Neetel Inside ニートノベル
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 それは、ぽん、という音だった。自衛官だった頃に聞いた事のある、空気が抜けたような乾いた音。ウツミの身体は反射的に動いていた。



「シマさん! 下がってください!」



 破裂音と共に凄まじい衝撃が起こった。机の破片と共にウツミの身体は弾き飛ばされ、背中を床に強く打った。



 擲弾発射器。低圧チャンバー内で急激に膨張したガスにより榴弾が発射され、壁や障害物に隠れている敵を制圧する為に使用される面制圧兵器。



 此方に向かってくる数人の足音が聞こえる。ウツミは腹這い伏せると拳銃を構えた。



 敵は本気で千寿署を潰す気でいる。軍用の兵器まで使用し、此処を襲う目的は何なのか。だが、今はそれを考えている暇はない。



 まずは部屋に突入した一人の腹部を撃ち抜いた。すぐさま起き上がると、廊下に向けて駆け出した。ウツミが机の残骸を飛び越えたとき、正面の敵と目が合った。敵は黒装束に身を包み、チヅルやシズカと同じ眼をしていた。目的の為ならば死を厭わない、鋭く、哀しい眼。敵が振り下ろしてくる刃物を避け、懐に潜り込み、鳩尾を肘で打った。敵の身体がぴくん、と僅かに痙攣する感覚がした。



 ウツミは崩れ落ちる敵の喉を掴んだまま、壁に叩きつけた。



「誰の差し金だ。」



 敵が何かを飲み込もうとしたが、ウツミは其れを叩き落した。



「シアン化カリウム。同じ手は二度効かない。さあ、誰の差し金だ。」



 掴む力を強めると、それまで手を振りほどこうとしていた敵の動きが弱弱しくなってきた。



「諦めて、名前を言え。すぐに楽になるぞ。」



「お前は糞野郎だ。無様に死ね。」



 六文組。ウツミの脳内に、毒を飲んだ健脚の男の死に顔が浮かんだ。



 敵の身体は糸が切れた様にふっと力が抜け、ウツミにもたれ掛かる形で崩れ落ちた。



 六文組の一人一人がまるで生を顧みない。其処まで彼らを動かせる物は何なのか。ウツミは身を返すと先程までいた部屋に向かった。シマを探さねばならない。



 室内はまるで暴風が来た様だった。扉は跡形もなく吹き飛ばされ、壁には黒く焦げた跡や、へこみがあった。床には破片が散乱し、一歩歩くごとに気を使った。ウツミが最も手前の机の残骸を持ち上げると、其処にシマはいた。床には血だまりができ、顔を覗き込むと、その眼に光は無く、虚空を見上げていた。身体を抱き起そうとしたとき、シマの下半身が失われている事に気付いた。欠損した腸が垂れ下がり、夥しい量の血が床に落ちた。



 善良な男だった。汚職警官だらけの場所で、彼だけは自分の正義を信じていた。ウツミは、幼い頃に両親が殺された後、慰める様に話しかけてきた警官が若い頃のシマである事に気付いていた。彼の本性は紛れもなく善だった。だが、人間はどう取り繕うとも残忍な生き物である事を知ってから、希望を失っていた。それでも、彼は自分と共に戦い続けた。



 ウツミは指でシマの瞼をそっと閉じると、部屋の外へ駆けた。



 シマは警察官として死んだ。それを無駄にする訳にはいかない。



 一階に繋がる階段を下りて行くと、途中で二人の敵が目に入った。いずれも黒装束を纏い、小銃を構え、此方を見据えている。引き金を引かれる前に、ウツミは跳んだ。空中で身を捻らせながら一回転したウツミに向かって無数の弾丸が飛んだが、数発が背中を掠めるのみだった。



 ウツミは空中で体勢を取りながら二人に向かって発砲した。一発が一人の右肩を、一発がもう一人の左足を撃ち抜いた。階段の足場で前回りに受け身を取った時、二人は既に小銃を落としていた。間髪入れずに両方の拳で二人の腹部を打つと、そのまま下へ転がる様に落ちて行った。



 弾丸は残り七発。幾人とも知れない敵を相手取るには、少々物足りない弾数だった。



 階段を下りたとき、硝煙と血の混じった匂いと共に、一階ホールの惨状が目に映った。床を見渡せば、至る所に大きな血だまりが出来ており、その上には警官や黒装束の者達の身体が無数に倒れている。数十分前に起こった凄まじい激戦を物語る様に、壁や天井には穴が幾つも空けられ、血の跡が残っている。ウツミが正面を見ると、ホールの中央付近に血に濡れた二人の姿が見えた。そのうち、一人は紛れもなくチヅルだった。右目に眼帯を巻き、手には鎖鎌を携えている。もう一人は口元を布で隠し、顔が見えない。



「警官がまだ生き残っていたのか。悪いが、私達と共に死んで貰う。」



「六文組がなぜ警察署を襲う。何が目的だ。」



 チヅルは口元を綻ばせると、鋭い眼光をウツミに向けた。



「その声、お前はコーポスだろう。こんな所で会うとは奇遇だな。」



「今の私はコーポスではない。動けば撃つ。」



 チヅルは、にやっと笑うと、羽織っている上着を脱いだ。



「私は死を恐れない。撃ってみるといい。」



 そのとき、ウツミは目を見開いた。チヅルの全身には、細長い赤い棒が十数本も括り付けられ、棒から細く伸びる導火線らしき紐の先には、オイルライターを握った手があった。もし本物の爆薬の類であれば、ホール内を爆風が襲い、建物自体も危うい。



「此処に来た六文組の者達の身体には、私と同様に爆薬を括り付けている者もいる。私が火を付ければ、この建物自体が吹き飛ぶだろう。」



 ウツミは背筋が凍る感覚に襲われた。指一つ動かせず、頭は真っ白になり、身体が動かない。父母を失い、コテツが殺され、シグレに殺されかけ、シズカを救えなかったときと同じだった。己の恐怖心、強い不安に向き合うとき、身体を思う様に動かせなくなる。



 だが、必ず、生きて帰る。アリスの姿が頭に浮かんだ。



 そのとき、ウツミの身体は前方の出入り口に向けて走り出していた。



 本能的に身体が動く。



 死ぬ訳にはいかない。



 一歩を踏み出すごとに、周りがまるでスローモーションの様に映った。



 チヅルがオイルライターを点けた。



 もう一人の敵が此方に向けて銃を向け、引き金を引いた。



 構うものか。アリスと、共に生きたい。



 風を切る音。弾丸はウツミの耳を掠めた。



 相手がもう一度引き金を引こうとしているのを見たとき、ウツミは宙へ跳んでいた。



 人間はこれほど高く跳べるのか。



 二人を跳び越え、地面に降りたとき、正面の出入り口に向かって駆けた。



 もう目の前を防ぐ者はいない。一直線に、一目散に駆けた。



 出入り口まで二十歩、十歩。



 駆けろ、駆けよ、駆け抜けろ。



 そのとき、後方から凄まじい衝撃が背に加わった。



 弾き出されるように、出入り口の外まで吹き飛ばされた。

       

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