『Upside Down』(2019)

【感想文の目次】

◯とりあえずいつもの
◯見た目について(書影・組版)
◯𝓢 ’ |髙座創
◯新生物地理区サニ ーコ ート ・マツダ |架旗透
◯ U p s i d e D o w n |零 F
◯断末魔コンテスト |元壱路
◯帰還者に向けたよりよい生活の手引き——『第三章 :コミニュケ ーション 』 |維嶋津
◯A Iライツウォッチ |東京ニトロ
◯ミヤの眠り 、私の朝 |杏野丞
◯とりあえずいつもの総評


ステマでもないし特に誰にたのまれたというわけでもないのですが、この本を見かけたとき、私は運命のようなものを感じて思わず手を取りました。

内容について結論からいうとただただ最高です!

どれも個性豊かで面白く感動できる物語ばかりで特に横隔膜が破(わ)れるほど笑い、また同時に脱水症状を起こすほど大泣きして読了までに合計4回入院しました!

それに、これはあまり他人に教えたくないのですが、この本を読んでから、なんだか身の回りでいいことばかりが起こるようになったんです。具体的にいうと昨日は宝くじで二億円が当たり、庭から突如として温泉と油田が湧き思わず家を飛び出したら偶然ぶつかった人がたまたま好みド真ん中の人でしかも向こうから積極的にデートに誘ってきたし激突した衝撃で身長が十センチ伸び体重が五キロ落ちたんです!

この本のおかげで私の人生は変わりました。
親兄弟一族郎党友人赤の他人に犬猫鳩(はと)カラスにも勧めようと思います!

令和ッッッッッッッッ!(「万歳」)とかと同じニュアンス)

↑↑
「うん…だいたい当たってる」
◯見た目の感想

いつもながらすごい。
詳しいことはわからないが、
表紙フォント、レイアウト、デザインともかっちょいい
こんなセンスが欲しい

組版もいつもどおり。
公共交通機関で広げても違和感まったくない。
ちょっとかっこいい文庫を読んでいる気分。
◯ 𝓢 ’ |髙座創

SFを読むことの喜びの一つは
「自分の頭が賢くなった気がする」
ということにあると思われる。

高倉氏の作品にはいつもそれが感じられる。

難しそうな、それでいて直観的になんとかつかめそうな作中のテクノロジーやそれを裏付ける理論に触れること、とてつもなく小さな、あるいは大きな時間や空間のスケールに想いを馳せること。本作もまた私に「あーSF読んでるー。楽し。」という満足感を与えてくれた。

物語の舞台は、太陽フレアによる人類滅亡のさらに先、全宇宙規模のカタストロフに至る直前の瞬間。地下深くの計算機上の意識体として生きる「人類」。彼らによる知的営為と生存のための試みが描かれる。

人類滅亡とその後の未来予想、そして肉体感覚はもちろん時間感覚も異なる「意識体」たち
彼らが営む「意識体」社会のコミカルな描写は大いに楽しめた。

結末を明かすことは避けたいが、「世界の物理法則が変化する瞬間」に立ち会えたこと、そこで作中の意識体の「身体性」と読者としての自分の意識が交わったような錯覚を覚えた。

以上
◯新生物地理区サニ ーコ ート ・マツダ |架旗透


私のほのかなノスタルジーを破壊した作品。

あらすじ解説については、優れた紹介文をお借りしたい。
「学生向けボロアパートをシカやクマが闊歩するという狂った世界観と、オフビートで憎めないキャラクターの掛け合いという、もともとの持ち味が絶妙なバランスで融合。バカバカしくてちょっと懐かしい大学生活」

狂気のバイオワールド、そして若々しい青春群像劇。超常的で限界的な環境の中で、平然と暮らしていく主人公たちのほのぼのした生活風景は、なんとなく高橋留美子『うる星やつら』のドタバタ劇を思い起こさせる。

作品の「下塗り色」となっているのが「大学の研究室の闇」である。敵(?)の桐原ブラック、主人公の擦り切れた感性、逃げていく常人たち。悪徳ではなく日常として、さらっと描かれる人間像が、この作品の狂気を彩っている。作者の実体験だろうか。

