Neetel Inside ニートノベル
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 何千、何万を斬ったか。
「クッ、ハハァ!!」
 依然としてその動きに精彩は欠かず、深刻化していく情勢と反比例して妖魔アルの挙動は疲労を感じさせないほどに冴え渡っていた。
 だがそんなアルの外見から変化は起きた。
「……あん?」
 眼、鼻から唐突の出血。何か物理的な攻撃を受けたわけではない。敵の数は圧倒的だが、その一体一体はさして強くはない。
 だがこの身体の異変。間接的に何かをされたことは明白だ。
 思えばこの北方の軍勢は現出と同時に夥しいほどの瘴気を振り撒いていた。斬り殺した異形の死骸からも蒸気のように紫煙は立ち昇り、辺り一帯は濃霧に覆われたように視界を狭めていた。
 視覚以外でも敵を捉える術は会得しているし、半悪魔と化したアルにとって瘴気などはさしたる影響を及ぼさない。
 そうなるとこの異常はそれらとはまた別の干渉。
「毒か。くだらねえ真似してんじゃねェぞクソ野郎!」
 言葉とは裏腹に哄笑するアルが一刀を振るい斬撃を撃ち飛ばすが、最奥の魔神に届く前に軍勢の厚みに押し負けて途上で消え去る。
「そりゃそうか。まだ届かねェよなっ」
 八方を覆う兵士を着地と同時に斬り払う。足元がややぐらついた。
 瘴気に混ぜ込んだ毒素に蝕まれた肉体から警鐘が鳴り渡る。頭痛、眩暈。目鼻からの流血が止まらない。
「音々解毒だ!」
『うっさいわねぇ。ちょっと待ちなさい』
 軍勢を近寄らせまいと行動遅延の唄を唱えていた音々が、城壁の上から届くはずのない文句をアルへぶつける。
 両手の一刀一剣で敵を滅ぼす傍ら、アル自身も防御策を打つ。
 鼻血を拭った指で頬に血文字を描き、その効力を抽出するルーン文字の術法。
 刻むはラグズ(R)とイス(I)。ラグズは移動の意を持つルーン。それを逆位置にて刻むことで移るもの、巡るものに障害を与える効果とする。
 毒の巡りを抑えた上で停滞のルーンたるIイスの重ね掛けで毒素の活性を停める。解毒にまでは手が回らない為、体内に残留した毒は音々に除去させた。
「たぁっく、クソだりぃモン使わせんじゃねーよ」
 戦闘をこなしながらも毒の治療を終えたアルが毒霧の中で着実に死骸の山を積み上げて行く。
 しかし数が減る実感はない。まるで密林の中を当てどなく彷徨っているかのような薄暗さ、屍山をさらに超す群れが波となって押し寄せる。
(…はー、だる)
 異形の津波に呑まれ、見舞う斬撃が追い付かない。手足を斬られ肉を噛み千切られ、振り払うと同時に組み付かれる。
 痛覚に左右されることもなく、アルはただ未だ頑なに繰り返される『拒絶』に辟易していた。
「オイ、いいのかよ。この国滅ぶぜ?」
 独楽のように全身を回転させ、刃の届く全方位の異形を細断して薙ぎ払う。
「テメェらの善悪好悪の尺度で俺を弾くのは勝手だけどな。その総意とやらでお気に入りの世界がぶっ壊れてちゃ話にならねェだろ」
 その声は、言葉は、眼前に広がる黒色の魔へ向けられたものではない。城壁の上から音を拾って首を傾げている音々に対するものでも、もちろんない。
「しょうもない意地は捨てろよ馬鹿馬鹿しい」
 再度の包囲。蝗の群れのようにギチギチと気色の悪い羽音と歯音を鳴り渡せながら妖魔というエサを食い散らすべく一斉に飛び込んだ。
「―――ハッ」
 黒い暴風の中で何かの意を得たアルがゆっくりと笑み、右手の魔剣を手放す。
 直後に真っ黒に染まった大地の一点から、急速に広がった赤色が染め上げた。
「〝劫焦レーヴァ炎剣テイン〟」
 呼び掛けに応じ、空いた右手へ新たに握られた燃ゆる両刃の剣が大炎を吐き出しながら四周の異形を毒ごと焼き尽くす。
 刃を生み出す為の金精、炎を呼び起こす為の火精。
 アルが北欧の金属細工師としての真髄を扱う為には大気に満ちる精霊種の力添えが必要不可欠だった。だが人間の世界とは隔絶されたこの妖精界に住まう精霊達は外界からの侵略者たる者達には決して力を貸し与えようとはしなかった。
 今、それ以上の脅威、災厄を前にして精霊達は総意を覆す。
「そうだ、それでいいんだよ。手間ァ取らせやがって」
 感謝どころか悪態で精霊の声なき声に返し、妖精と悪魔の混成たるアルは犬歯を剥いて頭上高くかざした剣に炎を集束させる。
「今度は、届くぜ」
 最短直線、炎の渦が振り下ろされる剣の先端から放射された。

