Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
6/16〜6/22

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 気付くと、俺はカウンター席のようなところに突っ伏していた。ガバと起きて当たりを確認する。飲んでいた店ではない。内装やカウンターの中を見る限りどうやら喫茶店のようだ。手元を見れば、マグカップ入りの冷めきったコーヒーが2つ並んで置かれていた。
「ようやく起きたのね」
 右後ろから声がしたので振り返ると、世話焼きで有名な女の先輩がハンカチで手を拭いていた。
「あー、なんか迷惑かけました?」
「そりゃもう。ここにどうやって来たか全然覚えてないでしょう?」
「正直さっぱり……」
「じゃあ教えてしんぜましょう。ベロンベロンになってた貴方を私が必死の思いでここまで運んであげたわけ。理解した?」
 先輩は僕の隣に座るとマグカップを手に取り、こちらをジッと見つめた。
「理解しました」
「ではなにか言うことがあるのではないかね?」
「ありがとうございました先輩。この御恩は一生忘れません」
「よろしい」
 先輩は満足げにコーヒーを飲み干すと、すっと立ち上がった。
「さ、貴方も起きたことだし、出るわよ」
「え、もうですか?」
 腕時計を確認したが、まだ始発までは1時間近くある。
「何言ってんの。もうギリギリよ。それにここもうすぐ閉店なの」
 先輩はさっさと会計を済ませて出ていく。俺は慌てて後を追った。

 店の外はだだっ広い広場のような場所だった。辺りを赤茶色の建物が囲んでいる。一面だけ開けているところからは、遠く広がる水面が見えた。
「……赤レンガ倉庫?」
 口から思わず声が漏れる。
「そうだよ。ほら、ちゃっちゃと歩く」
 先輩が向こうから呼びかけているが、俺は混乱した頭を整理するので精一杯だった。
 だって、俺たちは新宿の飲み屋街で飲んでいたはずなのに。
「君が言ったんだよ」
 先輩がいつの間にか戻ってきていた。
「君が言ったんだ。横浜港で朝日が見たいって」
「そうなんですか?」
 哀しいことに全く記憶になかった。先輩は俺の手を取ると言った。
「だから早く。もうすぐ日の出だよ」
「あの……」
「なによ」
「なんでわざわざこんなことを?」
 俺は先輩の目を見た。
「普通に近くのホテルだか居酒屋だかに突っ込んでいただくだけでよかったんですが」
 おでこに鋭い痛みが走った。先輩は片手を構えながらニヤニヤ笑っている。
「それが分からんうちはまだまだ半人前よの」
 誰か、この人が何を言ってるのか翻訳してくれ。

     

「やかましいわこの貧乳め!」
 私がそう言った途端、突然けたたましいサイレンが鳴ったかと思うと、世界が赤く染まる。胸を抑えて軽くよろめく百合絵。あちゃー、しまった。うろたえる私をよそにむなしくサイレンは鳴り続ける。
『警告。警告。会話対象に既定値以上の心的外傷発生の可能性』
 柔らかな声で合成音声のアナウンスがサイレンに被って聞こえてくる。うるさいな、もう。そんなにしつこく言わなくても分かったって。むしろここからどうすればいいのか教えて欲しいんだけど。しかし合成音声はいつものごとく決まりきった警告しか喋らない。
 百合絵は先ほどから胸を抑えて立ちすくんだまま動かない。どう声を掛けようか逡巡した結果、取りあえず謝ることにした。
「あのー、ごめん! 言い過ぎた」
 サイレンの音に負けじとつい大声を出してしまい、周囲の人が私の声に反応して怪訝な顔を向けてくる。あー、そういえばこのサイレンの音や警告音声、私にしか聞こえてないんだっけ。注意を促すための演出だとか言っているけど、正直あんまり役に立っていない気がする。
 そのまましばらく様子を伺っていたが、百合絵は動かない。動けなくなるほど酷いショックだったのだろうか。私は段々不安になってきた。警告自体はたびたびあったけれど、これまでは向こうもすぐに反応を返してきてたし、脅かしやがって! と警告に憤りを感じるぐらいだったのに、急激に怖くなってきた。
 百合絵の受けた精神的苦痛が酷いものだったらどうしよう。これからどうしたらいいの、119番? 一体なんて言えばいいのだろう。『友人に酷いことを言ってしまって……』イタズラ電話にしか聞こえない内容だ。病院に直接連れていけばいいのだろうか。どこに行けばいいのだろう。精神科? 心療内科? そういえば最近心の傷にも傷害罪が適用されるようになるとかニュースで言っていた。だとしたら110番通報が先? 傷害罪って非親告罪だよね、え、私前科持ち?
「麗……麗!」
「ファッ!?」
 次々と襲い来る妄想に完全に気を取られ、百合絵の声に気付くのが遅れた。思わず変な声を出してしまい、またしても周囲から怪訝の目線をいただく。警告音はいつの間にか消えていた。
「大丈夫? 顔真っ青だけど」
 何食わぬ顔をしてこっちを心配そうに見る百合絵の顔を見たら、何故だか無性に憎らしくなってきたので、私は言った。
「やかましいわこの貧乳め!」

