Neetel Inside ニートノベル
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(五)

 会社帰りにはまだ早い時間だったが、駅前はそれなりに混雑していた。
 目印のモニュメント周辺で人混みを探していると、
「おーい、ここ、ここ。どーも、噂の陸人だよね?」
 斜め後ろから脇腹をつつかれる。
 死角に潜んでいたらしい。キノコ頭の男はいたずらっぽく狐のような目を細めている。背が低く、雰囲気も地味めだ。かといって根暗さが前面に出ているわけでもなく、集団に溶け込むタイプというのが印象だった。
「ああ、うん、優作に仲介してもらって……。しまった、ごめん、名前を聞いてなかった」
「増子阿斗里だよ。友達にはアトリーって呼ばれてる」
「よろしく、増子」
「ちぇっ、他人行儀で寂しいなァー」
「いや、そういうつもりじゃないんだけど。じゃあ、アトリー」
「いいよいいよ、名字のほうが呼びやすいなら名字で。気が合わないからって話し渋ったりはしないから。なんせ、報酬にたっぷりおごってもらうんだからね」
 増子はどこか嘘くさい笑みを浮かべながら、モニュメントを離れる。先行するからには当てがあるようだ。
「飯をおごればいいんだっけ」
「そのとーり。着いてきてよ、ちょうどいい店があるんだ。すぐ近くだから」
 僕は財布を確認しながら後を追う。途中で金を下ろしてきたから、足りなくなることはないと思うが。
 増子の言葉は本当で、店は、駅の出入り口と一体化しているといっていい場所に構えていた。
 『天国亭』と行書体で書かれた暖簾をくぐる。すると店員の挨拶とともに、香ばしい肉の匂いが漂ってくる。
「ミキさん、さっき予約したでしょ。個室いい?」
 増子は店員がうなずくのを確認すると、慣れた足取りで奥に向かう。
「ささ陸人、どーぞ座って」
 案内されたのは堀座卓の個室だった。
 壁が厚く防音性が高い。表のスペースとは距離もあるので、肉を焼く音はぼやけて聞こえた。
「内緒話をするにはぴったりでしょ? 親戚が経営しててサービスしてくれるから、よく来るんだよね」
「ふぅん……」
 生返事をしつつ、個室を見回す。
 ほの暗い照明のなかで、掛け軸と生け花だけが奥ゆかしく主張している。普段行くファミレスとは比べるまでもなくランクが上だ。恐ろしい気持ちでメニューをめくると、予期していた上をいく値段が並んでいた。正直どれもおごりたくない。
「どれにする?」
「じゃあ、これ」
「へー、小食なんだ。じゃあ、ボクはシャトーブリアンにしようかな」
「ちょ」
「冗談だって」
 増子はおかしそうに歯茎を露出させた。
 内心で優作に毒づく。口が軽いやつという要望からして善人が出てこないのは仕方ないにしても、もっとマシな人材はいなかったのか。
 店員が注文を取りに来る。飲み物は何にするかという問いに増子が答えた。
「オレンジジュース二人分、よろしくね」
「いや、僕は」
「いいから、いいから」
 僕の異を押しとどめて目配せすると、店員は去っていく。
 飲み物はすぐに運ばれてきた。
「かんぱーい」
「ああ、乾杯……」
 不審に思いつつも増子に倣ってグラスを傾ける。
「…………」
 口に含むなり、違和感があった。柑橘の風味に紛れて、独特の味と匂いが主張している。
「これ、アルコール入ってない?」
「入ってないことになってるよ」
「ってことは、入ってるんじゃないか」
 しかも結構、度数が強そうだ。
「話をしやすくするためにね」
「僕は聞くほうなんだけど」
「ま、ま、一人で飲むのは寂しいから、付き合ってよ」
 本題に入ったのは食事が運ばれてきて、しばらく味を確かめてからだった。急いで話を進めようとする僕をあしらったくせに、
「それで、誰について聞きたいんだっけ?」
 とぼけたように切り出してくる。
「……上村正史。と、それに関係がある人物」
 名前を告げると、増子は唇の脂を拭いた。
「あーやっぱり。他校の生徒がこのタイミングでっていうなら“悪鬼村正くん”のことだと思ってたんだ」
「悪鬼?」
「陸人は、直接本人に会ったことはあるの?」
 僕は少し逡巡してから答えた。
「いや、ない。まだ詳しくは全然知らないんだ」
「ふーん……。全然知らないのに調べたいんだ?」
「……僕は話す側じゃないだろ」
「怖い顔しないでよ。わかってるってば」
