Neetel Inside 文芸新都
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4の使い魔たち
スペルズアリス

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第四部「スペルズアリス」



 古く色褪せた大窓から見える雲は黒く濁り大粒の涙を地面に打ち付けていた。
 どうにもならない苛立ちを表すのは固く握られた手。アリスの部屋にはユウトの重たい沈黙が漂い、スーシィの責めたてるように強い眼差しとルーシェの脅えた姿があった。
「人間をやめる? 冗談でしょ」
 乾いた笑いは一瞬。アリスの瞳は濡れていた。
「冗談でこんな変なこと言わないよ。けど、アリスの体を維持するならそれしかない」
 ルーシェの説得も虚しい沈黙を生む。アリスの表情からはほんの些細な逡巡と憤激を抑え殺しているのを見て取れた。
「あのね、ルーシェ。あんたは竜族だからわからないの? 生かすために人の体を造り替えるだなんてそんな、そんなことが、許されると思っているわけ?」
 溢れる双眸の雫は留まらない。ただ、声だけ気丈で顔からはひたすら流れ続ける。
 その言葉にルーシェもまた悲痛な面持ちで声にならない声を上げて押し黙った。
 スーシィがアリスに歩み寄ってそれを拭うとようやく自分が泣いていることに気がついたようだった。
「確かにそれは殺しているのと何ら変わりはないわアリス。けれど、あなたにもわかるでしょう? これ以外生き残る道は残されてはいないの」
 アリスがついに激昂し、スーシィを突き飛ばす。
「ふざけないで! そんなひどい方法でしか生き残れないなんて知りたくもなかったわよッ。みんなで寄ってたかって私をいじめて楽しいの? 出て行って!」
 手当たり次第にアリスは部屋の物を当てつける。ユウトがすかさずアリスの前に出ると上目遣いでアリスは睨め付けてきた。
「あによぉ……んたもそう思ってるの? 私が人間をやめればいいって。それでその後奇蹟でも何でも起きて私が治って、その後も人間をやめ続けろってそう言うの?」
 スーシィとルーシェは静かに部屋を後にする。説得できるような状態ではないし、これ以上続けてもアリスの神経を逆撫ですると感じていた。
 アリスは顔を伏せてスカートを引き裂く勢いのうちに掴んだ。
「私が人間をやめるっていうことはメイジもやめるっていうことなのに、みんな、平気な顔してた……」
 そっと寄り添うユウトはただ自分の不甲斐なさを呪いながらアリスの背を撫でた。
「結局私はあんたをただ巻き込んだだけになったのね……ごめんなさい……」
 何も言わずユウトはただアリスと同じ視線の先を見る。アリスはそこに何かを探すように目を細めていたが、そこには何もない。ただあるのは小窓の奥に映る朱く綺麗な夕日空。2人の主従の関係が終わりを告げるかのようにゆっくりと帳を下ろしていった。

