第十一皿目 CIBETTOさん

 私の兄、日比野 英造ひびのえいぞう(25)はインドの魂をその身に宿した変身ヒーローだ。

 古代ペルシア時代より伝えられたチャクラベルトの導きによってインドマンとしてのチカラに目覚めた英造。そして時を同じくして開催された“アクター”と呼ばれる中堅動画配信者達による闘争の渦に巻き込まれていく。

 最終決戦に向かうために必要なカードを集め、どん底の人生を変えるための英造の戦いは遂にクライマックスを迎える……!

――はず、だったんだけど。

 ピンポーン。自宅のインターホンが鳴らされる音が響く。お父さんとお母さんは仕事で家に居ないし兄の英造は名古屋にオフ会と称して修行に行っているから家には私ひとり。

 最近また家のポストに嫌がらせに似たチラシが投函されるようになって、英造からは「アクターバトルで規格外の性能を持つチャクラベルトのチカラを狙ってる奴がいる。俺を誘い出すためにおまえを誘拐しようとする輩が来るかも知れないから外に出るな」と言われてる。

 まぁ私も昔っから攫われ属性あるし?でもこれで休み挟んで7日も外出てない。もう限界。モニターに顔を近づけると見覚えのあるベイビーフェイスが「よっ」ってかんじで手を顔の横に掲げている。

「こん!ニマニマでブイブイ言わせてる歌い手だけどイチャイチャする~?」

 条件反射でドアを開けると思わずそのクッソ生意気な小学生の襟首を掴みあげていた。人前で私にメスの顔させやがってこのエロガキ。握る手の力を強めるとずれた眼鏡の奥を血走せながらソイツは命乞いを始めた。

「ちょ、ちょっと待ってよ!こないだの件は謝るよ!アクターのチカラを手に入れて調子に乗っちゃってさ!た、助けて少年法っ!」

「その少年法とやらは私にも適用されるはずだけど?」

 冗談をひとつ言って宙に浮かべてたちいさな身体を解放してやると地面に倒れこんだアクターの少年、喜多竜太郎は呼吸を整えながらパジャマ姿の私を見上げて言った。

「ごほ、ごほぉ!…ひどいよ六実オネェちゃん。暴力系ヒロインなんてイマドキ流行んないよ~?」

「あんたにおねえちゃんなんて呼ばれる筋合いないんだけど。出会い厨なんて辞めて同学年のコとラウ○ドワンでボーリングでもやってなささいよ。じゃ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!あ痛っ!」

 閉めようとしたドアに無理やり手を入れようとして挟んだらしく、私はしぶしぶもう一度ドアを開けた。赤く腫れた手を吹きながら喜多竜太郎は私に言う。

「六実ちゃんのお兄さんの英造さん、インドマンに妹を頼むってお願いされたんだ。家族を付け狙うアヤシイ人物が居るから守ってやれって」

「その怪しい人物があんたなんじゃないの?欠席裁判だし詐欺の常套句じゃん」

 私は再びドアノブを手に取った。ついこの間、この男が持つオクタアンクのチカラによって身ぐるみ剥がされて貞操の危機に陥ったばかりだ。いきなりそんなん言われたって信じられるワケないじゃん。

「話を最後まで聞いてよ!…これでどう?」喜多竜太郎は鞄から変身アイテムであるオーバーグラス取り出してそれを団地の床に投げた。これで変身はしない、という意思表示のつもりらしい。

 年下に意地悪をしてるみたいで私はしょうがなくドアから身体を出してその小学生歌い手の話を聞くことにした。何でも名古屋に旅立つ前日に兄の英造から日比野家の安否を見守るよう頼まれていたこと。しかし母方の家族の都合で田舎に行っていた竜太郎は今日までその答えを保留していたこと。

 正義のアクターとして目覚めるきっかけをくれたインドマンの為に身を粉にして私を守り抜くということ。そしてあのタコが出すフェロモンは一度受けてしまった相手や異性にはまったく効果が無くなってしまうということ。

 ほんとうかなぁ?寒い中玄関先で話しているのもなんだから彼を居間に上げてやると「しょがここが飲みたいなぁ」とイキリ出したのでソファに座らせて白湯を飲ませてやった。徳利眼鏡を湯気で白くしながら喜多少年は私に言う。

「おねぇちゃん、最近ずっと外出てないでしょ?左目が一重に戻っちゃってる」

 何言ってんのよ、このマセガキ。元々私は二重よ。と言いながらも手鏡で確認してしまう自分がいる。確かに。最近日中の過ごし方といえばグループアプリで学校のしょーもない連中の恋愛事情をチェックしたり、ネットサーフィンしてまとめサイトを眺めて時間を潰すという廃人予備軍さながらの華の無さだ。

 それに自分のカラダを狙って近寄ろうとしてくるコイツみたいなクソがその辺ウロウロしてると思うと気分も落ちてくる。確かに現役女子高生はステータスとして魅力的だけど段階を踏め。オロカモノどもが。

「そうだ、なにか買ってくるものある?」湯飲みをテーブルに置くと喜多少年が使いパシリを買って出た。親から必要なものがあれば使いなさい、とお金を貰っているし、欲しい物はいくらでもあった。

