Neetel Inside ニートノベル
表紙

ドラマティックえもーしょん
第一章

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 彼女と初めて会ったときの印象は、淡く柔らかな青と赤。桜の舞散る季節の事だった。
 風が温かくなってきて、開け放った窓から風にのって部屋に入り込んだ数枚の桜の花びらを背景に、机の上に腰かけて、ずっと僕を待っていたらしい彼女は笑った。
 雲ひとつない青空を思わせる、澄んだ笑顔だった。
「初めまして」
 その日もその日でジャイアンにいじめられて泣きながら帰ってきた僕は、そのあまりに非現実的な光景に、思わず泣くのを忘てしまう。
「僕、ドラえもん。未来からきたネコ型ロボット」
 そう言って、水色のパーカーのフードをかぶった青いショートボブの少女は僕にむかって右手を差し出した。
「君は? 野比のび太君であってる?」
「は、はい」
 おずおずと手を伸ばしてそれを掴む。
「よろしくね」
 言いながら、彼女はニッコリと笑った。
 思えば僕はあの時から――、

 ***

「のび太くん、ごめんね」
 帰ってきた僕の部屋の押し入れで、ドラえもんのスペアポケットを探していると、悪い夢でも見ているのか眉をひそめて眠っていたドラえもんが、不意に寝言を言った。
 彼女はきっと、すでに覚悟を決めているのだろう。
 いつのころからか、覚悟を決めていたのだろう。
 そういえばいつからだろう、
『ダメだなぁ、君は』
 そう言われなくなったのは。
「謝るくらいなら……行かないでよ」
 僕は恨めしげにつぶやきながら、彼女の頭を撫でる。猫の毛じみた細く、柔らかい感触だった。少しだけ、苦しそうだった表情が緩んだ気がした。
 と、同時に、僕が未来に行っている間に寝返りでも打ったのか、彼女の頭の下に敷かれたスペアポケットを発見する。仕方がない、と小さくため息を吐いて、
「ごめんね」
 僕は彼女のお腹に手を伸ばす。
――と、不意にドラえもんが目を開け、ポケットに入り込んだ僕の腕をつかんだ。
 心臓が飛び跳ねて止まってしまうかと思うほど、驚いて、思わず「ひゃうっ」と声を上げそうになったけど、なんとかすんでのところで我慢した。
 トロンとした薄目で僕を見た彼女が小さく笑った。
「フフフ、のび太君だ。今は、まだ離さなくていいよね」
 彼女はどうやら寝ぼけているらしく僕の腕を抱き締める。
 胸がぎゅっと切なくなって、涙がにじんだ。
「大丈夫だよ」
 つぶやいて、自由なほうの手でもって頭を撫でてあげているうちに再び眠りに落ちていった彼女を今度は起こさないように気を付けながら僕は腕を抜く。そして、改めてポケットの中から道具を拝借し、タイムマシンに飛び乗った。

     

 如何にして未来を変えるか。
 今から策を労してもしょうがないし、その方法はひたすらシンプルに『僕を不合格にする』ことが、ベストではないにしろベターな選択だと思われた。
 こうすれば少なくとも当面はドラえもんも未来に帰るのを見送るだろう。彼女の未来を変え、直接救うことにはならないが、少なくとも延命にはなる。
 それに、ドラえもんがこのタイミングで未来に帰らないからといってそう大袈裟に未来が変わるとも思えないし、うまくいけば当面はタイムパトロールの目を欺けるかもしれない。そう思った。
 そして、そのために志望校を変えることくらい、僕にとっては瑣末な問題だった。
 今はまだ、今はまだドラえもんが廃棄されてしまうという未来は変えられないけど、いつかかならずそれも変えてみせる。
 タイムマシンで受験前夜の裏山に飛びながら、僕は誓った。
 しかし、
――ビープ、ビープ。
 突然、背後からの警告音。
 赤いランプのついたタイムマシンに乗ったタイムパトロールが、いつのまにか背後の時空間にいた。
「そこのタイムマシン、止まりなさい」
 呼ばれているのは間違いなく、僕だ。止まるか否か、振り返りつつ一瞬で判断し、僕は結局タイムマシンの動力を切った。
 今の段階ではただの時間旅行であって違法でもなんでもないはずだ。
 まぁ、僕みたいな未来人でもない人間がそれを行っているということに少なからず問題はあるだろうが、過去に干渉しなければとりあえず問題はないはずだった。
 すべるように減速して停止すると、なんだかいけすかない顔をしたタイムパトロールが、そのすぐ後ろに止まった。何故だろう。こいつ、見たことある気がする。
「おや、野比さんじゃないですか」
 彼はおおげさに肩をすくめ、僕の名前を言ってのけた。これまでに何度か未来を変えようとして引き起こされた世界の危機を回避してきた経験があるから、その事自体は不思議でも何でもないのだが、こいつの言い方が気に食わない。
 口先ではこちらを尊敬しているような態度を示しておきながら、内心でこちらを見下しているような、そんな印象を受けたのだ。
「こんにちは」
 とはいえ明からさまにトゲがある態度をとるのも何なので、笑顔でこたえておく。
「こんな時間にどこへ? あなたの身体時間はもう夜中でしょう?」
 身体時間というのは元来僕が存在しているべき世界の時間のことである。つまりは最終的に戻るべき時間の目安になる時間なわけだ。僕の場合だと2007年2月8日の日本での夜中にあたるわけだ。そしてこの身体時間、別の世界に行っている間にもなにげにどんどん進んでいく。というのも当然の話で、そうしないと少しずつ実際の時間より身体時間のほうが長くなってしまい、猛スピードで衛星軌道を回り続けた宇宙飛行士とは反対に、少しだけ多く歳を取ってしまうことになるのである。
 とりあえずこのいけすかないタイムパトロールを煙に巻くべく、
「受験前の僕をリラックスさせに」
 と、いざという時のために用意しておいた台詞を吐いておく。
 しかし、
「あぁ、その必要ないよ。君、受かってるから」
 彼はしれっとした顔で言ってのける。
 この瞬間に彼の顔を見たときから感じていた妙な既視感の正体を悟った。こいつ、顔がどうとかじゃなくて雰囲気が出来杉に似ているんだ。おそらく致命的に空気が読めない違いない。
 だからきっとエリートの出世コースからはずされこんな所で検問じみた仕事をさせられているのだ。きっと残業だ。
 ドンマイ、出来杉。
「だから映画に出れないんですよ」
 俯いて呟くと、「え?」っとタイム出来杉が顔を近づけてきた。
 いい加減イライラし始めていた僕は、
「空気嫁っていったんだよ!」
 言いながら素早くポケットからそれを取り出し、一瞬とかからずに照準を合わせ、彼の脳天を、撃った。

