第九話 不穏


「えー!ユイどっかいっちゃったの?」
「ああ、朝早くからな」

 王城での豪勢な朝食を満喫しながら、由音の不在に疑問を口にしたシェリアが立ち上がる。
「んもー。せっかくいっしょに遊ぼうと思ってたのに!ねーシズ姉」
「うん、そうだね」
 遊びに来たわけではないんだけども。そう言い掛けて、守羽は結局何も発することはしなかった。
 妖精界全体を震撼させるであろう、大罪人の奪還は今夜行う予定だ。
 それまでの間くらい、好きにさせてもいいだろうと思った。そもそも、それまで自由にしていいと言ったのは他ならぬ自分なのだ。
「くあぁ…飯食ったらまた眠くなってきた。オイ旦那の倅、眠気覚ましに殴り合いしようぜ」
 パンを食みながら欠伸で目尻に涙を溜めるアルの馬鹿げた誘いに辟易する。その思いは隣の音々が代弁してくれた。
「バトルジャンキーはこれだから困るのよね。二度寝したいのならそのまま永眠できるように特製の子守歌聞かせてあげましょうか?」
「こっちのセリフだクソ魔獣。これ喰い終わったら表出ろ」
(朝飯はちゃんと食べるのか…)
 出された食事を完食する妙な律義さを見せるアルへのツッコミは胸に留めるだけにしておいた。



「あら東雲さん、おはようございます。こんな朝早くからどうしました?」
 由音が起床して洗面を済ませてすぐ向かった先はといえば、妖精界で王城を除き唯一知っていた場所。
 シェリアの実家たる、シャルル大聖堂院。
 数度のノックで扉を開けたセラウは、由音の姿を認めるなり笑顔で出迎えてくれた。それと同時に、家の中でドタバタと軽い足音が右往左往する音も聞こえる。まるで招かれざる客人の突然の来訪に慌ただしく逃げ回っているかのような。
 それを耳にしながらも、由音は片手を挙げて大きく挨拶を返した。
「ちっすおはようございまっす!!遊びに来ました!」
 家中に響くほどの大声で放たれた宣言に、セラウ以外の住人達は同時に思った。
 マジかこいつ、と。