 あれこれ羅列してもキリが無いし、気がつくと私は喜多竜太郎と外に出て買い物を始めていた。ブティックで服を選ぶとデパートでバッグを買ってスーパーで日用品を買った。


「待ってよ六実おねぇちゃん!」ゲーセンの入り口に置かれているクレーンゲームの景品の人形を眺めていると荷物持ちの喜多竜太郎(私はキタローと呼ぶことにした)が走ってきた。筐体にコインを入れてクレーンを動かすと三指の爪はぬいぐるみの表面を撫でるようにして元の場所に戻っていった。

「代わって。コツがあるんだ」

 溜息を付く私を押しのけてキタローがコインを投入口に流し込む。クレーンが動き出すとさっきと同じように爪がウサギのぬいぐるみの表面を撫でていく。

 すると景品の落とし口からぬらぬらと吸盤の付いた妖しい腕が伸びていく。標的を掴めずにクレーンが頭上に戻っていくとぬいぐるみに撒きついたタコ足がずるずるそれを引き摺って気がつくと落とし口にはそのぬいぐるみが音も立てずその場に転がっていた。

「すごいっしょ?これがアクターのチカラっ!」

「あんたねぇ…」

 呆れてぬいぐるみを受け取ると「キミ達、ちょっといいかな?」と硬い男の声が背中に降りかかった。「やべ、逃げよう」警備員に不正がバレてキタローが私の手を取ってその場を駆け出した。

 あれ?なんで私ちょっと変なカンジになってるんだろう?通りの道を抜け、川沿いの土手に出ると全力疾走だったキタローが私から離れて大きく息をついて膝の上に両手を置いた。

「はぁ~……ここまでくれば大丈夫でしょ。てか、完全にデートだったね。ボクは小六で六実おねぇちゃんは高校二年。あれ、これってもしかしておねショタってヤツなのでわ?」

 ふざけて振り返るキタローの頭を何言ってんのよ、と叩いてやる。この際ぶっちゃけると私、男の人と付き合った事ないんですわ。なんだか周りの空気もキラキラ綺麗に輝き出して辺りに誰も居ない夕焼けがムードを作り出している。

 隣にいる男がこのケも生え揃っていない子供じゃなくて背の高いイケメンだったらなぁなんて妄想を繰り広げていると正面から彫りの深いオールバックの男がひとり、私たちに近づいてきた。

「ねぇちょっと、おじさん何か用?ボク達お楽しみなんだけど」キタローが相手の雰囲気を感じ取って鞄の奥を漁り出す。「日比野英造の妹か?」ガタイの良いその人は私を感情の無い目で見下ろすと抑揚の無い声で訊いてきた。

「離れて。たぶんこの男がおねぇちゃんを狙ってるっていうストーカーだ」

 キタローが私の前に立ってグラスを構えてその中から男を覗き込む。おぉー、なんだか正義のヒーローぽいぞ?キタロー。「おまえもアクターか。子供が粋がるなよ」そういうと男は空けた胸元のペンダントに指を置いた。

 辺りが光に包まれて目の前にふたりの変貌した姿があった。「日比野六実。お前をエサにインドマンを俺の元に呼び出してやる」はっきりと目の前で告げられた卑劣な敵アクターによる宣戦布告。

「そうはいくか!」ホルスターから取り出した銃を構えるオクタアンクに変身したキタロー。闇に包まれ始めた河川敷でアクター同士の戦いが始まった。

 夕暮れの河川敷にてアクターに変身を遂げたふたり。

 銃を構えて戦闘準備を取るキタローを前にオールバックの頬骨が強張った男は格闘家を彷彿とさせる青いグローブをはめた軽装の異人へと姿を変えていた。

 フェンシングのマスクのような感情の読み取れないフォームを砂煙にゆらりと浮かべ、袖の破れた胴着の裾と額に巻いた鉢巻が風に揺れるとオクタアンクと対面したそのアクターは顔の前でグローブを構えた。ピーカーブースタイルだ。ボクシング漫画で見たことある。

 オクタアンクの方がじりじりと間合いをとるように足元の砂利を踏みしめる。「一応誤解が無いよう自己紹介しておこう」攻撃対象へと標準を合わせたままグローブ越しにその男は私たちに語った。

「俺の名は柳下誠二。元フライ級ボクシングの国内王者だ。今はスポーツインストラクターとして動画投稿サイトにシェイプアップ動画をあげている」

 私がボクシングチャンピオン、と言いかけると「相手のブラフかも。というかボク、そんな昔の人なんて知らないし」とアンクがナチュラルに相手を煽る。ほう、と強張った相手の声に臆する事無くアンクは続けた。

「動画再生数がそこそこ伸びてアクターデビューか。そんないかにもなフォーム選んじゃって~昔の栄光にすがりついてるだけじゃん。悪いけどサクっとバトル終わらせてあんたが持ってるカードを頂くよっ!」

