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砂利道を進むとすぐに緑の庭が広がっていた。殺風景だったコンクリの景色とギャップが大きく、異界から空間を切り取り持ってきたかのような違和感だ。
庭の中央にある池を眺める。大濠公園の巨大池も感動したが、こんな自宅の敷地内で見る池は、また違った感動をする。
池の先に、大きな出窓があり、そこへ歩み寄る。
部屋の中は日当たりが悪い為に薄暗い。机と家具、そして、床には何かが落ちている。
改めて目を凝らす。
違う。
落ちている、のではなく。倒れているのだと分かった。
出窓に触れ、鍵が開いているのを確認し、危険を承知で上がり込んだ。そして赤い絨毯を踏み、田原の元へ進む。
腹部に沈み、刃先の見えない包丁。それを抱える様に屈曲する身体。
顔を覗くと、虚ろな目をして、少しむくんだ顔貌をしていた。
ああ、死んでいる。
しかし、不思議な感覚だ。
いまいち現実味がなく、落ち着いていられるのは持病のおかげだろうか。いや、こんな場面、誰しも非現実的である。
異常事態に遭遇して、過剰に取り乱すのは、ドラマの世界だけなのだろうか。
分からない。分かるはずもない。
恐怖の感情も、悲哀の感情も浮かんでこない。
ただ平静でもないというのは確かで、思考がまとまらない。というよりうまく思考が働かなくなっており、妙にぼんやりとしてしまう。
ふと部屋の中央にある机に、視線を移すと散乱した色鉛筆と一枚の絵が置かれていた。
地獄の業火でも描いたかのような、不気味な絵だ。田原らしくもない。
いや、おかしいな。田原が使う色ではない。では、何故なんだろうか。
俺が今取るべき行動は、何だろう。
さっさと逃げる事だろうか。いつもなら、田原が先導役だったのにな。
再び田原に目を向けると、小さくなった彼の背中があった。
昨日の俺は、椎名と並んで歩く彼の背中を見て何を思ったんだったか。あの時は分からなかったのに、今では、分かる。
普段、頭の中を充満している余計な思考がなくなって、本当の事が見える様になったのだろう。
俺は、田原に嫉妬していたんだ。
女の取り合いという青春らしいこともさせずに、死にやがって。
明らかに場違いな事を考えていると、初めて悲しい気持ちになり、目頭が熱くなった。
「草野君?」
突然、名前を呼ばれた。何故、名前を呼ばれるのだ?
声の方へ目を向けると、清潔感のあるシャツを着た男性が立っていた。
「先生」
「どうしたものかな」
先生はタオルを握ったままの手で、白髪交じりの頭を掻きむしる。
そうか。この絵は先生が描いたのか。そして、田原を刺殺したのも、勿論。
この短時間で、二度目の衝撃だった。
脳へのストレスが許容量を超えたのか、急に眩暈がする。
先生は、何をしているのだ。手に持ったタオルで、証拠隠滅でも図っているのか。
俺は咄嗟に後ろ手で色鉛筆を回収すると、直ぐに外へ向かう。足元がおぼつかなくなったことに気づき、家具を伝いながら外へ出る。
先生は追ってきているだろうか。それとも、作業を続けているだろうか。
敷地を出て、角を曲がった途端に膝が崩れた。
息が切れ、視界が霞む。まるで酸欠に陥ったような気分だ。
「草野君」
再び、先生に呼びかけられた。追いかけてきたのか。それとも、作業が済んでここまできたのか。
しかし。先生と椎名は鉢合わせなかっただろうか。
椎名の安否が気掛かりだった。