 ユウトは昨日の夜を思い出す。ただアリスに自分の世界の話をまた聞かせていただけだったが、アリスの表情は落ち込んだままだった。
 ユウトはどこからか現れたルーシェに廊下で出会うと示し合わせたようにお互い視線を逸らす。
「ユウト、昨日は…………」
「ああ、アリスなら大丈夫だよ。でもしばらくはもうあの話はしないほうがいいかもしれない……」
 ルーシェは目を伏せて謝った。言い方が悪かったんだとルーシェは落ち込みながら頭を下げる。ルーシェもアリスの言葉で傷ついているのにユウトはついにそれをルーシェに言うことはなかった。
 しばらく生徒の喧騒に耳を傾けながら廊下を行く。途中ふと気になることがあったユウトはルーシェに聞いてみることにした。
「ルー、人間をやめるって具体的にはどうするんだ?」
「北の最果てにある吸血鬼の怪物に血を吸わせればいいの」
「石化魔法っていうのは?」
「流石、竜族ね」
 スーシィは1人納得したように頷いてユウトの後ろから追い抜き先頭に並ぶ。いつからという愚問にスーシィはただ2人の間に入れなかっただけと濁す。
「研究所に行きましょう。アリスはまだ生きられる可能性があるわ」
 スーシィのマントがひらひらと揺れるその背中を見ながらユウトたちは廊下を進んでいく。なぜかその背中が儚く見えてユウトは暗い気持ちになっていった。
「ルーシェ、確認したいのだけれど石化魔法はあなたが行使する魔法ではないのね?」
「うんそうだよ」
 スーシィはほっとした様子で研究所の扉を開く。軽い音が虚空に広がった。
「最古の竜族が神話の石化魔法を持つのかと思ったわ。はいこれ」
 ユウトは渡された本に書かれたタイトルを読み上げる。
「ヴァンパイア伝説? ちょっと待ってくれ、怪物ってこれか?」
「ええ、ただしそういうのが北の最果てにいるわけではないわ。ヴァンパイアは今では儀式を差す名称でしかないの。でもルーシェはこの怪物そのものを言ってる」
「つまり、ヴァンパイアという儀式を行って何か恐ろしい怪物を呼び出すのか?」
「そういうことね。血を吸われて結果的に石化するのがアリスになる、そういうことなのよね?」
「うん、人間は酸素の足りない場所ではマナを吸い込んで息をするのと同じで、血液が無くなっても少しだけマナで補おうとするの。だからって生きられることはないんだけど、そこに吸血鬼は自分のマナを流し込むんだよ」
「それで石化するってわけね」
「どうしてそんなこと……」
「神話時代に竜族の間では割とポピュラーだったとか? ルーシェが知っているっていうことは竜族が自らの遺伝子に刻んだということでしょうし」
「私のお母さんはこの方法は人間には禁忌だから教えないようにって言ってたけど、アリスの体内にある魔法はもう禁忌だから言ってもいいと思ったんだ」
 スーシィは興味深く頷くと戸棚の中から小瓶を幾つも机に並べ始めた。
「竜族が人間に禁忌としている事なんて、もはや災害の域なのでしょうね。手順はわからないけれど、その儀式にどれくらいのマナが必要なの?」
 ルーシェは小瓶を見てマナの蓄積量を見ていた。沈黙に耐えかねてユウトが尋ねる。
「この小瓶はアリスの暴走を起こしたときにも似たようなのがあったけど、今並べてるのは何なんだ?」
「純粋なマナよ。指向性は持たせてあるけど、還元は容易よ。さっきも話したけど、体内マナって言うのは日々回復するでしょ。私は毎日の回復量の余剰分をこうやって溜め置いてるのよ」
 ユウトはその数に圧倒される。机には乗りきらない小瓶はまだまだ戸棚に沢山あった。
「スーシィ、この小瓶1つにどれくらいのマナが入ってるんだ?」
「昨日見た小さい先生の噴水が1とするならこの小瓶1つで1000かしら」
「1000?」
 ユウトはそれを想像して軽く身震いした。
「そんなに凄くもないわ、こういうことをしても優れたスペルの前では敵わないのだから」
「スペルか……」
 ユウトはあの夜を思い出す。相手は呪文によって生み出された人形だったが、魔法を持たないユウトは苦戦した。それどころか、アリスを守りながらではユウトには勝てない相手だったかも知れない。
「ルーシェ、そのヴァンパイアの儀式が竜族と人間とで別々に継承されてきたのはわかったけど、そもそもその儀式がどうして受け継がれているのかは人間と同じ理由なの?」
 ルーシェはスーシィに穏やかな微笑を向けた。
「ううん、寿命を延ばすためという意味では一緒かな」
