Neetel Inside 文芸新都
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「さてと……」

 汗で蒸れたパッドに不快感を覚えながら、独りごちて俺はボックスで腰を下ろした。
 さて、この回は……健太郎の思惑通りだったとは言え、あのナックルをフルスイングで
当てたスキヤキさんだ。この人にインハイは相当危険なんじゃなかろうか。

「……っておい!」
 俺の視線の先にいるのは我等が本格派ジャイロボーラー、健太郎だった。左腕が付かな
かったのは

「グローブが逆だ馬鹿!!」

 悪ふざけのお陰だ。

「良いから構えろ」

 なんてこったい。
 文句も聞き入れず、健太郎大親分はノーワインドアップでモーションに入った。意外と
サマになっている。ああそうだ、インハイだったな。




 そして、また風が言葉も無くホームベースの上を駆け抜けた。



「Oh my god….」



 諦めにも似た感嘆の篭った声を漏らした、スキヤキさんは今、俺の足下で尻餅を突いて
いた。
 何が……起きたのか、目の前の光景を認めざるを得ないにも関わらず俺もスキヤキさん
も、お互いの仲間達も(この場合、哀れな審判団は俺達の仲間になる)……把握しきれて
いない、そんな表情をしていた。ただ俺の後ろの主審の腕は高々と挙がり、ゾーンぎりぎ
りのインハイに構えた俺のグラブの中には真新しいトップボールA級が収まっているとい
う事実があった。

「嘘だろ……」

 相手ベンチからは『ジーザスクライスト!』なんて頭を抱えているメンバーも見えた。
 軟式にも関わらず不必要なホップも無く、まるでポイントを絞らせないジャイロボール
の剛球を放る健太郎は間違いなく左利きだ。しかし、今目の前のマウンドに立つ彼奴のグ
ラブはその黄金の左手にはめられていて

「地面から……五センチくらいしか離れてなかった」

 呆けて腕を下ろせずにいた主審がそう評したように、健太郎は右腕で見事なサブマリ
ン・アンダースローの速球を放ったのだ。右手を副えてインハイに構えたグラブに寸分
違わぬコントロールで収まったこの球、おそらくスキヤキさんには地面から自分の顔に
突撃してくるように見えたのだろう。何せ球速が百二十キロは軽く出ていた。右腕投手
ではあるが……三次元クロスファイヤーといったところか。

「さっさと投げろよ!ミッキーがバイトに遅れるぞ!」
「ナーイス……ピッチ。この調子で行こうか」

 もう何も言うまい。いちいち驚くだけで一試合分疲れる。
 そうして、健太郎はガルベスばりの投球ペースで、プラン通りの九球でこのイニングを
終えてしまった。
 コイツが素直に人のバイトの予定合わせに付き合うハズがない……嫌な予感が拭い切れ
ないが、前途ある若者のアナルが守られた事だけは確かだろう。

「しかし、あの野郎のドSっぷりにも参ったものだな」

 早々とベンチに下がっていた笠原さんがぼやいた。彼だけではないが、その表情には初
回に見えていたような不安の色はない。

「別にSってワケじゃないんですよ、笠原さん」

 剥ぎ取るようにレガースを外している俺の横で、健太郎が我が身に降りかかっている偏
見に反論した。単なる草野球だからレガースなんて……そう思っていた当初だが、思い直
して良かったと今思う。

「じゃぁ一体?」
「俺の好きこのんだ行動がたまたまみんなの迷惑になっているだけで」
「それをドSって言うんだよ!!」

 なんだかんだ、健太郎のペースにはまっているお陰でみんな無駄な緊張を感じずに試合
出来ているんだよな。

「これが普通に野球部だったら良いのにナ……」

 少しだけリトルシニア時代の感触を思い出して切なくなってきた。



       

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