Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 叩いても潰しても、斬っても砕いても貫いても。
 膨張を続ける異形の怪物は止まらない。負った傷ごと肉が覆いさらに肥大化していく。その度に増えて行く触手、眼球。黒き肉塊は槍の穂先が如く尖り、野太刀のように長大な刃を宿して襲い来る。
 迎撃する毎に、その表皮は岩塊のような硬さとなり、喰らった攻撃をそのまま手段としてトレースしてくる。
(こちらの攻撃を身をもって覚えているのか)
 触手を五分割して斬り払い、和宮が邪神モドキの蠢く巨体を見上げる。
 だとすればこの硬質化にも原因が見えて来る。今鐘キョータの〝シーシュポス〟をモデルケースとして反映させているのだ。
 これが事実だとしたら非常に不味い。奴は武器の造形のみを模倣しているだけじゃない。
「全員気を付けろ!コイツもしや…ッ!」
 言い終える前に触手の動きが速度を増して襲来してきた。的確に人体の急所を狙い研ぎ澄まされた照準と攻撃。
 アンスウェラーで叩き落とし、確信を得る。
 今の動き方は間違いない、使い手である和宮には判った。
 『完全自動攻防』の動き。
 邪神モドキは戦闘の最中に覚え、神聖武具の能力そのものまでも模倣してきている。
 未完成不完全ながらも神の一端。この程度は造作もないとでも言いたげに肉塊がどこから発しているのが不可解な咆哮を上げた。その時、総員の直上から不可視の圧力が降って来る。
 突然のことに多くが跪き、重力が数十倍に引き上げられたような錯覚に意識が揺さぶられる。鹿子が叫んだ。
「ちょっコイツ!あたしのトールまで…」
 空間殴打も覚えたらしく、鹿子よりも短いチャージでより強い殴打を与えて来る。
 身動きが取れない面々の中で、その圧力をものともせずに駆ける二人が嫌悪に奥歯を噛み締めていた。
「猿真似野郎のクソ贋神が…どこまで罪を上重ねすりゃ気が済むんだっつの!」
 銀矢が肉塊に突き刺さり、見開かれていた眼球を潰す。同時に効力が発動し邪神の魔力が掻き乱された。結果として触手を初めとする全体の動きに遅延が掛かる。
 矢の軌跡を追い掛けてさらに肉を穿つ十字架の投擲。
「…やはりこれだけの巨体ともなると、贖罪の十字架による完全拘束は不可能か。だが」
 稼げた数瞬で十二分だった。
 ピタリと肉塊に肩と背中を押し当て、踏み締めた両足から発勁。堅悟も得手としている鉄山靠てっざんこう、ただしその威力は規格外。
 人の域を超えかけた技と衝撃が、一体何トンあるかも知れない巨躯を易々と浮かせる。
「ヴァイオレット」
「いちいち呼ばなくてもわぁってるっての!」
 真下に潜り込んだカーサスの呼び声に、ヴァイオレットはボウガンに番えた銀矢を撃ち出す。魔力の込められた強烈な一射はアポロンにすら届き得る速度と勢いで胴に大穴を空ける。
「ぬん!」
 血管の浮き出る右腕を折り曲げ繰り出される渾身の肘撃は、命中箇所を中心に十数メートルもの規模を牙で食い千切るように抉り取った。
 信じ難い光景である。たった二人で、あの邪神の肉体その約三割を削ぎ落とした。
「うっわすご」
「化物かよ…」
 鹿子とキョータが唖然とした表情で呟くが、和宮はまだ終わっていないことを悟っている。
「チッ!仕留め切れねえ」
「魔力さえあれば復元するなら不死も同然だな。そしてその魔力を冥府から呼び込んでいるのは」
 ちらと横目で見る先には、邪神の魔力を取り込み振るう魔術師が。やはりあれを介して邪神は魔力を無尽蔵に供給されている。となれば完全消滅させる為には順序が違うようだ。
「ふん、近頃は手応えのない相手ばかりで身体が鈍っていたところだ。石動堅悟かマーリン、どちらかが死ぬまではサンドバックとして利用してやろう」
 本来であれば命を弄ぶような行為は聖職者としての矜持が許さないが、崇め奉る主神を差し置いて神を名乗る不敬なる存在にそれは該当しない。
 殺して、殺して、死ぬまで殺し尽くすまでのこと。



