Neetel Inside 文芸新都
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Thursday/委員長




 恋愛相談にふさわしい相手方には、三つの条件がある。
 一つ、恋愛経験が豊富であること。
 二つ、異性の生態についてよく知っていること。
 三つ、口堅く秘密を漏らさないこと。
 俺は知り合いが多く、顔が広いことを自称しているが、これらの条件を満たす友人となると限られる。たとえば、タクなどはまったく範囲外の人物と言っていい。日頃から恋人をとっかえひっかえする、経験豊富な友人も何人かいる。しかし、そういう輩に限って口が軽く、秘密を打ち明けるには向かないのだ。
 恋愛に無頓着では参考にならない。おちゃらけた奴では信用ならない。異性を最も知っている人間は、簡単に考えれば異性。つまり、俺にとっては女性。改めて条件を鑑みると、『彼氏持ちの理性的な女性』というのが選択肢として浮かび上がる。男子高校生の知人像としてはいささか異質だが、友人関係をソートしてみたところ、ぴったりな人物が見つかった。
「と、いうわけで、相談に乗ってくれ、委員長」
「はあ」
 校舎裏。体育用具倉庫の入口に備えられた、低い石段。その上に腰掛けたまま、俺は隣に体を向けた。
「あんたが恋愛相談ねぇ。珍しいこともあるのね」
「意外か?」
「ええ」
 委員長は四角いレンズ越しに俺の顔を見返した。
 日が高くから照らす、昼食あとの空き時間だ。運動場のほうから、かすかに男子生徒たちのはしゃぎ声が聞こえてくる。体育用具倉庫には二つあり、俺たちがいるほうは部活動専用のものなので、サッカーに興じているらしい彼らがこっちまでやってくることはないだろう。
 努めて人気のない場所を選んだのは、誰にも話を聞かれないためだ。ただ相談をするだけのことで、われながら徹底しているというか、ビビりすぎというか。こういうことには慣れない。
「いきなり校舎裏に呼び出しだなんて、果たし合いでもするのかと思ったわよ」
「ないない。喧嘩売ってどうするんだ」
「委員長の座に取って代わりたいのかと」
「喧嘩に勝ってなるものじゃないだろ。そうじゃなくて、いちばん頼りになりそうなのが委員長だったんだよ。ほら、付き合いも長いし」
 俺と委員長との交友は、中学校入学以来、かれこれ五年になる。彼女が腐れ縁と呼ぶ縁は腐っているにしては強固なもので、出会ってから一年も欠かさず、俺たちは同じクラスになった。そのうえ、過ごしたすべてのクラスにおいて、彼女は学級委員長を務めていた。俺にとっては、まさに筋金入りの委員長なのである。
「委員長の意見を聞きたいんだ」
「ふぅん。ま、いいわよ。話してみなさい」
 柄じゃないが、今回の件は真剣だ。俺が前のめりになると、委員長もようやく話を聴く気になったらしい、脚を組み替えて眉間を狭める。
「実は、好きな人がいるんだ」
「なるほど。それで?」
「…………ええと、好きな人がいて……それで」
 見切り発車で口を開いて、俺はすぐに固まってしまった。いったい、どこまで情報を明かしていいものか。委員長を信頼しているとはいえ、具体的に語るには憚られる事柄もある。
 しばらく考え込んでから、おっかなびっくり再開する。
「うーん、切り口を変えて、そうだな。たとえば、たとえばの話だぞ? 委員長は、長い間ずっと親しかった相手に告白されたらどう思う。けれど、恋愛感情は全然ないんだ。そういう邪な心は互いに持ち込まないことになっている。だとすれば、俺は間違っているか? 迷惑だと感じるか?」
「えらく抽象的な例えね」
「悪い」
「いいわよ別に。要は、こういうこと? 新斗には好きな相手がいる。けれど恋が成就する望みは薄で、告白することによって、かえって現在までの関係が崩れてしまうのが怖い。玉砕覚悟で猛進するか、すっぱり諦めて現状を維持するか、どちらを選べばいいのか意見が欲しい、と」
「さすが、簡潔な要約。概ねそんな感じだ」
「そうねぇ……」
 委員長はますます眉をひそめ、天を仰ぐ。つられて見上げると首の長い野鳥――サギの仲間だろうか――が倉庫の遥か真上を横切っていった。甲高い鳴き声が届き、過ぎ去ったあとで、視線を戻す。
「私としては、告白してしまえばいいと思うけれどね」
「どうしてそう思う?」
「まず、告白したら現在までの関係が崩れてしまうというのは、正しいでしょうね。告白が失敗する前提だけれど、その相手が告白されたことを気にしようが、気にしまいが、同じことなのよ。だって、どちらにしろ新斗は必ず気にするもの。振られたからってあっさり気持ちを切り替えられるようなら、私に深刻な顔して相談なんてしないでしょう」
「まあ、だろうな。でも、だったら……」
「重要な問題は別にあるの。まさか忘れているわけじゃないでしょう? 私たちって、今年で卒業なのよ。しかも、新斗は東京の大学に進むつもりなんでしょ。相手が誰かは知らないけれど、現在と変わらない関係でいられるなんてあり得ないじゃない。あんたを取り巻く環境だって変わるし、相手だって、いつまでも都合の良い存在でいるわけじゃない。現状維持なんて、そもそも幻想なのよ。放っておいても人間関係は変わるんだから。違う?」
「…………」
 言い含めるような委員長の指摘に、思わず口を噤む。
 俺としても、卒業・進学の事実をすっかり忘れていたわけではない。明確な思考として現れなかったのは、無意識のうちに目を逸らしていたからだろう。大学に進学してしまえば、千恵と常に一緒ではいられなくなる。告白を先延ばしにするあいだに、千恵に想い人か、あるいは恋人ができないというのも希望的な観測だ。
 数日前、千恵が口にしていた言葉を思い出す。

