Neetel Inside 文芸新都
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 地味で、大人しい女。知念美穂については、近しい者でさえその程度の認識しか持ち得なかったはずだ。鉄仮面の下に潜ませていた激情に、誰もが息を呑む。
「うっざいなぁ」
 そんな息も詰まるような静寂の中で、犬飼美子が気だるそうに口を開いた。知念美穂が血走った瞳で犬飼美子を振り返る。
 ――犬飼美子。
 身長164センチ体重43キロ。中学一年にしてはやたらに大人びている女。すらりと細い手足に切れ長の瞳で、どこぞのモデルかのような容姿をしている。入学早々に高校生との不純異性交遊で問題となり、学級担任と交わした更生への要件として、一年四組学級代表に着任。しかし、お世辞にも学級代表向きの性格とは言えない。
「ならよ、代替案を挙げてみせろよ。みんなでよってたかって中島をイジメるって、そんなことにはならんって分かるだろ、常識的に考えて。大事なお友だちなんだろ? いいトコいっぱい、知ってんだろ? 他にもっとイジメられっ子に相応しい人間がいるって、私たちに説いてみせろよ。これは、そういう会議だろ」
 犬飼美子。こう見えて彼女は、選考会議とはなんたるかをいち早く理解しているようだ。そして、この制度のことも。選考委員が投票先から除外されていることに気が付かなかったのはどうかと思うが、“素質”は上々か。
「まあ、私はヒネくれてるからよ。お前のお涙頂戴を見せさせられて、一層、“大野裕子オトモダチ”をイジメられっ子にしてみたくなったよ」
 そう言うと犬飼美子は、ヒラヒラと投票用紙を知念美穂に見せつけた。

 第四回投票結果

 中島 香苗 一票
 福島 栄一 一票
 大野 裕子 二票
 菊池 昌磨 一票
 川辺 光  一票
 三浦 壮太 一票
 富田 里奈 一票

 初めて、稲田正太郎以外の人間が単独最多得票者となった。紛れもない、大野裕子に二票が積まれた投票結果を見て、知念美穂が裂けるほどに唇を噛む。そんな様子を、どうやら本条次郎は良しとは思っていないようだった。なにかを憂うように、知念美穂と犬飼美子の間を視線が行き来する。
「なあ」本条次郎は痺れを切らしたように立ち上がると、皆に向けて語りかけた。「こんな決め方でいいのか? みんなちゃんと、“誰が一番相応しいか”ということを考えて投票してるのか? ――特に、犬飼」
 犬飼美子は無言で視線を本条次郎に向けた。
「腹立ち紛れに投票したって仕方ないだろう。お前が本心で、誰よりも大野が相応しいと考えて投票したならそれでいいさ。だが、さっきのは違うだろ。本郷立会人も言っていたように、俺ら選考委員はイジメられっ子に選任される可能性を免除されている。その意図は“忌憚のない議論を交わせるように”なんだろう? 知念本人に投票できないからって、発言を批判してその友達に投票するってんじゃ、結局同じことじゃないか」
 先ほど知念美穂に名指しで批判されたから、というわけでもないのだろうが。まるで罪滅ぼしでもするかのように、本条次郎が知念美穂の擁護に回る。それを受けて、犬飼美子はまた憎まれ口でも叩こうとしたのであろう。眉をしかめて口を開こうとした寸でのところで、本条次郎がさらに言葉を継いだ。
「だが。犬飼が本心から大野に投票したのか、それとも知念憎しで投票したのか。本当のところなんて結局は誰にも分かりやしない。だから、どうだろう。“停戦協定”を結ばないか?」
 停戦協定? と、思わず声に出して反芻しそうになるのを私は寸でのところで堪えた。
「なんだよ、そりゃ」
「だからさ。たとえば、選考委員の友だちには投票できないルールを作るとか――」と本条次郎が提案すれば、一年二組学級代表、鵜飼登美子が「それ、いいかも」と同意した。しかして喜村恵一が「おいおい、俺は学年全員が友だちなんだけど? どうすればいいの?」と茶々を入れれば、一年三組学級代表、美浦千代は真面目に「たとえば、一人につき指名可能な人数を決めるとか」と折衷案を挙げた。さすれば犬飼美子が「学年全員は大げさとしてもよ。仮に指名人数が三人までとかなら、五十人友だちがいる奴と、たった三人ぽっち守れば気が済む奴とじゃ、公平とは言えないよなぁ。な、知念?」と憎まれ口を利くのもある種当然のことであった。
 そして私はそんな彼らの様子を見ながら、口角が上がるのを必死に堪えようとしていた。溢れんばかりの笑みが押し寄せてくる。
 ――飛ぶ、飛ぶ。回る、回る。駆ける、駆ける。
 意見が飛び交う。議論が回る。自由奔放な発想が駆け巡る。
 見よ。始めは会議に参加することすら拒否していた連中が、今や自らルールを起案するほどまでになった。美しいまでの、見事な“洗脳”。まだまだこれくらいでは終わらない。腹の底に隠した黒い感情をすべて吐き出すまで一人も逃がさない――。

       

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