「なぜ? 竜族は種として見ても寿命は数百年を超えてるでしょう?」
「私たちは同じ竜族でも人間に擬態するから百年余りしか生きられないの。歳を取るごとにマナの蓄積が重くなって放出よりもその溜め置きに問題が出てくる。人間と意図するところは違うけれど、単純にマナを差し出すと苦痛が少なくなるから子孫を残せないときは利用するように決められてるよ」
 スーシィは手元にペンを走らせて何かを記し始める。
「ありがとう、その話は人間にとってとても参考になったわ」
「ルーシェはどうしてそんなことを知ってるんだ?」
「生まれた時から竜族は親の知識を受け継ぐんだよ。人間は何も持たずに生まれるけど、私たちは生物の枠から少しだけ外れた生き物だから」
 ルーシェはユウトの驚きに哀しそうな表情を浮かべた。
「何を驚いてるの、そうは言ってもルーシェはルーシェでしかないわ。遺伝子は受け継がれていくわけだし、そこまで外れているわけでもないわよ」
「そうなのかな」
「そうよ、どう見ても人間と変わらないわね」
 どこか嬉しそうなルーシェにアリスのことを思い出してユウトはほっと胸をなで下ろす。
「ユウトもそう思うでしょ」
「ああ、ルーシェは可愛い女の子だよ」
 ルーシェは顔を上気させて俯く。つい弾みで答えたユウトは一瞬目を白黒して言葉を間違ったかもしれないと思った。
「言うようになってきたわね」スーシィは怪しい微笑でユウトを見ていた。
「それじゃ、ルーシェ。この色男のために答えて貰うわよ、まずヴァンパイアの儀式は人間にとってはただのまやかし半分の儀式でしかない。でもこれからやるのは本物の代償を必要とする儀式になる。結論から聞きたいのだけれど、アリスはその代償として捧げて石化させるのよね?」
「うん、石化っていっても本当の石化ではなくて人間の場合は時間の流れを完全に止める魔法神秘で固定されてしまうの」
「それ、解除されるの?」
「ヴァンパイアが多分、教えてくれると思う……」
「……ヴァンパイアが?」
「うん」
 スーシィは腰を抜かしたように後ろ手に下がった。慌ててユウトが躓くスーシィを支える。
「待って、待ちなさい。人間の伝承ではヴァンパイアは本物の怪物よ? 交渉なんて出来ると思えない。ヴァンパイアが暴れたせいで人類は滅びかけた……そういう伝承があるくらいなのよ」
「私の知識もそんな感じだよ。けど、そろそろ封印を解かないと可哀想っていう思いもみんな持ってる」
「可哀想ですって?」スーシィは呆れた顔をしてこめかみにこんと手を置いた。
「やろう、もしヴァンパイアがその行為をしそうになったら戦えばいい」
「ユウト、待ちなさい。これは下手をすればこの世界の問題にもなりかねないわ。戦うと言ってもその力は未知数よ」
「フラム園長の3人分くらいだと思うよ」
 平然と言い切るルーシェに今度はユウトが呆然と立ち尽くす。
「そんなの勝てっこないな……」
「少し他の案を探しましょう」
 ユウトは研究所から出てアリスのところへ脚を進めた。赤い絨毯の先で生徒の集団が待ち構えている。
「お前、確か使い魔だったよな」
「ああ」
 不穏な空気にユウトは訝しげな視線を送った。奇妙な笑いが生徒の間に走る。
「俺たちの使い魔が最近運動不足でな、模擬戦をしてくれると助かるんだ。どうだ?」
 時折ユウトの実力を試そうとして来るメイジは何人かいたが、それでもここまで悪意を感じさせるメイジはユウトも初めて会った。
「俺は今気分が悪いんだ。また今度にしてくれないか」
 ユウトより体格の良い生徒は角張った顔でにたりと笑う。
「俺たちに今度はないんだ」
 肩に置かれた太い指先がユウトの肉に食い込む。振り返ったユウトは睨みを利かすが男達は怯まない。
「手を退けてくれないか」
「退けてくれないか、だってよ」
 笑い出す男たち。ユウトはそれが5人いることを確認した。
 一瞬の閃光、そこにオレンジの光が走ると男たちは後ろへたたらを踏んだ。
「な、なんだ?」
 突如現れた水色の瞳はリリアだった。それを見た男達は下半身が涼しいことに気がつく。
「うわあああ――」
 ズボンは綺麗に切断され、隠さなければならないものが全て陳列していた。
「私は短気だ。次はそこに生えてるものが落ちる」

       

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Neetsha