 会話の途中で相手の隙をついて銃口を向けるオクタアンク。

「先手必勝!特性☆綺羅星とくせい きらぼし!」

 スプレーガンから放たれた黒色の液体が相手のアクター目がけて飛び込んでいく。兄であるインドマンがあの銃弾の正体は重油だと語っていた。

 その銃弾が目の前に迫った瞬間、相手のアクターが巧みなステップワークでその弾と次に放たれた追撃弾を交わし短く距離を詰めてきた。さすが元プロ格闘家。

 そういえば『本人の素質はアクターに活かされる』と春頃に私を誘拐したティンカスレスラーが自身のチャンネルでへらへら語っていたのを思い出した。

「甘いよ!触手ちゃん、カモン!」

 アンクがその場から華麗なターンを含めたバックステップを決めると相手の背後から細い触手が地面からぬらり、伸び出して相手の身体に巻きついた。

「これで決まり!六実おねぇちゃんの前でいいトコ見せた!」

 一言余計に口走ってアンクが緊縛した相手に再び銃口を向けた。と、思ったその時、目の前の触手の輪が急に空になり、死角から高速のダッキング。

 レスリングの要領で相手がアンクを地面に頭から圧し伏した。絶対的優勢から一転しての大ピンチ。

「最近の子供は礼儀がなってないねぇ。まず、口の利き方がなっていない」

 敵アクターがうつ伏せにしたアンクに跨って片腕を持ち上げて締め上げている。「大人の話はちゃんと最後まで聞くものだ」掴んだ手首を内側に捻るとアンクの悲鳴が一面に響く。ど、どうしよう。慌てふためいて辺りを見渡すがアクター空間に飲み込まれているためこの場に居るはずの部外者は排除されている。

「俺のアクター名は『ライ&カメレオン』。ときに日比野英造の妹、この姿が視えるのか?」

 マスク越しに敵アクター、ライ&カメレオンが私を睨んでいる。しどろもどろになる私に「まぁ、大差ないか。この子供を退けたら俺と一緒に来てもらう」と冷たい言葉を残して締め上げているアンクに視線を戻す。

 どうもダメージを受けている状態だと地面に埋めた触手を出すことが出来ないらしく、ぎりぎりと軋む筋肉の痛みに歯を食いしばる音が散らばる。

「分かるか?三角筋が外れかけて上腕二頭筋が捻られている。大胸筋と腹斜筋が攣っているな。二次性徴前だってのに一丁前に運動不足か。スマホやゲームのやり過ぎなんじゃないのか」

 右腕を締め上げながら触診するように余裕を見せるライ&カメレオン。「け、健康診断を受けに来たワケじゃないね」馬乗りになる相手を跳ね退けようと身体を揺らせてアンクが抵抗する。表情は判らないけど声は苦しそうだ。

「いまので大腿四頭筋が攣ったな。まったく、魅力のない筋肉だ」

 そう言い放つと握った手首を強く摘まんで反対側の手でアンクの背中を強く押し込んだ。その光景に思わず目を伏せる。ベギリ、と嫌な音が鳴り、アンクの絶叫が響く。

「おいおい、落ち着けって。アクターの姿のままだと実体にダメージは入らない筈だろ?」

 諭すようにアンクをなだめるその敵を見て私の足が震えている。アクターバトルとはいえ、なんの躊躇も無く相手の腕をへし折るなんて常軌を逸している。怖いよこの人。恐怖を感じずにいられない。

「さ、今度は反対側だ」

 相手が体位を変えようとしたその瞬間を見逃さなかった。アンクは大きく息を吸い込むと顔を地面に叩きつけるようにして口の辺りから思い切り墨を吐き出した。

「拡散性綺羅星!」

 大量の墨が地面に巻き散らかされるとふたりの身体が宙に浮かび、相手の束縛から逃れたアンクが一目散にこっちに向かって走ってきた。大丈夫?と荒い呼吸の背中に声を掛けると敵がゆっくりと立ち上がりマスクの奥でニヤリと嗤った気がした。

 ぶらり、と折れた腕を垂らしてオクタアンク、喜多竜太郎は私に言った。

「あのアクター、相当ヤバイ」

 劣勢を迎えた私たちにゆっくりと敵のアクターが足元を踏みしめて一歩、また一歩と歩み寄ってきた。

 会話のきっかけがなんだったかは憶えていない。たぶん私が「なんで彼にこんな事を?」みたいなヒロインセリフを口走ったんだと思う。

 インドマンを誘い出すために私を攫いに来た相手にとって立ちはだかったオクタアンクを退けるのは当然の事なんだろうけど、キタローの折れて垂れ下がった利き腕を見てそう問い質さずにはいられなかったんだ。

 だって相手は世界を目指して闘ってきた元プロ格闘家。それなのにファイトスタイルがあまりにダーティ過ぎる。あんたのそのシェイプアップ動画とやらがつべのおススメに上がっても再生ボタン押さないよ?私。

「そうだな、ずっと考えていたんだ。現役の時から」

 私を誘拐しようと現れた敵アクター、『ライ&カメレオン』。彼はそう呟くとオクタアンクに変身したキタローの前に立ってその鋭い左フックを見舞った。ぐは、っと離れた位置に殴り飛ばされるオクタンク。

