Neetel Inside 文芸新都
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 ハイボールと刺身盛り合わせは同時に来た。ジョッキではなくビールグラスのようなものに入れられたハイボールと鮪とイカと鯛とバイ貝が並んだ盛り合わせは中華の陶器のような器に盛り付けてあって、見目も美しい。隣に置かれた醤油皿にイカを、最初は山葵を付けずに口に運ぶ。
「美味しい」
 思わず言葉が零れて、カウンターの中に目をやると、女将さんがにっこりと笑い返してくれた。美味しい、良かった、良いお店は新鮮だからまだ食べれるけれど、チェーン店での刺身なんか生で食べれるレベルじゃないものを出してくるから困る。生まれた土地が海に面していて、漁業が盛んだから生魚の新鮮さが舌に染み付いてしまっている。
 気軽に話しかけられる場所ではない空気に、一気にアルコールを胃に含ませて、一時間くらいで退散するかな、とスマホを見る。雰囲気は良いのだ、とても、ただ私が場違いなだけで。綺麗なガラス細工の中に薄汚れたエナジードリンクの空き瓶が入り込んでしまったようなだけで。
「こんばんは」
 低音の声が聞こえて、おじさんと綺麗な女の人が入ってきた。すらっとしたグレーのスーツを着たナイスミドル、という言葉が似合う男性と、若くて清楚なワンピースの似合う全てが綺麗に整えられた女性だ。ああ、同伴、とかいうやつか、と思ったが目線をカウンターに戻した。戻したところで揚げ出し豆腐が来て、箸を入れる。切り分けた先に大根おろしと生姜を一口分のせて、口に運ぶと、先ほどと同じように美味しいという言葉が漏れた。
 まだアルコールで舌がいっていない一軒目は美味しいお店に限ると笑顔が浮かんでしまう。二軒目、三軒目と重ねるほど舌も痺れるというか、おかしくなるので肴など塩なんかでいいのだ。もっと言ってしまえば、チェイサーの弱いお酒かお水があればいい。次には山葵をつけた刺身に口に運んで、ハイボールを流し込む。
 女将さんは常連のようなおじさんと、さっき入ってきたナイスミドルは連れの女性と、話していて、一人で飲む酒は美味しくて冷たい。ナイスミドルと女性は奥ではなくカウンター、私の一席空いた隣に座っていて、女性の可愛らしい声が響く。かつん、と上唇に氷が当たって、ハイボールの終わりを教えてくれる。中々ハイペースで飲んでいるな、と思いながら、メニューを開く。
「すみません、焼酎お湯割りって出来ますか」
「ええ、大丈夫ですよ」
「じゃあこれお湯割で」
 メニューを指差して注文をする。酔うと呂律が回らなくなって、そんな時でも注文出来る術を私は学んでいる。まだそこまで酔ってはいないけれど。冷たいお酒を飲んだ後は温かいお酒を、それでもこの時期だとお湯割りや熱燗を置いていない店もあるので困る。クーラーの効いた部屋で飲む熱燗は本当に美味しいのに浸透しないようだ、こたつにアイスと同じ原理なのに。
 薄緑色の陶器に入れられたお湯割りはふわりといい匂いがして、湯気と一緒に芋の香りが鼻と目に染み入る。飲むと温かいものが胃の中に広がる。ハイボールで冷え切った胃が徐々に温度を取り戻す。それから再び揚げ出し豆腐を食べて胃に固形物を入れる。
「本当に美味しそうに食べますね」
 ふと隣から声が聞こえて、ナイスミドルのおじさんがこちらに話しかけてきた。私とナイスミドルの間に居る女性が目に入って麗しい笑顔で私を見ていて、珍しい者を見るような慈愛に満ち溢れていて気持ち悪いと吐き捨てたくなったが喉元でぐっと堪えた。酔っ払うとこのストッパーというか、弁というか、つまりは理性が失われて声に出て、本音が世に出てしまうので今はまだ社会人として頑張っている。いや、社会人というと語弊があるか。
「ありがとうございます、だって美味しくて」
「美味しいですよね、僕も大好きなんですよ」
「そうなんですか、オススメとかありますか」
 にこりと笑って、尋ねるとおじさんは煮物系が美味しいんだよ、とメニューを開いて教えてくれた。と、いうか、同伴ではないのか、いいのか、相手の女性を放って私なんかの相手をして。面倒に巻き込まないでよ、と思いながらおじさんに進められた煮物を頼んで、話を切る。同性とは仲良くしたいので、あまり女の敵になるような行為はしたくない。人類皆兄弟、世界平和という普段の言動とは対極の考えが私の根元では巣食っている。
 ちょび、とお湯割りの湯呑みに口を付けて、口の中で湯冷ましをして胃に流し込む。スマホに逃げてしまおう、と卓上に置いたスマホ画面を指で弄る。ネットは膨大な有象無象の情報に溢れているので、それを興味が無くても見ていれば時間は大抵潰せる。
 頼んだ煮物も来て、お湯割りをもう一杯頼んで、お湯割りが来るまでに杯を空けて、煮物を摘んで。大分胃と脳がやられてきた。
「で、本当にオープン戦始まったのに低調でまいるよ」
「スロースターターなんですかぁ?」
「いやいや、それならいいけど、そのノリで最後まで行かれたら困るからね。ドラフトだって負けていたしなぁ、はぁー、家帰って負けてたら気分が悪くなるよ、実際」
「確かに」
 その会話に自然に混ざってしまって、はっ、と口を押さえる。
 おじさんと女性の会話に入ってしまって、酒の周りを感じる。声は聞こえていたが、知らない人の会話に入るなんて酔っ払いそのものだ。彼らも、え、という風にこちらを見ている。