 ―――妖精界用に設定し直した腕時計の示す時刻は現在六時三十分。
 ―――作戦の決行まで、残り十三時間と半。



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 王城に常設されている医務室のベッドでは、包帯に身体の八割ほどをグルグル巻きにされた樽のような図体の男が寝そべっていた。
「おはようラバー。傷の具合はどうかな?」
 そこへ現れたのは赤いベレー帽を被った子供。いや子供のように見えるだけであって、生きた年月だけで見れば寝ているラバーと呼ばれた中年風よりも上ではある。
 『イルダーナ』として同じ組織に籍を置く同僚、ティトの見舞いにラバーはフンと鼻息一つで答える。立派な顎鬚が息に煽られてゆっくりなびいた。
「見ての通りだ、ティト殿。問題無い」
「いや見た目通り酷い具合なんですけど?」
 ティトに続いてやって来た金髪の美女の苦言に、ラバーはいよいよ顔を顰めた。
「なんじゃいお前も来たのか」
「こーんな美人さんにお見舞えてもらえて、ちょっとは鼻の下伸ばしてもいいんですのよラバー?」
 話す声だけで人を魅了するような声色をした人外、ラナは長い金色の髪を片手で払って果物の詰まった籠を傍の棚に置く。
「果実だぁ?酒持ってこんかい酒」
「消毒用のアルコールならそこの棚に入ってますのでご自由に」
「飲用じゃないからねそれ、飲んじゃ駄目だよ」
「知ってますわいそんなこと」
 ドワーフに近い性質を持つ靴造りの妖精なら消毒用でも本気で手を付けそうだからと念押ししたのだが、ラバーにとっても当たり前のことだったらしい。失言だったと反省する。
 先の妖精界侵攻に当たり、防衛に回ったラバーはアルと対峙し敗北した。その後に回収され手当てを受けたのだが、その怪我は予想以上に軽微なものだった。
 手加減をされていた。そうとしか思えないことに歯噛みする。
「あの小僧め。少し見ない内に腕を上げおったわ」
 加減した上での勝利。それは純粋に彼我の実力差を示している。
 確かにラバーは妖精種の中では非常に稀有な、戦闘に特化した者とは違う。だが場数自体は相当に踏んできた自負もあった。
 あんな歳若き妖精に遅れを取るようなことがあってはならなかったのだ。
「アルもアルで、人の世界でかなりの経験を積んできているんだ。特に『突貫同盟』とやらが成立してから先はね」
 人間界で途方に暮れている妖精種の保護と守護を目的として動いていた彼ら『イルダーナ』とは違い、『突貫同盟』はそれこそ闘う為だけに組織された集団と捉えて相違無い。その全員が並々ならぬ修羅場を踏み越えて来ている。
 その中でも一際突出していたのがアルと、そして神門旭だ。
 両名共に共通するのはこの世界を裏切ったこと。アルは生まれ育った国への謀反、旭は女王筆頭候補の拉致誘拐という形で。
 ただ、とティトは思う。
 言い換えればそれだけ。二人はそれ以外のことには関与していない、と考える。
「…やはり、例の件には関係なさそうだ」
 『イルダーナ』が人間界に降りる時、基本的に目的は人の世で行き場を失った同胞を妖精界グリトニルハイムへ迎え入れることを主目的としている。一時は神門守羽もそのつもりでレイスを遣わせた。
 だがここ最近の『イルダーナ』は違う目的の下、王命に従い人間界を探索していた。
「それは、妖精殺しの件ですの?」
 ラナはナイフで果物の皮を丁寧に剥きながら、ティトの呟きを拾う。
「うん。彼らを疑う声も強かったようだけど、僕はそうは思えない。目的を果たした彼らがこれ以上僕達妖精から敵意を集めるようなことをする、そのメリットはどこにも存在しない」
 閉鎖的な環境を維持させる妖精界では外の情勢を知る術はあまりにも少ない。その為、人界を好む極一部の妖精種と契約を交わし、定期的に外の情報を送ってもらっていた。場合によってはその者達に他の妖精達の保護を任せることもあり、この関係は『イルダーナ』にとって生命線とも呼べる貴重なものだった。
 それが、この数ヵ月において一気に消失した。
 初めは連絡の途絶。それから近傍の妖精に様子を見てもらうよう調査を依頼したところ、それも半ばで報告が中断、それ以降は一切返答が無い。
 協力関係にあった人界の妖精達は、そのほぼ全てが連絡不能。最期に報告をしてくれた妖精の情報により、彼らが皆一様にして何者かに殺害されたものだと判明した。
 早期の内に事を重く見ていた妖精王の手はしかし回らず、結果として外部からの情報支援能力を失った妖精界は『イルダーナ』を調査に出すという苦肉の策を選ばざるを得なくなった。
 妖精王と妖精女王の許可により、グリトニルハイムの一部を切り取った隠匿結界による隠れ家のおかげか、『イルダーナ』の面々は他の妖精達のように襲撃されることなく任務を進めることが出来た。
 だが、結局のところ妖精殺しの犯人は見つけること叶わず、その途中で発見した『鬼殺し』・神門守羽の存在から神門旭の存命を確認。急遽任務変更によりこれの捕縛という形で流れてしまう。
 『突貫同盟』は既にその役目を終えていた。眩ました行方をわざわざ誇示するような暴挙に出るとは思えない。神門旭も所在がバレたことは想定の範囲外だったような反応を示していたし、これはほぼ確定だろう。
 ピンポイントに行われた情報の隔絶。これにより発生する相手側の利益。その先にある最終目的は。
「……不味いな。
 進路転換した神門家へのことで手一杯だったが、もしかしたらこちらの方が、急を要するべき案件だったのかもしれない。

「―――これは、なんというか」
 朝食を終え、悪魔と魔獣が始めた大喧嘩の観戦もそこそこに、静音はシェリアと共に大聖堂院へと赴いた。
 そこに向かったであろう由音の様子を窺う為だったが、予想に違わず件の少年は確かにいた。
 だがしかし、静音の予期していたものとは大きく異なる光景がそこにはあって。