 声を出せずに立ちすくむ私を通り過ぎてアンクの元に近づくとしゃがみこんで頭部を掴みあげ、敵のカメレオンは普段と変わらないであろう冷たい言葉をそれに向けた。

「早く立て。まだ戦いは終わっちゃいない。男だろ?」

「もう、止めて!勝負ならもうついてるじゃない!キタロー、早く変身解除して!」

 私の言葉を受けてアンクがブローブをはめた手をゆっくりとベルトに伸ばす。それに気付かれ相手に手首を取られて反対側に捻られるとアンクの唸り声が地伝いに響く。

「さっきの問いに答えよう。なぜ俺がこのガキをここまでいたぶりつけるか、だったな」

 敵のカメレオンはマスク越しに私を睨むようにして顔を上げた。そして抑揚の無い声で語り始めた。


「いいか、人間の行動原理のひとつは恐怖心だ。叶わないと思った相手に対し恐怖が生まれ、その恐怖を避けるために行動する。俺はこのアクターバトルを通して対戦した相手に必ず恐怖心を植え付けるファイトスタイルを採っている。
再度この俺に歯向かって来る愚かな輩を無くす為にな」

「そんなの、ただの暴力じゃない!いい年こいた大人が子供相手にバーチャル空間でいじめなんて情けない!そこまでして叶えたいあなたの夢って何?大人だったらもっと別のやり方で…!」

「俺も昔、先輩に壊された」

 思いもしなかった相手の告白に「えっ」と声が上擦る。頭の角度を少し下げて『ライ&カメレオン』はしばしの回想を始めた。

「あれは俺が国内タイトルを獲って初めての防衛戦。その前日だった。ジムからの帰りに路地から現れた同じ階級の先輩に角材で殴りかかられた。ボクシングを始めて数年の俺が頂点に上り詰めた俺の姿を見てるのが面白くなかったんだろう。
その場で返り討ちにしてやったが利き腕の筋を伸ばしてしまってね。本番では散々な結果に終わったよ。俺の目指してきたゴールがこんな形で終わっちまうなんてな」

「ハイ、回想終了!戦いの最中にお話が長すぎるよ!」

 相手の力が緩んだ瞬間を見逃さず、アンクがその場を立ち上がる。でもそれも相手に読まれていたようで『ライ&カメレオン』は短い溜息のように口元からヒュっと風切り音を飛ばして再びアンクの腕を掴みあげた。

「うがががが……!」

「先輩の有り難い話は最後まで聞くものだ。もっとも俺も現役時代は老害達の言葉なんて右から左、だったがな」

 から笑いを浮かべてアンクの腕を背中側に捻る。そしてその体を地面に押し付けると鳥から翼をもぎ取るように激しく持ち上げてその腕をへし折った。

 再び空に鳴るアンクの絶叫。やばい、このままだとキタローがリンチされてもう二度と戦えない状態になっちゃう。どうしよう。離した掌からぶらり、と重力を失ったようにしおれたアンクの腕が地に落ちると戦況は決した。

「おっと、まだリタイアするなよ。両足が残ってるだろうが」

「こんの、クソ畜生ジジイ……!」

「ほう、まだ軽口を叩く余力があるとはな」

 カメレオンは仰向けに倒れこんだアンクの背中に乗り上げて片足を掴みあげた。やばいやばいやばい。このままだと本当に…!マスク越しに目が合ったキタローが私を見て「あっ」と声を挙げた。

 彼の視線を追うとふと腰のポケットが光で包まれているのに気がついた。急いで手を入れると中から派手な装飾が施されたコンパクトが現れた。えっと、これは、なんだっけ…?


――ああ、そうだ。修学旅行がラスベガスからインドに変更になった時に現地の汚い通りで拾ったんだっけ。あの時はバクシーシ、バクシーシ大変だったなぁ。

 いけない、そんな事を思い出している場合じゃない。アクター以外に誰の介入を許さないこのバトル空間でこのコンパクトが何かのキーアイテムのように光り輝いている。

「日比野英造の妹、やはりお前にもアクターとしての素質があったとはな。お前を餌にインドマンのベルトを譲渡してもらうという算段だったが少しは楽しめそうだ」

 カメレオンがアンクの足を離してその場を立ち上がって私に声を向けた。「どういう事よ?」問い掛けると含み笑いを噛み殺しながら相手はこう言った。

「インドマンはこのアクターバトルにして最大のイレギュラー。本来参加するべきアクターとはまったく別物の存在であると調査を始めたときから感じていた。動画投稿者を巻き込んだこの戦いが終わってもアクターとしての勝負は続いていく。
その時の展開にインドマンの力は必要になる。アクターの存在が公になった世界を統べる覇者。その条件を満たすにはインドマンのベルトが必要だ」

……なるほど。この人は『先』を視てるんだ。アクターロワイヤルによって勝者が決まったその後にバトルとは別に実体を持つことが出来るイレギュラーとしてのインドマンの力を求めている。

 インドマンならアクターバトルのルールに縛られる事無くその力を縦横無尽に振るえる。だったらそんなのなおさら、絶対に許しちゃいけない!

