自分の幕舎の中だった。
グラシアは、ペイルから任務の報告を聞いていた。
ペイルや、その他ボルドーの下で仕事をしていた者達の話を聞いて、グラシアは少なからず驚いていた。ボルドーが、本当に多岐に渡って数々の裏方の仕事をしていたのだと初めて分かったからだった。そのような振る舞いを一切見せなかったので、まったく知らなかったのだ。
自分一人で、その全てを引き継いでやれる自信がなかった。
「この仕事に関しては、引継が終わりました」
ペイルが言った。
取り敢えず、このペイルが、ボルドーの下では、一番ボルドーの仕事に精通しているようだった。全てではないにしろ、かなりの部分を認識しているようだ。過去に会った時の印象では、何の特徴もない男だと思っていたが、思っていたよりも思考能力が高いことも分かった。
そこを、ボルドーが評価したから、下に置いていたのだろう。
「そう、ご苦労さん」
グラシアが言った。
「グレイさんの容態は、どうですか?」
「命は何とか繋いだみたい。さすがに、しぶといみたいね」
「そうですか、それは良かった。一時、意識を失ったと聞きましたから」
「まあ、血を失いすぎていたからね」
続ける。
「ただ、あの腕じゃあ、もう前線復帰はできないだろうな」
言うと、ペイルは少し俯いた。
あのシエラの独断での救援は、その後いろいろ問題になった。結果的に、グレイを助けることにはなったが、シエラの身が危険に晒されることになったのだ。ルモグラフも、騎馬隊が進発した後に気がついたのだという。
シエラ自身に、もうやらないでくれと釘を刺すこと以外に、周りの人間の責任も考えなくてはならなかった。
周りの人間とは、マゼンタやセピアである。
グラシアは、思考を戻した。
「もうすぐ会議があるんだけど、あんたも参加しな」
「え?」
ペイルは、顔を上げる。
「俺が、ですか?」
「いてもらわないと困ることもあるかもしれないし」
「わ、分かりました」
数分して、シエラの幕舎に向かった。
すぐに、シエラ、グラシア、コバルト、ルモグラフ、ブライト、ウオーム、それに隊長格の人間が数人集まった。末席にはペイルもいる。
「皆さんに集まってもらったのは、もう知っているとは思いますが、クロス軍の対応をどうするかということに関してです。集めた情報も共有しておきましょう」
グラシアが言うと、ウォームが立ち上がった。
「諜報部隊からの情報を総合しました。どうやらクロス軍は、グラデ王子とその一派が主導して、国内に引き入れられたようです」
場が、少しざわついた。
「おそらく、自分たちの戦力にすると同時に、これも政争の一部なのかと思われます。今回の件に関して、クロスとの間で一体どういう取引をしたのかは分かりませんが」
ウォームが、続けて言った。
「数は、全部で五千ほどです。スクレイの北東の国境を通過して、国内に入ってきたようです。今は、ここより北の位置に陣を敷いているようです」
「ふざけやがって、くそが。内戦に、他国の介入を許すとか、馬鹿じゃねえのか……」
コバルトが、呟くように言った。
他にも数人が、怒気を含んだ顔をしていた。
「発言をしても?」
ウォームが言った。
「どうぞ」
「クロス軍の五千という数は、クロス南方に構えている軍の、ほんの一部です。そこから考えますに、今回の出兵に関しては、クロスの中でも意見が割れていると考えることができると思います。もし、本気で侵攻を企てるのならば、もっと大規模な数があるのが普通です」
「王子との取引ってやつで、その数になったのかもしれないわよ?」
「クロスが、それを素直に守るでしょうか? クロスならば、これを機と見て、侵攻を企てると考えられますが」
言われてグラシアは、そうかもしれないと思った。
「まあ、確かに」
「ここからは、私の意見ですが」
そう前置き。
「これを機会に、クロス本国に対して、こちらから使者を送り、外交を計るということをするべきではないでしょうか。我々王女勢が、後に政権を獲得した時には、協力をしてくれたクロスに見返りを与えると。協力というのは、スクレイに入ってきている軍を撤退させることです。それ以上のことは、させません」
何人かが、うなり声を出した。
クロスに対する嫌悪感は当然ある。今回のこともあるし、前の大戦、さらにそれより前から、クロスは度々スクレイに対して攻撃をしてきたことがあるのだ。
それも分かっていると言わんばかりに、ウォームが言葉を続けた。
「今は、とにかく一刻も早く内戦を終わらせることが最優先です。これ以上、クロスに対して祖国の弱味を見せるわけにはいけません。可能性に賭けるしかないと思いますが」
そう言った。
「外交か……」
まったく考えていない事柄だった。何しろ、自分たちが正式な政権であると口では言っても、何の実権のない立場なのだ。ましてや、このような状況で、外交の使者など送っても、鼻で笑われるだけだろう。
しかし、何もしないわけにはいかないということか。今回のことは、まったく想定になかった自分の責任でもあるのだ。
しかし、誰を送ればいいというのだろうか。当然、外交ともなると頭が切れる人物でないといけない。