 噂好きといっても、人の悪評をばら撒くだけではネタ切れになる。放出した分だけ仕入れる必要があるのだ。増子は両方同時にやってしまいたいのだろう。
 僕は酒の入ったグラスを置いた。こちらには、探られて痛い腹がある。
 増子は表情から察したのか、観念したように話し出す。
「直接に会ってなくても、ニュースの顔写真は見たでしょ? でもあれって、昔の写真なんだよね。学園に入ってからの村正くん見たら絶対、ビビるよ」
「どうして?」
「なんて言えばいーかな。とにかく、おどろおどろしいっていうかね、人間離れしたカッコしてるんだよ。肌が紫色で角が生えてて……って、画像見せたほうが早いよね」
 口頭の説明だけでも悪寒が走った。早鐘を打つ心臓を自覚しつつ、差し出されたスマホの画面を覗く。
「ほら、悪鬼って感じでしょ?」
「……ああ」
 そこには、例の廃倉庫にいた生物がいた。いや、生物などという括りでごまかすことはできない。僕は、人間を殺したのだ。
 指先が震えはじめる。先ほどまでの決心はあっという間に挫け、現実逃避のために酒をあおった。
「おー、いい飲みっぷり」
「先を話してほしい。彼はどういう人物なんだ?」
「どういうねぇ……。まー、一言で言っちゃえば素行不良青年なんだろうけど。うちの学校は私立で髪の色とか緩い方だけど、いくらなんでも度が過ぎてるから先生たちもいい顔はしてなかったよ。
 でも、よくいる不良とはまたちょっと違うよね。群れて悪さするっていうよりも、悪趣味が行き過ぎちゃってる系みたいな。このカッコも、髪をピンク色に染めたとかだって話なら直せたんだろうけど、村正くんのは身体改造だもん。どうしようもない。知ってる? 身体改造」
「いいや」
「よくあるのだと入れ墨とかなんだけど。それ以外にも体中のいろんなところにピアスとかの金属つけたり、舌を蛇みたいに分かれさせたりして。普通の人間の姿から遠ざかろうみたいなロマン? っていうのは本人から聞いたんだけど。
 あとほら、ボディサスペンションっていうのがあるんだよ。皮膚にぶっといフックを引っ掛けて、体を宙づりにする儀式。信じられないでしょ、生身にそのまま穴開けて全身を持ち上げるの。wetubeで動画を見たけど、見ながら痛い痛い痛いって思わず言っちゃったよ。
 一年生のときの夏だったっけ。村正くんが二週間くらい欠席してて、学校に戻ってきたから聞いたら、ボディサスペンションの大会に出るために海外旅行してたんだとか。クラスメイトを片っ端から捕まえては『俺は常人にはできない体験をしたんだ。生まれ変わったんだ』って威張ってたよ。ボクらからすれば、生まれ変わるどころかますます変人ぷりが進行してたってのが笑えるところね」
「クラスメイトって言ったけど、友達は多かったの。あとは、親しい間柄の人はいたのか。……たとえば、恋人とか」
 すると増子は、顔を伏せて忍び笑いをした。遠慮がちだったが笑いは止まらず、やがて体が痙攣し始める。僕が呆気にとられているあいだも苦しそうに酸素を求めて喘いでいた。
「なに?」
「いやー」
 半笑いで呼吸を整えてから、ようやく居直る。
「いい質問だねぇ。まるで事情を知ってるみたいだ。ふっふ……。あーえっと、友達? 友達っていうか取り巻きはまあまあいたんじゃない。気軽に学校休んで海外行くくらい実家が金持ちだから、うさんくさそうなのが取り囲んでたイメージあるなー」
 “うさんくさそうなの”のなかに自分は含まれているのだろうか。僕の疑念を意に介する様子もなく、増子は再びスマホを取り出す。
「恋人もいたんだよねー」
 言いながら画面を操作して、僕に差し出す。
 開かれたページは動画ファイルを表示していた。
「ちょうど一週間くらい前かなぁ。村正くんは例によって学校休んでたんだけど、たぶん生きてたときだ。クラスの男子が仲の良い面子をこっそり集めて教えてくれたんだよね。“ビップクオリティ動画”って知ってる? 素人の投稿がたくさんアップロードされてるアダルト動画サイトなんだけど、そこに恋人のハメ撮りがあったんだよ。撮影者は声だけなんだけど、あからさま村正くん。もう、大ニュース大ニュース!」
 増子は興奮気味に両腕を広げた。
「女子って噂好きだけど、特に重要な話ほど、女子のコミュニティから外に漏れないじゃん。そこのところは団結力がさすがっていうか。でも、エロに関しては男子の団結力も捨てたもんじゃないなって、今回で思ったね。ボクの知る限り、この動画について校内の女子は誰も噂にしてないよ。あ、再生の仕方わかる? イヤホンは持ってるなら自分の使ってね」