 コンパクトを持った手を伸ばして胸の内から精一杯念じる。

「お願い!私にアクターとしての能力をちょうだい!」

「だめだ…!六実ねぇちゃん!おねぇちゃんはこっち側に来ちゃだめだ…!」

 呼び止めるキタローの声が聞こえる。もうこうなった以上、仕方ないじゃない。私もこの馬鹿げた勝負に乗ってやる。そしてアクターの力をこの身に宿して争いを収束に導いてやる。

 私の決意が届いたのか、錆び付いてどうやっても開かなかった鏡が不思議なチカラによって開かれてそこから発せられた光が体中を包み込んだ。

「えっ、なにこれ!?」

 その光が消えると今度は魔法少女モノで見かけるエフェクトとは別の禍々しい暗煙が私の体に巻きついた。目線を落とすと足元が空気に紛れるように透けている。

「転送が始まったな。早く済ませて来い。それまで闘いは待ってやる」

 遠ざかる『ライ&カメレオン』の声。兄の英造が言っていた。インドマンに成る時に別の場所に意識が飛ばされたと。きっとそれはその時と同じ現象なんだ。

 気がつくと私の体はその黒い煙に包まれて、ここではないどこかの異空間に飛ばされた。

 守られてばかりだった私がアクターとして戦おうとする覚悟。その決断が正解だったと、今は神に祈るしかない。

 気がつくと私の体は見知らぬどこかの神殿の中にあった。

 大理石で出来た床が目に入って仰向けになった体を起き上げると視線を支柱がむき出しになった高い天井から衣擦れのような音がする方へ移してみる。

 そこには目の大きな白と茶色の毛が混じったサルのつがいが毛づくろいをしていて、起き上がった私に気付くとおそらく私から引き抜いたであろう長い髪の毛を二、三本手にとって入り口の方へ飛び跳ねていった。

 それにしても、私は頭を落ち着かせるようにしてここに辿りつく前の記憶を紐解いていく。

――私を襲いに来た敵とキタローのアクターバトルの最中にインドで拾ったコンパクトを開いて気がついたらこの謎空間に飛ばされた。

 威圧感のある格調高い壁画の前に置かれた長台の上にまるで神様への添え物のように私の体が乗せられていて辺りを見渡しながらその装飾台を降りる。

 ここはどこなんだろう。至るところに傷が刻まれた天井を支える柱に括られた燭台の上にこうこうとローソクの火が点っている。どちらかと言えば洋風の神殿というよりかはBSチャンネルで見かけるような東南アジアにある寺院の雰囲気に近い。

 まぁ国営放送の受信料を払っていないみんなにはこれ以上現場の詳細説明しても伝わらないだろうし、こうしちゃいられない。

 光と煙に包まれて来たことから、おそらくここはアクター空間特有の仮想世界なんだろうけど、体に生ぬるい風を感じる。なんだか生理的に嫌な気持ちがしてスカートのポケット越しに下着をまさぐってみる。よし、純潔は守り抜かれている。

『目覚めたようね。我が主と心を通わせる者よ』

 ふいに細い声が聞こえてきて、ポケットから手を出して気を巡らせる。少し離れた場所の柱の影からローブを羽織った背の高い女の人がこつ、こつと大理石を踏みしめながらこっちへ歩いてくる。

 フードの下から覗く美しい顔をした褐色の女性は私の顔を見て少し興ざめた口調でこう言った。

「あら、貴女。良く見たら。祈り子にしてはトウが立っているわね」

 感情の読み取れないポーカーフェイスからのパッと花が咲いたような体温の通う柔らかさを持った声。私は少し呆気にとられたけど、「わ、悪かったわね!ロリじゃなくて!」と平静を取り繕って声を張った。

 東南アジアの国では偉い人がその年に生まれた女の子を選別して神の使いとして初潮が始まる日まで祭り上げるという慣わしがあるのをみんなが受信料を払っていないBSチャンネルで知った。

 目の前のローブの人は私の事をその祈り子だと思っていたのだろう。残念ながら私は無宗教のノーフェイス・ジャパニーズガールである。今日からあんた達の神サマとやらに心血を捧げよ、とか言われても無理だかんね。

 額に三つ目のくま取りを施したその人は「これを」と私の後ろにある大きな壁画を振り返るよう目で示した。

 その絵には阿修羅を思わせるたくさんの腕を持つ色黒の鬼とその腕の一組に抱かれる下半身が虎の女性が描かれていた。鬼の目は見開かれて各々の腕には剣や槍といった武器、或いはベルや指し棒のような枝が握られていた。

「そこに描かれている思想は極彩色の絢爛模様。人の持つ業、欲望と絶望、そして狂気。猥雑と崇高。狂暴なまでの生命の躍動。本来の仏教のあるべき姿です」

 絵の解説をするように私の横に立ってその人は言う。……思い出した。美術の授業で見たことがある。この絵はチベットの有名な仏画のひとつだ。手を叩いた私にその人はこう告げる。