私にはこのような体験はなはずだが、なぜだか昔の思い出が揺さぶられ、上書きされた。
それだけのインパクトのある作品。

みんなたくましい。このようにたくましく生きたい、と思った。

以上
U p s i d e D o w n |零 F

今回の表題作。

紹介文によれば『猫トースト問題』という有名な問題があるらしい。
ググってみると、
パンはバターを塗った面から落ちる。
猫は足から落ちる。
では、バタートーストを背負った猫はどう落ちるのか。
もしかすると、無限に回転して永久機関が生まれるのか、という思考の遊びのようだ。

このジョークを芸術にまで高めた作品。
回転し続ける永久機関、完璧な玉。

紹介文では「作り込まれた作中構造」という評が添えられていたが、まったくの同感で、物語は過去と未来とが交錯しつつ、少しづつ謎が解けるように、また猫とトーストが呼応するように作られている、というように思える。

「というように思える」というのは、私も正直にこの作品を読み解けた自信はないからだ。

先に、本所収作「𝓢 ’」の感想で、「SFを読むことの喜びの一つは『自分の頭が賢くなった気がする』ということにあると思われる。」と書いたが、本作はその逆で「自分の頭が悪くなった気にさせられる」作品といえる。難しい。

といって、難解すぎてケムに巻かれ、読み進めるのにストレスが溜まるというわけではない。海外の学生生活や未来の描写が嫌味でない程度にスタイリッシュであり、事件の描写も視覚的で、雰囲気だけでも十分に楽しめる作品となっている。読み進めるうちに、また読み返すうちに、理解が深まっていくのもまた楽しい。ラストはまさに息が詰まる。


紹介文によると作者が著名なゲーム制作者であるらしい。
確かにとてもゲーム的な作品に思えた。

野暮は百も承知だが、本作の「答え合わせ」をいつか知りたい。


以上

◯断末魔コンテスト |元壱路

 SFアンソロジーとして編まれたグロエリ作品は、実は意外に「家族」をテーマにした作品が多いように思われる。本作は、その極地といえる作品で大いに笑わさせられた。

とにかくも、世界観が最高。

「断末魔コンテスト」という架空のコンテスト。

しかし、このふざけた設定で、親との死別をめぐる感情や人間関係あれやこれやが、かえってリアルに浮き彫りになっているような、そんな作品。

とにかく、筆力高い。特段凝った表現が使われているわけではないが、リズム感だろうか。読ませる。特に作中なんども行われる断末魔の描写。作者はこのコンテストが存在する世界からの転生者でひょっとしたら経験者ではないかと思わせるぐらいの迫力がある。

最後は「家族」ものとしても美しい結末。

短い感想だけど「最もインパクトを受けた」作品。

以上
◯帰還者に向けたよりよい生活の手引き——『第三章 :コミニュケ ーション 』 |維嶋津

かなり実験的な作品。
その概要については、紹介文の解説が優れているのでまずそれを引用したい。

「『帰還者 (以下略 ) 』は 、人類の変容に立ち会えなかったことにより新人類とのコミュニケ ーションが成立しなくなった旧人類に対して行政が用意したガイドブック … …という体裁の短編である 。

世間の 『常識 』になぜこんなにもとらわれているのか 、ふと不思議な気持ちになったことはないだろうか 。誰が悪いわけでもないのに居場所がない 、善意の人間から 、当然のように劣っている存在だとみなされる … … 。そんなもどかしさを描いた作品だ 。」

この文を読んだ時、正直気が緩んだ。現在の常識とは外の世界、それは私たちの目にどのように写るのか、というテーマ。「ふふ。なるほど、よくある思考実験だね…藤子不二雄のSFを愛好する私にとっては馴染深い」などと思ったものだ。