 二の足を踏んでいるとスマホが奪われ、再生ボタンが押される。動画は始まってしまった。片耳にイヤホンを挿すと没入感が増す。もう引き返せないのだという気がした。
 ガサガサという物音と真っ暗な画面のあと、カメラは一人の少女を捉える。
「なに……。撮ってるの? やめてよ」
「いいじゃんいいじゃん」
「やだ」
「あとで自分で見返すだけ」
「それがいやなの」
 音質は悪いが、喋っている内容は聞き取ることができた。
 生活感のあるベッドの上だ。少女は撮影を嫌い、手で目線をつくっている。しかし、あまり意味のない抵抗のようだった。
「ふたりの愛の記録、燃えるだろ?」
「……なにそれ」
 撮影者の男がカメラの角度を変えた一瞬、少女の瞳が映る。宝石のような翠の輝き。
 間違いない。彼女はビップラ学園で出会ったあの女生徒だ。そして、長らく共に過ごしたフウリであることも認めざるを得なかった。
 内側から響くような頭痛がする。アルコールによって活発になった心臓が脈打つたび、破れんばかりに血管が膨らむ。
「かわいいでしょ? リンドブラード有栖って名前で、ハーフなんだよ。確か、母親が日本人で父親がスウェーデン人だったかな。もう離婚してたはずだけど」
 増子が横から補足を加える。
 動画では、少女が撮影者の男性器を咥えたところだった。撮影を嫌がりつつも場の雰囲気に乗せられているのか、積極的に行為をしているように見える。フェラチオには慣れているらしい。淀みなく顔をうごかしながら、卑猥な水音を鳴らしている。
「学園に入ってから、割とすぐに付き合ってたかな。有栖ちゃんのほうはそんな美人のくせに教室の隅っこで本ばっかり読んでるような娘だったから、異色カップルとして有名だったんだよ。まーでも、ボクとしてはビックリしなかったけどね。浮いてるって意味ではふたりとも同じだし、案外、お似合いカップルだったと思うよ。
 ほら、そーいうタイプの人ってたまにいるじゃん。イタンってやつ? 自分の世界に閉じこもって、他人からしたら意味のわからないこだわりみたいなのがある感じね。有栖ちゃんは小・中の頃いじめられてたらしいし。
 村正くんもさ、おもてっつらを過剰に取り繕ったりするのって結局、自信のなさの裏返しというか、後ろめたいことがある証だと思うわけ。で、そういうことを周りも察しちゃうから、真っ当な人ほど離れてって、さらに悩みの種が増えるのよ。傍から見てると、もっとテキトーに生きればいいのになーって思っちゃったりするね。たとえば、ボクみたいにさ。ふっふ……。
 話が逸れちゃったな。それはさておき、さっきも言った通り、その動画がアップされたのって一週間くらい前なんだよね。つまり、村正くんが死んだ数日前ってこと。これって、偶然にしてはできすぎでしょ? 男子たちのあいだじゃ専ら、有栖ちゃんが村正くんを殺したんじゃないかって噂されてるよ。
 有栖ちゃんも元から不登校気味で、ここ数か月、まったく学校来てなかったんだよ。もう留年確定だろうに彼氏が殺されてから突然登校してくるし、タイミング怪しすぎなんだって。いまじゃ噂に尾ひれがついて、有栖ちゃんが実は魔女で、村正くんを呪い殺したとかも言われてる」
 画面のなかで、少女が体勢を変える。仰向けになり、顔を隠すことも忘れて脚を開き、陰部をさらけ出す。撮影者との接続が果たされる前に、僕は動画を止めた。
「あれ、もういいの? 一応、本番まで撮影されてるよ。最後は尻切れトンボだけど」
「…………」
 黙ってスマホを突き返す。
 僕の憔悴した様子を見て、増子が下品に口を歪めた。
「てかさ、陸人やっぱり、村正くんとか有栖ちゃんとなんかあったでしょ。気になるなー、教えてよ、誰にも言わないからさー」
「増子、その有栖って女の連絡先を教えてくれ。教えてくれたら今度、僕が持ってるとっておきの情報を全部話すよ」
 僕は財布を取り出しながら尋ねる。教えてくれないのなら、殴ってでも聞き出すつもりだった。
 増子もこちらの必死さを察してくれたのか、もったいぶるようなマネはしない。
「そ、そんな怖い顔しなくても教えるって」
 伝えられたアドレスをスマホに登録する。
 僕は短く礼を言って、財布からあるだけの金を放る。驚いたように口を半開きにする増子を尻目に店を出た。

       

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Neetsha