Neetel Inside ニートノベル
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 その年は近年稀にみる大渇水だった。
「母さん、風呂!」
「……お父さん、新聞見ました? この辺り、渇水が酷いんですってよ」
「何がいいたい? まさか俺から風呂を取り上げようっていうんじゃないだろうな?」
 男の目がみるみる吊り上がるのを見て、妻は震え上がった。
「そ、そんなわけじゃありません! ちゃんと用意してあります、けど……」
 妻は言い淀んだ。今でさえ闘牛の牛のように興奮している夫にこれを言ったらどうなってしまうだろう。私が殺されてしまうのではないか。とはいえ、他にこの風呂キチガイから逃れる術があるはずもない。観念して口を開いた。
「だから、うちも節水しようと、湯船のお水を少し減らしましたよと言いたかったんです……キャッ」
 男はもう聞いていなかった。妻を軽く突き飛ばして家の奥へと進んでいく。妻は下駄箱の横に倒れ込みながら、ただその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
 男の姿が風呂場へと消えてすぐに、大きな水音が響き始めた。男がお湯を足し始めたのだ。ああ、やっぱり、と妻は思った。あの人は普段は優しいけれど、風呂のこととなるとこうなのだ。風呂の節水が無理ならミネラルウォーターを買うしかないか、などと考えていた時、ふと異変に気付いた。
 水音がまだ止まない。
 量を減らしたと言っても、ほんの少しだ。こんなに足す必要はないはずなのに……。そう思って風呂場の方を見やると、突然風呂場のドアが突然弾け飛んだ。中からは大量の水と共に夫が押し流されてくる。
「た、助けぐべっ」
 夫が何かを叫んだ気がした。しかし、それが何だったか気付くよりも早く、妻も水流に飲まれ、夫婦は仲良く家の外へ押し流されていった。

 しばらくして、辺り一面水びたしの中、一組の夫婦が立ち尽していた。二人とも濡れねずみだ。妻が夫に尋ねた。
「結局あれ、なんなんです?」
「分からん。だが、多分温泉だ」
「温泉?」
 妻が目を丸くした。水道管をぶっ壊したとばかり思っていたからだ。
「湯の出があんまり悪いんで怒って床を蹴破いたら、そこから湯が吹き出してきたんだ」
「そんなまさか……」
 妻は信じられないとばかりに首を振った。家の中に温泉が湧いたら、この家はどうしたらいいのだ。
「まあ本当に温泉かどうかはこの際どうでもいい。これで水不足を気にすることなく風呂に入れる! なんならご近所に分けてあげてもいいぞ」
 妻の心配をよそに、男はいたって上機嫌だった。

       

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