Neetel Inside 文芸新都
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草野

 受付の事務員に案内され、廊下を進む。
 診察室へ入ると、先生はこちらをみずに「座って」と言う。
 後、キャスター付きの椅子ごと振り返る。
「今日は、どうしたんだい?」
 そういえば、昔から不思議だった。患者の相談や悩みを受けるのは、また別の職業なのではないか。
 まあ、熱心な医者なんだろうと思っていたのだが。
「そうですね。いつもと同じ、相談みたいなものなんですけど」
「うん」
「田原を殺した犯人は、先生ではないですか?」
 先生は片眉を吊り上げる。
「ふざけたことをいうね」
 そう嘲ながらも、何かを窺っているのか口元に手を当て、こちらをじっと見つめている。
「何もふざけてはいませんよ」
「それでは話にならないじゃないか」
「話を聞いてもらえませんか?患者のおかしな言動を正す治療行為だと思って」
「患者がそんな事を言うもんじゃないよ。だけど、そこまで言うのを、拒否するのも悪いよね。少しだけ聞いてみるよ」
 そうだ。そっちの方が先生にも都合がいいだろう。
「奥の部屋、大きな出窓がありましたね」
 俺は先生の背後の扉を指差す。
「事件の日、その出窓から出入りをして、アリバイ工作を図ったのではないですか?病院に居る事を証明するために」
「何を言うかと思えば。そんなの何の証拠にもならない。それに、そんな事は10年前、既に警察へ指摘されたさ。結局、他の証拠はなく、私も捜査から外されたんだ。分かったら、刑事や探偵の真似事は辞めた方が良い」
「勿論、これだけじゃありませんよ。次に、見てほしい物があります」
 そう言って、俺は鞄からビニール袋を取り出す。
「これ、何だか分かりますよね」
 俺は袋の中の、筒。田原が愛用していた色鉛筆入れをみせつける。
 そして、先生の表情は明らかに変わった。
「田原はいつも、七色の色鉛筆をこれに入れて持ち歩いていました。虹の七色です。彼はこの七色を満遍なく使って絵を描いていました。しかし、この筒の中には、緑の色鉛筆が足りないんです。その代わりに、黒の色鉛筆が入っていました。聞いた話では、田原が死んだ日、最後に自宅で描かれていた絵は赤と黒の色鉛筆が使われていたそうです」
「それで?」
 先生は言葉数が減り、目に見えて余裕がなくなっているように感じる。
「この中に入っている色鉛筆、特に黒色の色鉛筆に先生の指紋が着いていた場合、先生が犯人である証拠に十分なりえると思うんですよ。そして、黒色の鉛筆に田原の指紋が付いていなければ尚更」
「だとしても、田原君が描いた絵に使われたという証拠はないじゃないか」
「紙に着いた、鉛筆の成分を調べれば、どの鉛筆が使われたかまで分かるそうです。幸い、田原が描いた絵を全て預かっている人が居るんですよ。事件現場に残された絵まで、保管されてます」
 絵の所在は先日、椎名が確認したから間違いない。
「そうか。私が犯人だと信じてやまないんだね」
「俺の推理を言います。先生は何らかの用件で田原の家を訪問しました。しかし、当初は田原を殺すつもりはなく、成行きで田原を刺した。田原の身体には防御創がほとんどなかったみたいで、それは相手が親しい先生だから油断していたんでしょう。そして、成行きで刺した為に、一から証拠隠滅をしなければならない。自殺に見せかける為に凄惨な絵を描く。その後、先生は指紋を拭いていたんでしょう。例えば包丁だったり。勿論、訪問診療を定期的に行っていたので、必要な所のみだと思いますが。しかし、その途中。想定外の出来事があった」
「草野君が現れたって事かい?」
「そうです。しかし、現場を見た俺は、混乱し意識混濁を起こして、細かい経緯や理由は未だに自分でも分かりませんが、机の周辺にあった色鉛筆を持って帰ったんでしょう。色鉛筆を仕舞っていないとすれば、指紋を拭く前のはずです。そしてその後、先生と遭遇して何らかのやり取りがあったのかもしれませんが、それも分かりません。つまり、証拠は色鉛筆に残されている筈の指紋と絵です。いかがですか?」
