Neetel Inside ニートノベル
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力を持ってる彼の場合は 二章
第五話 困惑の入城

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 国の内外を分ける城壁、その出入り口となる巨大な大正門から少し離れた場所で、静音は音々と共に迫る敵を迎撃していた。
 と言っても主には音々の魔声と戦闘に任せっきりで、時折受けたダメージを静音が“復元”させる形で連携を取っている状況ではあったが。
 付近を囲う妖精達の力はそこまで強いものではなかった。戦力の大部分を前線のアルや由音、シェリアが引き受けたのが大きいのだろう。残る戦力は防戦に限ればさほど手こずるような数と質ではない。
 それに加えて、今現在激戦の巻き添えを受けて数がどんどんと減っている。
「…守羽…!」
 妖精王と、半妖の人間の闘いの余波によって。

 生成色に変色した髪の先端が大剣の一撃を掠めて千切れ行く。肩甲骨付近から生えた半透明の薄羽をフル稼働し、残像すら見える速度で背後へ回り相手の振り返るタイミングを見計らっての脇腹への膝蹴り。
 ―――は、大剣の腹によって寸前で防がれていた。
「ぬんッ!」
 近接を振り払った妖精王が、地面を削り取りながら掬い上げるように大剣を振り上げる。その剣先から放たれた爆炎が、土の隆起と共に地を奔り弾かれた守羽を追う。
 この世界において敵対者である守羽に精霊種の力を借りる五大属性の恩恵は扱えない。
 つまり、
「三千五百倍……!!」
 血管の浮き出る右腕を、地を這う爆炎の到着に合わせて振り落とす。拳の衝撃と炎の爆発とが同時にぶつかり合い、爆散した大地が散弾の如く四方八方に飛び交う。
 土煙を引き裂いて、羽を最大まで展開した守羽が突撃した。
(馬鹿正直に真っ向から来やがるか!)
 そんな侵略者に敵意と共に純粋な好感すら抱きながら、久方ぶりの運動に口元に笑みを浮かべる妖精王の大剣が唸りを上げてその突撃を受けて立つ。
 激突する度に荒れ狂う大気、どう考えても素手と剣とでは競り合うことなど不可能であるはずの常識的な見解は、彼の持つ“倍加”によって覆される。
(妖精の力は薄羽と身体能力以外は使い物にならねえ!なら残ってるのは異能の力と退魔の知識!)
 長年に渡る人外との戦闘の中で否が応にも培われ研鑚されてきた接近戦術と異能の能力。現状、守羽がもっとも信頼を寄せられる己が力がそれであった。
 さらに退魔の血筋から不完全ながらに半分ほど継承された知識から編み出した歩法改式、“禹歩うほ九跡くせき歩琺ほほう”による身体の強度上昇。これにより全能力覚醒済みである守羽の“倍加”は数千倍までの引き上げを可能としていた。
 これだけの強化をもってしても、かの鬼神には肉弾戦で傷一つ付けることも叶わなかったが、今度の相手は階位の違いこそあれ半分は同胞である妖精種の王。
 神通力も金剛力も持たない妖精の肉体であれば、充分にこの拳は通じる。
 大振りながらも手早い引き戻しと剣技の技量で素手で刃向かう守羽の小回りに対応する妖精王は、意外そうに小さく唸る。
「宝剣をぶん殴って弾くとは常識外れな野郎だ。人外の性質に対する妙な免疫、耐性がありやがるな。それも退魔に引き継がれた素質の一つってか!」
 ブォン!!と突風を伴う一撃をバック転で回避し距離を取る。やはりこのままでは決定打に欠けるらしい。
 切り札なら、ある。この世界で使えるかという不安はあるが、やってみないことには始まらない。
(地脈から莫大な力を汲み上げる『神門』の力、反動もでかいが扱えれば勝機は厚い…はず)
 神に至る門、その開閉権限を有する特異家系『神門』。こちらも正当な継承ではない以上身体に掛かるリスクも桁違いだ。前回は肉体が出力に追い付かず鬼神に力負けしそうになった挙句、反動が上回り自壊の危機にすら陥った。
 半分の妖精、半分の退魔、そして外付けのような『神門』。
 どの方面においても神門守羽の性能は見劣りしてしまう。だからこそ、守羽はその半端な全てを複合することで届かぬ領域に指先を引っ掛けるように手を伸ばす。
 此度の戦闘もそうだ。退けない、ここでの撤退は神門旭を見捨てることと同義だ。それどころか、ここを逃せばおそらく次は無い。妖精とてそう何度も敵の侵略を許すほど甘くはない。