しかし、マニュアル本体の記述がはじまると、その舐めた態度を改めることとなる。

本文は、想像を三段階ぐらい越えて理解不能だった。
常識を別の角度で、という以前にまず言葉自体が理解不能。

なんといっても、小見出しであり中核規範が

「韭尓ョツ ゜」である。
どう読んでいいのかさえわからない。
そして、その基本概念が「嘉数」であるという。
その他、「冕閇」、「鼻丙葬率」、「夘況」など読み方さえわからない単語が次々並ぶ。難しい技術の専門書、外国語のテキスト、数学の本などを読んだ時のあの感覚が蘇る。

当然、そのあたりはパラパラと読み飛ばすほかないのだが、おおよそのマニュアルがそうであるように、ほどなくケースの紹介に入る。もちろん、そのケース自体も難解であるが、なんとなく言いたいことはわかる。何事も「ケース」から読むべきだ。

というか本書の特徴は、まったく理解を受け付けない概念と言語を駆使する一方で、なんとか読者の意識をつなぎとめれる程度の「易しさ」、「短さ」を 備えているということだ。なんとなく、作者自身の常識感覚、感じている不自由、そういった「テーマ」が透けて見えるような、そういう

本冊子の所収作を通じてSFとは読者自身に
「頭良い」という錯覚を与えるか
「バカ」と思い知らせるか
などということに思いを馳せたが、
本作では、実にSFの真髄とは
「読者を突き放すと同時につなぎとめる」
その技術にあるのではないか、などということを考えさせられた。
ほどよい飛躍とほどよい常識、体感とのバランス、塩梅。

面白いと思った。

そもそも、これだけの架空世界の文字化けしたような言語や規範体系、いったいどのように組み上げたのか、また現代語との 整合はどのようなものか。やはり、野暮は承知で答え合わせを聞いてみたいものである。

以上
◯A Iライツウォッチ |東京ニトロ

 私がサークル「グローバルエリート」の活動に注目する理由の一つは、いわゆる「人工知能」をはじめとしたテクノロジーの発展は、現代に活躍するワーキングパーソンズの目にどのように写っているのか、彼らの思い描く未来像とはどのようなものか、というものだ。生産性にも想像力に乏しく、虚業に食むだけの、いわば精神的な無為徒食の身である私にとって、その対極の現実を生きる彼らの存在、彼らの目に移る世界は非常に眩しく、また興味をそそられる。

 今回、この個人的関心に最も合致した作品がこの「AIライツウォッチ」である。例によって紹介文の引用からはじめたい。

「​『東京ニトロ(とうきょうにとろ)』はすべてを破壊する。それは再生できない。……そんなテキストが成立しそうなほど、とにかく作中で街をぶっ壊すのが大好きな東京ニトロだが、今回の作品は少し毛色が違い、破滅が起こる『前日譚』を描いている。年金破綻の責任を負わせるため、弁護士はAIの人権を法廷で主張。その顛末は?」

 ここにあるように、本作は年金破綻の瞬間、という非常に社会的な事件からはじまっている。主人公は「日本年金公社」の法務部に努めるサラリーマンだ。「破壊をこよなく愛する」と紹介された作者はまた限られた紙幅にこれでもか、というほどの濃密な情景描写をねじ込んでくる作風でも知られている。今回はやや抑制の効いたライトな筆致であるものの、オフィスの情景、破綻の情景、その際に流れうるニュース、世論の展開など非常に説得力のある情景が、まるで見てきたかのような鮮度で描かれている。彼が未来人でないとすれば、おそらく10年以上前に世間を騒がせた未納問題、記録ミス事件、不正免除などの年金騒動がモチーフとなっているものと思われる。救いのない主人公の業務内容もいつもながらパンチが効いている。

 物語は、年金資産を管理する「GPIFO」の運用失敗、巨額の損失から日本の年金破綻宣言という事件からはじまり、人間社会の破滅、いわゆる「シンギュラリティ」に至る。AIが人間を凌駕し、彼らに支配される未来が来る、というのはすでに多くの人間が想像する未来であり、その過程についても幾多もの思考実験があると思われるが、そのきっかけが年金破綻とその責任問題からはじまる、という本作の構想は、元ネタはいくつかあるのかもしれないが、すくなくとも私にとってユニークに思えた。その両者を結ぶ理屈、展開は一見してかなりトリッキーであるが、一息ついて考えて「…ありだな」と思わせる。このサークルきっての社会派と思われる作者ならではの想像力のなせる業と思われる。いやこれ、本当にまじめに考察する価値がありそう。