「おっ!静音センパイとシェリア!なんだ来たんすか!」
「なーなーユインー!早くっ、早く次おれー!」
「だめだよボクだって!ねぇにーちゃんじゅんばんだって言ったよね!?」
「ずるいよぉ。あたしたちだって、ユインのお兄ちゃんとあそんでもらうんだもん!」

 大聖堂院の子供達と和気藹々に遊ぶ、引っ張りだこになっている由音の姿があった。
「うん……流石、だよね。君は」
 前に守羽と二人きりで下校していた時、不意に由音の話題に触れた。
 その際、守羽の主観で由音を一言で表した言葉がこうだ。
 『化物並みの再生能力、人種と種族を超えた怪物コミュ力の持ち主』。
 今、静音はその意味を真に理解した。



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「うふふ、ごめんなさいね東雲さん。うちの子たち、皆人見知りなもので」
 快く中へ通してくれたセラウに礼を言いつつ、階上を見上げる。
 実際、人見知りかどうかはほとんど関係ないだろう。
 人界からの来訪者。それは妖精達の誰しもに望まれない侵略者と同義。幼い子供からしてみればいきなり宇宙人が襲って来たに等しい恐怖と不安なのは間違いない。
 由音はその認識を払拭したかった。シェリアの身内に怖がられたままなのは嫌だった。
 だから昨日の今日でやってきた。仲良く、とまでは欲張らない。だけどせめて、自分達を、人間を恐れるべき相手ではないと分かってもらいたかったから。
 それはシェリアの意思でもあったから。
(…さて!どうすっかなぁ)
 強引に捕まえるのは、もちろんよくない。ただ時折、上の階から吹き抜け越しにこちらの様子を窺おうとする気配もするし、さっきだってドアの隙間からくりっとした丸い瞳が対で三つほど覗いているのが見えてしまった。
 単純な恐怖だけが子らの心を占めているわけではなさそうだ。子供ならではの好奇心、興味がその正体か。
(うーん、守羽にはよく『お前の精神年齢は小学生並みだ』とか言われるけど!どうやったら子供と打ち解けられるのかはわからん!)
 相変わらずノープランで行動だけが先行してしまう由音だったが、そこでふと応接間の端に置いてあった木箱に目が向いた。
 なんだか、人界にあって妖精界には無いものがあるのが気に掛かったのだ。
「えっなにこれ」
 ソファーから立ち上がってその木箱の中身に触れてみる。手の内に納まる程度の布袋が数個、握ってみればジャリジャリと心地良い手触りが内側から擦れる。
 おそらく中身は小豆か米。色とりどりの布を継ぎ合わせたカラフルな袋は由音にとって非常に馴染み深いものだ。
「お手玉じゃん。懐かしっ」
 さらに奥を探ってみれば、出て来るのはけん玉、おはじき、この編み込まれた毛糸の束はひょっとするとあやとりに使うものだろうか。
「…おもちゃ箱かこれ!」
 玩具で溢れ返る木箱のなんたるかをようやく察し、由音は一人で納得していると、
「おもちゃ?なのですか?これは」
 その様子を見ていたセラウがお手玉の一つを手に取って不思議そうに眺める。
「これらはシェリアが人の世界から帰って来る度にお土産として持って来てくれたものなんです。でもあの子ったら、使い方もよくわからないままに置いていくものですから」
 本来であれば、これらのものは妖精界へは持ち込み厳禁である。閉鎖的環境を堅持する為には、外界へ興味を向けるような物があってはならなかった。
 それを黙認していたのは、人界での保護者を務めていた男。すなわちレイスの甘さである。