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 決着に使える時間はもって十分。そう翼には警告された。
 三位一体の融合は石動堅悟の肉体を確実に蝕む。命を削るのはもちろんのこと、元々邪悪武装は使い手の精神を殺人衝動に侵すリスクがあった。それ以前に器が人間だ、過ぎた力を収めるには脆弱すぎる。
 既に開始から三分半の経過、堅悟は真正面からの攻防でマーリンと一進一退の死闘を繰り広げることを可能にするまでの力を獲得したのだと自負する。
 上乗せされた装甲悪鬼の力はあらゆるステータスを飛躍的に向上させ、今や薙刀状の杖を振るうマーリンと剣戟の応酬をしながらも全包囲された魔術攻撃に対応する余裕すらある。
「ふふははは!愉しいね、胸躍るねぇ!君もそう思わないかい石動堅悟君!!」
「ちっとも楽しかねぇよサイコ野郎!」
 頬を裂き肩を掠めていく互いの剣閃は紙一重のところで致命傷を避けて行く。一瞬の気の弛みで死を招きかねない状況で、それでも異端の悪魔は口元の笑みを消さない。どころか益々歓喜している。
 右腕から始まった白銀の浸食は既に右半身を全て覆い、左半身へと至り始めている。装甲の浸食率が上がるにつれて悪鬼の力を引き出せてきているが、外見上の変化はそのままタイムリミットをも示している。秘技の発動限界は半分を切った。
「ふむ」
 それを知ってか知らずか、マーリンは何か思いついたように一息ついて、
「もう少し面白くしてみようか!」
 堅悟を取り囲んでいた魔術の指向性を一気に変えた。それは堅悟を通り過ぎて遥か後方へ。
 気絶したまま未だ起きる様子のない、御守佐奈へと。
「テメェはどこまで…ッ!!」
 堅悟が守ると決めた人間、死なせるわけにはいかない女。ほとんどを駒と割り切っている堅悟にとっての数少ない人間関係上のウィークポイント。
 佐奈へ矛先を変えた隙を狙えばマーリンは殺せる。だがそれをすれば佐奈が死ぬ。迷うことはなかった。
 上乗せでブーストの利いた両足から練り上げられる勁が箭疾歩せんしっぽの飛距離を引き伸ばす。足元が大きく爆ぜてロケット花火のように突撃した堅悟の速度は魔術の到達を凌ぎ佐奈との間にどうにか割り込む。
 一斉に雪崩れ込んでくる岩の砲撃、大気の刃、炎の槍、水の棘。
 ドカドカと空爆のように噴煙を上げて乱発された魔術、普通ならば肉片と化すであろうそれを避ける選択肢も潰され、盾のように立ち塞がるしか無く。それでも尚。
「……素晴らしい!」
 感極まったようにマーリンが手を打ち鳴らす。
 直撃以外を度外視して耐えた。全ての攻撃に絶対的な切断性能が付与されている以上は聖剣で弾くしかなかったが、それではあまりにも手数が追い付かず。
 故に石動堅悟の左腕は装甲に覆われ、故にその左手には彼が扱っていた銀の愛刀が握られていた。
 融合した兵装の一部であるカイザーの刀を併用した即席二刀流。急造で呼び出した為、結果的に発動限界を早めることになったのは失策以外の何でもない。
((残り二分半!))
 内部で調整を行っている翼と同時にリミットを確認し、もはや玉砕覚悟で再び距離を詰めに行く。
「マァーーリィイイン!!」
「ははは、クはハハハ!!」
 装甲の隙間から血が零れ出る。傷もそうだが、英雄と悪魔の力を内在させて闘う四肢が性能に追い付けず自壊を始めている。だが二刀流の優位性は確かにマーリンを劣勢に立たせてもいた。
 残り一分と二十秒。
「っがァ!!」
 筋肉が引き千切れる音を連れて薙いだ聖剣は杖の柄に叩かれ逸れるもののマーリンの仮面を一部破壊して頭部に深い裂傷を与えた。だが連撃で魔術を受けた右手は機能を失い剣が手元から離れる。
「おおっとどうした堅悟君もう限界かな!!?」
「っざ、け…!」
 まだ左の銀刀が残っている。利き手ではないせいかやけに挙動に遅れが出ている気がしてならない。いやマーリンの言う通り肉体が限界を迎えつつあるのか。
 だがやる。コイツを殺す。刺し違えてでも必ず仕留める。
 絶命が先か限界が先か。分け目の四十秒を切る。
 そんな、完全回復から再び満身創痍に逆戻りした堅悟の死角からそれは来た。
 流星の如く一直線に飛ぶ凶器。穂先に乗せられた殺意は違うことなくマーリンの喉元へ吸い寄せられて、
「なっ、にい!?」
 咄嗟の判断でかざした右手を貫通して、その鋭槍―――グングニルを投げ放ったリザの口元が動く。
 『くたばれ、道化』。
 それを受けてか、海座弓彦がリザの膝上で青白い顔に僅か笑みを浮かべた。
 これまで様々な権謀術数を巡らせてきたマーリンが、今更この程度の横槍で怒りを表すような武士道精神を宿しているわけもなく。
「よくぞ動いた大英雄様!!だがどうかな!?」
 プレートアーマーの随所が斬撃に耐え切れず剥げ、頭部の流血で片目を封じられ、右手は槍に射止められて。それでもマーリンの動きは欠片も鈍らない。刃の生えた杖を真横から脇腹へ向けて全力で振るわれる。
「僕の勝利は揺らがない!!さらばだよ堅悟君!!」
「聞き飽きたんだよ、んな戯言はよォ!!」
 残り、十秒か五秒か。もう関係ない。あと一撃を振り下ろすだけで精一杯なのだから。
 持ち上げた銀刀を、力の限り真下へ落とすだけ。
 共に『絶対切断』。脇腹から胴を分断されるか、肩から袈裟に両断されるかの違い。
 そして。



