民衆は至高の力による運命を信じた。それが良きものでも 悪しきものでも、歩みを導こうとする存在を信じた。たとえ、其れが誤った道に迷わせるものであっても、この人間の存在による力を信じた。
自由と愛を勝ち取る為にそれぞれが武器を取り、兵士となった。誰もが命の中で、運命を形成する音を聞いた。美しく、理想的で、神々しい、まるで詩のような音が語り掛けてきた。
熱烈な声で語りかけた一人の見知らぬ男は、その言葉で民衆の魂は震えさせた。
涙と血に塗れた千年の都で、民衆は光の旗を掲げた。闇に生きる者達に襲い掛かり、皆で鋭い爪を突き立てた。初めの数人が武器を振り下ろすと、大勢が熱狂し始めた。闇の者達の断末魔は、光の旗には届かなかった。名誉すら残さず嬲られ、殺されていく。
そんな喧噪の中で、全身に傷を負い、白日の下に晒され、藻掻く男がいた。傘持ち時代から何度も苦汁を舐め続けながら、今では千寿で最も大きなマフィアを牛耳る存在となった男だった。
「龍門会を潰せ! キム・ジュオンを血祭にあげろ!」
背後から怒号を上げて追い縋る群衆から逃れようと、キムは走った。
なぜ、こうなった。
部下は全員殺された。彼らは手練れの精鋭達だった。だが、まるで大勢のハイエナが一匹の獲物に食らいつく様に、鉈を持った群衆に囲まれ、成す術なく斬り刻まれた。
ゴンゾウがテレビ演説をしてまもなく、龍門会やその傘下にある組の拠点に、狂った様に叫ぶ人々が押しかけてきた。弁明をしようにも、群衆の怒りは収まらなかった。治安を守る警察も、既に存在しない。消える事のない巨大な怒りの炎が、瞬く間に千寿の闇を飲み込んでいった。
逃げ惑うキムの脳内には、走馬灯の様に過去の自分が映っていた。
二十三歳で玄龍会に入り、中堅組員の傘持ちから始まった。一日に三度は足蹴にされ、頬が腫れるまで叩かれた。身体ばかり大きく役に立たない上に、顔が緩んでいるように見える為だった。大した役目も与えられず、自分より年下の者達が出世していく様子を見ているしかなかった。立身出世を夢見て二十年間、傘持ちを務めてきた。
そんなとき、遂に大きな転機が訪れた。
当時、龍門会会長だった男が、千寿近郊の土地使用権売買を自分に任せたのだ。
当初は僅かな範囲だったが、必死に仕事を務めた。傘持ち時代から作ってきたコネクションを最大限に活かし、想定していた額の倍以上の利益を上げた。それまでの功績を認められ、主要な取引を任される頃には、龍門会における自分の立場は揺るぎないものとなっていた。
会長を殺し、ナカムラを蹴落としたのちは、次期会長として権勢を振るうつもりでいた。
それにも拘わらず、今の自分は暴徒と化した群衆に追われる立場にある。
なぜ、こうなった。
キムが角を曲がろうとしたとき、突然、襟首を掴まれてその場に引き倒された。
目の前には、眼に怒りの炎を灯し、勝ち誇った様に此方を見詰める人々がいた。
誰か助けてくれ!
助けを呼ぼうとするも、舌が震え、息を吐けず、ぱくぱくと口を動かす事しかできない。
シグレはいないか! 金は言い値を払う。助けてくれ!
声の出せない自分をあざ笑う様に、人々は鉄パイプや棍棒を振り上げた。
「助けてくれ!」
ようやく声が出た。
その瞬間、人々は武器を振り下ろした。
瞬く間に視界が赤く染まり、キムの時間は止まった。