 『先輩と一緒にいたい。できるだけ長くそばにいて、できるだけたくさん思い出をつくりたい』

 めったに見せることのない、物憂げな表情で言っていた。
 少なくとも彼女は、時間の有限さから逃げていない。受け入れて、できる限りの手を打とうとしている。
 ならば、俺は……?
「行動派のあんたが、好きな子に告白するくらいでどうして悩むのかもわからないけど」
 黙りこくっている俺を見かねたのか、委員長が石段の上に立ち上がる。
「後ろめたい気持ちは捨ててしまえばいいんじゃない? だって、恋愛は自由だもの」
 『恋愛は自由』と、委員長はそれが真なる命題であるように主張する。規則と倫理を重んじる彼女のキャラクターからは程遠く、また、言い聞かせるような口調でもあった。俺は引っかかりを覚え、疑問を口にする。
「なあ、委員長の彼氏ってどういう人なんだ?」
「社会人よ」
「年齢はいくつくらい?」
「……二十代後半」
 衝撃の事実発覚だった。
「それって、条例とかに反しないのか」
「失敬な。清く正しい男女交際よ。他人にとやかく言われる筋合いはないわ」
 委員長が立ったまま胸を張ると同時、低い振動音が鳴った。マナーモードの呼び出しだ。はじめは自分の携帯かとポケットを探るが、ブツはない。バッグの中に置きっぱなしのままらしい。じゃあ発生源はどこなのだと見上げると、委員長が携帯を耳に押し当てていた。
 俺と距離を取りながら、電話口の相手と会話する。応対の声は普段よりオクターブ以上も高く、こちらまで容易に聞こえてきた。
「あ、ダーリン♪ 電話してくれてアリガトっ、ずっと寂しかったぞっ…………うん、うん、そだね…………わかった、じゃあ放課後にいっしょに行こっ…………わかってるってっ、めいっぱいオシャレしていくから…………え~、ダーリンが買ってくれた下着~? だってあれ恥ずかしいんだもん。あんな穴あきのエッチなやつ女の子に履かせるなんてセクハラだよ~…………ふ~ん、やっぱり我慢できないんだ。じゃあ、甘えんぼさんのダーリンのためにたっぷりサービスしちゃうから、今日の夜、楽しみにしててねっ、ふふっ…………うん、うん、じゃあね~…………うん、もう切るよ~」
 話し終えると、涼しい顔で帰ってくる。
「やっぱり犯罪じゃねぇのっ!?」
「失敬な。清く正しい男女交際よ」
 泰然として言ってのけた。
 意地でも合法を突き通すつもりのようなので、追及は諦める。
 『彼氏持ちの理性的な女性』という条件で委員長に相談したが、俺は人選を大きく誤ったのでは?
 目の前で起こった現実を受け止めきれない。混乱した頭でぐるぐる考えていると、委員長が切り出した。
「話は終わり? もうすぐ昼休み終わるから教室に戻りましょ、ほら」
「俺はもう少し頭を冷やしてから行くよ……」
「あら、そう」
 委員長はローファーで砂利を鳴らして去っていく。
 悠々とした後姿が、角を曲がって消えようというとき、ごく自然な調子で尋ねられる。
「そういえば、あんたの好きな人って誰なの?」
 声色には、しぶとく詮索するような響きはなかった。ただ単純に気になっただけという感じ。言いたくないと回答を断れば、何事もなく済んだだろう。だというのに、自分で気が付いたときには、俺は言葉を返してしまっていた。動揺の直後で油断していたのか、あるいは、本当は吐き出してしまいたかったのか。
「千恵のことが好きなんだ」
 言うと、委員長の背中が小さく跳ねて、立ち止まる。長い沈黙のあと、身を翻した。正面を捉えた顔が、怒っているような、悲しんでいるような、沈んだ表情をしている。
「やめときなさい」
「え?」
「告白するのはやめておきなさいって言ったの。別に、いい加減に相談に乗ったわけじゃないけれど、さっき私がアドバイスしたことはぜんぶ忘れなさい」
「なんだよ、それ」
「私は千恵ちゃんと面識があるし、多少、彼女のことを知っているからこそ言うけれど、やめておきなさい。『恋愛は自由』といってもね、恋愛には二種類あるわ。つまり、幸せになれる恋愛と不幸にしかならない恋愛よ。あんたのは後者。腐れ縁とはいえ、友人が不幸になるのをみすみす見逃すのも寝覚めが悪いわ。わかったわね? 忠告はしたわよ」
 委員長は言いたいことだけさんざん喋って、返事も聞かずに角を曲がった。姿が見えなくなると、ぬるい風が通り過ぎる。
「……なんだよ、それ」
 取り残された俺はひとり、八つ当たりのように呟いた。