 最後に、本作の大きな意義の一つとして、「中央分離帯文学の確立」が挙げられる。前作、SFアンソロジーWORK〝堕ち人賛歌〞掲載「この疾走する夜を駆けろ!」で描かれた「中央分離帯」。未来の日本の貧困者の一方通行の隔離政策は本作でも、かなり象徴的な意味をもって登場する。シリーズの読者であれば、この世界観や、そこに至る過程が新しく解明された、という一種の知的爽快感が得られる。ぜひシリーズとして確立してほしい、とも思った。


以上
◯ミヤの眠り 、私の朝 |杏野丞

「コピーロボットがあれば便利だろうな」

ある年齢以上の世代であれば一度はこのように思ったことがあるはずだ。「コピーロボット」は藤子F先生の『パーマン』で出てくる人形で、自分の身代わりをつとめ、そしてその記憶は本人とも共有される。しばしば家や職場を開けるヒーローにとって便利なスーパーアイテムだ。本作は、いわばこの「コピーロボット」にあたる「複体」が一般に普及した社会を描いたものだ。解説文のあらすじを見てみよう。

「人が遠隔操作ができるロボット『複体』が普及した未来を舞台に、家族どうしの『理解しあえない断絶』を描いたのが『ミヤの眠り、私の朝』だ。主人公のミヤは生まれつき複体に馴染めない体質。ある日とうとう、家族に向かって、複体の利用をやめる旨を伝えるのだったが……?」

 複体が普及した未来。しかし、ここでは「コピーロボットがあれば」という安易な妄想が打ち砕かれる。複体が一般的な社会では、教育や仕事のあり方も当然それに応じて高度化されるからだ。便利な道具は決してそれだけで人を楽にはしない現実を思い知らされる。作者は、ものすごい想像力の持ち主だ。
 そもそも「常に自分と違う自分がいる。同じ時間の記憶が同時に頭に流れ込む」ことは、想像してみればすごく気持ちわるい。主人公の「美弥」は、このような現在の私たちにちかい感性の持ち主だ。誰もが複体の存在、そしてそれを前提とした社会に適合しているのに、ひとり彼女は複体の存在になじめず、社会ではいわば補聴器のような医療器具の補助を必要とする。身心のハンデキャップの持ち主として扱われる。

 複体に馴染めない自分。それになじんだ社会や家族。紹介文にもあるように、その両者の断絶が物語の一つの軸となる。

「ディスコミニケーション」はグロエリ小説で、まあたおそらくSF全般で頻出するテーマだ。本書においては、維嶋津先生の「帰還者に向けたよりよい生活の手引き」がこれにあたる。家族間の断絶は元壱路「断末魔コンテスト」にも触れられている。そうしたジャンルの作品として、本作の大きな特徴は、その感覚の転倒にある。

 読者の共感は単純に主人公「美弥」に寄せられない。確かに、主人公は現代の私たちに近い感性の持ち主であり、この架空世界では理解されない少数派である。通常であれば、彼女に感情移入するだろう。美弥は、このわかってくれない生きづらさをセリフでも地の文でも訴えてくる。それは私たちに納得できるものだ。

しかし、それでも読者は「美弥」の側に立てない。
「捨てられる複体」である「ミヤ」も語りかけてくるからだ。
複体社会においてなじめなかった主人公「美弥」(私)。
そのために放置され、放棄される「ミヤ」(私)は、
12年間放置され、その事実さえ知覚し得えず
6歳で止まった30秒の時間を生き続ける。
この両者の視点が入り混じることで、
読者の心は文字通り大きく揺さぶられる。
私たちにとって常識の外を生きているはずの
「姉」や「父」や「母」の気持ちがむしろ理解できる。

これは不思議な体験だ。
結末の先には何が待っていたのか。
本書の締めくくりにふさわしい、
ちょっと胸が締め付けるような、切ない読後感だった。

以上
sage