ハード・パンチャー



 握り締めた拳が震えているのは、何か伝えたいことがあるのだろう。エンプティ=ディーラーは耳を澄ませているかのような表情で、じっと床を見つめていた。
 ぼんやりとそれを見ながら、リザナはなぜ奴隷人形がそんな動きをするのかがわからなかった。所詮、人形は道具に過ぎない。道具であるということは、使い手を求めないということだ。もし銃や剣が誤った使い方をされたとしても、それは武器が困惑したり心配したりするような必要はない。担い手がすべての責任を負い、勝手に生還したり、勝手に絶望すればいい。そんなもの、剣には興味もない。使われて、壊される。それが道具の宿命。他に無い。

「真嶋慶」とヴェムコットが言った。
「おまえ、なにしてる?」
「手札を破棄した」と慶は答えた。雪のように散ったカードの切片を灰皿の中に、律儀に一つずつ摘んでは舞い落としている。静寂に包まれたカウンターの空気をしばらく吸っていたが、やがて肩をすくめた。
「なあ、やっちまったものはしょうがない、もう元には戻せないんだ。そんな死にそうな顔するなよ」
「……おまえ、何か確信があってやったんじゃないのか?」
「べつにない」当たり前のように、
「それより、どうなんだ? 結局、俺が聞きたいのは、これでカウントになるのかってことだ」

 慶はどこから持ってきたのか、マッチを擦って灰皿の中の残骸を燃やした。

「だめなの?」
「……つまり、自分の手を見た後ならいざしらず、見る前なら、ドローカウントを増やした上で、引いてもいい、と? カードチェンジで」
「ああ。俺、いまなんつった?」
「カウントになるかどうか」
「じゃあ、おまえの言ってる通りでいい」

 なんだそれは、とヴェムコットが鬱陶しそうに顔を歪める。察してやって、あぐらをかかれては世話がない。

「カウントを大量に増やしながら、手札でも勝負するためには」
「これしかない。だから、できるのかどうか知りたい」

 慶はまるで、安心させるように微笑んだ。

「大丈夫だってば」
「……ちょっと待ってろ」

 ヴェムコットはポケットから、折り畳み式の携帯電話を取り出して、どこかと通話をし始めた。俺だ、と言ってからしばらく聞き、「見てたのか?」と言った後は、何も言わずに通話を切った。慶は目を瞠っている。

「ここ、携帯つながるのか?」
「このゲームの製作者に聞いた。真嶋、おまえの思い通りになったぞ」
「誰それ」
「この蒸気船を造った二人のうちの片割れだ。それより」

 ディーラーは、時を聴いているかのように静まり返った女を見た。

「リザナも、いいか? この戦法は、可能。イカサマでもルール違反でもない、ということで」
「それがルールなら護るしかないでしょう」

 退屈しているのか、電貨を一枚、指で滑らせ弄んでいる。

「この蒸気船を統べる私が、それを破るわけにはいきません」
「……すまないな」
「あなたが謝ることでは。ヴェムコット」
「……おまえら、どういう関係?」と慶に聞かれるとリザナは背筋を伸ばし、ヴェムコットは山札を思い出しカードを静かに抜いた。それを見もせずに、慶に問う。
「で、真嶋。どうする? この五枚が欲しければ、彼女の乗せた賭け金に付き合ってもらうが」
「なんかあやしいなあ」
「どうするんだ、と聞いている」
「わかってる、乗せるよ。6000だろ」

 深海のように青い硬貨を6枚放ると、ヴェムコットの伏せたカードに伸ばされた慶の手が死者の船の男に掴まれた。

「待て。彼女のカードチェンジが先だ」

 痛いなぁ、とぼやく慶を無視して、選択を尋ねるヴェムコットの視線にリザナは、手札から一枚抜いて答えた。

「チェンジ、一枚」
「はい」

 伏せられたカードを指で引き、エンプティがハーフデッキから一枚、リザナへと配る。リザナはそれを見て、すぐに伏せた。慶も拘束を解かれ、カードチェンジ――というよりも、『補給』と呼ぶべきかもしれないが――の五枚を手にした。それを眺めながら、皮肉げに笑う。

「普通のポーカーなら赦されないな、こんなの」
「ああ、そうだろうな。おまえがしたのは、厳密にはチェンジじゃないからな」
「ルールなんて、壊れちまえばいいんだよ」

 そのセリフにリザナが反応した。銀色の瞳に、鳥類のような透明で残酷な色が乗る。

「それが、あなたの考え方ですか?」
「え?」
「ルールなんて壊せばいい。護るべきものなどありはしない。そんなものを、確かなものだと、崩されるはずがないと信じた愚かしさこそが悪いのだと」

 慶が何か答えようとした、その唇の震えを待たずにリザナは言った。

「あなたはやはり、死ぬべき人です。真嶋慶」

 その手が、ラウンダーズ・グローブに覆われた指先が、硬貨の山を一つ、カウンターの照明の下に押し出した。

「レイズ、14000」

 レイズ、とエンプティが誰にも聞こえぬほど小さく呟く。

「マックス、リミット……」

 人形の蒼眼が、慶を追う。
 慶は、ただリザナを見ていた。その手が、電貨の山を一掴み削る。

「壊せばいいと、俺が言おうが言うまいが」

 投げられた硬貨が雨の滴のように瞬いた。

「壊れないものなんて、無い」

「――同額が場に揃った。最後に聞く。降りないな?」

 返事はなかった。二人のディーラーは、それぞれの相手の手札を掌で覆い、それを主の前で開けた。風が吹くようにカードが開かれる。


 リザナは、胸部、胸部、胸部、右腕、右腕(3-2)。

 慶は、右腕、右腕、左腕、左腕、左脚(2-2-1)。


 ヴェムコットの腕が、拒絶するように慶の賭け金を押し出し、エンプティの掌が、そっとリザナの前にそれを寄せた。
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