****


 今日の晩飯は『こだわり黒豚チャーシューメン』だ。
 場所は自宅ではない。個人経営の古びたラーメン屋。店主が無口でメニューも少ない、質素を突き詰めたような店だ。全体を赤と茶で統一された店内は、調理場を二辺で囲むカウンター席と、三つのテーブル席から成る。俺はカウンター席の端に腰掛けて、板切れのようなチャーシューにかぶりついた。
「うまいかい?」
 右隣から、同じく『こだわり黒豚チャーシューメン』を食う男が尋ねてくる。鼻にかかった高音の話し声は、中年男性ばかりの店内で聞き取りやすい。
「うまいな」
 口に残る肉の繊維を飲み込んで再び、「うまいぞ、王子」
 特別やわらかいわけでも、味が染みているわけでもないが、チャーシューには溢れんばかりの野性味があった。肉は肉々しくあるべし。この手のスタンスは俺の好みだ。
「そりゃあ、よかった。キミの好みに合うだろうと見込んでいたからね。ぜひ一度つれてきたかったんだ」
 言って、隣の男は勢いよく麺を啜った。彼が、俺をこの店に誘った人物。ブロンドに染めた髪色と長いまつ毛、細い顎がどこか挑戦的な優男。黒のポロシャツに対比される肌の白さは、女子でもそうそう見かけない。スープに浮き上がる背脂とあまりに馴染まないその容貌こそ、『ラーメン王子』の呼び名の由来だ。
「しかし、よくも次々とうまい店を見つけてくるな」
「趣味だからね。でもまあ、ここらは栄えていないから、店を見つけるのは難儀だよ。いよいよ自転車圏内の店は制覇してしまったかもしれない」
 王子は自嘲気味に言う。俺は確かに、と頷いた。
 ラーメン王子のラーメンに懸ける情熱は同級生の誰もが認めるところで、俺が店に誘われることも頻繁にある。ゆえに、回を重ねるごと、店までの距離が長くなっているのも実感していた。
「まあ、でも、あと一年の辛抱だろう。東京には山ほどラーメン屋があるさ」
 王子も俺も東京進学組(希望)である。
「ああ、キミの言う通りだね。楽しみだ、とても。ようやくこの片田舎ともおさらばか」
 言いながら、丼を持ち上げてスープを飲み始める。麺と具はもう平らげてしまったらしい。
「王子の住んでるところって学校のすぐ近くだろう? 俺から言わせれば、その程度で田舎を名乗るのは甘いな。俺の家からの景色を見たら卒倒するぜ」
「あれ、キミんちってそんなに辺鄙なところだっけ」
「すごいぞ。なにせ、生まれてこのかた、玄関の鍵を閉めた覚えがないからな」
「へぇっ、じゃあ、今日も?」
「もちろん。東西南北、どの方角からでも侵入可能だ」
 自慢みたいに言ってやると、王子は「くっくっく」と忍び笑いをした。
「平和で結構なことじゃないか」
「泥棒なんていやしないからな」
「……どうだろう。家に侵入するのが、泥棒だけとは限らないけどね」
 王子は透明のコップに、水をなみなみ注いでいる。スープを飲み、口がしょっぱくなったら水を飲み、物足りなくなったらまたスープをがぶ飲みする。ラーメンを隅々まで愛する男の、不摂生な贅沢だ。俺も自分のコップを差し出して、水を注いでもらう。
「泥棒だけじゃないって、どういうことだ?」
「なあに、一つのありふれた実例さ。僕の親戚に警察関係者がいるんだけどね。そのおじさんから聞いた話でおもしろい事件がある」
 心底おかしげに前置きして、話し出す。
「捕まったのは四十がらみの男だよ。アパート下階の住人の部屋に、十回以上も不法侵入を繰り返していた。けれど、逮捕された後で侵入された部屋の住人に話を聞いてみても、盗られたものはないって言うんだ。通帳や印鑑はもちろん、タンスとかが荒らされた形跡も一切ない。じゃあ、なんのために何度も侵入したんだって、問い詰められた男が白状したのさ。
 部屋の私物とか食べ物とか、あらゆるところに唾を付けていたんだって。侵入された部屋の住人っていうのは女子大生だったんだけどね。彼女の手が触れるところとか、口に入るものを狙って、ばれない程度の少量を、口から垂らしていたらしい。
 男が言うには、唾液を相手に触れさせるのは、セックスの代償行為なんだそうだよ。自分が出した体液を女の子に受け入れさせるんだ。僕は感心したよ、すごい発想だと思わないかい」
「おい、やめろよ、飯食ってるときに」
「ごめんごめん」
 俺は想像してしまった。毛むくじゃらの中年男が、口内に唾をためて徘徊する様。全身が嫌悪感にブルと震える。一方、王子は気にする様子もなく、大盛りの丼を干していた。満足そうに腹を撫で、息を吐く。
「なにも、侵入者が中年のおっさんとは限らないさ。今頃、キミの部屋に、キミのことが大好きなかわいい女の子が歩き回っているかもしれない。そう考えると、ちょっとしたロマンじゃないか」
「ロマンか……?」
 仮にかわいい女の子でも、気持ちのいいものではないような。
 急激に食欲が失われた。残った分のチャーシューを睨みつけていると、携帯がメールの着信を告げる。
「親から帰宅の催促かい?」
「いいや、妹から」
 文面はこうだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 ラーメン、おいしい?

