「また私の夢を覗いていたのか?」
夢見が悪いときはいつもそうだった。シグレが話の最中に寝てしまうと、イザヤは夢の中にまで出てくる。時には旅人、時には侍従、時には町の商人、時には夢の語り部の役になることもある。
「貴方が珍しく前の世の事を見ておられたので。普段忌み嫌っている物事ほど、夢には出やすいものです。この度は、驢馬を引いた従者として拝見しておりました。貴方の肉親に対する愛憎。特にお父上様に対して━━」
「イザヤ。貴様は心臓を貫かれたら死ぬのか?」
「どうかお止めください。きっと、言葉を奏でながら、のたうち回るでしょう。」
「興味深いな。どんな詩だ?」
イザヤはすぅっと息を吸うと謡いだした。
「押し殺すことができようか、古くて長い悔恨
生きて蠢き身をくねらせ、私たちを餌食にする
まるで死人を喰らう蛆虫か、樫を食う毛虫のような
情容赦もない悔恨を押し殺すことができようか
どんな媚薬、どんな葡萄酒、どんな煎じ薬の中に
昔ながらの敵を溺れさせようか
貪り食うことまるで浮かれ女のよう
辛抱強さは蟻そっくりのこの敵を
どんな媚薬、どんな葡萄酒、どんな煎じ薬の中に━━」
「分かった。もういい。お前だけは殺さないことにする」
「それを聞いて安心致しました。」
イザヤは言葉で人を殺す。
正と奇の間を無限に変化させて思い通りに人を操ることが出来た。
それ故にシグレは時折、イザヤを恐ろしいと感じることがある。彼の言葉の前では、自分の槍など、まるで螳螂の斧に見えてしまう。おかしな予言に振り回されながら、自分はイザヤの手の平の上で、意のままに操られているのではないか。
だがイザヤはシグレに対して正直であったし、どこまでも従順だった。
そうしていると、イザヤがまた言葉を紡ぎ出した。
「小枝たちが混乱と騒乱の中にいることを、聖なる処女が聞きつつ、 喧騒を鎮めるために導かれるでしょう。 その導きによって、剃髪たちで一杯にするでしょう。」
「そして、当たらない予言か。だが、いつもの詩想とは違うものだな。」
「ですが、それでも貴方は信じてくださる。」
信じる。果たして今の自分に信じるという感情はあるのか。
シグレは背を向けた。
「行ってくる。イザヤ。」
シグレはフルフェイスのマスクを被った。マスクにはカラスの意匠が施されている。
神話に登場する戦いの女神は、戦場にワタリガラスの姿となって現れ、戦場に殺戮と死をもたらすものとして描かれている。このマスクは以前、ある人より譲り受けたものだった。
シグレは、背の向こうに声を低くして言った。
「次、父の事を口にしたら、貴様の心臓をもらう。」
イザヤの返事はなかった。
シグレは跳んだ。垂直な路地の壁の間を、右へ、左へ、僅かな足場を踏み台にして素早く駆けあがっていく。慣れた技だった。殺しに使う手段は誰よりも早く覚えることが出来た。
やがて建物の屋上に立ったシグレは、目を凝らし、耳を澄ました。その姿はまるで、上空より獲物を狙う猛禽類のようだった。
殺さねばならない者達が今夜もいる。今回、シグレに殺しの依頼をした者は、もうこの世にはいない。請け負った翌日に殺された。
だが、依頼者の復讐心が、自分の魂の中に居座っている。復讐によって人の魂をかき乱し、それに狂気の踊りをさせる。シグレは跳躍すると、ビルの間を疾風の様に駆けだした。