今、自陣営の中で、それができる者となると、どうしても隊長格の人間しか思い浮かばない。しかし、只でさえ指揮ができる人間が不足しているのだ。誰を外しても、全軍に影響が及んでしまう。
「父上、カーマイン殿に頼んでみるのはどうでしょうか?」
考えていると、ブライトが言った。
「カーマイン?」
「ウッドにいる、父上の部下だった人です。あの人なら、クロスに関しての知識も豊富ですし、頭も切れる。何より、信用できる人物であります」
「へえ、そんな人が」
ルモグラフが、考えるように腕を組んだ。
「父上が、カーマイン殿をウッドに残した理由は、クロスに対する押さえだということは分かっております。しかしクロスが、王子に招き入れられて国境を越えてきた以上、押さえの意味が薄らいでいると思います。カーマイン殿がウッドに居なくとも、それほど影響はないと思いますが」
「そうかもしれんな」
ルモグラフが呟く。
「しかし頼めるのは、あくまでも使者の同行までだ。カーマインは、こちらの陣営に入った者ではない。正式な殿下の意向を受けた者が、やはり使者として、北に向かうべきだろう」
「こちらから、正式な使者を送る。それを、カーマイン殿に補佐してもらうということですね」
「当然、使者が誰でもいいというわけでもない」
少し、場が静まった。
「あ、あの」
末席から声が上がった。
「その役目、俺が受けてもいいですか」
ペイルが立ち上がっていた。
「俺なら、カーマインさんとも顔見知りですので、余計な確認をしなくても済みます。それに、ボルドーさんの仕事を手伝っていた関係上、多少は外交なんかの知識もあるつもりです」
全員がペイルを見ていた。
「多少、の知識でいいものではない」
ルモグラフが言った。ペイルが、緊張したような顔をして、少しして俯いた。
「しかし、人選としては、他にないのかもしれんな」
ルモグラフが続けてそう言った。場の空気が、少し変わった。
グラシアは、ペイルを見た。
「本当に分かってる? いつ帰ってこられるかも分からないのよ。それに最悪の場合、北で死ぬことになるかもしれないし」
「それは、北でなくても、そうだと思います」
ペイルが言った。
「いかがでしょうか、殿下。彼に、任せてみるのは」
ルモグラフが、シエラに言った。
シエラは、ペイルに目を向ける。
「いいだろう。ペイルを使者として立てよう」
シエラが、そう言った。
グラシアは、立ち上がる。
「よし、じゃあ今から私とルモグラフさんとで、ペイルを徹底的に試問をして、能力を見極めるわ。参考になりそうな書物も用意するから、北に行っている時も、目を通しておくように」
「はい!」
とにかく、人に任せるしかない。そういう場面は、今後幾度となくあるはずだ。
今はただ、信じて任せるしかないのだろう。
日が完全に沈みきり、空は闇に覆われていた。それでも、この都の一部では、灯りが消えることがなく、人々の活動が静まることがない。
その人々の喧噪から外れた場所にある、石橋の上にフーカーズは立っていた。すぐ傍には、王子が寄越した使いの者が一人立っている。
フーカーズは、王子からある命令を受けていた。
ここ数日、都の中で、王子の周りの重臣が数人、暗殺されるという事件が起こっていた。それほど大物ではないらしいが、取り巻きの連中は、かなり神経質になっているようだ。
フーカーズは、現場の状況を聞いて、ほぼ犯人の目安がついていた。取り巻きの中にも、犯人を断定している者がいるはずだ。自分のところに、犯人を始末してくれという要請が来たが、自分には無理だと言って断っていた。事実、町中での暗闘で自分がどうこうできる相手ではないと思っている。
ここにいるのは、それとは、また別の件だった。
少しして、灯りを持った人間が近づいて来るのが見えた。その後ろにいる者を見て、フーカーズは少し驚いた。
「意外だな。お前が、王子の命令に従うとは」
そう言うと、デルフトは、こちらを少し一瞥した。
「お揃い頂けましたので、それでは御案内いたします」
王子の使いの一人がそう言うと、先導して歩き始める。
二人は、それについて歩いた。
デルフトも、自分と同じ件で、ここに来ているのだろう。暗殺者の始末の依頼は断っているようだ。
しばらく、黙って歩いた。
「ボルドーさんが亡くなったようだな」
フーカーズは、隣にいるデルフトに言った。
「あの人が、戦場ではなく謀略によって命を落とすとはな……なんとも、皮肉な気分になるな、私は」
「もう興味はない」
デルフトが言った。
「興味がないとは、ボルドーさんにか?」
頷く。
「何度か交えて、もう見切ったということか。コバルトの方は、どうだったのだ?」
「あいつも同じだ。三年前と、まったく変わっていない」
「ふむ。では、暗殺者は、どうなのだ?」
「興味がない」
そう言った。
「それよりも、お前の話に興味がある」
デルフトが、こちらに視線を向けていた。
「ダークは、どうだった?」
それを聞いて、何が聞きたいのかが、すぐに分かった。
それが聞きたかったから、ここに来たということなのか。
「あいつとの戦いは、ほぼ部隊戦闘だったから、お前が知りたいであろう情報は、残念ながらあまりないだろうな」