 セラウが茶を淹れに一旦部屋を出ている間、手持無沙汰な由音はそのおもちゃ箱の中身を取り出した。
「うわーマジで懐かしい。よくやってたわ」
 在りし日。かつて〝再生〟と〝憑依〟を扱い切れず日々を恐怖に支配されていた頃。より正しくは神門守羽と邂逅する以前。
 東雲由音は家に閉じ篭っていた。不用意に外へ出ようものなら、またそこで自らの異能が暴走でもしたら。
 自分は化物と認められる。人という輪から外される。
 それが怖くて恐くて、由音は家という結界に我が身を閉じた。
 独りぼっちの間、由音はとにかく一人遊びに耽った。亡き祖父母がよく見せてくれた玩具の遊びをひたすらに真似て。
(……黒歴史だな!!)
 そんな過去の記憶を首を振るって奥底に追いやる。もはやどうでもいいことだ。こうして今を手に出来た、この自分にとっては。
 とは言えど、身に沁み付いた業は幾年経ても忘れることはなくて。
「はっはぁ!おらおら七つ目ぇー!!」
 お手玉をぽんぽんと両の手で空中に放り投げジャグリングを続けて行く内、その数はかつての最大記録五つを超える七つを可能としていた。何故か昔より出来る数が増えている。
(おいおい素でコレかよ!?いいの?いいのこれ俺使っちゃうよ〝憑依〟?)
 調子づいてきた由音がそのまま異能の力に頼って百個ジャグリング(ちなみにそんな数のお手玉は無い)に挑戦しようと考え始めていた、瞬間のこと。
「……んっ?」
「―――…、はわ」
 少しだけ開いたドアの隙間から、翡翠色の髪の毛と瞳。由音が顔を向けたことで、小さな人影は怯えるように身を引っ込める。
(大聖堂院の子供…っおわぁ!)
 余所見をしていたせいで手元が狂い、七つのお手玉が床へ散らばる。
「ぬう、俺もまだまだ修行が足らんな……。ちら」
「っ」
 視線を流して見れば、数は増えて二人、隠れているつもりらしいが、ドアに嵌め込まれた擦りガラス越しにも幼き妖精の姿は浮かび上がっている。
 瞳に宿るのはやはり興味。
「……さーて、お次はけん玉でもしようかなぁー」
 おもむろに箱から木製の玩具を引っ張り出して、紐で繋がれた玉を揺れないようにそっと垂らす。
「ほっ」
 カコン。
「「……っ」」
「いよっし、らくしょ」
 浮かせた玉が重力に従って落ちる勢いごと、握った十字状の剣の両側面にある窪みの片側へ乗っける。
「よしよし鈍ってねえぞぉ…よ、っは、とぉっ!はい日本一周!」
「「「ぉお…!」」」
 小さく歓声が聞こえるのに機嫌を良くし、さらに難度を上げていく。
「ヨーロッパ一周!そしてこれが世界一周!!」
「「「「わわぁ、しゅごい」」」」
「宇宙一周―――からのぉ!はあぁ絶技・銀河一周!!!」
 踊るように紐で繋がれた玉が動き回るのを目で追って、追うのに夢中で妖精の子供達は自分がすっかりドアを開け放って間近で由音のけん玉技を眺めていることにすら気付いていない。
「ふふん、どうよ。中々苦労したんだぜこれ物にするの」
 由音も由音で自然な流れで妖精の子供達に玉を刺した剣を差し出す。既に互いは手の届く距離まで間を詰めていた。
「教えてやろっか。出来るようになるとすげー面白いから!やろうぜっ」
「……で」
「ん?」
 けん玉を受け取った少年が、黄金色の目で由音を見上げる。そこにはさっきまでとは違う不安と、期待があった。
「できるの…?さっきの」
「ああ」
 ふっと笑って、少年の頭に手を置く。
「出来る。ってか出来るまで見ててやるよ。一緒に」
「っ、うん!おしえて、ニンゲンのにーちゃん!」