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 液晶に映し出される、簡素な文言。簡素ゆえに、含蓄を察する必要がある。しばらく考え込んでから、俺は返事を送った。

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 晩飯、家で食えなくてごめんな。

 ラーメンうまいぞ。でも、きのうのチンジャオロースの方がうまかった。

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 返信は三十秒と経たないうちにきた。
 
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 べつに怒ってメール送ったわけじゃないよ(汗)

 無理やり褒めなくてもいい(>_<)

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 怒っていたわけではないと言うが、さて、本当かどうか。最初の文面に顔文字の類が無かったあたり怪しいものだ。昼の時点で外食の旨は伝えておいたから、不義理はないはずなのだが。とにかく、機嫌をとっておくに越したことはない。女心はミステリー。常に推理が必要なのだ。
「そっか。そういえばキミ、夜はいつも妹と食べるって言ってたっけ。悪かったね、強引に誘ってしまって」
「俺が来たいから来たんだよ。妹も、だったら自分も友達と外食してくる、って言ってたしな。問題ない」
 俺は携帯をポケットにしまって、再びラーメンに向かい合う。すると不思議、食欲はすっかり蘇っていた。

――――――
――――
――

 春とはいえど、夜が深まればさすがに冷える。ラーメン屋の引き戸を開けて外に出ると、俺は半そで一枚で来たことを後悔した。
「おお、けっこう冷えるね」
 王子も同感だったらしく、さっさと電動自転車にまたがった。俺の愛車はトレックのクロスバイク。
 暗闇のなかを、車輪を横に並べて走りはじめる。
 街灯のない幅広い道を、ヘッドライトの照明が滑っていく。目を凝らし、轢きつぶさないようカエルを探す。ペダルを踏みこむたびに、夜風を切って寒さが増していく。早く家で体を温めたいなぁと思いかけ、しかし家までの距離を考えると、到着時には汗をかいている可能性もある。いや、いずれにしても、風呂に入れば済む話なのか。VIP野家は基本、風呂の後に晩飯を食べる習慣なので、今日は変な感じがする。
 ふと頭上を見上げると、空には雲が覆っている。でっぷりとして居座る灰色の雲は、昼間から心中に居座る言葉を思い出させた。

 『不幸にしかならない恋愛』

 外気とは異なる感覚が肌を冷やして、俺は肩をすくめた。

       

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Neetsha