「それって……どういう意味ですか?」
「あの子は、あんな若い内からコーチに落ち着いていちゃいけない選手なのは分かってい
るだろう?」
それは、まぁ桜井の実績を考えれば引く手数多のはずだ。それにあの判断能力。マータ
イ女史でなくても勿体無いと訴えるだろう。だけど……
「御手洗さん、確かに僕も佐々木君も優秀なキャッチャーを探しています。この東京全体
を探したってあんな逸材はそうそういません、だけど」
桜井自身のスタンスが気になるのだ。あのバッティングセンターでの健太郎とのやりと
り、今日の試合後の苦々しい表情、プレイする事に何か想いがあるのかと思わせるのだ。
「何故、桜井君は今アスレチックスでコーチを?何故選手をしていないんですか?」
正直、俺達がアイツを勧誘するかしないかという問題そのものに、アイツの事情が関係
あるとは思えない。仮に何らかの事情があるにせよ、御手洗さんが俺達に『桜井を部活に
入れろ』という頼んでいるのだから、これは健太郎の単なる興味なのかもしれない。
例えば、俺がシニアを辞めた理由は受験だ。よくある事だ。俺自身、野球が嫌いになっ
たわけでもないし、ましてや怪我をしたなどというワケでもない。ただ、このまま野球を
続けていれば、いつか自分は弟が誇れる兄貴という舞台から降りなければならない、そう
思っていた。女々しい限りだ。お陰で東京じゃ難関といわれる進学校に入学出来たのだが。
「いいかな、内緒にしていてくれよ彼には」
そう言って御手洗さんは、お通しに出された、空になったお新香の器を卓の通路側に寄
せた。そして、すぐに三つの器を乗せた盆を持つ店員が現れて、テラカツ丼を俺、健太郎
の目の前にでんと置いた。御手洗さんは……なんだろう、ざるそばって。
「あれは……彼がポニーリーグのチームでキャプテンになって迎えた夏のリーグ戦前の事
だったな」
ざるそばなら話していても伸びないからか……。
御手洗さんが、窓から望む街道の車の往来を一瞥した。
「ごちそうさまでした」
行儀良く、健太郎が合掌しながらそう言った。テラカツ丼は何処かへと消えた。