 片手を地に付け、琥珀色の瞳を見開く。掌から根を生やすように、地の底の底まで意識を潜らせる。
 古今東西いかなる大地にも存在する、地脈の力。星の生命。その一滴を人間という器にて満たし振るうのが神門の血筋が得る唯一無二の特性。
(……見つけた)
 世界を引き裂いて生み出された別世界の中とはいえ、その大元は星という枠に収まるもの。この地でも地脈の存在は明確に感じられた。
 地の底まで張った根を引き上げるイメージを脳内で描く。
「…、あ?」
 と、それまで相手の様子を窺っていた妖精王の表情が一変した。焦りというよりかは、怒りにも似た激情の顔。
 次の瞬間、妖精王は手首の返しだけで大剣を放り投げた。轟音を発しながら回転する大剣が敵に目掛けて飛来し、地脈の引き上げに専念していた守羽はそれを間一髪のところで横に転がり避ける。
「くそ、あと少しだったのに…!」
 力を汲み上げる『神門』の発動には多少の時間が要る。そんな無防備を見逃す妖精王ではなかったということかと歯噛みする。
 鋭い切れ味と重量が地面に深々と突き刺さるのを横目に、守羽は徒手で迫る妖精王の姿に最大限の警戒を持って身を引き締める。
 その守羽の真下から、唐突な上昇気流が発生する。それも、抵抗すら捻じ伏せるほどの勢いで。
「なにっ!?」
 風に持ち上げられた守羽が空中で身悶えするのを、見上げながら疾駆する妖精王が捉える。
 次いで急速に温度を上げ発火点を超えた大気が気流を取り込み花火のような爆発を空に打ち上げる。当然その狙いは外敵たる半妖。
「ぐっ…」
 防御に専念して両腕で顔と胴体を守るも、さらに迫りくる殴打には不意を突かれた。仰け反りながら打撃の勢いそのままに地面に斜め下へと落下する守羽の背後の地面が競り上がり、受け身もままならず叩きつけられた。受けた衝撃がそのまま肉体へと返還される。
 砕けた土壁と共に尻餅を着いた守羽の喉から熱い液体が込み上げてくる。片手片膝をつけ顔を伏せる守羽。口腔から飛び出る血液がみるみる間近の地面を赤く濡らす。
 守羽を襲った爆炎、遠隔から操作された大地、舞い上げられたのは四大属性の風を操ったものだろう。
「分かっていたことだろうが半妖。お前が敵に回してるのは妖精おれたちだけじゃねえ、この世界そのものだってのをよ」
 片手で指の骨を鳴らしながら近付く音に苦悶の表情を向ける。
 西洋の四大、東洋の五大を自在に操る妖精の王。これがオベイロンの実力の一端。
 世界に満ちる精霊種の属性から敵と定められている以上、少なくとも妖精という土俵の上では妖精王に勝つ術は万に一つも存在しない。
 しかしそれでも。
「家族を取り返しに来たんだ。世界の一つ敵に回したって、ごほッ。諦められるもんじゃねえ、だろ」
 言葉の切れ間に吐血を繰り返して、口元を拭う守羽が立ち上がる。
「返せよ、返せ。それが済むまで俺達はこの世界を蹂躙する。無抵抗の女子供だろうが容赦はしねえ、父さんを返してもらうまでは死んでもやらねえ。どこまでのこの国を破壊してやる」
 それが本心でないことは妖精王も分かり切っていた。国を統べる者へ向ける挑発か、あるいは自身の決意を大袈裟なまでの悪意で塗り固めた不退転の戒めか。
 どちらにせよ、それで心揺さぶられる軽い王ではなかった。よろめく守羽を視界に入れつつも、妖精王はそれとは違う方向にゆっくり歩く。
「…おとなしく降伏しとけ。それならお前の仲間も悪いようにはしねえ。そもそもの話、あの我儘女がお前の処分を容認するはずねえしな。だから」
 地面に突き立っていた己の剣を片手で引き抜いて、ホームランを予告するバッターのような構えで大剣を眼前に掲げる。
「これ以上下手に命を削るのはやめろ。それと言っとくが、さっきのヤツまたやろうとしたら今度は容赦しねえからな。あれは、この世界の均衡を崩すレベルの厄介な術だ」
 さっきの、とは不発に終わった『神門』解放のことか。よくわからないが、妖精王は初見すらしていないあれのことを感覚だけで危険と判断したようだ。
 無論、これで終わりにするなどありえない。それではなんの為に友を巻き込んでまでこんな異世界にやって来たのか。
 口に残る血と唾と共に吐き出し、守羽は息を整えながら再度構える。
 大剣を担ぐ妖精王の反応は呆れ半分、意気込みを善しとする感心が半分といった具合だったが、なんにしても殺すという選択は今一つ浮かばなかった。