「―――…………」

 その時、出現してから初めて四足の馬脚が僅かに地を擦り、魔神の瞳が前を向いた。
 合わせた視線の先に配下の異形は集い、その身を盾として炎の攻勢を防ぎ切る。
 舌を出して中指を立てるアルの挑発はすぐさま盛り返してきた異形の軍勢への対処で遮られたが、魔神は確かに自身へ牙を届かせた人外を認識した。
「……」
 憤ることも、興味を示すこともなく。
 半人半獣の姿をした魔神は静かにその存在濃度を引き上げる。
 宿す魔の神格は、さらに瘴気を広げ大地を汚染していく。毒霧はもはや魔軍全てを覆い、空高く広がり妖精の世界を殺していく。
「まだやるか、あの野郎」
 毒霧の侵攻はアルが食い止めている軍勢よりやや早い。流石に斬ってどうこうなるものでもない毒の散布は止められないし、そちらに割く余力も無い。
 この世界でこれを押し返せる力量を持った者となると限られる。純粋な戦闘能力ではなく、風を統べる力を宿す者。
 攻め入られている緊急事態に対し王と女王は手一杯だろう。
 器用に武器の入れ替えを行いながら敵を掃討するアルが大きく息を吸う。
「ならお前しかいねェよなあ!来い!!シェリアああああああああああああ!!!」



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「んっ」
 黒毛に覆われた二つの耳をぴくんと弾ませ、シェリアは突出した聴覚で自らを呼ぶ声に反応した。
「アルだ。呼んでる!」
「え…?」
 セラウと共に子妖精らを連れて走る静音が疑問を溢す。人間の耳では捉えられなかったが、同じケット・シーのセラウも確かに妖魔の声を拾った。
「この距離、城壁の外…!?駄目、シェリア!」
 状況からして切迫した場面であることを察し、セラウは悲痛な声で風を纏い浮遊したシェリアを制止する。
 城壁の外を直接見たわけではないが、国内ですらこの有様だ。想像は容易い。
「外にも敵はいる、きっと危ない目に遭う!行っては駄目!」
「でもアルが大変そうだもん!助けてあげないとっ。シズ姉!」
 不安そうに見上げる大聖堂院の弟妹達の頭をそれぞれ一撫でして、信頼する義姉を振り返る。
「お母さんと皆をおねがい!お城まで行けばきっと助けてくれるから!」
 既に王城は目と鼻の先、正門前の大通りを抜ければすぐに近衛兵団が防衛している敷地内へ入れる。
「待って、シェリア。それなら私も」
「ううん、守ってあげて!シズ姉なら何かあっても、治せるでしょ!?」
 〝復元〟の異能のことを言っているのか。確かに能力の性質上静音は前線に出るよりは後方での支援向きだ。わざわざ戦火の只中へ突っ込むのはむしろ愚策かもしれない。
 けれどそんな理屈で自分だけ安全圏に留まっていることに抵抗を覚える。
「だいじょぶ!すぐアルと戻るから、んじゃ行ってくるねー!」
 そんな静音の様子を慮ってか、シェリアは明るく笑い、片手を振る。瞬きの内で一気に飛翔すると、あっという間に視界から消えてしまった。
「……シェリア…」
「…、行きましょうセラウさん。あの子は私達よりずっと強い。ひとまずは王城の中へ」
 もどかしい気持ちの中、努めて冷静に成すべきことを優先させる。任された以上、避難を完了させるのが第一。
 愛娘の飛び立った空を見つめるセラウと子妖精達を引き連れ、静音は国内の兵士達が誘導する王城へ続く石畳を走り抜けた。



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(ブエルのやつ、思ったより早く動いたな。そんな手練れがいたか?)

 北方を支配していた同胞に動向の変化があったことを感じ取り、巨大な鰐の怪物の背に寝転がっていた銀鎧の魔神はむくりと起き上がった。
(マルティムも何遊んでんだかしらんが、ちょっと時間掛け過ぎじゃねえか。そこそこにしないと小娘が焦れて前に出てきちまうぞ)
 東方に座す魔神はもっとも加減を知らない。動かれるとこちら側としてもやや面倒なことになりかねない。
(仕方ない。動きたくなかったが…ちょっと早めに終わるよう、詰めに手を入れてやるか)
 ガチャリと鎧を擦れさせ巨躯の背から立ち上がると、それに合わせたように鰐の怪物がけたたましい鳴き声と共に全身を揺らした。
「おう、なんだ?」
 何事かと足元の下僕を見下ろすと、その一抱え以上もある大きな両目の内右の眼球が縦に切り裂かれ、さらに傷口ごと爆散していた。
「……ああ。まだ生きてたんか、妖精風情が頑張るな」
 さらに眼下に目をやれば、そこには大剣を肩に担いだ屈強な妖精の男がこちらを見上げている。僅かな擦過傷以外にこれといった傷が見当たらないことから、三万程度召喚していた手勢は全て殺されたと見るべきだろう。
「こんなモンじゃねえだろ、魔神。さっさと残りも出しやがれ。そのにご自慢の軍勢が壊滅させられるのが怖いってんなら別にいいがよ」
「妖精のわりによく吠えるじゃねえの。安い売り文句だが買ってやろうか」
 ついと指を持ち上げると、魔神の立つ丘の周囲から発芽するように何対もの翼が突き出し、次いで翼の根元から不気味な悪魔の姿が現れる。
 百、千、万。
 一呼吸置かず先程と同じ、いやそれ以上の悪魔が妖精王を取り囲う。
「王サマの首を晒しとけばちょっとは楽に殺し尽くせるかね」
「王の首一つで揺らぐほどヤワじゃねえよ、この世界くにはな」
 勝つつもりはない。死ぬつもりもない。
 出来るだけ王国より距離を取り、出来るだけ数を削る。
 妖精王は戦局が読めないほど愚かではない。このままでは国は亡ぶし自分も死ぬ。
 立て直す為の時間が必要だ。妖精女王はその時間を得ようとしている。
 だからまだ。まだもう少し、この場で魔神と軍団を引き付けておかねばならない。
 大剣を構え直し、妖精種の頂点として全ての精霊に王命を下す。
「来い。小汚ぇ蟲どもが」
 妖精界に仇なす敵を討ち滅ぼす、元素の力が王を取り巻いていた。

       

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