     

 テレビにはニュース番組の国会答弁の様子が映っている。
「えー、我が国の財政状況が……」
 野党議員からの詰めに対する大臣の答弁だ。無味乾燥な言い回しに終始しているのが、動きのない画面とマッチしていて妙に完成度が高い。
 映像が会議場全体を映すものに切り替わった。『賛成多数で可決されました』というアナウンスが聞こえるが、立ち上がる議員はどこにもいない。こういうのって起立でやるのが普通だと思ってたんだけど、最近変わったのかな。立てない場合とかあるもんな。
 参った。こんなじゃあ教師失格かも。さっさと寝よう。俺はテレビのリモコンを手に取った。
***
 授業を終えて職員室に戻ると、教頭が声を掛けてきた。
「帰りに一杯どうだ?」
「あー……」
 一瞬断ろうとした。疲れて気分は最悪なので、出来れば直行で家に帰ってテレビでも見ながらポテチ食ってボーッとしたい。一方で、教頭の誘いを断ると後々面倒なことになることが多い。前回は飲み会の席で体育祭の役割分担の実質的な交渉が行われてしまい、欠席者は有無を言わさず面倒な仕事を押し付けられた。
「どうした? イヤな断ってくれて構わんよ。別に強制じゃない」
 ニコニコ笑いながら心にもないことを言う教頭。その顔してそんなこと言えるアンタが俺は怖いです。
「いや、行きますよ。いつもの店ですよね? 先に行って待ってますから」
「おっ、いいのか。いやー、気が効くねえ。じゃあ済まんが宜しく頼む」
 上機嫌で席に戻っていく教頭。俺は携帯を取り出した。
***
「あーい。それじゃ出席取るぞー、安藤」
「はい」
「石川」
「はい」
「伊藤努」
「はい」
 名簿を読み上げる声に淡々と一定間隔で返事が返ってくる。返事に反応して名簿にチェックを入れるペンの筆記音さえも、まるでメトロノームのように安定したリズムを刻む。お蔭で出席を取っているのに少し眠くなってきた。午後イチの授業は常に眠気との戦いだ。気合いを入れるべく少し伸びをして目線を前に向けた。
 席に居並ぶ大量の巨大な岩たちは、視線を向けられても身動きもしない。ただこちらから呼び掛けるのを黙って待っている。その様子をしばし見守った後、俺は点呼を続けた。
「伊藤真帆」
「はい」
 後ろの方の大理石が甲高い声を上げて答える。名簿にチェックを入れる俺。
 はあ、つまんねえ。来る日も来る日も同じことの繰り返しだ。なんか面白いこと起きねえかな。

     