「主に選ばれた貴女はこれらの感情すべてと向き合う必要があります。貴女は我が主を千年の長き眠りから解いたのです」

「ちょっと待って。理解とツッコミが追いつかない。なんでインドで拾ったコンパクトにチベットの神様が閉じ込められてたのよ?」

 私が目を寄越すとその人は答えづらそうに咳払いをひとつ。

「…話すととても長い話になりますがよろしいですか?」

「いいよ別に。どうせ寺院から盗まれた装飾鏡がガンジス河を渡ってインドのスラムに流れ着きました、みたいな話でしょ?私には時間が無い。早く戻ってキタローを救わなきゃ」

 私がそう言うとその人は少しほっとした表情で息を吐いて胸元に両手を置いた。てか、話したくなかったんかい。私も少し気が抜けてきて頭に手をまわして溜息をついた。

「そんな事言われたって無理よ。あたし、コンパクト拾ってここに飛ばされただけだもん。仏教千年の歴史とやらも知らないし、あなたが望むような事は何にも出来ないし」

 私が少し悪態をつくとその人は苛立った表情を見せる事無く温かい口調でこう諭した。

「貴女はその権利を既に手に入れています。鏡に封じられし我が主は自ら貴女を選びました。卑下する事はありません。そのチカラを正義の為に振るうのです」

「へぇ、なんだかヒーローモノっぽくなってきたじゃない。良く分からないけどあたしもアクターとしてのチカラを得たって事でいいんでしょ?それで、どう帰ったらいいの?」

 私がそう訊ねるとその人は視線を壁画の中心に向けた。「絵がワープホールになっているってワケね。何か最高に嫌な予感がするけど」そう言って私はローファーの踵を鳴らしながら階段を一段ずつ上ってその祭られた絵に近づいていく。

 間近に寄ると絵の凄まじい迫力に気圧されて私はその場に立ち竦んでしまった。てか常識的に考えてこんな怖い絵の中に飛び込むなんて、そんなん無理でしょ。後ろでそのローブの人が片膝を付いて祈りを浮かべている。そして化粧だと思っていた額の目がかっと見開かれて辺りが眩しい光に包まれた。

『全ては夢、まぼろし』

 その一言に背中を押されるように手を伸ばすと絵の中からドス黒い触手が生えて私に腕にぎゅるり、と不快な音を立てて巻きついた。悲鳴を上げるより先に絵の中の世界へ体が放り込まれる。

 光も重力さえ感じさせない空無の中で頭の中に様々な映像が流れ込んでくる。生命の繁栄、戦争、そしてやり場のない怒り。焼け野原からの再生。再度訪れる絢爛たる繁栄のゾートロープ。

 処理速度が間に合わない膨大たる情報量に吐き出されるより飲み込まれるように脳味噌に書き込まれる神経回路。

 なによ、なんなのこれ。止めて、誰か助けて……!

 真夏のマラソン大会で酸欠になった時みたいな極彩色に染まる景色。切れ切れになる意識。

 溺れるような感覚の海を流れのままに抜け出すと、産み落とされた胎児のように私の体は元居たアクター空間の中に立ち戻った。

「お、思っていたより早かったようだな」

 私が居ない間にいたぶっていたアンクの体から手を離したカメレオンが私の姿を見つけてマスク越しに鼻で笑った。地べたに転がるキタローの容態を見て私の背筋にぞわじわとした怒りが湧き上がってくる。

 転送前は無事だった反対側の腕も無残に捻じ曲げられていた。意識が既に途切れかけているのか、私の呼びかけにもキタローは反応を示さない。

――絶対に許しちゃいけない。この人だけは絶対に!私はポケットからコンパクトを取り出してその手を前に突き出して反対側の拳を腰の位置で握り締めて発声した。

「変身!チベットガール!」

 コンパクトから光が溢れて身体がそれに包まれた。私のアクターとしての戦いがここから始まっていく。


 私を包み込んでいた光が止むと真っ白な視界が開けて意識が元居た戦場に戻ってきた。サナギが蝶に成り代わるような全能感が体中を駆け巡っていく。これは、この姿は、本当に私なの?

 敵のライ&カメレオンに足蹴にされていたオクトアンクに変身しているキタローが地に伏せていた顔を上げて細い声を紡ぐ。

「もしかして、六実オネェちゃん?その姿は…!?」

 良かった。キタローはまだ再起不能じゃない。声の調子から安心して息を吐くとグローブのはめられた手の平に視線を落とす。踵の高いロングブーツに丈の短いスカートから伸びたストッキングフォーム。首元になびくピンク色のスカーフが目視で確認できる。

 おそらく今の私は戦隊モノのヒロインみたいな服装をしているのだろう。「ほう、戦闘者のソレらしい姿に化けたな」敵であるライ&カメレオンが満足げな声を出してこっちへ足を踏み出してくる。

 思わず壁を作るように体の前に腕を構えるけど私に武道の心得は無い。普通の女の子と比べて背は高いほうだけど相手はボクシングの元日本チャンピオン。並みのアクターなら組み合うまでも無くいなされて、まともな勝負にならないだろう。

