Neetel Inside 文芸新都
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新ジャンル「ストーカー萌え」
つかの間の晴れ

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■つかの間の晴れ

 朝7時10分前。いつも4つめの目覚ましが鳴ってやっと起きる僕にとって、1つめが鳴る前に起きたのは実に3年ぶりになる快挙だった。
「不思議なこともあるもんだ」
 セットしていた目覚ましを止め、素早く起き上がる。力いっぱい伸びをすると固まっていた骨がパキパキ鳴った。
 とりあえず着替えることにする。僕が朝起きて最初にやることは、歯磨きでも洗顔でもなく着替えだ。これは寝間着のまま自分の部屋を出ないという僕のポリシーからくるものだった。自分の領土以外の空間ではそれなりの格好をしないと失礼だという美学だ。僕はこの美学を結構気に入っている。
「……ふぅ」
 制服に着替え終えて一息つくと、急に周りが静かになる。さっきまで気付かなかった雨の音が静寂の中で際立っていた。土日中降り続けていただけあって、昨日よりは大人しくなったようだ。
 カーテンを開く。薄く曇った窓を手で拭くと、灰色な光を浴びた町が顔を出した。今日は寒くなりそうだ。
「……あ」
 窓の外、アスファルトの十字路の真ん中に佇む傘が一つ。この前伊達さんが立っていた場所と寸分たがわぬ位置にいる、水色の傘。
 頭の中に飛鳥との会話が蘇る。
 ということは、あれはもしかしなくても……。
「伊達さん?」
 急いで階段を駆け降り、サンダルを突っかけ玄関の扉を開いた。すぐに伊達さんと目が合う。ずっと扉を見ていたのだろうか?
 伊達さんは少し驚いたように目を見開くと、あからさまに視線を逸らして歩き始めた。
「ちょ、伊達さんっ!」
 思わず呼び止める。伊達さんは悪戯を咎められた子供のように一瞬驚いて立ち止まり、再び歩みを進めた。
「ちょっと、待ってよ!」
 駆け寄り腕を掴んで振り向かせる。雨で学ランが濡れているが気にしてられなかった。
「……あ、渉くん。おはよう。こんなところで会うなんて偶然ね」
 伊達さんはまるで何事もなかったかのように、自然に挨拶を返してきた。普段から無表情だからか、こういう時にポーカーフェイスが上手い。
 だけど騙されちゃいけない。本人は動揺している。普段より雄弁なのがなによりの証拠だ。
「いや偶然じゃないよ。僕の家の玄関ずっと見てたでしょ?」
「……ううん、そんなことない。今来たところ。そしてこれから登校するところ」
「なんでそんなすぐバレるような嘘付くの? 今7時10分だよ!?」
 ストーカーは最低な奴のやることだ。相手の気持ちを考えず、私利私欲に任せて一方通行の愛を貫き通す。僕が伊達さんを今まで注意しなかったのは、クラスメイトをそんな最低野郎だと思いたくなかったからだ。しかし、もう我慢の限界だ。
「……そんなことより、渉くん、濡れてる」
 伊達さんが傘を僕の方に少し傾けてくれた。
「あ、ありがとう……。じゃなくて! 話逸らすなよっ」
「……渉くんと私、相合い傘…………」
 人の話をまるで聞いていない。それどころか無表情のまま頬を赤く染めている。器用だ。
「じゃなくて! 伊達さん僕の話聞いてる?」
「……聞いてるよ」
「じゃあ僕の家の前で張ってるのとか止めてくれない? 伊達さんが僕のことを好いてくれる気持ちは嬉しいけど、そこまでストーカー紛いのことされると迷惑なんだよね」
 言いながら、先日直樹に指摘されたことを、驚くほどすんなりとこちらから言えたことに戸惑った。
「…………」
 伊達さんは視線を逸らして俯いた。小さい声で「……ごめんなさい」と聞こえた気がした。
「とにかく金輪際こういうことはしないで。これは前も言ったけど、伊達さんの気持ちには僕、応えられないから。あとこれは今初めて言うけど、僕は他に好きな人いるから」
 勢いに任せて一気に言い切る。伊達さんの目が驚きで見開かれる。近くで見ると伊達さんのつり目がちの三白眼がよく分かる。
「だから、僕のことはもう諦めて」
「…………誰?」
「へ?」
 予想外の切り返しに、思わず情けない声を出してしまう。
「……渉くんの思い人、誰?」
「お、思い人?」
 好きな人のことだろうか。表現が古い。そして目が真剣だ。元々の目付きも相俟って(あいまって)、睨まれてるような、詰め寄られているような気分になる。本人に自覚はないのだろうが。
「そりゃ言えないよ」
「…………教えてくれたら、もうこんなことしない」
「…………」
 うーん、困った。交換条件ときたか。
「…………渉くんのことも、すぐには無理だけど、頑張って諦める」
「う……ッ!」
 やばい。今の台詞を不覚にも可愛いと思ってしまった。伊達さん自体も見た目は良い方だし、僕って結構幸せ者?
「えーっと」
「…………おねがい」
「……えぇー、っとぉ」
「…………渉くん。おねがい」
「……瀬川憩(せがわけい)」
 押しに負けて、つい言ってしまった。
 伊達さんは聞くや否や、僕を取り残して学校へ走っていってしまった。蹴り上げられた水でスラックスがびしょびしょになる。今まで伊達さんの傘の下にいたから気がつかなかったが、いつの間にか雨は止んでいた。