「そこまでです、半妖の人間。それと王」

 妖精王の逡巡を見抜くかのようなタイミングで、静かな声が姿と共に割り入ってきた。
 艶のある薄氷のような色合いの髪を撫で付け、理知的な双眸を細めた妖精が王に向かい合い片膝立ちで意見を物申す。
「王、これ以上の乱暴は看過出来ぬ。女王様はそうお怒りでした。彼らは賓客として扱う、とも」
「おうおう、この俺を無視して賓客扱いとは恐れいるぜ。待遇を決めるのはこの世界の主たるこの俺だと思ってたがな?」
「権威は王と女王にそれぞれ等しく存在します故。片側の意見を蔑ろにした上での狼藉はいかな王といえども誉められたものではないですが」
「言ってくれやがる。流石は女王付の近衛騎士ってとこか」
 最高権威者に対する物怖じしない言い分に、むしり妖精王は愉快そうに笑った。
「まあ、良いタイミングだったろ。んじゃ俺は先に戻る、お前はそこの半妖を説得して連れて来いや。お前の方がそういうの、向いてるだろうしな」
 大剣を担いだまま、最後に妖精王は事態を呑み込めないままに呆然とした様子の守羽を一瞥してからあっさり背を向け歩き去ってしまう。
「さて」
 立ち上がり膝を払った妖精の男は、そうして静かに佇んだままの守羽が納得できるよう言葉を選びながらの対話を試みる。

     


 互いに譲らぬ一進一退を遮ったのは、戦闘によって荒れに荒れ果てた大地に片膝を着いて深々と頭を垂れた近衛兵団の一人が放った発言であった。

「レイススフォード殿、女王様よりの命です!直ちに妖精界を訪れた者達を賓客として国へ招き入れるように!もとよりこの世界の住人だった者らも丁重に扱え…と!」

 この言には、莫大な水量に対し圧縮した大気の一撃をぶつけようと両手を腰溜めに構えていたシェリアも身動きを止めざるを得なかった。
「…んー、ひんきゃく?」
 ただし、シェリアの場合は単純に言葉の意味を理解できていなかったのが大きいが。
「馬鹿な、賓客だと。一体なんの冗談だ…!」
 言葉の意味、その真意まで理解に及んでいたレイスは、シェリア以上に唖然とした表情で掌握していた水球の制御を手放し驚愕に目を瞠っていた。空中に留められていた大量の水が一気に滝の如く直下の地面を抉りながら四散する。



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「おいアルー!なんか王城入れるってよ!もう戦わなくていいっぽいぞー!?」
 あらかた妖精種の精鋭を倒し終えた矢先に現れた使者の話を素直に信じ込み、由音は少し離れた場所で老氷精と戦闘を続けていた同士に事の次第を大声で伝える。
「…だそうだ。アルよ、矛を収めよ」
「テメェを刻んだらなァ!!」
 周囲一帯が氷のテリトリーと化した凍土の上で、二刀を振り回し続ける戦闘狂に付き合わされているファルスフィスが呆れた語調で言うのも聞く耳持たずでアルが叫び返す。
「こんなハンパで終われっか!最後まで付き合えやジジイ、魔剣が老害の生き血を啜りたがってっからよお!!」
「やれやれ…まだ仕置きが足りんか」
 緩やかに深く皺の刻まれた顔を左右に振るい、杖の先端で凍てつく大地をコツと叩く。直後にファルスフィスを囲うように巨大な氷柱が生え、背後からいくつかの巨大な氷塊が生み出される。

『あ…あの悪魔を止めろー!これ以上被害を拡大させるな!』
『ファルスフィス様の援護に回れ!あの妖精崩れ、まったく話を聞いていないぞ!?』
『簀巻きにして妖精王の眼前に差し出せ!情け容赦を掛けるなぁ!!』

「あーあー……」
 まだ動ける者、怪我の軽い者らが起き上がり一様に青ざめた表情で激戦を再開させた悪魔の暴走へ乱入するのを、由音は口を半開きにしたまま眺めることしか出来なかった。



