Neetel Inside 文芸新都
表紙

青春小説集「リンだリンだ」追加
「遅れてきた青春」

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「ニュー・シネマ・パラノイア」を書いたので、「ニュー・シネマ・パラダイス」を少しずつ観ている。完全版を観ているので、通常版との違いをChatGPTに聞いたところ、丁寧にネタバレを全部してくれた。主人公の恋愛模様が多く追加されてるそうだ。主人公が恋する女性とくっついた途端に、私にとっては何もかもがどうでもよくなってしまった。草原で笑いながら走る二人を見て、何やってんのこの人らは、とも思ってしまった。でも三十年ぶりに故郷に帰ってきた主人公が、昔のままの自分の部屋の様子を見ているところで涙してしまった。

 先日、朝起きてきた息子が「ちょっと頭痛い。少し休んでから遅れて学校に行きたい」と言い出した。体調を崩している生徒も増えているし、一日休むというわけでもないから、無理せず遅れていくことにした。息子と相談して、二時間目が終わるタイミング、25分休み開始時に登校することにした。頭が痛いというのもすぐに治り、朝飯の追加を食べるなど、すぐに元気になっていた。

 このように通常の登校時間と違う際には、保護者も同伴していかないといけない。二時間目が体育館での体育となっていたので、教室にはまだ誰もいないかもしれないと思い、教室までついていくことにした。まだ二時限目終了前だったので、案の定教室は閉まっていた。職員室に鍵を取りにいけばいいのかな、と一度そちらに向かいかけたところで、何人かのクラスメイトが体育館から走って戻ってきた。
「けんちゃんや!」
「けんちゃん、やっときた!」
 口々に息子の名を親しそうに呼ぶのは、どれも女の子だった。たびたび登場している、息子と親しいカナちゃんではなく、別の女の子だった。教室に入ろうとする息子を塞ぐように、先ほど声をかけてきたうちの一人の女の子が立ちはだかった。
「学校の中で被ったらあかんねんでー」
 そう言って、息子が被っていたパーカーのフードをめくった。
 私に向かってバイバイも言わずに、息子はその子と連れ立って教室へ入っていった。

 ……といった話を、寝る前に娘と妻にも話した。
「その時、パパはどう思ったの?」と娘に聞かれた。
「さすが我が息子」
「何言ってんの」と妻。
「パパにはそんな青春はなかったでしょ。モテたことなんてないでしょ」と娘。
「今まで黙ってたけど、パパも実はモテモテだったんだ。常に女子と遊んでたし、毎日一緒に帰ってた」
 ついにこの「青春小説集」でやっているような記憶の改ざんを、家族の前でもするようになってしまった。
「悲しい人だねえ」と娘に褒められた。
「モテたのは男の人にでしょ」と言う妻には即座に「違う!」と返した。

 では、遅れてきた青春の話を始めよう。

 私の青春は、少し体調を崩しているから遅れてくるという。先ほど青春の家から連絡があった、と先生は朝の会で告げた。私以外の青春はそれぞれの生徒に寄り添ったり、抱きしめられたり、背負われたりしている。誰もが青春と仲良くやっているように見えた。

 ひと昔前の青春とは、実体を持たず、曖昧模糊としていて、人によっては存在しないものだった。しかし地球温暖化や異常気象、AIの発達などの影響により、様々な概念が実体を持つようになる。青春もその一つだ。人類それぞれ、その時々に応じた形で、青春は人々に寄り添うようになった。青春とは何も若者だけの特権ではなかった。年老いた者にも青春は存在した。大小の差はあれ、人は常に青春と共に生きていないと、生き甲斐を感じないようにできている。多くの青春は異性の形を取っていた。趣味の、たとえばギターだとか、ドラムスティックだとか、本だとか、そういう形を取っている青春もあった。

 ここで私自身の青春がどんな形をしているのか、皆さんにも説明申し上げたいのだが、その術を持たないでいる。私の青春が遅れてくるというのは、今日に限った話ではない。毎日、毎週、毎年。本当のことを言えば、私だけが、自分の青春に出会ったことがないのだ。遅れてくるも何も、私の青春はこの地球上に一度も発生したことがないのではないか、と思えてくる。皆が自分の青春の形を見つめながら、それぞれの欲望と折り合いをつけて、叶わぬ恋や叶わない夢とも付き合いながら、自分らしく成長していっているのに、私だけはどのような希望も挫折も味わえないでいる。

「どうして君には青春がないんだ」といった疑問を投げかけられることも、最近ではすっかりなくなってしまった。他人の青春の不在に構っていられるほど、人々は暇ではない。それぞれの青春とともに、人生を謳歌するのに忙しい。

 私は自分が何に執心するべきか、何に熱中するべきか分からないまま、とりあえずそのままの気持ちを文字にして、授業中にノートの余白に書きこんでみる。昔の人はこんな風に、曖昧な、正体の知れない青春というものに立ち向かっていたのか。暗闇の中で見えない敵と相対しているようだった。こちらは素手で、あちらは何の武器を持っているのかも分からない。

 私は自分と同じように、寄り添う青春を持たない仲間でバンドを組む話を書き始めた。彼らも自分の青春がバンドに賭けていいものかどうかは分かっていない。だから熱量も中途半端で、担当楽器もたびたび変更したりする。
「今日も俺の青春は来てないよ」
「観客席の中で見た気もするんだが」
「もう一本足があれば、スリーバスを叩けるのに」

 鬱屈した彼らの様子は、まるで何十年も前に書かれた青春小説のようにも見えた。やがて過激な思想に染まった彼らは、他人の青春を捕らえて自分の物にしようともする。しかし借り物の青春はすぐに逃げ出し、元の持ち主の横に戻っていった。

 私は創作の中でも青春を過ごすことが出来ないまま、次の日も朝の会で担任の教師から同じ言葉を浴びせられる。
「君の青春は遅れてくるそうだ」
 いつか、いつかと待っているうちに青春は消え失せてしまうだろう。
 いっそこちらから会いに行くべきだ。
「体調が悪いので早退します」
「君の顔色が悪いのはいつものことだが」
 教師の許可を待たずに私は教室を飛び出していた。こちらから青春を引き寄せるために。会いにいくために。青春がどこに住んでいるかなんて、知らないままに。

(了)

     


     

 あとがき

 昔から映画にしろ漫画にしろ小説にしろ、恋愛というか、男女がキャッキャウフフしているシーンに遭遇すると、冷めてしまう自分がいました。そんな自分の息子には、どうして女友だちがたくさんできるのでしょうか。幼稚園時代のクラスは、とても少人数でした。そして女児の人数の方が多く、あまり活発的に外で遊ぶ方ではなかった息子は、女友だちと遊ぶことの方が多かったそうです。

 大江健三郎「遅れてきた青年」のパロディとしての「遅れてきた青春」というタイトルです。鬱屈したバンドの話は「アンラッキー・ヤングメン」という同作に登場するもので、とここまで書いたところで確認したら、それは「遅れてきた青年」ではなく「われらの時代」の方の話でした。もう遅いのでこのまま押し通します。青春が遅れてくることがあるように、正解が後からやってくることもあるのです。何言ってるかは私自身が一番わかっていません。

 そういえば私も息子と同じくらいの歳の頃に、一度学校に遅れていったことがありました。すると同じクラスの女子に囲まれました。
「どうしたの、心配したよ」
「体調大丈夫?」
「さっき習ったところ教えるよ!」
「やっと来た! 会いたかった!」
 みんな口々にそう言ってくれました。

 嘘です。

       

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