Neetel Inside ニートノベル
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「あんた、そろそろ出ないと遅刻じゃない?」
 僕に話しかける母さんの目は、僕を見ていない。
「おかーさん、お弁当どこー?」
 先に出ようとしていた妹の麻理が居間に入ってくる。ちらりと僕を見た。いや、僕の隣を、の間違いか。
「ああそうそう、おべんとおべんと。はいこれ、あんたもね」
 そう言って母さんは麻理に弁当を渡し、僕の前ではなく、横に弁当箱を置く。
「行ってきます」
 たったか出ていく麻理の後を追うように、僕も弁当箱をひっつかんで玄関に向かう。
「ちょっと、もういいの?」
 視界の外で、母さんの目が僕を通り越して僕の隣に注がれている様が浮かんだ。
「いい。行ってきます」

 回りの人間が僕を見ていないと気付いたのは、いつの頃のことだったか。
 全く違うところを見ているというわけじゃない。視線ベクトルの大体の方向は、僕を向いている。
 けど、それだけだ。会話は普通に出来るけど、物を受け渡す時も話をする時も、少しだけ身体の向きが歪んでいる。
 近所のおばさんも、友達も、妹も、母さんも、先生も、皆俺の真横を見ている。そうして僕に話しかける。そこには僕はいないのに。
 自分の気のせいなんじゃないかと思って、誰にも言わずに精神科に行ってみたこともある。けど、「どうぞ」と言って問診票を僕の隣の虚空に向かって突き出す医者の先生を見たら、何も言えなくなった。

 ふと、世界が狂っているなら、僕も世界に合わせて狂ってしまおうと思った。あたかも僕の隣に人がいるかのように振る舞う。回りがそう振る舞っているのだから、話を合わせていけば簡単だ。友達相手に試してみたら、皆急にニコニコして話しかけてくれるようになった。調子に乗って母親にも同じようにしたら、今度は泣かれた。
「遂に自分の存在をその子にも認めて貰えたのね、良かった」
 そう言って僕の隣の虚空を抱き締める母親を、僕は黙って眺めていた。何度見てもそこには何もない。だが、世界はそこに存在があると言っている。ならば、正しいのは世界であって間違っているのは僕の方かもしれない。それは重要なことじゃなかった。僕には、毎日が平穏であることの方が重要に思えた。
 僕の隣に常に着き従う、僕の分身。いや、或いは僕の方が分身で彼が本体か。思いかえせば僕の存在を認識してくれる人に出会ったことがない。認識されない僕よりも、認識される彼の方が僕本人なのかもしれない。
 僕は存在しているのだろうか?

       

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