「はーいお茶とお菓子ですよー。お待たせしてしまって申し訳……あら?」

「なぁなぁ!さっきのジャラジャラいう布の袋をぽいぽいってやるやつー!やって!もっかいやってー!」
「後でな!あんなん慣れれば誰でもできっから!」
「うぇええん!とって!ゆーいーん!」
「お前どうやったらあやとりのヒモでそうなるわけ?ちょっ、取ってやるから動くなって!」
「…うおーやった!みてユイン、のったよ!」
「はえぇないいぞ!センスあるわお前!」



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 以上が、静音とシェリアが到着するまでに起きたことの全容である。

「あー、にんげんさんだ。それも女のひと!」
「ほんとだ。ね、ゆいんにぃちゃんのおともだち?」
「シェリアねーちゃんも!おかえりー!」
 子供特有の純粋な思考というものか、一度打ち解けた由音伝いに『人間は怖くないもの』と共有された認識が一気に静音へと押し寄せる。主に、同性の子妖精達に。
「ふぇー。やっぱしすごいにゃーユイは」
 そんな事態にシェリアはころころと笑い、子供達に囲まれている由音のところへと小走りに駆け寄る。
「シズ姉はその子たちと遊んであげてー!」
「えっと、それは、いいけど」
 自分は由音のようなアグレッシブさは発揮できない。どう構ってあげたらいいものか。
 そう思い悩みそうになった静音へと、妖精の女児が一冊の本を差し出した。
「絵本!よーんでっ」
「…あ、うん。私で良ければ」
 それくらいならば、自分でも出来そうだ。一安心して、静音も数人の子と共に絵本片手に大聖堂院の扉を潜るのだった。

 ―――現在時刻八時過ぎ。
 ―――妖精界全土を敵に回す一大作戦の決行まで、残り約十二時間。


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「……こうして、妖精の少女と魔物の王は共に手を取り合って末永く幸せに暮らしました、とさ」
「めでたし?」
「うん、めでたしめでたしだね」
 シャルル大聖堂院の庭園に据えられたベンチに腰掛け、両隣にぴったりと座った子妖精の問い掛けに頷き、膝に置いた絵本をぱたんと閉じる。
 この国ならではの独自の創作語りだったが、中々興味深かった。
 妖精界で生まれ育った純粋無垢な妖精が、外の世界で出会った魔物の王と恋仲となり駆け落ちするという、子供に読み聞かせるにはやや過激に思えなくも無い内容。どうやら絵本だけでなく、この国に古くから伝わる伝承を元にしたものらしいが、その真偽は甚だ怪しいものである。
 そう。過激といえば、この子達の遊び方もだ。
「シェリアねーちゃんあれやってー!」
「よーし、てゃー!!」
 ねだる子供の脇に手を差し込んで、シェリアが思い切り真上へ持ち上げる。それは華奢なシェリアの腕力では到底叶わないはずの行為だったはずだが、どうやら風精の加護とやらが助力しているらしい。
 ぶわりと風に煽られて、高い高いをされた子供が数十メートル上空まで吹き上がる。
 最初こそ、その光景を前にして慌てふためいた静音だったが、シェリアに宿る加護は的確に落下する子供を受け止め地表近くでゆっくりとその身を降ろしてくれた。
 きゃっきゃと喜ぶ子供の様子を見る限り、ずっと前からこうしてシェリアは孤児の弟妹達にこうして遊んであげていたのだろう。
「ねっねっ!おねぇちゃん、あたしにも!あれっ」
 シェリアが静音を姉と呼んでいたからか、他の子妖精達も静音や由音を姉兄と呼び慕うようになっていた。
 しかしあれを、と言われても参る。
「私はあんな風にはできないけど、これくらいなら」
 静音の細腕でも、子を背の高さまで持ち上げるくらいならば出来る。それでこの子らが満足するかは分からないけれど。
 同じように子供の脇に手を差し入れて、持ち上げる。その間際に思ったこと。
(私も、せめてもう少し実用的な異能だったら。あんな、風に)
 静音にしては珍しい無い物ねだり。自らの異能を意識しながら、そんなことを胸中に抱く。
 気付くと手元から子供の姿が消えていた。
「……え。っ!?」
 疑問はすぐさま焦りへ。
 消えた、のではない。
 のだと、何故だか直感で理解した。
 瞬間で見上げた晴天の空。今さっきまで眼前にいた妖精の子が宙に放り投げられている。
「わぁー!」
「…!」
 無垢にはしゃぐ子供は落下の恐怖を知らない。焦燥に駆られているのは静音だけだ。
 シェリアを呼ぶ間は無い。自力で受け止めるしかない。
 理由に思考を割く暇は無い。ともかく仕出かしたことに対しての責は負う。手足折れてもあの子を無傷で助ける。
 覚悟を決めた静音の決意は、しかし杞憂に終わる。
 落下間際になって、子を守るように集った風のクッションが的確に勢いを殺し尽くして妖精の子を地面に降り立たせた。
「わはーっすごい!」
「シェリアねーちゃんとおんなじことできるんだ!」
「すごいすごーい!次わたしねー!」
 シェリアはそれを見ていなかった。見ていたのは周囲に取り巻く妖精の女の子だけ。その子達も、人間が妖精と同じことをしたというあまりもの違和感に気付くことなく無邪気に手を鳴らして喜ぶだけ。知らないのだろう、ただの人間には不可能な業であったことを。
 だから唯一、行使した本人だけがじわりと滲んだ汗を拭って困惑に戸惑う。
 自覚はある。確かにあの瞬間、あれを行ったのは自分だ。
 ただおかしい。異能力者は自身の異能を展開した際にその感覚を得る。
 静音が行ったのは、自身が使える〝復元〟だ。
 出来もしない風の属性行使などを、使用した覚えはない。
 あくまで使ったのは〝復元〟だけ。
(―――いや。……ま、さか)
 それはあるべきものを元の姿に戻す力。
 そう思ってこれまで生きていた。それしかないと思い込んで使い続けていた。
 これは、そういうものだと考えていた。
 ならば。
 何を。
 久遠静音は、何を、異能の対象にした?