 足元に広がっていく血溜まり。息は荒く、喉から昇って来る熱い液体を堪えられない。
 気道を占領する血液を吐き出し、ぜえぜえと息をつきながら。
 石動堅悟は宣言する。

「お前の負けだよ、マーリン」

 振り抜くだけの余力も残ってはいなかった。半端に突き進んだ銀刀は魔術師の右肩から胸の辺りまで刃を食い込ませ止まっていた。その進行上、心臓は間違いなく破壊された。
 対するマーリンの一撃はといえば。
「…っはは。お、かしいね。どういうわけだい堅悟くん」
 虚ろな瞳で自らの獲物を見つめるマーリンが、心底不思議そうに問う。
「どうして、僕の…『絶対切断』が機能して、いない?」
 マーリンの杖は脇腹に叩き込まれたままそれ以上進んでいない。銀の装甲を砕き肋骨から付近の内臓まで痛める程度の衝撃は通したが、肝心の切断がまるで働いていない。これではただ強固な装甲の上から刃で叩いただけに終わる。
 何故だ。御守佐奈との契約は破棄した覚えがない。だというのに一体どうして。天使と英雄の契約を他者が破壊できるわけも―――、
「ああ」
 近づく死の中にあっても、マーリンの脳は冴えを失っていない。すぐさま気付いた。
 斬ったのか、あの時に。
「そっか、ふふ……愉しもうとしてやったあれが、結果的に、勝敗を分けていたわけか」
 御守佐奈を殺しにかかったあの瞬間。絶対に防ぎ切るくらいはするだろうと踏んで狙った余興のような戯れ。
 迎撃するのに手一杯だと思っていたのだが、違った。
「あん時に、俺が佐奈とテメェとの契約を斬った。『概念切断』だよ、知ってんだろ」
 つまりはあの瞬間から『絶対切断』は機能していなかった。
 まったく、我ながらしょうもないオチだ。
「なるほどなるほど。…そうか僕の負けか。しかし、まぁ、中々に…熱くなれたよ。ごふぉっ!」
 杖を落とし、風前の灯となったマーリンから銀刀を放して対面する。
「満足したかよ、ルシフェル」
「……その呼ばれ方、は…久方ぶり、だよ。それも人間に呼ば、れるのは…初だ。誇っていい」
「ハッ、くだらねえ」
 笑って吐き捨て、真顔に戻った堅悟が死に際の悪魔の最期に付き合う。
「言い残すことはそれだけか?」
「ああ、そうだね………なら、ひとつ…訊こっか、な」
 顔を上げて堅悟に向く両眼に光は灯っていない。おそらくはもう。
 酷く億劫そうに、これまでのテンションが嘘のようにゆったりとマーリンは話す。
「堅悟君。君は、これから、どうする?僕という…敵を、討って。この、先を…教えてほしい。英雄を殺す?それとも、悪魔を?」
「今更そんなこと訊くのかよ、おかしなヤツだな」
 とっくに知っているものだと思っていたから、堅悟にとっては意外でしかない。だがまあ、欲しているのなら改めて答えよう。
「俺は『蝙蝠リリアック』だぞ?羽も毛もある半端者だ。だからどっちにも属さない、どっちにも与しない。お前風に言うのなら、あれだ。気に喰わない、『俺にとっての悪』を討つ敵だよ。翼ちゃんとか、あとそこの年がら年中喧しい小娘とか。狙う連中は皆殺しだ」
「くはは」
 おちゃらけた様子で肩を竦める堅悟に対する、初めて聞いた無邪気な笑い声。どこかいつも芝居がかっていたマーリンの、本心が露出したように見えた。
 吐血混じりにひとしきり笑って、それから視力の失った瞳で真っ直ぐ堅悟を見据える。
「なら、―――……―――」
 途切れ途切れ、掠れてきた小さな声に真摯に耳を傾け、最大最悪といっても過言ではなかった怨敵の遺言を受け取る。
「―――……と、いう…わけだよ。…頼めるかい?」
「そのくらいなら、やってやらんでもない。感謝しろよ?散々お前に苦しめられてきたってのに、そのお前の頼みを引き継いでやるってんだから」
「そ、…だね。あり……がとう。け…、ごく…」
 もう声帯から絞り出すことも困難なのか、口だけを動かして呼気に消えて行く声。
 それが最後の最期に、はっきりとこれだけは聞こえた。

