私を捕らえたのはやはり草原の民であった。
夢に出てきたような野卑た顔つきの荒くれども。
「───美人。俺、妻」
「───石。鋼、聞く」
驚いたことに、草原の民の言葉など初めて聞くはずなのに、夢の中で何度も繰り返し聞いていたせいか、僅かながら意味が分かるのだった。あくまで単語ぐらいしか分からないのだが。
どうやらこいつらは私を奴隷として自分たちの住処へ連れていくつもりのようだった。
家畜のように鉄のくびきが私の首に巻き付けられ、鎖で両手両足を縛られる。
屈辱だった。ベルゴードの第三王女ともあろう者が…。
私は縛られたまま馬に載せられ、草原の民たちはタンル山脈を越えて東へと向かう。
草原の民の勢力については大まかにしか分からないが…。
ベルゴードにもたらされる情報によれば、草原の民の中でも台頭してきている強力な部族で、フォーグル族というのがいるらしい。既に十以上の氏族を束ね、草原の勢力図を着々と塗り替えている。ボルドゥという族長の名前は、ベルゴードにも聞こえていた。
彼らの会話の中に、頻繁に
だから私を攫ったこいつらは、フォーグル族なのかもしれない。
となれば、いくさ慣れした戦士なのだろう。
隙を見て逃げ出すのは難しいかもしれない…。
が、何を恐れることがあろう。
私は栄えあるベルゴードの第三王女だ。
何者にも屈することはない。
いざとなれば舌を噛み切って死んでやる覚悟だ。
私を犯そうとするならば、そいつの男根を噛みちぎってやろう。
殺すならば殺すがいい。
どうせ生きていても、ラーハイド貴族の慰み者となるか、草原の蛮族の慰み者となるかの違いだ。
「よう、蛇!」
私を捕らえた草原の民の男が、見下したような目で別の男を呼んでいる。
彼らの住処へ向かう途中に、狩りをしていたらしき草原の男と遭遇したのだった。
ベルゴード人を見るのは初めてなのか、私の見た目に驚いているようだが…。
私の方も思わず彼に見とれてしまっていた。
余りに私の好みだったから。
この石とか呼ばれている男は全然タイプじゃないし男根主義者のようだが、蛇と呼ばれた少年はそうじゃないことを祈ろう。少なくとも体つきや顔立ちは満点だ。弓を持ってぼけっと突っ立っているが、中々の美少年である。しゅっとした体つきも細いがちゃんと筋肉が乗っている。しかも私でも狩るのが難しいマモットを四匹も狩っているではないか。弓も上手いというのか。素晴らしい。
「ベルゴードの貴族の女、俺の後妻に」
石が偉そうな口ぶりで喋っている。
……何だと?
この石男の妻にされてしまうというのか。
それはごめんだな。
蛇の方なら願ったりなのだが…。
日も沈み、満天の星空の下でかがり火が焚かれている。
草原の男たちは酒盛りをしながら笑い声を響かせていた。
その光景は、少しだけ夢の中で見たような略奪の惨禍を思い起こさせたが、夢の時ほど血生臭いものではなかった。略奪にあったのが私だけだったからかもしれないが、草原の民の日常という雰囲気が感じられ、戦時のような禍々しさや凶暴な顔つきをした者たちは見受けられなかったからかもしれない。
私は彼らが住居としている
その集落の中央にあって一際大きなゲルの中、上座に座る威厳ある顔つきの男がいた。鋼のような逞しい肉体に、左目に凄惨な刀傷。鍛え抜かれた戦士の風格。一目で分かった。こいつがボルドゥだ。
私の後に、次々とフォーグル族の者たちが入ってくる。
広いといっても一つのゲルに何十人も入れば息苦しくも感じる。
どいつもこいつも鋼や石のように厳めしい男たちばかりだ。むさ苦しい。
そこに、紅顔の美少年、先程の蛇くんも来たではないか。
彼らは会議を始めたが、何やら揉めている様子だ。細かいニュアンスは良く分からないが…。
これだから野蛮人はいかん。すぐに内輪もめを始めるのだから。おかげでベルゴードは安泰なのだが、これをまとめあげようとしているボルドゥだけは脅威かもしれないな。
それから、石と蛇が言い争いをしていた。
状況は良く分からないが、顔つきを見ると私の可愛い蛇くんが言い負かされそうになっているのかな?
これはいかんな、加勢してあげよう。
「おい、石頭! うんこ臭い口で喚くな!」
どうせベルゴード語など分からんだろうと思って適当に罵声を浴びせてやった。
きょとんとした目で私を見る石と蛇。やはり意味は分かっていない。
ただ、一部の者が失笑していた。険しい顔つきをしていたボルドゥも少し笑みを浮かべている。
しまったな、ボルドゥも含め、ベルゴード語が分かる者もいるようだ。
私は子供じみたことをしたことを少し恥じた。
「───名前は?」
ボルドゥの声に、私は我に返る。
そうだった。どうやらこれは私の処遇が決まるらしい会議のようなのだ。
私は首を振る。言葉の意味が分からなかったのではない。本名を言うか迷った。
もしベルゴードの第三王女と知られればどうなってしまうのか…。
考えられるのは、ベルゴードに莫大な身代金が要求されるか、もしくは私を人質にしてベルゴードに何らかの危害が加えられるかもしれない。
……まぁ、あの守銭奴の父が、莫大な身代金を払うとは思えないし、人質とされて何かを要求されても見捨ててしまう可能性の方が高い。
「ぼくはベルゴードの言葉が分かるよ!」
通訳が必要と思われたのか、あの蛇よりももっと幼い少年が現れる。
「名前はディーナ」
ベルゴードの第三王女とばれても構うものか。私は本名を名乗る。
「ベルゴードの貴族の娘だ。払うかどうかは分からないが、親が身代金を払う用意はあるぞ」
ただ、王女とは言わず、貴族とだけ名乗る。着ている服装が平民にしては高価なものだし、貴族であることまでは偽れないだろう。
通訳の虫少年を介してそれが伝えられる。
「ふむ…」
ボルドゥはちょっと口角を上げるだけだった。
どちらだ…? 私の正体を知っているか知っていないか、微妙な表情だ。
「ディーナはアモンに与える」
意味は分かった。
だが、ボルドゥの言葉が随分衝撃的だったらしく、ゲルの中が静まり返った。
「何をそんなに驚いているんだ?」
彼らの掟か禁忌かに触れるような言葉だったのだろうか?
ただならぬ雰囲気だ。
それから石が激昂して喚いていたが、ちょっと失礼なことを言われた気がした。こいつに嫁げと言われていたら舌を噛み切っていたところだな。蛇の方で良かった。
と、蛇の方を見たがやはり戸惑っているようだ。
「ディーナさん。あなたはあのアモンという人の奥さんになるんだよ」
「そうらしいな」
通訳の虫少年に説明されるが、説明されるまでもなく何となく分かっていたよ。
どうやら石、蛇、虫のこの三人はいずれもボルドゥの息子たちらしい。
ということは草原貴族、フォーグルの王族ということになる。
いずれにしろ、草原の民の中でも、訳の分からぬ身分の低い男の妻となる事態は避けられたという訳だ。
中でも、あの蛇くんなら悪くはないな……。
ラーハイドのマッチョ貴族よりは全然良いではないか。
ふふふ、これから面白いことになりそうだ。
───私はおかしいのかな?
奴隷のように攫われてきたというのに、何だかこの状況が楽しいぞ。