キムと会って、徒労感だけが残った。何の情報も得られなかったに等しい。



 彼は保身に走るだけの男だ。恐らく、仮に彼が龍門会のトップになったとしても、決して長続きはしないだろう、とウツミは思った。



 家までの道には雪が薄く積もっている。今日の午後三時頃から降雪の予報がされていたことを思い出した。傘を持たずに署を出たばかりに、雪の中を帰ることになった。



 今晩は休暇だ。久しぶりにアリスと夜を過ごせる。家の影が見えてくると、歩くスピード速くなる。彼女を抱いていると、逃げ出したくなる苦しみから解き放たれる感覚になる。一人で眠るのは苦痛だった。眠りに落ちるたびに、微睡の中で失った者たちの顔が浮かんでくる。だが、夜に犯罪取締人をする上では都合が良いのかもしれない。そう思っているうちに、ウツミは玄関の前にいた。



 「ただいま、アリス。」

 扉を開けると、カレーの香りがぷん、と鼻に届いた。空腹のときにはたまらない香りだ。

クリスマスの夜以来、アリスはウツミの家にいる。



 シグレや、怪しげな集団からの危険を避ける為だった。



 アリスが家を出て行ったときから彼女を見つけるまでの間の記憶は、今でもぼんやりとしている。



 冷静さを失った為に場所を突き止めるまで時間が掛かり、危うく彼女を大きく傷つける結果になりかけた。もう二度と、あんな思いはしたくない。ウツミは、危険が去るまで彼女を家に住まわせる事を決めた。



 ウツミが玄関で靴の汚れを落としていると、背後からアリスの足音が聞こえた。



「パパ、おかえり。」



「食事を作ってくれたんだね。ありがとう。焦がさなかったかい?」

「カレーを焦がす訳ないでしょ。それに、昨日のアレは少しミスしただけよ。」



 昨晩、アリスはチキンステーキを作ろうとして失敗していた。



 インターネットで作り方を調べている間に肉を焦がした。ウツミが帰宅したとき、必死にフライパンを擦って汚れを落とそうとする彼女の姿があった。



「ほんの冗談。今、着替えてくるからね。」



 ウツミはくすっと笑うと、寝室の中に入った。

 今が幸せだ。脱いだコートをクローゼットのハンガーに掛けながら、ウツミはそう感じた。



 朝起きたときから夜寝るときまで、自分が家にいる間はずっとアリスが傍にいる。彼女を外の危険から守るはずが、今では彼女無しではいられない自分がいる。



 だが、出来得るなら、ずっとこのままがいい。ウツミは自嘲気味に笑った。



 ウツミがワイシャツを脱いだとき、背中に何か触れた感覚があった。振り向くと、ウツミの背中を指先でなぞるアリスがいた。

「これ、新しい傷でしょ。」

「ごめんよ。隠す気はなかった。」

「隠してもすぐ分かるわよ。パパの躰を一年以上見ているもの。」



 一昨日の深夜、路地奥で女性を強姦していた男に、背後から刃物で付けられた傷だった。襲われた女性を介抱していた為に不覚をとった。幸い防刃コートのお陰で、背中の左側から左下までの浅い傷で済んでいた。



「私はパパに助けられたし、今も守ってもらえて感謝してる。けど、これだけ傷跡が増えても、千寿は変わっていない。」



「確かに、変わっていないかもしれない。でもね、アリス。私は、私が負った傷の数より多くの人々を助けることが出来た。それは、誰かがやらなくちゃいけない。」

「どうして、それがパパである必要があるの?」



 ウツミは唇を閉じ、アリスを見つめた。それは、今までアリスに向けたことのない、鋭い目つきだった。



 お互いに十秒ほど見つめ合った。



 ウツミは背を向けると、寝台の端に座った。



「アリス。座りなさい。退屈かもしれないが、昔話をしよう。」

 アリスは静かに頷くと、ウツミの隣に座った。