「ああ、同じあの世でも天国は勘弁願いたいよ。地獄の方がまだ、面白そうだ」

 それっきり、立ち尽くす魔術師は動くことも話すこともなかった。どこまでも頭のおかしい、刹那的な快楽主義者らしい言葉だと堅悟は思った。
「安心しろよ、どうせお前なんか問答無用で無間地獄行きだ」
 大きく伸びをして、激痛が脇腹の大打撃を思い出させる。しばらく唸って、そういえば身を覆う装甲が消えていたことに気付いた。
「決着の直後に、私から強制的に解除させて頂きました。本当に、ギリギリだったんですよ、堅悟様」
「お、翼ちゃん」
 これまたいつの間にやら、堅悟の内で拒絶反応を抑え込んでいてもらっていた翼が再び人の姿を実体化させてすぐ傍に浮いていた。やや不満顔なのは、堅悟が無理に無理を通した無茶苦茶な戦い方をしていたからか。
「悪いな、アンタにも命削らせた」
 非正規英雄の内部で神聖武具と邪悪武装の両挟みになりながら調整を押し進めるなど聞いたことも無い荒業だし、それこそギリギリの綱渡りだったのではなかろうか。堅悟同様、翼も寿命を縮めることになったのは明白だ。
 だが当人の翼はどうでもよさげに涼しい顔で、
「構いませんよ。私は貴方と一蓮托生なのでしょう?貴方の死ぬ時が私の死ぬ時です…あ、でも」
 背中に生える光翼をばさりと折り曲げて、地に足を着けた翼がぴっと人差し指を堅悟の目の前に立てる。
「その代わり、私が死ぬ時は貴方も死んでもらいますからね当然。覚悟しておいてください」
「……、へっ。やっぱいい女だよアンタは、デカ乳チビ女よりずっとな」
 受け答えつつ、お姫様抱っこで担いだ佐奈の身柄を翼に引き渡す。
「んじゃ、その馬鹿女は頼むわ。俺はもう一仕事、終わらせて来る」
「はい。お気をつけて」
 マーリンという中継役を失い、既に魔力の無尽蔵供給は断たれた。あとは全戦力をもってあの邪神の成り損ないを叩き潰せば、それでおしまい。
「おいクソ大英雄、たいして働いてねえんだからアンタも来いや。…しかし消化試合だろこんなん。…なあ、弓彦さん」
 通り掛けに話し掛けると、リザの膝枕で安らかな表情のまま閉眼している男の口元が、ほんの少しだけ、動いたように見えた。

       

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