「無人島に1つだけ何か持っていけるとしたら何を持っていく?」
「え、何? 何の話?」
「真理テストだよ。最近クラスで流行ってるの。お兄ちゃんは聞いたことない?」
「へえ、そうなの。知らなかった」
「良かった。ねえねえ、じゃあ答えて」
「んーそうだなあ」
 僕はミカの顔を見た。心理テストは正直あまり好きじゃない。
 小考ののち、変な答えをして妹をからかってやることにした。質問の内容からして、答えは恐らく『貴方にとって一番大事なもの』とか『貴方の重視する考え方を象徴するもの』とかそういう感じだろう。つまりこう答えてやればよい。
「ミカちゃんかな」
「え、私? じゃあ答え言うね。ええっと……」
 ミカは予想外の答えに少々面喰らいつつも答えのページを参照している。その目と手の動きが突然止まったかと思うと、あからさまに顔が赤くなるのが分かった。しめしめ、どうやら作戦は成功だぞ。
「どうしたんだ? 具合でも悪いのか? 顔が赤いぞ?」
 調子に乗ってそう言いながら近付いてみる。
「だ、駄目! 触らないで!」
「なんだ、照れてるのか? 兄妹だし今さらだろ」
「そ、そうじゃなくて!」
 慌てふためくミカ。僕の動きに合わせて後ずさるが、すぐに壁に追いつめられてしまう。額に手のひらを乗せると、ビクリと身体を震わせた。
「少し熱があるみたいだな。風邪か? お兄ちゃんが部屋まで連れて……ん?」
 そこまで言った辺りで僕はおかしなことに気付いた。何故かどこかの浜辺の砂浜の上に立っているのだ。
「あー、だから触っちゃダメって言ったのに……」
 ミカの声に俺は我に返った。
「何これ? 何が起きてるの?」
「真理テストだから、答えた内容が真実になっちゃうんだって……お兄ちゃんはミカを連れていきたいから、ミカに触っちゃうと一緒に無人島に飛ばされちゃうって……」
 ミカは瞳に涙を滲ませていた。
「ちょっと待って? 何その条件? 飛ばされるって何?」
「私今日ミンキーモモ見たかったのにー! お兄ちゃんのバカー!」
「アニメどころの騷ぎじゃないだろ! え、ちょ、待ってこれマジでなんなの? 帰れるの? 説明しろミカ!」
 結局、僕らはたっぷり1時間ほどこの阿鼻叫喚の地獄の中にいた。もう二度と真理テストはごめんだ。

     

「タロウー! もう8時よ! 起きなくていいの?」
 母親の声で、タロウは目が覚めた。あれ……? 今日は日曜日じゃなかったか。思わずカレンダーを確認する。
「動物さんのお世話するんでしょう? 起こしてくれって頼んだのタロウじゃない」
 そうか、今日は飼育委員の当番だった。タロウは枕に顔をうずめたまま顔をしかめる。
 タロウは動物は好きでなかった。どちらかというと嫌いな部類だ。そもそもタロウは図書委員をやりたかったのだ。ではなぜ飼育委員なんぞやっているのか。それはサッカー部の石神くんにジャンケンで負けたからである。ちなみにそれ以降、図書室は定期的にサッカー部の溜まり場となっている。

「くそっ、このっ、ああもう!」
 今タロウはホワイト(白色レグホン、2歳、オス)のケツを必死に追いかけている。タロウがニワトリが嫌いな理由の一つはこれであった。捕まえられないのである。運動神経が鈍いせいか、意外に俊敏なニワトリを掴めない。時に威嚇するように突かれると、ビビって腰がすくんでしまう。お蔭でもう昼を回ったというのに、まだ掃除すら終わっていなかった。
「あれ、タロウじゃん?」
 小屋の外からの声に反応して顔を向けると、サッカー部の石神くんが立っていた。部活の帰りらしく、体操服にカバンの出で立ちである。
「ニワトリの世話、まだ終わってないんだ」
 石神くんはタロウの様子を眺めるとそう言った。心なしか、少し面白がっているようにタロウには思えた。
「手伝ってくれない?」
 自然とそう口にしていた。
「え? なんで。やだよ。めんどくさいじゃん」
 石神くんは露骨にイヤそうな顔をした。
「そうだ。思い出したんだけど、最近図書室の本棚や机が壊れたりボロボロになってるらしいね」
「なんだよ急に」
「それに何冊か本がなくなったって。確かマンガだよね。そういえば石神くんが前に読んでいたマンガって……」
「何が言いたいんだよ」
「別に。ただ手伝ってもらえるなら嬉しくてこのことは全部忘れちゃうなって」
 石神くんは黙ってタロウをジッと見ていたが、やがて言った。
「分かったよ。手伝えばいいんだろ。もっと素直に頼めよ」
「素直に頼んだら断られたじゃん」
「あーもう、うるせえ」
 ぶつくさ文句を言いながらホワイト(白色レグホン、2歳、オス)のケツを追いかける石神くんを見ながら、タロウは思った。
(毎回こうなら、飼育当番も悪くないかな)

     

