「日比野君、これは一体どういう事かね!?」

――大学の進路相談室。担任の田辺先生が呼寄せた俺に向かって目の前の机を叩いた。差し出した学生証と退学書類を突っぱねられそうになると俺は先生に言った。

「この間も言ったじゃないですか。大学通っててもロクな事ないし実家に帰るんですよ」

 セピア調のぼんやりとした背景の中央で自嘲気味に笑う俺の姿は端から見ても痛々しかったに違いない。田辺先生が俺から視線を外すと机の上の退学証明書を突き出してこう宣言したのだった。

「一浪してやっと入った大学だったけど思ってたのと違うから辞めます。
講義は何言ってっかわかんねぇし、バイトはバックヤードで携帯いじってたらクビになるし、気になってた里美ちゃんはヤリサーの連中に喰われるし、東京来てもホント、何にも良い事なかったっすよ」

「ちゃんと親御さんは伝えたんだろうな?」

「いえ、別に。俺を産んだ家族なんだから戻ったら普通に受け入れてくれるでしょ。じゃ、俺はこれで」

 先生の言葉を遮るようにして相談室を開ける俺を見て先生は「必ず後悔する事になるぞ」とはっきりした口調で俺に告げた。そうして都会の壁に跳ね返された俺は実家でただ飯喰らいのごく潰しとしてこれまで暮らして来たのだった。

 あの日、チャクラベルトと出会ってインドのチカラをその身に宿すまでは…


「起きて、日比野くん。修行の時間だ」

 頭の上から男の細い声が聞こえて俺はログハウスのベッドで目を覚ました。ガンソさんの所で修行を始めるようになって一週間。脳を鍛える修行が終わると今度はアクター状態での実戦を見据えた実践的な訓練が始まった。

 お互いに変身アイテムを手にして崖の裏側に回りこむ俺とガンソさん。「悪い夢でも見たの?うなされていたみたいだけど」前を歩くガンソさんに尋ねられると昔の夢を見ていました、と答えた。

 確かに悪夢だったのかも知れない。夢の内容を振り返ってあの時の自分の様に自嘲気味に笑う。「なんでもっと真剣になって留めてくれなかったんだよ」そちらの都合で辞められるなら構いませんよという大学側の対応を思い出して足元の雪を蹴りつける。

「準備は出来た。いくよ」先の方で訓練の準備をしていたガンソさんの声が鳴り、俺はベルトに指を置いてインドマンに変身する。すると頭上で大きな音が響き、崖の上から顔くらいの大きさに千切られた岩が複数降り注いできた。


『魔人モード:ガネーシャ』!チャクラベルトにガシャットを差し込むと俺は象をモチーフとしたアクターに変身し俺目がけて落ちてきた岩のひとつ一つを拳のラッシュで破壊する。

 最後のひとつを殴りつけて一呼吸すると「脇が甘いね」と言われてガンソさんの木刀の一撃が俺の横っ腹に叩きつけられた。その痛みに思わずインドマンの変身が解けて元の姿に戻ってしまう。

 この訓練は実際のアクターバトルではないからカードは消費しないが、その闘いで受けたダメージは本来の身体に残る。ふらつく俺を見てガンソさんが「岩を一個ずつ破壊していたら今の様に裏を取られる。『ムルガン』の剣技で一度に吹き飛ばした方が良い」と俺に提言した。

 俺がそうですね、と答えると「次の訓練いくよ」とガンソさんが杖を突いて奥へと歩いて行く…別に俺の判断が悪かった訳じゃない。ガンソさんのアクターが強すぎるのだ。

 ガンソさんのアクターフォームは菅笠を被った用心棒を思わせる軽装型で最大の武器は脇差しによる『居合い抜き』。煙のように気配を消すサブ能力を使い、相手の間合いに入れば一瞬で勝負を決められる短期決着を狙う攻撃的な戦型である。

 変身時に呼称が無いと不便なので俺がアクター名を訊ねたところ、恥ずかしがって教えてくれなかった。彼曰く共闘には向かないアクターだと語っていたが俺にはどうにも、ガンソさんが俺に心を開いてくれていないというか、何か重要な秘密を抱えているように思えて仕方なかった。


「くそっ、今日もあの人から一本取れなかった!」

 日が暮れた景色の中で俺は池の水面に反射る自分の姿を拳で殴りつけた。一日の修行が終わり、ふもとの町まで買い物を行って夕食を作るのは自分の仕事だ。それを終えてひとりになると俺は自分への怒りがやり込めなくなっていた。

