Neetel Inside 文芸新都
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 疑問が、嗚咽のように口から漏れる。
「なんで」
 本条次郎の机がけたたましく音を立てた。
「なんでだよ!! お前ら、この会議から抜けたくないのかよ!!」
 立ち上がり周囲を見渡すが、誰も目を合わせようとはしなかった。
 彼の醜態を眺めながら私は、現状を冷静に把握しようとしていた。私は理解している。この結果が、決して私の功績などではないことを。投票前に交わした私と本条次郎の議論。恐らくあれは、この結果にまったく影響していないはずだ。
 本条次郎は見誤ったのだ。人間の“罪悪感”を。本条次郎は過小評価しすぎたのだ。人間の姑息さを。敗因はひとつ。本条次郎の演説は、あまりにも完璧すぎたのだ。あれで八人の間には安堵の余裕が漂った。稲田正太郎に票を集め会議をここで終了させるという、確固とした意思疎通が成立していたはずだ。だが、あまりにも完璧すぎた。求心力がありすぎた。あまりにも、皆に安心を与えすぎた。
 ――つまり。彼らは、“自分一人くらい投票しなくても大丈夫だろう”と考えたのだ。
 見たか本条、人間の罪悪感というものがいかに強大か。人間の姑息さがいかに果てしないか。どうせ、今回の投票では確実に稲田正太郎に五票以上集まる。ならば自分はやめておこう。死刑執行のボタンを押すのは他人に任せて、自分は死に票を投じよう。なぜなら、その方が罪悪感を抱かなくて済むから。稲田正太郎にイジメられっ子の大役を押し付けたのは自分ではないから。1/8の罪悪感を避けた結果がこれだ。お仲間の愚かさを恨め本条。お前の完璧な立ち回りは、連中のくだらない自己保身のために敗れ去ったぞ。
「立会人!!」本条次郎は今度はこちらに矛先を向けた。「お前、本当に正しく投票用紙を読んだのか?!」
「……質問の意味がわからないな」
「“お前に都合のいい読み間違い”が百パーセント起きないと、保証できるのかってことだよ!」
「ふむ。なんでも疑ってかかる姿勢は評価できるが、なかなか、如何ともしがたいな。投票は非公表だから、投票用紙を確認させるわけにもいくまい。お前ら八人が筆跡を完璧に揃えてくれるなら別だがな」
「その点なら、安心してくれたまえヨ」
 公正委員会の一人、ひょっとこが静かに口を開いた。
「立会人の選挙事務に不届きがないことはこの我々が保証しよう。ましてや、票数操作の不正など。万が一そんなことが発覚すれば、この我々が責任をとるヨ」
「……本郷立会人にない信用が、自分たちにはあると考えているのがまったく意味不明だな」本条次郎はなおも食い下がる。「そんな提案しかできないなら黙っていてくれないか」
「血気盛んで結構なことだな。なら、どうする? 選考委員を辞退するか?」
 本条次郎とひょっとこの間に、分かりやすすぎるほどの火花が散った。五秒ほど。お互いがまったく退かずに視線をぶつけ合ったのち、先に矛を収めたのは本条次郎であった。どすん、と諦めたように椅子に腰を下ろす。
「いいだろう。会議が終わったら、投票用紙をすべて確認させろ。会議中の票数と齟齬がないか確認させてもらう。それなら問題ないだろう?」
「……いいだろう。“会議終了後、使用した投票用紙を確認する権利”を与えル」
 ひょっとこがそう言ったのとほぼ同時に、十人の公正委員が立て続けに“承認”の札を立てた。会議中、立会人の領分を超えた事象には公正委員会の判断を仰ぎ、過半数の承認で決定される。
 こうして、にわかに炎の上がった第二回投票は終了した。第三回自由討論へと移行するその隙間の時の中で、私は手元の資料に目を落とした。

 一年三組 稲田 正太郎
 細身で長身。顔も悪くなく、性格も活発。元来、弱い者イジメの対象になるようなタイプの生徒ではないが、弱きを挫き強きにへつらう性格から、クラスではヘイトを溜め込んでいる模様。嫉妬心や人望のなさから、本会議においては選任される可能性あり。また、もしイジメられっ子に選任された場合には、黙ってやられているだけの性分とは思えないことから、本制度が表面化する恐れあり。
 選任確率B イジメられっ子適正E

 教卓に潜ませた分厚い資料。たまたま稲田正太郎の分だけを用意していたわけでは、もちろんない。全候補者百五十二名分、すべての資料が公正委員会から配布されていた。

       

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