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「守羽!」
 妖精王がのしのしと王城へ一人戻ったのを見届け、守羽は王との闘いに割り込んできた妖精と共に大正門前まで引き返して来た。
 そこでは多くの妖精達から距離を取って二つの見知った姿があった。その内の一人が小走りで彼のもとへ駆け寄って来る。
「静音さん。怪我は…」
「私は平気、音々さんが守ってくれていたから。それより守羽の方こそ…」
 妖精王から受けた傷を見て、静音が即座に守羽の手を握り異能の力を流し込む。久遠静音の認識に従い、“復元”が正しく神門守羽を万全の状態へと戻した。
「派手にやってたわねーアンタも」
 折り畳んだ黒翼を用済みとばかりに粒子と化して、余裕を残した音々も寄って来た。からかうように守羽に人差し指を向けて、
「で?どうだった、あのまま続けてたら」
「ほぼ負けだったろうな。この世界は俺にとっても完全アウェーだ」
 肩を竦めて苦笑を返す。
 こちらは妖精種の属性掌握能力を封じられ、逆に相手はその力が数段増したステージでの戦い。言い訳がましいが圧倒的なハンデを負っていたのは確かであって、そんなハンデを背負った状態で勝てるほど、妖精の王は容易くなかった。
 音々もそれをわかっているからか、それ以上茶化すことなく話を本題へ進める。
「それで、入れるわけ?私達も」
「らしい。さっき、あの妖精が言ってた。由音やアル、シェリアの方にも伝者を送ったらしいからすぐ来るだろ」
 薄青の髪を掻き上げながらそれぞれ妖精達に指示を飛ばして統制している妖精を横目で示す。
 あの妖精の説明によれば、妖精女王の命令により守羽達の身柄は丁重に扱い、これ以上の争いを双方禁ずるとしたらしい。
 周囲に未だ猜疑の視線を向けながらも襲い来ることのなくなった妖精達の様子からしても、その説明は虚偽ではなさそうだった。
「神門守羽様」
 不意に名を呼ばれ、振り返る。そこには女王付近衛騎士の肩書きを持つらしき、先程の薄青の妖精が立っていた。
「何だよ」
 意図せず棘のある言い方になってしまったのにはさしたる反応も見せず、妖精騎士の男は恭しく頭を下げ、
「お連れの方々が来られる前に、貴方様にはお先に王城へ」
 そう言って差し伸ばされた手と守羽の間に、無言で割り込むは二人の女性。
「露骨に来たわねぇ」
「守羽、駄目だよ」
 こちらは険のある声色を隠す気のない音々、そして警戒心も露わに視線を鋭くする静音。どちらも妖精の発言の裏にある思惑を疑っているのが守羽にもわかった。
 守羽一人を先に招き入れるなど、明らかに怪しい。この世界にとって守羽達は侵略者、敵であるからして。それを単身招くこの発言も罠であると捉えて当然のことだ。
 だが。
「いや、いい。行くよ」
 二人を左右にやって前に進み出た守羽を、制止の瞳が射抜く。
「大丈夫ですよ。仮に罠だったとして、俺一人ならどうとでもなる」
 下手に全員で纏めて一網打尽にされるよりかは、単独で先行する方が逃げるにしろ戦うにしろ都合がいい。そういう意図で静音に微笑みかける。
「…本当に、大丈夫?」
「ええ。静音さんは音々から離れないでいてください。任せるぞ、音々」
「……あーもう、はいはい。もう勝手にしなさいな」
 今更引き止めても遅いと諦めたのか、音々は片手を振って了承してくれた。音々の細い指で肩を引かれ、静音も渋々といった様子で引き下がる。
「危ないと思ったらすぐ離脱してね。気を付けて」
「はい。んじゃちょっくら行ってきます。他のヤツらが来るまでここらで待っててください」
「守羽様以外の一行が揃い次第、案内の者が王城までの道程を先導しますので。それまでしばしお待ちを」
 青髪の騎士が慇懃な口調と所作で一礼し、守羽がその彼と共に大正門を潜り妖精界唯一の国の内部へ消えて行くのを、不安そうな表情の静音が最後まで見送っていた。



