兵には珍しい高貴な顔に、金髪碧眼。細身に見えるが軍服の下にたくましい体を隠していることは、クノッヘンにとってお見通しだった。いかんせん育ちすぎている。もう少し若ければ食指も動くだろうが、あの憎きゲオルクの実子だと聞く。どういうつもりでユリウスはアウグストを連れ回しているのか。クノッヘンは猜疑の目を向ける。
老皇帝は寝ていると思いアウグストはうかつなことを口走った。クノッヘンは息を潜め、聞き耳を立てる。
「兄上! なぜ借金をしてまで懐中時計を買ったんです。人気取りのために庶民へのバラマキで散財したばかりじゃないですか」
ユリウスはアウグストの左頬をひっぱたいた。ぶち慣れているのか、気持ちいい破裂音だ。口の中を切り、アウグストの口端に血が滲む。ぶたれ慣れているのか、アウグストは右頬を差し出す。
ユリウスはアウグストの右頬をなでながら、説明してやる。
「もし私が皇帝になれなかったら、資本を融資している御用商人どもは負債を抱えて破産してしまう。だから御用商人どもは私を皇帝に押し上げるために必死に協力する」
「皇太子殿下の深慮遠謀、思い知りました」
「もう少しの辛抱だ。しおれたジジイにこびへつらうのは苦痛だが」
ユリウスはクノッヘンに対する愛情など最初から持ち合わせていない。
次にやってきたのは王位継承権序列第2位のエントヴァイエンだった。近衛兵隊長のライオネルを引き連れている。クノッヘンが最も設備の充実した病院に入院できたのは仁部卿(厚生大臣に相当)であるエントヴァイエンの尽力だろう。庶子ということもあり、国民にも人気がある。
エントヴァイエンはユリウスを押しのけて、クノッヘンの手を取り大きな口で豪快に笑う。
「父上、おいたわしや。このエントヴァイエンの病院で最新の治療をお受けください」
エントヴァイエンは喜々として、怪しげな装置を運んできた。
「この装置は筒の中に入ることにより、マイクロ波が体の中を通過します。体の中の様子を見ることができ、これで患部を調べられます」
「本当に安全なんだろうな」
エントヴァイエンの説明に不安を感じつつも、クノッヘンは筒の中に入った。装置から照射されるマイクロ波はクノッヘンの身に着けていた懐中時計をバチバチ火花を散らしながら熱していく。電子レンジの中にアルミホイルを入れてチンするようなものだ。
「あぢぢぢぢぢ!!!!!!!!! 」
「おかしいな。亜人奴隷では成功したはずだが」
クノッヘンの苦しむ様子を見ても、エントヴァイエンは装置を止めようとしない。見かねたユリウスが止めようとする。
「父上!! 今お助けします」
「まて。医学の発展のため、このまま放置するとどうなるか見てみたい」
クノッヘンは薄れゆく意識の中で孫のミゲルの姿を思い描く。無垢な青い瞳に柔らかな金髪、子供特有のあどけない表情。王位継承権序列第3位にして信部卿(内務大臣に相当)。心優しいミゲルは国民にファンも多い。オツベルグに憧れて乙家の軍人が着る青い軍服を好んで着ていた。まだ幼いミゲルの体には寸足らずでぶかぶかなところなど、クノッヘンが理想とする容姿である。ミゲルなら、ミゲルならばわしのことを本当に思いやってくれるに違いない。
クノッヘンの願いが天に通じたのか、ミゲルが病室を訪ね怪しげな装置を止めた。
「お爺様、大丈夫ですか」
少し大人びた声になっていたが、クノッヘンの待ち望んだ人の声だった。
「お前だけが、お前だけが優しくしてくれる。さあ、近うよって顔を見せておくれ」
あの柔和だったミゲルの顔は他の兄弟のように目つきの悪い作り笑いをしていた。
「もう引退してはいかがですか、お爺様」
「違う! こんなのはわしのミゲルじゃない」