     

――ポン。
 間抜けな音を立てて指先にはめた鋼鉄の筒から圧縮された空気が吐き出される。
 それはまっすぐに飛んで、タイムパトロールの眉間に命中すると、その衝撃ですぐさま膨張し、彼を、巨人にでも殴られたかのような勢いで後方にのけぞらせた。
 ドラえもんのポケットからくすねてきた空気ピストルだ。
 殺傷能力はないが当てれば吹き飛ばすくらいはできる。そして、正確に当てさえすれば衝撃で脳を揺らし、脳振倒を起こさせることだってできる。
 大きくのけぞったタイムパトロールは一瞬だけ停止したあと、そのままタイムマシンの上に仰向けに倒れこんだ。
 僕は彼の意識を確認することもせず、すぐさま自分のタイムマシンを再起動する。
 僕の未来まで確認した上で僕を捕まえようとこいつが送り込まれてきたということは、僕の計画があちらにバレているということだ。
 急がなければ。
時計のビジョンがうかぶ時空間の暗闇が切れて、紅い光が広がった。

 ***

 夕方の森はどこまでも静謐に広がっていた。
 燃えるように紅い空を背景に、葉の落ちた黒々とした木々がうっそうと生い茂っている。枯れた木々の隙間から紅い光が差し込んで、地面にまだらな模様を作っていた。
 地面に下り立った僕は寒さに軽く背を丸める。そういえば受験の前日は夜中から雪になったんだっけ。
 そんなことを考えた瞬間、
――パシュ。
 響く発砲音。そしてすぐさま背後の木の幹が砕けた。
「へ?」
 砕けた木の高さから考えて相手は頭を狙ってきたらしい。
 たまたま背を丸めなければやられていた。
「クソッ」
 悪態をつきながら僕は駆け出す。
 タイムパトロールに呼び止められた時点で覚悟はしていたが待ち伏せされたいたようだ。足を止めることなく走りながらチラリと背後を振り返るが撃って来た相手の姿は見えない。
――バシュ、パシュ。
 しかしそれは相手も同じようで、続いて次々に銃弾が吐き出されるがそれも命中はしない。
 僕は少しでも視認率、命中率を下げようと、木のすぐそばを縫うようにして走りながら、思考する。
 石ころ帽子を被った僕をあそこまで正確に狙ってきたということはあちらも同じような道具を使っているのだろう。石ころ帽子を被ったもの同士が互いの姿を見れるのは実証済みだ。
 そして、音から察するに相手は一人ではない。周囲の木に音が反射してどこから撃ってきているのかは大まかにしかわからなかったが、少なくともこの地区に6人はいる。圧倒的に振りで危険な状況だった。
 とはいえ相手の得物は音と威力から察するにサイレンサーをつけた拳銃だ。拳銃は遠距離でも有効だと考える人は多いが、実際のところ離れれば離れるほど、障害物が多ければ多いほど、その命中率は下がるわけで、その上獲物が逃げているのだから当てるのはそう簡単ではない。僕でも当てられるかわからないようなこんな環境では、“まぐれ”でも当たりはしないだろう。
――バシュ、パシュ、パシュパシュ。
 周囲で木々が砕ける音を聞きながら、僕は道なき道を走って、灯りがともり始めた街の方を目指した。

     

