Neetel Inside 文芸新都
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1947年2月
南極

空は、果てしなく澄んでおり、かつ青い。
天頂では宇宙まで繋がっているのではと思わせるほどに、凄みのある輝きを放っている。
彼の生まれ故郷であれば真冬であってもここまで凍てついていないが、けれど今は真夏であった。
夜は忘れ去られ、悽愴なまでに青い空がずっと世界に君臨し続ける。
指令官である彼が自ら極地に向かうことに対して難色を示すものもいたが、18年前にこの空を飛び征服した英雄である彼を留めることができるものは、結局いなかった。
ブリーフィングを終え、氷のように凍てついた飛行甲板を歩みR4Dのタラップへと向かう。
C47を寒冷地用に改造した双発の軍用機は、鈍重な姿を寒風に晒しフライトを待っていた。
タラップを上がり洞窟のような機内を通りすぎて、機首にある操縦席へと向かう。
コ・パイロットシートで既に待機している少佐に笑みを投げ掛けると、自分も操縦席につく。
二機のレシプロエンジンは起動済みであり、排気の熱が機体に行き渡っている。
夏とはいえエンジンの排熱による暖房がなければ機体が凍りつき、コントロールを失うことになる。
隣に座る若い少佐は、空を見上げ笑みを浮かべた。
「飛ぶにはうってつけのいい天気です、バード司令」
彼は機器をチェックしながら操舵輪を握り、笑みを返す。
「古い友人に、会いに行く気分だよ」
チェックを終えるとエンジン出力を上げ、R4Dを雪の女王が持つ瞳のように青く輝く空に向けて飛翔させる。
鈍重な機体は、凍てついた空気をこじ開けるように上昇した。
かつて彼が極地に到達したフォード4AT以上に安定した、力強い飛行だ。
R4Dが持つ1200馬力の双発エンジンは獰猛な唸りをあげ、凍りついた空気を食い破っていく。
彼は、自分がかつて制覇した白銀と蒼白で造られた世界へと戻っていくのを感じる。
彼が、自らこの静寂と凍てついた輝きに満ちた世界にもう一度戻る理由は本当はないはずだ。
けれど、彼は確かめたかった。
あの時に見た夢が、本当に夢であるのかを。

彼は、光の中で意識を取り戻す。
そこがR4Dの機内では無いことに驚愕し、さらに自分が無傷で生きていることに深い驚きを感じる。
そこは、光に満ち溢れとても暖かい。
南の島にいるような甘い花の香りや、シルクのように優しい手触りの風を感じた。
彼は、自分が機内で着ていた分厚い革製で裏にボアがついた防寒ジャケットを着ておらず、BDUだけを身に付けていることに気がつく。
その時彼はふと、自分は本当に生きているのかと疑問を感じた。
とてもではないが今の状況は、リアリティがあると言うことはできない。
眩い光に目が慣れて、あたりを見回す余裕ができる。
庭園の中にある、東屋のような場所にいるらしい。
四方には光を練り上げたように、色鮮やかに咲く花々をつけた蔦の絡んだ柱がある。
天井からも、花を咲かせた蔦がいくつか垂れ下がっていた。
壁がなく見渡すことができるその庭園は、欧州で見るような整然としたものではなく、むしろ南国の密林が持つ熱と密度を備えている。
彼は、木製の椅子に腰をおろしていた。
四肢に気だるさがあるわけではなく、意識を失っていたようだが薬物やその他の暴力的な衝撃が与えられたような形跡がないため、その理由の見当がつかない。

