Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 先週、僕と先生との密会が彼女にバレた日。彼女は言った。
「あたし、いっつも放課後図書室に残って日報っていうかレポートみたいなもの書いてたんだ。だからこれからもあそこで何かやってるなら、あたしに気づかれるかもって思ってた方がいいよ?」
 それは多分、僕の自制を促すために言ってくれたことなのだろう。他の人に見つからないようにと気遣ってくれた、彼女なりのやんわりとした警告。
 だからこそ、僕はそれに従うわけにはいかなかった。
 それから毎日、不自然なほどに図書準備室に入り浸った。
 彼女に見せ付けたかったのだ、僕がもう子供ではないと。先生を組み伏せて、好きなようにして、自分より目上の人間をさらに上から見下ろすことができる。
 自分は変わったのだ。『あの時』よりもずっとずっと大人になったのだと知って欲しくて。
 自覚はしていた。それは自己主張にしては、あまりに幼稚だってことに。
「でもさ、やっぱり若いよね。一週間毎日とか」
「そんなんじゃないですって。……っていうか、別に会ってる時だって毎回そういう事になってるわけじゃありませんから」
「え、そうなの?」
 彼女と話すようになってから、一日に吐く回数の平均が二倍くらいになったため息を吐き出して、僕は彼女を見下ろす。
「あなたには僕が、そんなに飢えてるように見えるんですか?」
「いや、そういうわけでも無いんだけど、それはそれでもったいなくない? せっかくできるんだし。ホラ、据え膳食わぬは男の恥、とか」
 うんざりしたような目を向けても、まるで堪えた様子もなく飄々としているのも相変わらず。
「そんな喩え、清水先生に凄い失礼だとか思いません?」
「……まぁ、それはそれってことで。今はもう学校の外だし、勤務時間外だし」
 僕たちはこの一週間、校門から駅までの短い時間を使って空白の三年間に起こったことを報告しあった。それしか話題が無かったとも言える。
 家族や共通の知り合いが今何をやっている……なんて話がほとんどで、自分たちの人間関係の話は意図的に避けていた、ような気がする。少なくとも僕はそうしていた。
 特に恋愛関係の話は、示し合わせたように触れることすらしなかった。
 先生とのことをからかわれたりはするけれど、馴れ初めについて聞いてきたのだって最初だけで、それ以上突っ込んでくることは無い。
 僕の方も、彼女の大学での恋愛は気にならないわけではなかったが、彼女から話す気が無いなら僕から聞く気にはなれなかった。
 そんな感じで一週間。いい加減話題も尽きてくる頃だ。
 夕暮れの中を並んで歩く彼女の横顔を、盗み見るような気持ちで見つめた。
 三年前はせいぜい同じか、むしろ小さいくらいだったはずの背丈も、今では僕の方が頭一つ大きい。ウェーブのかかった茶髪が歩くたびに揺れて、髪の乱れを直す細い指は握ったら折れてしまいそうに細くて。
 きっと、抱きしめたりなんかしたら、すっぽりと腕の中に納まってしまうだろう。
「なに?」
 見ているのに気付かれ、目を合わせられる。それだけで心臓の鼓動がいやに大きくなった。
「いや、こんなに小さかったかな……と思いまして」
 彼女は少し笑って、
「今さら? っていうか、それはそっちが大きくなったんでしょ。こっちだって、あの時の子がこんなに大きくなると思わなかったよ。……最初にこっちで顔見た時は、ちょっとびっくりした」
「中学出てから急に伸びたんですよ。……あの頃は、まだあなたの方が上でしたっけ?」
「そうだね、確か。今じゃ逆転しちゃったけど」
 立ち止まって、僕の前に立った。思わず後ずさってしまう。彼女は僕を追って一歩踏み出して、頭の上に手をかざす。
「もう、背伸びしなくちゃ……できないね」
 本当に、何気ない口調で言った。でもそれは、僕の心を酷く揺らすには充分すぎて、僕はその手を振り払うように前へ一歩踏み出した。
 何を、と聞くまでもない。そんな必要は欠片も無いほど、それは鮮烈に焼きついた記憶だったから。だから避けてしまった。期待してしまう自分が許せなくて。
 後ろに彼女が着いてくる気配を感じながら、距離を詰めないようにして歩いていると、程なくして駅の前まで来た。
 大学の寮からここまで通っている彼女とは、いつもここで別れる。
 振り返って一言。
「それじゃ、ここで」
 彼女は微笑しながら、少し眉を寄せて寂しそうな顔を見せた。
「あたしが実家に戻ってれば、もうちょっと一緒に歩けるんだけどね」
 彼女に何の気も無いことは分かっている。本当に彼女は、昔馴染みとの懐かしさでそう口にしているだけなのだ。こちらが勘違いしてしまいそうなセリフだって、彼女は何の自覚も無しに口にしている。
 僕の気持ちなど、微塵も想像することも無く。
「もう、話すことなんて無いじゃないですか」
 一瞬、思いのほかキツい言葉になってしまったのを後悔した。でも、すぐにまた思い直す。
 だからどうした。今の彼女に悪印象を与えて、僕にデメリットがあるか? いや、全く無い。
 彼女が僕に振り向くことはもう有り得ない。いや、最初から有り得なかったんだ。
 だったら、これはチャンスなんじゃないのか? 引き摺っている過去なんて、ここで断ち切ればいい。明日また先生に会って、いつも通りに振舞えばいい。それが大人な対応だ、何も間違っていない、何も悔やむことは無い。
 踵を返した。顔を合わせる気にも、謝る気にもなれなかった。
 足早に立ち去ろうとしていた背中に、声をかけられるまでは。
「ねぇ――――」
 些細な声だった。
 彼女の方に意識を集中していたので無ければ、聞き逃してしまいそうなほど。
 立ち止まってしまったのは、やっぱり僕が子供だからなんだろう。

「また……キスしてみる?」

       

表紙
Tweet

Neetsha