(……現象を。起きた現象を、認識した力を……っ?)

 人に宿る異能は年月を経て成長する。進化する。
 〝復元〟の真価が、その片鱗を見せ始めていた。



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「妖精王よ。無断での謁見、我が不敬をどうか許されよ」
「あ?別に構いやしねーよ。なんだティトティラス」
 王の間にて。
 突然に扉を押し開いて現れた少年の姿に、イクスエキナは横目一つで応じた。
 小さなテーブルを挟んで向かい側に座る守羽は、卓上に置かれた盤面を凝視したままの状態で『イルダーナ』の組織員である妖精を相手に、そうと察せられぬよう気を払いつつも警戒した。
 一見してただチェスに興じているだけの二人だが、その実は違う。
 世間話に紛れてイクスエキナは王城の内部詳細を明かしていた。それは今夜にでも行われるであろう守羽達『アーバレスター』による大罪人奪還作戦の助けになる為の情報開示。チェス自体はそれを隠すための手遊びの一つに過ぎない。
 とはいえ守羽としてはそこそこ本気で掛かり、そして劣勢に追いやられていたのも事実だが。
 外部への無許可出入を許された『イルダーナ』ナンバー2の存在は確かにそれなりの権威を有してはいるが、それでも何の許しも無くいきなり世界の主へ直接的に対峙することの意味は大きい。
 おそらく守衛の目をも盗んだ独断行動。そしてそれに伴うだけの大事。
 瞬時に状況を見定めたイクスエキナは無意味な問答を嫌い、全てを省いた上でただ一言。
「妖精殺しの件か」
「ご明察にございます」
 本当であれば先にファルスフィスを通した上で伝えるべきだった用件。しかし当の氷老精の姿はどこを探しても見当たらなかった。ティト自身、苦渋の決断であった。
「何があった。ああいや確信も確証もいらん、ありうる可能性を全て話せ」
「は、では。……」
「こっちの小僧は気にすんな」
 椅子ごと向き合った妖精王の言葉に頷き、守羽の耳にも入ることをやや渋ったティトも従って、いざベレー帽を脱ぎ去り意見を口にする。
「『イルダーナ』として収集した情報は以前お伝えした通り。そしてそこから察するに妖精殺しの目的は情報経路の寸断。妖精界と、人界との」
「だろうよ。狙いはこの土地、ここの生命。精霊妖精の類を食い物にする魔獣の類じゃねーかって結論には、行き着いてたよな」
 だがその程度の低俗な連中では妖精界には入り込めない。いやどれだけの力を持った人外とて、妖精とそれに連なる者でなければ妖精界はその門戸を開かない。
 これは妖精王と妖精女王、そして世界全域で暮らす全ての生命の協力と拒魔晶石の存在があって確立されたもの。抉じ開けることは不可能とまでは言わないが、行うのであれば相応の格が必要となる。
「魔獣風情の浅知恵で突破されるほど軟な造りでないことは私も承知の上。…そもそもが、喰らい殺すことしか知らぬ畜生に、妖精界と繋がりを持つ人界の妖精を的確に探り当てる技術も方法も無いはず」
「となりゃあ、相手は最低でも魔獣以上。それも、堂々とここに出入りできねぇ『魔族』の側」
 だとしても問題は無かった。来るにしろ、入れないにしろ、接近と接触にはそれぞれに警報を鳴らす術式が備え付けてあった。人界から妖精界へ出入りする為の門は数ヵ所点在しているが、そのどれにも同様のものが付与してある。
 例外といえば、事前にその情報を得ていた元妖精界の住人アルによる破壊工作が施された門くらいのもの。それも補修は済んでいた。
 なら残る懸念事項は。
「…そうか」
 