「ようこそ、リチャード・バード准将」

彼は、いつのまにか自分の目の前にひとが立っていることに気がつき、衝撃を受けた。
とても奇妙なひとが、目の前に佇んでいる。
身長は子供のように低く5フィートもないと思えた。
しかし、落ち着いた眼差しや、穏やかな笑みを浮かべる表情はおとなのものだ。
切れ長で少しつり上がったアーモンド型の瞳や、小さく薄い鼻や唇から東洋人ではないかと思う。
けれど発した言葉は、とても滑らかな彼の母国語であった。
その奇妙で小さなおとこは、少し皮肉に唇を歪める。
「あなたの聞きたいことは、見当つくよ、准将」
おとこの声は少し高音ではあるが、落ち着いて穏やかなものだ。
「ここがどこで、わたしが誰か。まずは、そんなところだろうね」
彼はその言葉に思わず頷き、おとこは満足げに微笑んだ。
「ここはシャンバラ、そしてわたしは、そうだな、まあグレイと呼んでくれ。ちなみにこの場所は、南極の極地からそう遠くないところにある」
驚きで目を見開いた彼に、グレイと名乗ったおとこは押し止めるように手のひらを向ける。
「納得できないかもしれないが、一応ひととおり説明するからまずは聞いてくれ。ちなみに君はここにきたことがあるのだよ、18年前にね」
彼の脳裏に、夢の記憶が浮かびあがる。
霧の奥深くに隠された景色が、一瞬垣間見るように忘れられていた記憶がほんの少し甦った。
それはむしろ、デジャビュに近いものかもしれない。
しかし、彼はこの景色を一度見たということに、確信を覚える。
グレイは、彼のこころを見透かしたように頷いた。
「さて、わたしが何者であるかの説明をしようか」
グレイの口許には、微笑のようなものが浮かんでいる。
グレイのように奇妙な種族でも、笑うということがあるならばではあるが。
「わたしたちは、モノポールを求めてこの極地にきたんだ。2千年ほど前のことに、なるかな」
目を見開き問いかけるような表情になった彼に、グレイは頷きかける。
「ああ、モノポールとは、磁気単極子のことだよ。宇宙から飛来するそれは、地磁気が最大化する極地に落下するからね。わたしたちは、それを利用してエネルギーを産み出し、重力制御もする」
ますます困惑し、眉間にシワをよせる彼を無視して、グレイは言葉を重ねる。
「このシャンバラは、モノポールを使った重力制御によって南極の地下に造り出した閉鎖空間だ。モノポールは人工太陽のエネルギー源としても、活用されている」
彼は、グレイの表情から、今語ったことが彼に理解される必要は無いと思っていることを読み取った。
とすれば、ようやく本題にはいるはずだ。
改めて彼は、グレイの目を見つめる。
グレイは、それに応えるように切れ長の目を少し細めた。
「わたしたちは2千年前にこの地下世界を造った時から、地上で何が起ころうとも不干渉の方針をとるつもりだった。ああ、君らの国で言うところの、モンロー主義みたいなものだね。しかし、その不干渉主義は、揺らぎつつある。君たちは、反応兵器を使用しただろう」
彼は、片方の眉をあげる。
もしかすると、あの極東のファシストに使用した新型爆弾のことか。
「君たちが地上で殺しあうのは、わたしたちには関係の無いことだ。しかし、反応兵器は別だよ。それは、実質的に回復不可能なまでに地上を汚染してしまう。わたしたちは、それを許容しがたい」
グレイの切れ長の目が、一瞬冷酷な光を宿したような気がして彼は息をのんだ。
グレイは、そんな様子を気に止めず語り続ける。
「ただわたしたちは、事を急がない。わたしたちが君たちの文明を破壊し、反応兵器を使用できないレベルへ退行させる決断を下すまで、50年は議論を重ねるはずだ。一部の強行派は、もっとこと急ぐかもしれないが今のところ、そいつらは少数派なんでね」
彼は、グレイがそっとため息をついたような気がした。
「さて、これで話は終わりだ。君の脳から、必要な情報の収集は終わったんでね。残念なことに、わたしが今語ったことは、君の記憶には残らない。そして、君にもう一度あうこともないだろう」
グレイはそういい終えると、驚くべきことを言った。
「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない」
グレイの笑みに、どこか悪戯っぽさが宿ったような気がする。
彼は、このひとであるとすら断定できない目の前の存在が、聖書を諳んじたことに戦慄を覚えた。
「マタイが語ったとおり、その日、その時がいつかはまだ、誰も知らないんだ。でも、わたしたちは、いずれ君たちに知らしめるだろう。その日、その時をね」
彼は、掠れた声を出す。
「では君たちは、神だと言うのか」
グレイは、おそらく笑ったのであろう。
ひととは、違うやりかたで。
「わたしたちは、むしろ『神と戦う』ものだよ」
そして、グレイはぽんと手を叩いた。
「目覚めたまえ、准将。そして帰るがいい、君の国へ」

       

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