 どうしよう?砂利を踏みしめて半歩後退すると頭の中で『逃げてはなりませんよ。主に選ばれし乙女』と聞き覚えの有る声が鳴る。精神世界で潜った心理の絵画を思い出して私は瞬時に声の相手を把握する。

「どうすればいいの?」私が訊ねるとその巫女さんは言った。

『貴女は既に全能のチカラをその身に有しています。貴女が理想とする世界を思い描くのです』

「そんな、いきなり中二チックな事言わないでよ!こっちはもう敵が目の前に来てるんだから!チュートリアル無しでいきなり実戦とかありえないし!」

「何をブツブツ言っている?」私が脳内フレンズとのやり取りで泡を食っているとカメレオンが指の骨を一本ずつ鳴らしながらヒュっと短く息を吐いて体を屈めた。

「知っているはずだろ?俺は相手が女子供だろうと手は抜かない。もう二度とアクターとして起き上がる事がないよう、恐怖をお前の心理に刻み込んでやる」

 いい終わるが先か、相手は低姿勢から勢い良くダッキングを仕掛けてきた。距離を詰めて一気に畳み掛けるつもりだ。


――キタローをギタギタに傷つけたこの人は言っていた。人の行動原理の一つは恐怖だと。

 恐怖で人を支配する?確かにあなたは凄い格闘家だったかも知れないよ?でも上の世代が下を弱いものいじめするなんてそんなの只のパワハラじゃんか。そんなの絶対間違ってる。

 戦ってやる。目の前の恐怖から逃げちゃダメだ!

 私は覚悟を決めて足元にあった石ころを握り締めて相手に向かって投げつけた。

「宙に浮いた石ころは隕石になる!」

「はっ?どういう事だ?」

 私の声のでかさにビビったのか、それとも相手の未知の能力に警戒したのか。カメレオンは私の二メートルほど前で立ち止まるとその場で体を起こした。するとどこかからドゴゴ、と地なりのような音がする。

「六実オネェちゃん!上だ!避けて!」

 キタローのキャンキャン声が聞こえて視線を上げるとそこにはありえない光景が浮かんでいた。アクター空間の空天井から大岩のような大きさの真っ赤な隕石が猛スピードでこっちに向かって飛び込んでくる。

「きゃ、危ない!」

 自分とカメレオンの間に墜落した隕石からとてつもない風圧が生まれて思わずその場を飛びのく。「くそ、こうなっちゃ堪らん」同じように吹き飛ばされたカメレオンが起き上がってキタローが寝転がっている方へ走り出した。

…あの卑怯者。キタローを人質にして私にこの能力を使わせないつもりだ。

「驚いたぞ。日比野英造の妹!だがお前が再びそのチカラを使えばこいつの頭を踏み砕く」

……出た出た。世界を相手に戦ったボクシングチャンピオンとしてはあまりにも貧弱な、ありふれた脅し文句。

「やってみなさいよ」

「えっ!?まじで言ってんの!?六実オネェちゃん!」

「そうか、ならば容赦はしない!」

 意識をせずとも体の前で指が勝手に動いて印が刻まれる。カメレオンは焦った動きでキタローを地面に転がすとその頭目がけて右足の底を思い切り打ちつけようとした。

「うわぁああああ!!六実オネェちゃんっ!アクターの能力を使ってホテルに連れ込んでエロい事しようとしたのは謝るからっ!!もうしませんからっ!助けてよっ!!」

 キタローの泣き声交じりの謝罪を受けながら印を結び終える。たく、このマセガキめ。今更罪の重さを理解したか。呆れて私はその小学六年生の頭を指差した。


 心配ご無用。当方に迎撃の用意あり。

「はははっ、これで終わりだ!こいつの持ってるカードだけでもすべて奪い取ってや、る……?」

「タコの頭はゾウが踏んでも壊れない!」

 踏み込んだカメレオンの足がオクトアンクの頭にがぎん、と金属音を残して弾かれる。「な、どうなっている?」事実が受け入れられず、何度も頭を踏みつけようとするがその度に足は弾かれて何度目かの衝撃でカメレオンは体の重心を崩した。

 絶好のチャンス。私はそそくさと回りこんで相手が起き上がったタイミングで顔面に渾身のビンタをくれてやった。

「必殺、超次元曼陀羅掌ちょうじげんまんだらしょう!」

「う、ぐ、おおおぉおおおおお!!!」

 掌を当てた瞬間、辺りがスローモーションに流れ、耳にヒットした指がゆっくりとその顔を歪めていく。腕を伝って脳神経にビリビリと電流が溢れる感覚。

なんだこれ?相手のマスクに当たっている腕から相手の思考が流れ込んでくる。写真で切り取られたようにある男の半生が目の前に断片的に浮かび上がった。

『最初は、筋肉を見せたかった。トレーニングによって鍛え上げた筋肉を向かってくる相手や観衆たちに見せ付けたかった』

 男の声が頭の中に響く。この声はもしかしてライ&カメレオンの中の人、柳下誠二の心の声。思いもしなかったその独白に私は慈悲を持ってその声に耳を傾けてみる。

『防衛戦で敗れ、ボクサーを引退した俺を、誰も相手にはしなくなった。インストラクターを始めた俺に対してどいつも見下したような態度を取りやがる。俺はチャンピオンだぞ?お前らが憧れ、努力しても辿りつく事が出来ない場所にいた王様だ。
どいつもこいつも、王である俺に対して生意気なんだよ!そんな俺の地位を脅かす若いガキ共の芽はすべて、摘み取ってやる!』


――哀しい。三十過ぎた大人とは思えない、子供じみた傲慢な思い込み。そんな老害的思考はこのチベットガールが塗り替えてやる!