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 守羽が王城へ向け国内へ姿を消した十数分後のこと。

「オラァいい加減にしやがれクソが!これが賓客の扱いかッ妖精共いい性根してんじゃねえかぶっ飛ばすぞこの野郎!」

 あらん限りの罵詈雑言を吐き散らかしながら、妖精達に担がれて何層もの氷を張り巡らせた牢屋の中に同じく氷の枷で手足と胴体を拘束された悪魔がやってきた。そのやや後方では、担がれた悪魔を指差し腹を抱えて大笑いを繰り返している人間と妖精猫の姿もあった。
「ぶっ、だはははは!イモムシみてえになってんぞアル!かっはははっ!!」
「すごいすごいっ、あれ見たことあるよあたし!おみこしっていうの!いーにゃーアル楽しそう!」

 侵略者である自分達と妖精界を護らんと気を張り詰めている妖精達との一触即発の空気をあっさりと崩してくれた彼らとの合流に、思わず静音と音々も肩の力がふっと抜けるのを感じた。

     


 遠目からは見えていたが、いざ入城となると巨大な国の中心に位置する王城までは徒歩でそこそこの時間を要した。もちろん妖精である以上羽を使って飛んでいくことも出来たが、それは警戒を厳とする周囲の近衛兵達が許さないだろう。
 しかしそのおかげで、城に到達するまでの間にゆっくりと妖精界、そして同名の国であるグリトニルハイムの内部を観察することができた。
 基本は煉瓦を用いた西洋風の建築物がほぼ大半を占めている。生活水準は一定に達しており、逆にいえば一定以上を踏み越えようという意思を感じさせない空気があった。
 電気やガスといったものの使用は一切なく、そもそも電線やガス管といったものすら埋められてはいないらしい。
 長らく自然の中での暮らしを善しとして、外界との関わりを極力避け続けていた妖精界にとってはこの形が生きて行く上での最良の手段と判断したのだろう。必要以上のテクノロジーは邪魔というわけだ。
 建築もそうだが、どうも全体的にこの世界は中世ヨーロッパの風景に近しいものがある。妖精の本来の起源を考えれば、またそれも自然なことかと守羽は考えた。
 茶色と白の煉瓦建築を横目に、綺麗に敷かれた石畳を歩く先の城を見上げる。
 鋭く尖った三角屋根がいくつも連なり左右対称になるよう配置された、それそのものが芸術品のようにも見える白亜の城。
 周囲の妖精に悟られぬよう、静かに唾を飲み込む。
(虎穴に入らざれば虎子を得ず…ってヤツか。虎と言っておきながら出るのは鬼か蛇か…いや鬼はもう勘弁してほしいなぁ…)
 既に妖精王は帰還しているらしいそこ。父の捕らえられた敵地の最奥。生え揃った牙の内側へ、守羽は勇猛果敢に単身乗り込む。