 イクスエキナは静かに顎を擦る。
 かつて、この国に無断で踏み入った退魔師の人間は最初手酷い返り討ちを受けた。男は妖精界の磐石堅固な砦の如き機構を理解していなかった。いや理解した上で冷静になりきれず結果として敗北した。妖精女王筆頭候補の拉致という大罪は、その愚行を省みた上で行われた二度目の侵攻で引き起こされた。
 この一件はそれとは違う。初手からスムーズに妖精界を敵に回す為の丁寧な『詰め』が打たれていた。
 知っている。
「……おい妖精王。まさか」
 ついに沈黙を維持出来なくなった守羽が口を挟む。イクスエキナもそれに軽く頷きを返し、神妙な面持ちで吐き捨てる。
「バレてやがるな。クソが、密偵スパイでも紛れ込んでいやがるか」
 答えは簡単にして明瞭。ただ、妖精界という特殊な世界構造がその予想に及ばせなかった。
 誰が。
 一体誰が、この閉鎖的な平穏を望み続ける世界に混沌を呼び起こそうなどと考えるか。それも、内部の者に限って。
「ティト、今すぐにグリトニルハイムに繋がる全ての門を閉じろ。『イルダーナ』と今動ける近衛兵団を全員呼び戻せ。俺はこれからルルと妖精界の結界強度を上げる」
「承知しました」
 ベレー帽を胸元に抱え、片膝立ちで深く頭を垂れたティトはすぐさま立ち上がり踵を返す。
「神門守羽。悪いがお前らに構っていられるような状況じゃなくなりそうだ。それでもやるってんならもう今すぐにでも」
「固めろ」
 自国に迫る不可視の危機を肌身に感じながらもなけなしの温情を与えようとした妖精王の言葉を遮り、同じように椅子から立ち上がった守羽が短く告げる。
「―――あ?」
「即座に守りを固めろ。出せる戦力を総動員で配置に着かせろ」
 じわりと滲んだ汗が額から滑り落ち、真下のチェス盤に跳ねる。
 誰よりも何よりも真っ先に気付いたのはほぼ同時に二人。
 共に退魔師として継いだ第六感が急速に全身を強張らせた。

 叫ぶ。




「……ゃ、く。はや―――く……!」

「…おい。なんかあの大罪人、さっきからしきりに何か口にしてないか?」
「ああ…でもここからじゃなあ。掠れて何言ってるか分かったもんじゃない」

「―――…………ごほっ!ぁ、かっ……………く、る…ぞ」




 叫ぶ。
 満足に喉も震わせられない父親の分まで、神門守羽が脅威を叫ぶ。

「早くしろ!!来るぞッ!!!」



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 ―――時刻は十時を回る。

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 二人の退魔師に続いて、妖精界全土の感知を可能とする八名の賢者が異常を掴む。それは瞬く間に王城の重鎮達へと精霊を介した念話によって届けられた。
 次に気付いたのは、意外にも異邦の住人。
「……」
 それは自身の扱う邪悪なる力の本質がざわついたからか。
 東雲由音はたった今まで子供達と楽しんでいた感情を一呼吸で押し殺し、無言で空を見上げる。
 気象操作で常に都合の良い青天を維持されていたグリトニルハイムは、瘴気に似た青紫色の天空に支配されていた。



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 ―――世界を相手取った身内の奪還作戦。そこに住まう無辜の民草に迷惑を掛けてでも必ず成し遂げると決めた飛矢の一団。

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「ほほォ、なるほど。コイツはまた」
 黒翼をはためかせて構えていた暇潰しの魔獣女から視線を離し、妖魔はニィと口元に笑みを作る。
「随分と懐かしい気配じゃねぇの。愉しくなりそうだぜ、音々」



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 ―――作戦の決行まで残り十時間を切った。
 ―――……その、はずだった。

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sage