Neetel Inside ニートノベル
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 いつの時代の、どの世代にとっても、授業ってのは退屈なものだ。これは俺だけじゃなく、誰もがそう思っているハズだ。そうあって欲しい。
 黒板に書かれては消される知恵の塊をノートに書き写す時間も残りわずか。6時間目終了まで10分を切った。

 淡々と知識を貯めこむ作業の先に何が待つのかと疑問に思うが、ある教師に言わせると、勉強とは日本人に唯一与えられた、万人に平等な競争機会らしい。今のうちに教科書の内容を人より沢山詰め込んでおけば、将来的に資金面で優位に立てる可能性が飛躍的に高まる。

 果てしないビジネスライクなご意見だが、俺の琴線には触れなかった。
 人として社会生活を営むためにはもちろん金が必要だ。だが、それを余分に持つ事に今のところ執着が沸かない。かと言って、物質的な充足以外の何かを俺が持ち合わせているのかと聞かれてしまうと、答えに窮してしまうのだが。

 自分自身、もう少し物欲あれば、と思う事がある。高校に来て部活動を奪われた俺の次なる欲望の矛先、あるいは比較的安易に目指せる目標物。これらを持ち合わせないまま日々を繰り返すってのは、実は結構切ない。
 数日先でも構わない。見つめる先に何かが無いと、人は動こうとしないものだな、と、シャーペンを指先で回転させながら教師の次なる板書を待つ。明確な目標が無いので、自身の不安定な足場をなんとかして安定させようと、授業の内容だけは一通り把握出来るよう努めている。今は得るものが無いと思っていても、考えがそのうち変わったりしたら役に立つかも知れないしな。フットワークは軽いに越したことは無い。

 隣の席では3時間目から休み時間以外覚醒していない池脇が机に突っ伏していた。視線を夢の中に向けたまま、いつの間にか授業が通り過ぎるなんて羨ましいようなそうでもないような。こいつの潔さにはある意味憧れる。あ、ビクってなった。ざまぁ。




 SHRを終え、机の中に突っ込んであった教科書群を無造作に引っ張り出して鞄に詰め込んでいると、授業中にエネルギーを充電し続けた池脇が弾む声で話しかけてきた。

「陽介さん陽介さん、今日は頼むよ」
「何をだよ」
「秋川だよ、秋川雫」
 俺のお財布軽量化祭りの件についてか。秋川に何を奢らされるんだろうか。学食よりは値が張るんだろう。飯と言っても今は中途半端な時間だし、秋川が小食で慎ましやかなものしか食さないタイプの女性である事を祈らせて欲しい。あのビジネスライクな教師の言った言葉は正論かも知れない。世の中、金は余分にあっ たほうが良いと今は痛感する。

「池脇、お前も来るか?」
 秋川とはクラスが違う事もあり、登下校中以外あまり話した記憶がない。彼女のほうから打ち解けやすい空気を作ってくれるおかげで今まで会話に苦労した事は無いが、池脇も一緒にいたほうが間違いなく話が弾む。少なくとも秋川に退屈な思いをさせずに済む可能性が高まる。そんでもってついでに財布の負担が1/2になったりしないだろうか。
「ばっ! バカかお前は!」
バカではあるが、お前にだけは言われたくない気がしないでもない。

「俺がいたら秋川がお前に相談出来ないだろうが!」
「は? 何をだよ。全然意味がわからないんだが」
「つまりだ!」
 両手を振り下げて机を叩き、クラスメイトの半数に届くであろうボリュームで池脇は声を張り上げた。
「秋川考案、俺への告白大作戦だろ! 陽介、きっとお前は明日の5時に俺を体育館裏に呼び出して欲しいとか、そういう感じのお願いをされるハズだ!」
「あー、なるほど。小銭はポケットに入れとくなよ? ジャンプさせられたらバレるからな」
 心配になったので対処法を教えておくことにした。
「カツアゲじゃねーよ! 愛! ラブ!」
「ユー」
「お前が俺に惚れてるのかよ! 違うよ! もっとノーマルな恋愛だよ!」

 どうやら池脇は授業中睡眠のおかげで過充電になり、通常比1.1倍の面倒くさいキャラが完成しているようだ。
「わーかったわかった。明日の呼び出しについては頼まれようが頼まれまいが伝えてやるから」
「いや頼まれろよ! 何で頼まれてないのに伝えるんだよ! 待ちぼうけだろ!」