「そうだな」
 そう言って先生は顎をさする。
「ほとんどが仮定で話を進めているじゃないか」
「仰る通り、仮定だけです。証拠自体も不完全な物です。だけど、比較的可能性の高い仮定だけで話を組み立てたつもりです」
「分かった」
 先生は再び思案する様子を見せる。
「こっちへ来てくれないか」
 前回の来院時に覗いた奥の部屋へ案内される。
 先生は部屋の片隅にある机の引き出しを漁り始める。
 もしや凶器でも取り出して襲われるのではないかと身構えていたが、出てきたのは一本の細い棒であった。
「そこに足りない、緑の色鉛筆だ」
 自白。そう受け取っていいのだろうか。
「普通なら、さっさと処分するだろうが、この日が来たときの為に取っておいたんだ」
「言っている意味が分かりません。それより、どうして、田原を殺したんですか?」
 先生は出窓の外を眺める。
「ある日、田原君に俺は本当に病気なのかと遠回しに尋ねられたんだ。それから数日して、訪問診療に出た日、改めて詰め寄られたんだよ。本当は病気なんて嘘なんじゃないかってね」
「病気が嘘?」
「どこで聞いたのか、自分の病気の診断について疑っていた。否、薄々勘付いていたのかもしれない。事実、彼の躁鬱病は誤診だったんだ。私もその事実にはすぐ気づいたが、薬の処方で田原君の状態を調整して誤魔化していたんだ」
 薬で精神状態が調整できるというのか?確かに、認知症高齢者の処方箋次第で、精神症状を改善させる話はよく耳にするが。
「どうして、誤診を認めなかったんですか」
「私は、ここの仕事以外にも大学の講師や、研究発表もしている。そんな立場に居たからさ。それに精神科というのはね、保健所の監視も特に厳しいんだ。どんな小さなミスも許されないんだ。だから、先に気がついた田原君の父親を殺し、後から気づいた田原君も殺すことになった」
 正直、少しも理解できないし、納得することはできない。
「だけど、もうここまでにしようと思う」
「一つ疑問なんですが。さっき言った通り、俺の話は殆ど憶測で出来た仮定でした。なのに何故、そこまで誤魔化しもせずに答えるんですか?」
「夢を見るんだ。毎日のように同じ夢を。田原君を殺した日に描いた、あの凄惨な絵を何度も何度も描いている自分を、繰り返し夢に見るんだ。田原君からの報復かもしれないな。だから、もう誤魔化すのは辞めようと思ったんだ。もし誰かに真実を少しでも暴かれたら、認めてしまおうと思っていた」
「そうですか」
「私が言うのもおかしいが、否、私はとっくにおかしくなっているから聞くが。草野君は私の話を聞いて激昂すると思っていたのだが、何故そう落ち着いているんだ?」
「それが、分からなくなってしまったんです。最初は田原の仇討ちとか、弔いの為だったんですが、少しずつぼやけてしまって」
「結局、記憶が欠けているせいかもしれないな。記憶が戻れば、多少は解決するかもしれない」
 それは、そうかもしれない。
 俺はこれまで、記憶を失くしているせいで、自分を疑い、その他の事柄も信じることが出来なくなり、判断力が低下していた。
 記憶が戻れば、視界も広がるかもしれない。
 何故、俺はずっと、犯人探しをしてきたのか。その答えも分かるかもしれない。
「まあ、ヤブ医者の助言だ。信じなくてもいい。あと、これは荒療治かもしれないがね」
 そう言って先生は机の筆立てからカッターナイフを手に取る。10cm程、刃を伸ばし手を振りかざすと、勢いよく自らの腹へ突き刺した。
 俺は何をするでもなく、その様子をじっと眺めていた。
 先生はよろけながら椅子に腰かける。白衣はゆっくりと赤く染まっていく。

 久しく見る、現実味の無い光景だった。そうだ、懐かしく感じるのだ。この光景は。

 そうか。

 

       

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