「お入りください」
「失礼いたします。本日は宜しくお願いします」
「では簡単な自己紹介からお願いいたします」
「はい。XXXXです。前職では掘削工事の作業員をしていました。2年ほど前からは現場監督補佐に抜擢され、作業の進捗管理などもやっておりました」
「なるほど。当社に採用を志望される動機をお聞かせください」
「はい。前職で業務や仕事内容を覚えていく中で、現場における後方の生産・供給部門の重要性をひしひしと感じました。プラントにおいて道具や部材が生産されなければ、そもそも足場を組んだり穴を掘ったりすることもままなりません。しかし、実際に現場での作業を通じて感じたのですが、生産部門は明らかにその能力の限界です。熟慮を重ねた結果、現場よりも供給・生産の業務に貢献がしたい。そう考えました」
「ふむ……。生産部門は能力の限界だということでしたが、具体的に何が原因だと思われますか? それをXXさんは当社においてどのように解決していきたいと思っていますか?」
「はい。根本的には生産効率が低過ぎると考えています。もちろん災害による施設の損傷や人員の不足などの問題もありますが、この辺りの環境ではそういった大きな災害は定期的には発生せず、人員供給も比較的安定しています。その証拠に、解体現場では人手不足が深刻化することはありませんでした。生産の業務において仕事がいっぱいいっぱいなのは、仕事の効率に改善の余地があるからだと考えています。前職では現場監督補佐時代、学生時代の心理学研究の結果を利用したメンタルトレーニングや、趣味のプログラミングを利用して業務割り当てや進捗管理の効率を改善するツールを作成し、現場においても高く評価されました。こうした手法は、生産現場においても効率改善に役立てられることと思います」
「分かりました。一応確認しますが、掘削現場と比べて生産現場は環境的に強い外圧に晒されています。それらを防ぐために生産能力を向上させて工場建設をスピードアップしていただく必要がありますが、そういった場所は命の危険もかなり高いです。それでも構いませんか?」
「もちろんです。"おいしいお宝"ある限り、"東西南北""呼ばれなくても参上する"のが我々の宿命ですから」
「ありがとうございました。結果は後ほどメールか電話にてご連絡させていただきます。今日はありがとうございました」
「はい。それでは失礼します」

     

 お気に入りのぬいぐるみが兄の乱暴によって壊されてしまった8歳娘。「また同じ奴買ってあげるから」と慰めても大泣き状態で話にならない。すると夫が解体予定だった段ボール箱を持ち出してきて言った。
「ぬいぐるみ病院を用意したよ」
「ぬいぐるみ病院?」
「この中に壊れちゃったぬいぐるみさんを入れるんだ。神様に一生懸命お願いすれば直してくれるんだよ」
「それホント?」
 いかにも子供騙しな内容だったが、娘はあっさり泣き止んだ。
「ホントだとも。ただちゃんと神様に伝わるように、毎日毎日一生懸命お祈りする。それから、神様はいい子にしている子から順番に直してくれるから、いい子にしてないと中々順番が回ってこないよ?」
「分かった。いい子にする」
 大人の私が傍から見ているだけでもうっかり信じ込んでしまいそうなほど迫真の演技。娘は夫の口八丁をすっかり信じ込んでしまった。
「どうするの? 直すの?」
 夫も私も裁縫は苦手だ。私は中学の時に家庭科が2だったことがある。
「新しいの買えばいいじゃない。こっそり入れ替えれば大丈夫だよ」
「でもそれって……」
「汚れとかを同じ場所につけておくから。あの子には悪いけど、僕らにはどうしようもないからね」
 夫は牛乳パックをはさみで切り開く娘を見ながら言った。

 1週間後、新しいぬいぐるみを手にした私は例の『ぬいぐるみ病院』のあるはずの娘の部屋の中にいた。『はず』というのは、散らかり過ぎていてどこにあるのか分からないからだ。
「全く、どうしてこんなにだらしないのかしら……早く入れ替えないと……」
 うっかり掃除を始めてしまった私は、背後から来る娘の姿に気付かなかった。
「ママどうしたの?」
 しまった。入れ替えて素早く立ち去る予定だったのに見つかってしまった。これでは言い訳が効かない……。頭が真っ白になる私をよそに、娘は言った。
「あ、新しいぬいぐるみ買ってくれたの? あの子の妹だね!」
 あの子に見せよう、と言って『病院』の箱を取り出す娘。中から出てきたぬいぐるみを見て私は呆然とした。引き裂かれた背中は縫合され、ぬいぐるみは元の姿に戻っていた。
 どうして? まさか本当に神様が? そんな馬鹿な……。
 立ち尽す私の後ろに、いつのまにか息子がいて言った。
「不器用な両親を持つと苦労するよ」

       

表紙

天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha