息が切れそうだった。
ペイルは、急いで来た道を戻っていた。
町に到着して、すぐに医者の所に駆け込んだ。老人と子供を預けると、間髪入れずに飛び出してきていた。
男は無事だろうか。
男と別れた丘を、さっきとは逆方向から越える。
すぐに目に入った光景に、ペイルは唖然とした。
点々と、人が倒れていた。どれも生きてはいないのが遠目でも分かった。その中で、一人だけが立っている。
その一人が、こちらに気が付いた。
「よお、間に合ったのか?」
軽い口調で言う。
「医者が言うには、予断を許さない状態だってさ」
言いながら、ペイルは男に近づく。男が持っている剣は、赤く染まっていた。
「何だよ。これじゃあ、別に急がなくても良かったな。余裕みたいじゃないか」
「俺も吃驚だよ」
「は? 自分の力だろう?」
「まあ、そうなんだけどな……悪いな、手加減とかできねえから、全員殺しちまった」
「え? いや、まあ、それは仕方がないだろう……それに、この場合だったら正当防衛になるだろうし」
「ならいいんだが」
男は、そう言うと苦笑した。
その後、ペイルは男と共に町に戻り、老人を預けた医者の所に向かった。
到着した時には、すでに治療が終わっていた。
「何とか、一命は取り留められそうです」
医者の男が、そう言った。ペイルは、胸をなで下ろす。子供達は、老人が寝ている寝台の横にいた。
「ありがとうございます。あの、治療費ですが……」
「いいえ、結構ですよ。あの人には、私も何度かお世話になったことがあるので。その御礼ということで」
その言葉に、さらにほっとした。
「しかし、随分と賊が増えてきたようですね。この辺りは、北から流れてきた者が多いようですが。東の方は、随分酷いことになっているようですし」
「そうなんですか」
「いつかこうなるとは思っていましたがね。大戦が終わって、今まで平穏だったのが不思議なぐらいですよ。やはり、政治が正常に機能していないのでしょうな」
医者の男は、そう言うと溜め息をついた。
その後ペイルは、眼帯の男がいなくなっていることに気が付いた。建物を出ると、男が歩いていこうとしていたので、後ろから呼び止めた。
「おい。まだ報酬を渡してないぞ」
言うと、男はゆっくりと振り返る。
「お前って本当に、甘ちゃんだな」
「は?」
「……いらねえよ」
「え?」
「悪いな、実はあんたを試したんだ。善人ぶってる奴が、どういう反応をするかってな。でも、お前は根っからの真面目なんだな。恐れ入ったよ」
男の言葉に、ペイルは呆然としてしまう。
「なんだか、俺の方が申し訳なくなってきちまったんだ」
男は、少し笑った。
「お前みたいな、いい奴もいるんだな」
「いや、俺はそんなんじゃ……お前も、いい奴だろ」
男が、目を丸くする。
「そんなわけねえだろ……でもまあ、そんなこと言われるのも、偶にはいいかな」
ペイルは笑った。試したなどと言われても、そんなに悪い気がしない。
「でも、せめて金だけでも受け取ってくれないか? じゃないと、俺が気持ち悪いんだ。ていっても、大した量じゃないけど」
「いいって」
「いや、いいって」
譲り合いになった。少しして、男が考えるような表情をする。
「……じゃあ、貰っておくか」
「ああ貰ってくれ」
再び笑う。
「あんた、軍人とかじゃないんだろ。その腕なら軍に入ったら、かなり出世できると思うぜ」
ペイルが言った。
「ふーん」
「ふうんって、興味ないか」
「興味というか、何というか……」
男は考える仕草をする。
「あっ」
突然男が言った。見ると、ペイルの後ろに視線を向けている。
振り返ると、二人から三十歩ほど先に、長い髪の女が、こちらを向いて立っているのが見えた。
遠目にも、美人なのだと分かるが、どこか暗さがあるように見えた。
「そろそろ帰る時間か……」
男が呟く。
「嫁さんか?」
「ああ、まあ、そんなところだな」
「へえ意外だな。というか羨ましいな」
男の口角が上がる。
「じゃあ、ここでお別れだ。本当にありがとうな」
ペイルが言った。
「ああ」
男は手を挙げると、女の方に歩いていった。
ペイルも、振り返って進み始める
道を歩いていた。
噂には聞いていたが、タスカンまでの道中の町や村の荒廃は酷かった。
ほとんどの田畑は荒れていて、もう何年も手がつけられていないようだった。希に、人の遺骸が道端で放置されているのも目につく。柄の悪い連中に絡まれたのも一度や二度ではなかった。
やはり、先の大戦にて外国に踏み荒らされた地域の修繕が、まともに行われてはいないようだ。
タスカンも、どうなっているかと心配したが、タスカンの領に入ると、思ったよりも荒廃してはいないようで、ボルドーは胸をなで下ろした。
懐かしい道を通って、町に向かった。
共同墓地に向かう。昔と同じ場所にあった。
ボルドーは、墓地を一つ一つ見て回った。
やがて、それを見つける。
目立つ所ではないが、さりげなく良い所に配置されていた。墓は手入れがされているようで、大きな痛みはなかった。
それが、ボルドーには嬉しかった。
反乱の首謀者として、きちんと埋葬されていないのではないかと心配していたが、杞憂だったようだ。
ボルドーは、その前で腰を屈めた。
久しぶりだな、と呟く。
一緒に死ぬどころか、随分長生きをしてしまった。意味のある生だったのだろうか。そして、これからのことは……。
しばらく、そのままの姿勢でいた。
少しして、近くに人の気配を感じた。
「あの」
自分に声をかけたのだと分かり、ボルドーは振り返って、相手の顔を見た。
茶色の髪は、癖のある流れ方をしている。顎に整えられた髭を蓄えている背の低い男だった。
「やはり……ボルドー将軍」
男が、目を大きくして、少し声を大きくして言った。
見覚えがある気がする、と思った。それからすぐに思い出した。
「お前、サップか?」
「はい! お久しぶりです」
サップは、嬉しそうに声を上げた。
ボルドーは、近くにあった岩に腰掛けた。サップは、近くで立っている。座れと言ったが、断ったのだ。
自分が去ってから、タスカンに何があったかを聞いた。中央からの、圧力などはあったものの、なんとかやってこれたらしい。
サップを中心とした、あのころの将校達が頑張っているのだという。
「そうか。この地域の荒廃を防げているのは、お前達のお陰というわけか」
「あ、いえ。私達は、将軍やアース様の足跡を、稚拙ながら辿っただけのことです。本当は、お二人の力なのです」
「いや、そんなことはない。実際に今、活躍している者こそ必要な者なのだ。わしなど、タスカンを捨てて逃げた者だ。そんな者を立てる必要はない……もう将軍でもないしな」
サップは、口を閉じた。
「アースの墓地の手入れもやってくれているようだな。礼を言おう」
「いえいえ、そんな」
沈黙。
少しして、サップが口を開く。
「私は、お二人がやろうとしていたことが正しかったのだと、今でも思っています。事実、お二人が治めていたころのタスカンの方が、今より栄えていて活気がありました」
「状況が違う。比べようがないさ」
「しかし、皆の心に残っていることは事実です」
「心か」
ボルドーは、ぼんやりと昔を思い出した。
「サップ、わしの偃月刀がどこにあるか知っているか?」
しばらくして言う。
「政務所の執務室に飾らせてもらっております」
「持って行っていいか?」
「当然です。ボルドー様の物なのですから」
「すまないな」
ボルドーは、立ち上がろうと思った。
「あの……どうして必要なのか、聞いてもよろしいですか?」
サップが言う。真剣な表情に変わっていた。
「何かを、しようとしているのですか?」
ボルドーは黙る。
「……ボルドー様。私は、はっきり言って中央の者達が許せません。このままでいいとは思っていません。何もせず滅びを待つよりは、何かをしようと仲間内で話が上がることも何度もあります」
言葉を続ける。
「もしも……ボルドー様が、それに近い何かを考えているのなら、是非とも私達も力添えをさせてはもらえないでしょうか」
サップは、真っ直ぐな視線を向けてくる。
ボルドーは考えた。当然、あまり他人を巻き込みたくはないという思いはある。しかし、事を起こせば、誰もが無関係というわけにもいられないだろう。
それに、この先、綺麗事だけでは済まなくなってくるだろう。
同志は、一人でも多い方がいいのだ。
ボルドーは、サップから視線を外して口を開いた。
「今より数ヶ月後、もしかすると数年後かもしれんが。この国のどこかで、国に対しての、反乱かそれに近い行動を起こす勢力が起こるかもしれん。それが起これば、お前は、この地域の中で、志を共にする者を集い、その一派に合流してくれ」
サップは、直立して聞いていた。
「ただ、何も起こらないという可能性もあるがな」
「はい」
「そして、それは国家に対する反乱だ。当然、最悪の場合、家族や一族の身の保証はできぬ。仲間を集める場合は、その覚悟や対策ができる者だけを、お前が選別するのだ」
「当然です。心得ております」
「それと、タスカンの施政に阻害が出るような状況になってしまうことも駄目だ」
「それも、承知しております」
サップは、少し笑って頭を下げた。
「今まで待った甲斐がありました。これほどの機会が巡ってこようとは……心が震える思いです。このサップ、必ずや仲間を集めて馳せ参じ、微力ながら、お力になりたいと思います」
ボルドーは頷いた。それから、アースの墓石に視線を移した。
後もう一度だけ、戦おうと思う。
これが、本当に最後になるだろう。
許してくれるか。