 頬に当たっている掌に力を込める。「悪の格闘家は正義の武闘家に改心する!」反対側の指で印を切って、利き手で思い切り弾き飛ばすように腕を振るうと相手の身体が宙に浮いた。体を入れて腰を捻るとライ&カメレオンがまるでカートゥーンアニメの様に吹き飛ばされて天井と地面に何度もゴチゴチと頭と体を打ちつけた。

「ぐ、まさかこの俺様がこんな女子供に敗れるとは…!ぐふっ」

 床に転がったカメレオンのフォームが取れ柳下誠二が口から血溜りを吐くと頭の中で機械的なナレーションが鳴り響いた。

「勝者、チベットガール。このバトルにより、新たに『悪魔』のカードを手に入れました」

 えっ、勝ったの私?アクター空間の天井からきらきらと揺れながら装飾が施された一枚のカードが舞い落ちてくる。そのカードを手に取ると額縁の中にXVという数字に囲まれた羽の生えた悪魔の絵が描かれていた。

「すごいよ、六実オネェちゃん!さすがインドマンの妹!」

 アクター空間が解除され、変身を解いたキタローが私に向かって飛び込んでくる。腕を巻きつけて抱きつこうとしてきたマセガキを足払いで振り解くと私は立ち上がった柳下誠二に告げた。

「二度と私たちやジムの後輩たちに嫌がらせをしないと誓って。アクターの能力は人を傷つけるものじゃない。世界を目指した貴方だったら分かっているはずでしょ?」

 私の言葉を受けて柳下誠二は「可愛がりもバレていたとはな」と頭を掻いてその場を立ち上がった。その目は試合で全力を出し切ったアスリートのように透き通っていた。

「キミの言うとおりだ。俺は今までアクターの力を悪用してカードどころか相手のベルトにまで手を掛けようとしていた。そればかりかジムの後輩たちにまで嫌がらせを……そこの少年、キミにも酷い事をしてしまった。許してくれ」

「ねぇ、あの人どうしちゃったの?気味が悪いよ」

 爽やかな顔で握手を柳下誠二を私の背中越しに見上げてキタローが訊ねてくる……まったく、こっちが知りたいわよ。チベットガールの『理想を現実に変える』チカラによって別人のように変貌した柳下さんが私たちに両手を広げて熱弁を奮っている。

「俺は嫉妬していたんだ。キミ達のような若い才能に。これからは心を入れ替えてベテラン格闘家としての経験を持ったアクターとして勝ち抜いていくぞ!」

「そ、そうですか。行こうキタロー」

「わ、ちょっと待ってよ!六実オネェちゃん!」

 ここに来る前に買った商品袋を掲げて改心した柳下さんを適当に追い払うと私たちはそそくさとその場を後にした。すると普段は閑静な街中の歩道に大勢の人集りが出来ていた。

「キャー!チベットからアライラマ三世が来日してこの町に来てるらしいわよー!」

「ホントにー?あたしも幸せパワー分けてもらわなくちゃー」

 狭い歩道を私たちにぶつかるようにして駆け出していくオバちゃんたち。後ろからひょっこり顔を出したキタローが私を冷やかすように笑った。

「せっかく母国の一番エライ人が来てるだから聞いちゃいなよ。チベットガールのパワーの秘密」

「いや、たぶんあの人も知らんし」

 道路の向こう側から野次馬オバちゃんたちの黄色い歓声、もとい動物的な鳴き声と化した叫びがアスファルトが揺らしている。反対車線を走る黒塗りの高級車の窓から見えた壮年の男性は私の姿を見ると顔の前に手を合わせて笑顔を向けてきた。

「はは、あっちから挨拶してきた。ほら、六実オネェちゃんも、って、ぐはっっ!」

 近くに寄ってきたオバちゃんたちの人波に飲み込まれるキタローの手から買い物袋を奪い取る。ひとりになった私は自分の家に繋がる帰り道で昼間の月を見て呟いた。

「全ては夢、まぼろし、か」

 あの空間で見た曼陀羅の絵画と巫女さんの三つ目が脳裏に焼きついて離れない。私、本当にアクターになっちゃったんだな。手に握られた『悪魔』のカードを眺めながら感慨深く溜息をつく。

 混迷を極めるアクターバトル。何時までも守られるばかりじゃ居られない。私も戦うって決めたんだ。想いを新たに私はガードレールに腰掛けていた体を起こしてゆっくりとその道を歩き出した。

第十一皿目 CIBETTOさん

 -完-


sage