 人は好意を寄せられると、その人のことを意識してしまう。そんな一節を、昔何かの本で読んだ気がする。なんでも、自分が好きな子を思う時間より自分に好意を寄せてくれている相手のことを考える時間が多くなったとき、その気持ちは転換するんだとか。特に恋愛経験の浅い人なんかは、多少の好感を抱いている程度の相手でも好きになってしまうらしい。相手を傷つけずに断ろうと悩んだ末「付き合っちゃえば相手が傷つかないのでは?」という結論に帰結するのだそうだ。
本当かよ? と、思う。
 なんの根拠もなく、ただ作者の経験だけで物を言っているような気がしてならない。
 だって僕は伊達さんに言い寄られてるのに、伊達さんを好きになるなんて全く考えられないからだ。確かにアクティブに生きる人はネガティブに生きる人より好感がもてる。そういう意味では「好きです」とはっきり言ってくれる方が恋愛が成就する可能性が高いと言えなくもないが、逆に伊達さんのようにアクティブ過ぎるのも考えものだ。あまりに度を超えているところが目立ち過ぎる。伊達さんのことで頭を悩ませている時間は瀬川を思うそれより遥かに長いが、この本に書いてあるように、その気持ちが転換することはないだろう。ただ、僕が伊達さんのことを考える時間が増えた点だけを見れば、伊達さんの思惑は確かに成功しているわけで、これからの経過次第では、いつか僕の気持ちが伊達さんに向くと言えなくもない。先のことが分からない以上、この本が間違っている証明にはならないが、それでもやはり疑問を唱えてしまう。
 しかし、この本の大部分が納得できない中にも僕が共感できる一節があった。それは『人を好きになるにはそれ相応の理由がいる』ということだ。
 あまりにも当然過ぎることではあるが、これは真理であるようにも思う。僕が瀬川に恋心を抱いている理由はもちろんあるし、伊達さんだって僕に惚れた某(なにがし)かの理由は持ち合わせているだろう。それが何かは分からないわけだけど。
 午後1時間前。本日3度目の休み時間が訪れ、クラスの大半が他愛もない話に花を咲かせているというのに、僕は自分の席を一歩も動くことが出来なかった。
 原因は僕の席から3個前、僕の思い人であるところの瀬川憩の席だった。天頂近くまで昇った日の光りを、艶やかな髪が優しく反射し、渓流のせせらぎを彷彿とさせる。 思わず見とれてしまうその後ろ姿の横に、伊達さんがいたからだった。
 何かを話しているようだが、声が小さくて聞き取れない。伊達さんは朝からずっと、休み時間の度にああやって瀬川の席に行っては持ち前のボソボソ声で何か喋っている。稀に瀬川が笑う。どうやら会話は弾んでいるようだが、見ているこっちは気が気じゃない。
 しかも二人してチラチラこちらを見てくる。机に身体を突っ伏して一見眠っているように見せているが、内心冷や汗ものだ。
 やはり伊達さんに言ったのは間違いだったのだろうか? というか二人は何を話しているんだろう? 伊達さんと僕以外の人が話す光景を、僕は初めて見た。会話が成り立つこと自体に驚きを隠せない。
 だけどそんなことより、重大かつ強大な危機に僕は直面していた。
 トイレに行きたい。休み時間の度にこれなので行くに行けず、僕の膀胱は決壊寸前だった。
「どうしよ……」
 結果として寝たふりをしているような形になってしまったからか、盗み見をしているという後ろめたさからかは分からない。ただ、何となくきっかけがないと動きづらい。突然起き上がってトイレに行くのも不自然な気がするし……。
「よぉ兄弟」
 その時、肩に誰かの手が触れた気がした。この声と馴れ馴れしい台詞は直樹しかいない。
「こんな時に寝てていいのか? お前のフィアンセ候補と愛人が仲良く落ち合ってる最中なんだぞ?」
「…………この場合どっちがフィアンセだよ?」
「そりゃお前もちろん……って、なんだよ起きてたのかよ」
「そんなことよりトイレに行こうぜ!」
 正に渡りに船。僕は直樹を振り返らずに一目散にトイレに駆け込んだ。