「あはは、すみません、聞こえちゃって」
「お嬢さん野球わかる口?」
「えーっと多少、多少ですよ。熱狂的ではないです、はい」
「いいねぇ、寧々ちゃんはわからないもんねぇ」
「わからなくないですー、社長がマニアック過ぎるだけですー」
 口を尖らせて頬を膨らませる顔は可愛らしい、可愛い女の子しか出来ない怒りの表現だ。住む世界の違いを感じて、酒に口を付けて自嘲の笑いを隠す。
「じゃあ質問だ、一番大事な打順はどこだと思う?」
「あーそれ私にもしたやつ」
「しっ、寧々ちゃん正解は黙っててね」
 いきなり始まったクイズにえー、と苦笑いをする。嫌なものが始まってしまった、正解してもこの連れの女の子に睨まれておじさんに同志扱いされるだけだし、不正解でもおじさんの有難い持論解説が始まるだけだ。金を払って面倒な説法は聞きたくない、私はキャバ嬢じゃないのだから。
 悩んで笑っているふりをして、もう一度お酒を飲んだ。もういい、二度と関わりにならない人だろう、持論潰す勢いで戦ってやろう。
「んー六番」
「え、何で?」
「クリーンナップまではピッチャーも気を張るけど、抜けた時に打てないような人だと意味が無いし、クリーンナップが繋いできたときに途切れさせるような人でもダメ、それでいて守備との兼ね合いも合わせて七番、八番よりも打てる打者を置かないといけない、そこにベテランの技巧者を置くか、若手の有望株を置くか、一番そのチームの考えている事がわかるところだから。もう少し話せって言われたら話せますけどここらへんで」
 嫌な独り語りをした、とおじさんに視線を向けると、驚いた顔をしていた。と思ったら、急に立ち上がって、私の側に来て握手を求めてきた。呆気に取られながらも手を差し出して固い握手を交わす。そして、そのまま自分の席に戻っていった。私はどうやら正解を導き出したようだ。困った事に。
 お湯割りを一口口に含んでいる間に、おじさんが持論を口説きだした。
「お嬢さん、僕は甚く感動しているよ、僕も同じ意見だよ。こんな所、というのは語弊を生じてしまうかもしれないけれど、この場でそんな女の子と出会えるなんて。六番打者が一番見所があるところなんだよね」
「そーなんですよーやったー正解嬉しいー」
 馬鹿っぽく振舞ってみたが全て後の祭りだ。ああ正解をしたことで連れの女性からの目線が痛い。でも、まぁ、それもどうでも良くなってきた。そう、何もかもどうでもいいのだ、いい感じで酔いが回ってきたようだ。回るまで時間がかかって非効率で、代謝が悪い身体だ。良いよ、私を恨んでも邪魔者にしても、憎んでも。
 視線を連れの女性に向けると、彼女は笑顔で瞳の奥は笑っていない大人の顔をしていた。私はバツが悪くてすぐに視線を反らして目の前にある煮物を箸で摘んだ。
「いやーいいねぇ、好きな球団あるの?」
「えー無いですー私プロ野球じゃなくて高校野球が好きなんですー、あの一度負けたら終わりみたいな切迫感が好きで」
「ああなるほど」
「おじ様は好きな球団あるんですかー?」
 盛り上がるほどに冷気を感じる。そしてこの辺りから全てが自分主義で世界を回すようになる。同伴である女性の気持ちも、お店の雰囲気も、全ての配慮を失って世界中から嫌われてもいいという無敵モードになるのだ。だって元々誰にも好かれてはいないのだ。
 お腹はいっぱいになってきたのに、酷く喉が渇く。飲んでも飲んでも口に酒を付けていないと呼吸困難になってしまいそうな息苦しさだ。喫煙者の禁断症状のように、アル中のそれのように、唇にアルコールが触れていないと死にそうになる。血中に酸素じゃなくてアルコール成分が無いと死ぬのだ。
 おじさんは嬉しそうにこちらに話しかけてきて、連れの女性は板ばさみになっている。可哀想に、と思うけれど、それをどうにかしようという気力がアルコールに奪われている。どうか、強硬手段に出てくれよ、という私の思いが通じたのか、女性はおじさんに、そろそろ時間ですよ、と告げた。
「ああ、そうだね、君、次のあてはあるのかい?」
「ん?私?次のあて?」
「二軒目は決まっているの?それとももう帰るのかな?」
「二軒目はー決まってないですーどっかオススメありますかー?」
「ふふっ、じゃあ一緒に行こうか」
 一緒にお勘定を、という言葉を聞いて、はっと顔を上げる。良い感じに食べ終えて飲み終えているけれど、まさかこの後もこの人たちと一緒になるとは思っていなかった。連れの女性もそれは同じのようで、驚いた顔をしたが一瞬で元の笑顔に戻した。ああ、プロなんだな、と寒気がした。
「え、悪いです!自分で払いますよ、てか、え、一緒に?」
「払う払う、僕に恥かかせないで。一緒に寧々ちゃんのお店行こうよ、結構女の子も来てるんだよ」
「いや、えっと、私そういうお店初めてでよくわからないので、えーっと」
「良いの、良いの、僕が持つから。もうちょっと野球談義しようよ」
「私は大歓迎ですよーお姉さん飲みそうだしー!」
 寧々ちゃんと言われた女性は私の右腕に抱きついてきて、嘘を付けや、という言葉を押し込めた。まだ言葉を押し込める力が残っていたのに感動しながら、促されるままに店を後にした。

       

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