 裏山を下れば下るほどに木の密集度も下がっていく。子供のころにジャイアンにつれられて走り回った記憶を頼りに少しでも遮蔽物の多そうな方に逃げる。
 そのせいで障害物が多い上、足元の地面ががたがたなため、早くも僕の息は上がっていたけど、そんな弱音を吐いている余裕はない。足を止めれば、即、撃たれてしまう。
 僕はただひたすらに走った。
 そして、ついに裏山の終わりが見えてくる。僕の家側の降り口、舗装された道路に繋がる、踏み固められて大分歩きやすくなった道を走る。振り返ると木々の隙間に数人のタイムパトロールの姿が透けて見えた。彼らは林の中に散開し、僕を囲むようにして走っている。距離は15メートルほど。
 こちらからあちらが見えるということは向こうからも見えているということである。加えて、あちらはまだ身を守る遮蔽物があるが、こちらには何もないのだ。圧倒的な不利。とはいえ街のほうに出るにはそれこそ他に道がない。
――パシュ。
 すぐ近くを銃弾が飛んでいくのを感じた。
――パシュパシュ。
 右肩に衝撃。続いて焼けるような熱さと刺すような痛み。
 どうやら被弾してしまったらしい。
 衝撃に煽られて転びそうになったけどそれはなんとか踏みとどまって走る。痛みで涙が出るのはさすがにこらえられなかった。
 気付けば、いつの間にか周囲の足音が消えていた。タイムパトロールたちは足場の悪い中を走りながらの射撃では当てづらいと考えたのだろう。いい判断だ。
――パシュ。
 音がした瞬間に横に飛ぶ。一瞬前まで頭があった場所を銃弾が走り、僕の左耳の上を掠めていった。髪が千切れ飛び、石ころ帽子が破れてしまう。
「――ッ!!」
 瞬間、石ころ帽子の効果がきれ、自分の姿が明らかにされたのを自覚する。逆に、僕からは彼らの姿が見えなくなってしまったわけだ。なるほど。彼らが命中率の低いヘッドショットばかりしてきた理由を僕は理解した。まずは石ころ帽子を無効化したかったらしい。凶暴な獲物を捕獲する際に、まず目や耳などの感覚器官を無効化するのは常套手段である。
 つまりは積極的に殺す気はないということだろうか。
 答えは考えるまでもない。
 僕を殺せば歴史は変わってしまう。
 彼らとしてもそれは避けなければならないことなのだ。
 だから彼らは僕に当てないように細心の注意を払って狙撃していたに違いない。殺すつもりならば雨やあられのように銃弾をばら撒けばよかったのにそうしなかったのはそういうわけだったのだ。
 とすると、僕の目を無効化した彼らはこれでようやくなりふり構わない攻撃に出てくるわけだ。未来の道具には捕獲に適した道具も多そうだ。
 そんなことを考えて僕は思わず苦笑した。
 見上げた空に障害物はない。
 ギリギリ、どこまでもギリギリのタイミングで、僕は裏山からの脱出に成功したのだった。
 背後から不可視の足音が再び近づいてきたのを聞きながら僕はさえぎる物のなくなった空を見上げ、タケコプターを装着した。
 僕は時速80キロで宙空に舞い上がると、彼らを振り切って自宅を目指した。

     

 しかし、すぐさま、
――ブ―ン。
 脳に染みるような超低音が響き、空を移動していた僕の体が、気流に煽られた飛行機のようにぐわんと傾ぐ。
 何が起こったのか、疑問に思うよりも先に、何の前触れもなくひどい頭痛が始まった。
 吐き気までしてきて、タケコプターを操る思考が安定しない。
――ブーン。
 恐らくはこの低音が原因なのだろうが、それがわかったからと言ってどうということでもない。僕は糸の切れたマリオネットのように、右に左にと無秩序に飛び、しだいに勢いと高度を失っていった。
 頭痛はどんどんひどくなり、意識が途切れそうになる。
 完全に勢いを失い、ふらふらと痙攣するような不安定さでもって、ゆっくりと地上に近づく僕。飛行どころか手足を動かすこともままならない。
 地面に足が触れるなり、そのまま僕は地面に倒れこむ。
 受身なんて取れるわけもなくて、僕は為すすべも無く地面に叩きつけられ、体がばらばらになるんじゃないかっていうくらいの痛みと衝撃が全身を駆け抜けた。
 アスファルトの上みたいだけどここはどこだろう。
 騒ぎにはなってないみたいだけど近くに人はいなかったのかな。
 この辺りはまだ田舎だからみんなすぐ家に帰っちゃうもんなぁ。
 遠くから、走ってくる足音が聞こえた。
 タイムパトロールだろうか。
 起き上がって逃げようと思ったけど四肢は微かに震えるだけ。
 視界はぐらぐらと不安定に揺れ、かろうじて繋いでいた意識もすでに途切れようとしていた。
 近づいてきた誰かに体をゆすられる。
 僕は動けない。
 僕は……

 ドラえもん。ごめんね。

       

表紙

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Neetsha