「で、なんで憩さんとお前のストーカーが楽しくお喋りしてるのか、教えてくれるな、渉?」
 洗面台で髪形を整えながら、鏡ごしに直樹が言った。僕も手を洗いながら鏡の直樹を見る。
「知らないよ。別にクラスメイトと話すなんて普通のことでしょ?」
「普通か? 伊達だぞ?」
「う……ッ」
 確かに。伊達さんと入学式に出会ってからの中学生活も2度目の梅雨を迎えたというのに、僕以外の人と話しているのを見るのは今日が初めてだ。これはちょっとした事件かもしれない。
「ただクラスメイトと仲良くしようとしてるだけじゃないの? 良い傾向だよ」
 直樹は髪を触る手を止めると、物凄い形相でこちらに詰め寄ってきた。
「お前、それマジで言ってる?」
「う、うん……」
思わずたじろいてしまった。
「学校にいる間中、片時も離さずお前のことばかりを見ていたあの伊達だぞ?」
「片時もって……、言い過ぎでしょ。」
「クラスで気付いてないのお前だけだぞ。常に死角から伊達はお前を見つめている」
そうだったのか……。よく目が合うとは思っていたが、まさかそこまでとは……。
「もちろん今も見られてるぞ」
「え、嘘っ!?」
 慌てて辺りを見渡す。僕らが入ってからトイレの入口を通過した人は誰もいない。
「見回したって見つからねぇよ」
 直樹が、やれやれといった感じで溜息をつく。
「嘘でしょ? だってここトイレだよ?」
「お前には見ることができないんだよ渉。宿命なんだ。俺はこれを『志村、後ろ後ろ病』と名付けた」
「なんだそれ……」
 本当に僕だけは伊達さんを見ることができなそうな病名だ。
「まぁ、なんにしろ、よ」
 直樹は僕に向けていた視線を戻すと、再び髪形を整え始める。
「伊達が迷惑なんだったら、本人にきちんと言った方がいいんじゃねぇの? もしくは憩にとっとと想いを伝えちゃうとかさ」
 最後に鏡の中の自分にニッ、と微笑むと、化粧台に出していたヘアワックスをポケットにしまい、僕の肩を叩いた。
「まぁ、言えるわきゃねぇか! 相手はあの憩だしな」
「……うるせぇ。仕方ないだろ好きなんだから」
「あははは! まぁ頑張れよ。応援してるからさ」
 俺はいつでもお前の味方だぜ。そう言って直樹はトイレを出て行った。
 一人残されて、鏡の中の自分と目が合う。
「ちぇ。なんだよ、直樹の奴」
 その後2、3度トイレを見回してみたけど、遂に伊達さんを見つけることは出来なかった。


       

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