 今にも暴徒と化しそうな赤ら顔まで作ってわめき散らす池脇に注目する十数人のクラスメイト。  
 ああ、この場合、被害者は秋川だな。こいつのマイクパフォーマンスによって、ときめきメモリ合うつもりもない池脇との噂が飛び交ってしまうのではないかと一瞬心配になったが、もともと池脇はこんな性格だってのをここにいる奴らは既に知っている。
 コイツの頭の中は恋愛の実が常に大豊作だ。髪の毛引っ張ってるだけで棚ボタ的に恋が始まると本気で思ってそうだからな。俺の心配は杞憂に終わるんだろう。
 池脇と付き合ってるといつまで経っても教室から出られそうになかったので、「俺の嫁」だの、「ミラクルラブストーリー」だのと矢継ぎ早に繰り出される池脇の珍妙なセリフを生返事の連発によって回避しつつ、足早に隣のクラスへと向かった。



 果たして、秋川雫はそこにいた。
 隣のクラスではあるのだが、1年3組と書かれたプレートを一応確認してから引き戸をがらりと開けると、終業直後の安堵感が教室中に広まっていた。教師の重圧から開放された生徒が思い思いに言葉を発し、教室を包む喧騒が電車の騒音レベルまで達しているその中で、秋川は姿勢正しく椅子に腰掛けたままでいる。背もたれに体を預けておらず、横から見ると均整の取れた上半身が綺麗なS字を描いていて、思わず見惚れてしまう。

「秋川様。お迎えにあがりました」
 秋川の席まで歩み寄り、中世紳士のよくやるアレのように形式ばった礼を試みると、やわらかな笑顔がこちらに向けられた。
「来たね陽介君っ。さーて今日は華麗にエスコートしてもらうわよ~。なんてね」
 勢い良く椅子から立ち上がり、横方向に1回転しながら素早く鞄を掴み、いたずらっぽく笑う秋川。

「エスコートって言われてもな……。今日はもう秋川の好きな所に付き合うよ」
「ホント? コース料理で2万円……」
「すいません訂正させてください。今日は秋川の好きな”軽食”を! 俺も食べたいんだぜ!」
「あははっ、じゃあそのくらいで勘弁してあげましょうっ。まずは駅に行きましょ」
 ひらりと身を翻し、右手を高々と上げて「れっつごー」などと言いながら俺の横を通り過ぎる秋川。遅れをとらぬよう、半歩下がって続く事にした。



 校門を後にして数分。駅のホームにあるプラスチックのベンチに腰掛け、俺達は電車を待つ事になった。

「陽介君は一人暮らしなんだよね?」
 電車が来るまでの10分の間に、いくばくか理解し合う事が出来そうだ。
「ああ。両親は……、多分今はハワイかな」
「ハワイ? なんで?」
 椅子に座ったまま前傾姿勢になってこちらを見上げる秋川の目を見て質問に答えようとすると、その左後方にスカートからすらりと伸びる足が見えて。そこに完全注目しそうになるのは不可抗力ってやつだ。
 何とか自制して質問の答えを再考し始める。
「自営で小さな旅行代理店やってるんだよ。一応の経営者の癖にツアーコンダクターみたいな仕事が好きでさ、1年の半分以上はどっかの国に行ってるよ」
「ほえー、凄いねぇ。世界中を飛び回ってるんだ?」
「どうだろうな。格安ツアーがメインだから、ハワイに行ってるのは珍しいかな。グアムとかサイパンとか、日本から近い国が多いよ」
「ハワイって日本から何時間だっけ? 8時間くらい?」
 ジェット気流云々で、行きと帰りの飛行時間が違うと聞いた気がする。
「そんなもんだろうな。海外なんて一度も行ったこと無いけど」
「そっかー。良いなぁ海外。私も行ってみたい」

 10分間を有効に使って、俺達は今まで知らなかったお互いの一面を垣間見た。俺は一人暮らしのメリット・デメリット、陸上部に在籍していた中学時代の話なんかをメインに話し、秋川からは水泳部の練習や、好きなアーティスト、休日の過ごし方なんかを教えてもらった。休日は家族に料理を振舞うのが通例らしく、料理には自信があると胸を張っていた。

 ホームにアナウンスが響き渡り、目的の電車がホームに滑り込んでくる。走行音で聴覚の大部分が塞がれ始めた頃、椅子から跳ねるように立ち上がった秋川が、目と鼻の先にまで顔を近づけてこう言った。

「今日はね、宿題の件がなくても陽介君を連れ出すつもりだったの。本当は会わせたくないんだけど……、会って欲しい人がいるんだ」

 真剣な表情、真剣な声色、そして瞳には少し陰りが見えた、ような気がした。
 刹那、それらのニュアンスがまるで俺の錯覚だったかのように、秋川は向日葵の如き笑顔をたたえていた。

「行こっ」

 右手を捕まれ、体を椅子から引き離される。同時に電車のドアが開いた。
 繋いだ右手はそのままに、秋川と俺はホームを後にした。






 


       

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