「そうか……」
デルフトの視線が、元に戻った。
「それよりも、私は意外だったな。ダークが、あれほど用兵ができるとは知らなかった。昔から、できたがやらなかっただけなのか、この四年の中で身につけたのか……」
デルフトを見ると、もう関心を失ったようで、まったく反応をしなかった。
フーカーズは、苦笑をする。
石造りの古い建物が密集している区画で、薄暗く人通りがまったくない道を、しばらく歩いた。
先導が、ある建物の前で歩を止める。
重厚な扉がついている。王子の使いの者が、二人掛かりで扉を開いた。先には、地下に続いている石造りの階段があった。横幅は、人間五人分ぐらいか。先は当然真っ暗で、何も見えない。
こんなところがあったのか。
先導の者が灯火を掲げた。
「この先です」
そう言って、進む。二人は、黙って着いていった。
三十段ぐらいの階段を降りると、真っ直ぐ続く通路だった。ここも、先は暗くて見えない。
しばらく進むと、右手の壁がなくなった。
ここも、暗黒で何も見えないが、広い空間があることが、空気で分かった。
ここが、噂に聞いた、都の地下に広がる地下闘技場というものだろう。
昔は、夜な夜なここで、貴族たちが観戦する、闇の闘技大会が行われいたという。前の大戦が起こった時、さすがに行われなくなったようだが。
それからは、まったく使われていないということか。人の気配をまったく感じられなかった。
広い空間を右手に感じながら、さらに進んだ。
再び、通路に入る。さらに階段を下って、何度か、角を曲がった。
「あら?」
突然、正面の暗闇から声が聞こえた。
「あらあら?」
進むほど、声が大きく聞こえる。知っている声だった。
「なんとも意外な人間、その上不思議な組み合わせ。どういうことかしら?」
さらに歩くと、ようやく鉄格子が見えた。
先導の者が、両脇にあった燭台に火を灯して、後ろに下がった。
フーカーズとデルフトが、鉄格子のところまで進んだ。
奥に一人、座っていることが分かった。
「最初にここに来てくれるのは、てっきりカラトだと思っていましたのに」
そう言って、スカーレットは微笑んだ。
牢の、ほぼ中央に座っていた。両腕には、鎖が繋がれている。服装は、薄汚れてはいるが、貴族の着るような服に見える。明らかに、囚人が着るような服ではなかった。
昔と同じ、優雅な仕草や口調が、ここが牢であると忘れさせるように感じた。
「あなた達、よっぽど暇なのね。王子のお使い?」
「お前が暴れた場合、対応しろということだろう」
「そんなこと、しませんわ」
「何故、こんな所で監禁されている?」
言うと、スカーレットは首を傾げた。
「王子に聞いていらっしゃらないの?」
「何も聞いていない」
「そう。では私からも、何も言わないわ」
「王子が知っているということは、王子の指示で捕らえられているということなのか。それはつまり、協定に違反したということなのではないのか」
「私は、自分の意志で、ここに繋がれているのです。それだけは、ご理解いただけますよう」
その話に触れるな、と聞こえた。
「それで、何のご用?」
「お前に、鼠狩りをしてもらいたいらしい」
「それなら、ここで散々しましから、もう飽きましたわ」
「比喩だ」
「あ、そう」
「都にいる間者を始末しろと王子の命令だ」
「間者?」
スカーレットは、可笑しそうに微笑む。
「それで、私を? 何だか話が、よく掴めませんね」
続く。
「お断りします」
はっきりとした口調で言った。
「それよりも、今私は正直がっかりしていますの。カラトが来てくれる場面を、ずっと想像していましたのに……あなた達の辛気臭い顔を見て、気分が悪くなりそうですわ」
「カラトが来たら、どうだというのだ?」
「残念ながら、あなた方には、理解できない話です」
「カラトは死んだそうだ」
フーカーズは、言った。
一瞬、沈黙。
スカーレットは、目を丸めていた。
それから、少し笑った。
「あなたも、冗談を言うようになったのですね」
「そう聞こえたか?」
スカーレットの目が、少し細くなる。
「どういうこと」
「お前を、ここから出す件にも関係している」
フーカーズは言った。つい先日、王子の側近の者に、聞いたばかりの話を思い出していた。
「まさか、その間者が、カラトを殺したとでも?」
頷く。
「殺したのは、シーだそうだ」
言った。
スカーレットは、少しだけ目線を下げた。
「……ああ……」
そう言いながら、数度頷く。
それから、ぐるりと目玉を回した。
「あの糞餓鬼」
そう言うと立ち上がって、両腕を拘束していた鎖を音をたてて引きちぎった。
道案内の者達が、明らかに狼狽していた。
スカーレットが、鉄格子の前まで来る。
「ということは、私がシーを、ぶっ殺せば宜しいのかしら?」
「それが、王子の命令だ」
「では、とっとと、ここから出して下さる」
使いの者が、慌てて鍵を開いていた。
牢から出たスカーレットは、ゆっくりと背を伸ばした。
「それにしても、今、外はどういう状況になっているのかしら? 全然分からないわ」
スカーレットは、にやりと笑って言った。