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「はいっ、そこに座って座って!えっと、飲み物は紅茶でいいですか?あっでも育ってきた土地的には緑茶の方がお口に合いますか。茶葉とかは一通り揃ってるのでなんでもリクエストしてくれていいですから!」
「あぁ、はい」
「あ!だとするとお茶請けも煎餅の方がいいですね。それとも羊羹?守羽さまは甘味は大丈夫でしょうか?」
「まあ、甘いものは好きですけど…いやそうじゃなくて、お構いなく」
 玉座の大広間にて、即席で設置されたらしいテーブルと椅子に招かれた守羽は口を挟む暇すら与えられず歓待された。
 てきぱきと、熱々の緑茶を(わざわざ蓋つき湯呑茶碗に注いで漆塗りのお盆に乗せて)羊羹と共に運んできた妖精の少女に戸惑いながら、ひとまず困惑を紛らわせるように置かれた湯呑に口を付ける。
 その時、何か出し忘れに気付いたのか再び広間の奥に引っ込もうとしていた少女を、先程まで守羽を囲み警戒していた軽武装の妖精達が血の気の引いた表情で追い掛け叫ぶ。
「女王様ぁ!貴女様は席にお座りください!そのようなこと、私共が全ていたしますので!!」
「ぶっ!」
 聞き捨てならない単語を拾い、呑みかけていたお茶を溢してしまう。今あの妖精、聞き違いでなければとんでもないことを言わなかったか。
「守羽さまは私のお客さまですから。あなた達はこれから参られる賓客の方々の出迎えに向かってください。こちらは私だけで大丈夫なので!」
「で…ですがこの者は妖精界に無断で踏み入った不届き者であって…」
「い・い・か・ら!早く行ってください!」
 強い口調で近衛兵達を下がらせ、最後に少女は両開きの大扉に向けて、
「そこにいるのはわかってますから。あなたも下がりなさいレイススフォード」
「……仰せの、ままに」
 扉の裏で短い返事があり、息を潜めていたレイスが引き下がる。直接顔を合わせてはいなくとも、レイスが自分への警戒心から様子を見ていたのだろうことを察する。
「…さて。それじゃ、改めまして。ようこそ守羽さま、私は」
「待てルル」
 兵も出て行き、広い玉座の間には守羽と少女のような姿の妖精。そしてもう一人、先程からずっと口を閉じて玉座に足を組み座り込んでいた者が会話を止める。そして、
「おめーも邪魔だぞジジイ。レイスといい師と弟子が揃って部屋の外から様子を覗き見たぁな。教育が疑われるぞ」
「ほっほっ。流石に隠密のルーンを編んでも界の主オベイロンには通じぬか。下世話失礼、退散するとしよう」
 玉座の間の右壁面に取り付けられた窓の外から声だけして、老齢の妖精が翻した死装束のように真白な着物の袖だけがちらりと見えた。
 姿は見えなかったが、こちらも守羽には覚えのある声だった。氷精ファルスフィス。用向きはおそらくレイスと同じようなものだろう。
(まあ、気持ちはわからんでもないな)
 何せこの場にいるのは余所者である神門守羽と、この妖精界の頂点であり主でもある妖精王。そして。
「ではでは再び改めまして、ようこそ妖精界グリトニルハイムへ。私はルルナテューリ、この世界では妖精女王ティターニアとも呼ばれております」
(やっぱりか…!)
 妖精界の二大トップが眼前にいる。このような状況、妖精界に住まう者であれば気が気でないことくらい余所者にだって容易に判断できる。
 白を基調とした金刺繍のロングドレス。妖精女王の無垢さを現すかのような純白のスカートがふわりと揺れて、薄い色素の長髪がゆっくりと移動に合わせて引かれて行く。
 琥珀色の瞳が、いつの間にやらすぐ目の前にあった。
 接近に気付かないほど、その妖精を凝視していたらしい。守羽が何か挙動を起こすより先に、妖精女王ルルナテューリは手にしたハンカチを座る守羽の太腿に当てた。
「そのままでいいですから、動かないでくださいね」
 ぽん、ぽんとハンカチでズボンに零れたお茶を拭っていく。それも終わると、すぐさま離れると思っていたルルナテューリがこちらをじっと見つめて来た。
 その瞳に、顔に、妙な既視感。酷く懐かしい…何故か安堵を覚える表情。
 判然としないまま身動き出来ずにいる守羽へ、ルルナテューリの両手が頬へ伸びる。
「…やっぱり、良く似ていますね。顔立ちもそうですけれど、何より目元。優しい心根は、しっかり受け継がれているみたいですから」
 そっと、割れ物を扱うように小さな両手が守羽の顔をなぞっていく。指先が彼の黒い毛先に触れた時、ふと彼女の瞳が丸められる。
「そういえば、髪は黒いのですね。目も…」
「いや違うぜ。そりゃ力を抑えてる状態だからだ」
 暇そうに肘掛けに半身を預けている妖精王が言葉を挟み、煽るように薄い笑みを浮かべる。
「見せてやれよ神門守羽。本来の姿を」
「……」
 なんとなく、散々手痛い目に遭わされたあの王の言うことに従うのは癪だったが、それ以上に妖精王の発言に期待を寄せるルルナテューリの視線があまりにもそれを望んでいるようだったから。
 ただ黙って瞳を閉じ、力の拘束を解く。
 根元から髪の色が変化し、背中に熱を感じる。
 そうして開いた瞳は、眼前の女王と同じ琥珀のそれ。髪は何にも染まらない生成色。肩甲骨の辺りから伸びる半透明の薄羽は妖精種の因子を確かに示していた。
「わぁ…!」
 守羽の変化を間近に見て、妖精女王は感極まったように目をいっぱいに見開く。
 また、強い既視感。
「……あなた、は…」
 子供のようでいながら、大人であることを知っている。そんな表情を守羽は今までの人生で幾度も見て来た。誰より近くで、産まれた時から。
 理解する。この人は、あの人の肉親であることを。
「もしかして、母さんの」
「はい。あなたの母君は、私の姉さまでもあります。…本当に、よくぞここまでいらっしゃいましたね、守羽さま」
 にっこりと微笑むその顔も、またよく似ている。同様の心境を相手も感じ入っていることには気付かずに。
 守羽はただ。自らの半身が本当にこの世界の中にあったということを、静かに再認識した。

       

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Neetsha