Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      


「おつかれさまです」
 俺は、先程と同じ、他愛のない、挨拶を佐藤へ送った。
 佐藤は、愛想よく微笑み軽く会釈をする。
 正直、社内で佐藤と顔を合わせるのは、好ましい事ではなかった。
 なぜなら、彼に俺の顔を認識されることは、今後の行動に制限が生じる可能性が大きい為である。
 しかし、こうなってしまった以上、せめて事態を荒立てる事の無いよう、なるべく自然に振る舞うしかない。
 そう。ただ自然にすれ違うだけでいいのだ。
 佐藤を横切る寸前に、彼は俺の視線に目を合わせた。
「遅くまで、大変だね」
 声をかけられた。
 どうする、黙って立ち去るべきだろうか。
「ええ。そちらこそ、遅くまで」
 しかし、顔を見られた以上は、変に目立つ行動は止めておくべきだと判断する。
「私は一応、管理職だからね、多少は仕方ないよ。君は、どこの部署かな?」
「僕は、営業部です」
 一人称を変えて嘘の情報を伝える。
「そうか。営業の事をとやかく言う奴もいるかもしれないが、営業があってこそ、経営は成り立っているんだ。これからもよろしく頼むよ」
「はあ」
 妙な気分だ。友人の仇だと疑っている相手に、労いの言葉を掛けられたためか。
 それとも、包容力があるとでもいうのか、彼が何とも安心感の与えられる声で話す事に違和感を受けるのだろうか。
 なんとなく、殺人犯としてのイメージにそぐわないのだ。
 以前、東京で佐藤に会った時は、名刺交換程度で、彼の言葉を聞く機会がほとんどなく、一方的に先入観を作っていたから、尚更、ギャップが大きい。
 しかし、それがどうした。もう後に引くことは出来ないだろう。
 真偽を明らかにしない限り、俺が嵌った泥沼からは抜けられないのだ。
「ところで、玄関に書類でも置きにきたのかい?」佐藤が尋ねる。
「いえ。受付に鍵を返しにきたんです」
「そうか、休憩室に行ってきたのか」
「休憩室ではなくて、倉庫に行ってきました。少し、書類を整理しに」
 ここは下手に偽らない方が良いだろう。
 すると、佐藤は「そうか」と言って腕組みをする。
「和光商事の社員は大半が、『玄関』を『受付』、『倉庫』を『休憩室』と呼ぶ。倉庫に関しては、休憩室を改装して倉庫に変えたからだ。まあ、そのように呼ばなくとも、その通称位は社員なら誰もが認識している」
 急に、話の方向性が、場の空気が変わった。俺は嫌な気配に、スッと寒気を感じる。
「見ない顔だと思ったが。君は、この会社の人間じゃない様だね」
 佐藤は、突然、俺を睨み付けた。
 何故、こんな事になった?挨拶などせずに黙って立ち去るべきだったか?
 いや、この様子だと、結局、追及されただろう。

       

表紙
Tweet

Neetsha