 元々他人と一緒に行動するのは得意ではない。あの人の前で思うように能力を発揮できない自らへの苛立ちと共同生活による欲求不満が溜まっていた。ふと水面から顔を上げてきらめく満天の星空を眺める。実家に残してきた妹の六実は無事だろうか。

 六実の憎たらしくも可愛らしい笑顔を思い浮かべている頭の中でくぐもった女性の声が聞こえてきた。

『気に入らないのだろう?あの男が?』「誰だ?」周りを見渡すと腰のガシャットのひとつが怪しく瞬いている。声の主はこいつしかいない。ケシャケシャと不快な笑い声が鳴り終わるとその声は俺に告げた。

『その気になれば自分になど指導せずに勝ち残れる能力を持ったあの男を。ならば斬ってしまえばいいではないか。わらわのチカラを使え。さすればお前の前に立ちはだかるモノ全てを切り裂いてくれようぞ』

 インドマンとして手に入れたカーリーの魂が俺を唆す。「ふざけんなよ。誰が修行の恩人なんかを切るもんか」冷や汗を拭い、頭の中の声を笑い飛ばすようにログハウスに戻る。その途中で待っていたあの人が俺に訊ねた。

「居た、居た。一体どこへ行っていたんだ?」「…ちょっと池で発散しに」「まぁ年頃の男に禁欲を強いる気はないけどさ」少し勘違いをしている雰囲気でガンソさんは俺に買い物の袋を見せた。

「入浴剤が頼んでいたものと違う。ふもとのコンビニまだ開いてるから返品してきてよ。今日が終わっちまう前にさ。お湯に浸からないと眠れない性分なんだ」

 俺は「はぁ?」と呆れるとガンソさんを睨み返した。昼間の厳しい訓練を終わらした後にあの険しい崖道を往復して、またそれをやれって言うのか?ただの嫌がらせじゃないか。

 ガンソさんはそんな俺の態度に気付く事無く「どうした?早く替えてきてよ」と目の前にコンビニの袋を突き出した…もう限界だ。俺は頭の中で嗤う声にその身を委ねた。

 ドス黒い憎悪を纏った青いオーラが俺の身体を包み込む。どうせこの場には俺とこの男しか居ない。こんな所で事件が起きても何かの事故で片付けられる。このチカラを手にしている以上、もうこの男に従う必要は無い。

――殺す。その一点に意識を集中させて手に握った曲剣をガンソさんの喉元に突きつけたその時、

「冗談はよしてくれよ」

 アクターに変身したガンソさんが引き抜いた刀で俺の剣を弾き返した。そしてそのまま翻した刀で斬撃を吹き起こすと俺の身体を包み込んでいたカーリーのオーラが悲鳴をあげながら彼方へ消し飛んでいった。

 俺はすぐさまその場で膝を付いてガンソさんに懺悔の言葉を浮かべた。「ガンソさん、俺、取り返しのつかない事をしてしまって…!」

「何言ってんの?僕はぴんぴんしてるじゃないか」「違うんですっ、俺、おれっ!!」

 湧き上がる涙が止まらない。歩み寄るガンソさんの身体を掴んで俺は声を上げて泣きじゃくった。

「親に迷惑掛けて大学辞めて!毎日働きもせずに動画なんて撮り始めて!…中学の時いじめてたヤツにだってちゃんと謝れなかった!そして師匠のあんたに手を掛けようとするなんて!
俺にはヒーローの資格なんてない!とんでもないゴミ野郎なんです俺は!」

「それにコミュ障で童貞だしね」

 茶化すようなガンソさんの声を聞いて俺は顔を上げる。すると身体の横の雪が鋭い音を立てて沈み込んだ。「これは?」俺の身体から離れたガンソさんがそれを摘み上げると矢の羽根の根元に白い文書がくくり付けてあり、それを開くと俺に聞こえるようにして読み上げた。

「明日のこの時間にお前たちが持つカードを貰い受ける。降伏すれば手荒な真似はしない、か。古臭いスタイルの果たし状だねこれは」

 苛立った態度でその紙を折りたたむといまだ四つ足の俺をガンソさんが鋭い眼光で見下ろした。「誰かがネットで『オフ会』なんて宣伝するから望まない参加者が来ちゃったじゃないか」

「す、すいませんっ!」思わずその場で土下座をして謝る俺。そんな俺を見てガンソさんが俺にこう提案をした。

「この挑戦者、斬っちゃおうか?」

 月夜の下で凍えるような冷たい笑顔を浮かべて静かな怒りを圧し篭めたガンソさんの声が俺の鼓膜にいつまでも張り付いてその夜は消える事が無かった。