Neetel Inside 文芸新都
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 大陸の中央に位置するジャポルの遙か下。カミュラという小さな国に魔法学校があった。
 生徒の数も少なく教師も少ない。
 そんな中で優秀な成績を収めた1人の少女は都会の魔法学園へ進級することとなる。
「気をつけてね、アリシア」
 少し太り気味のお母さん、心配そうな表情を時折見せながら明るい笑顔をふりまくお父さん。アリシアは幼い胸に魔法使いへの希望と活躍を夢見ていた。
「行ってきます」
 魔法使いはかつてないほど各地で才能を求める声が高まっていた。あらゆる国が何かに脅えるように魔法を追究し始めている。それは去年までなかった特待生制度を1つ取っても誰もが感じるところだった。
 馬車の中は少し古臭く、アリシアは少し顔を歪めながらも腰掛ける。
「しっかりね」
 窓の外に見える母の顔はいつになく無理をして笑っているのが分かる。アリシアはそっと手を振って大丈夫だよと言った。
「――やっ」
 御者台の男の声にアリシアは一瞬肩を竦ませる。
 動き出した馬車の窓からアリシアは身を乗り出してこの村の小さな景色を出来るだけ長く目に留めておこうと思った。
 茶色い髪に風を受けながらアリシアは手を振る。栗目についた長い睫が少しだけ湿ってもアリシアはそれ以上は必死に我慢していた。
「泣けばいいのに」
 隣に座っていた女の子が意地悪く呟く。アリシアは自分と年が同じくらいの子に少しだけ興味が沸いた。
「もしかして、あなたも魔法学校へ行くの?」
 女の子は何も言わず、ただ馬車の外を眺めていた。
 背中のマントはメイジの証。きっとこの子も辛い別れをしてきたに違いないと思った。
 アリシアは再び窓辺を握っていつまでも両親に手を振っていた。
 
 そこから遠く離れた地。サマロの湖だけが変わらず学園の隣で瞬いている。
「学園長、新しい新入生、編入生のリストになります」
「ありがとう、後で見るわ」
「お疲れですか?」
 教師の男は自分より遙かに年下そうに見える少女に敬語を使った。
「ええ、学園内の風紀がここまで乱れるとは思っていなかったし、正直前学園長の手腕を尊敬するわ」
「お言葉ですが、出身地だけでも選定した方が良いのではないですか?」
「そんなことをしたら、強力な魔法使いなんて集まらないわ。どこぞの貴族が金と権力のために時世を利用し始めるんだから」
「申し訳ありません」
 男は引き締まった顔つきで一礼すると高い鼻筋が印象的に映る。すらりとした顎のライン、険しい目つき、しっかりとした体。悪くない美男ではあった。
「あなた、なかなかいい顔してるわね。どこの出身だったっけ?」
「レレヌです」
「ああ、極寒の地ね。ここの気候にはもうなれたの?」
「お言葉ですが、赴任して半年になります。慣れたかと言われればとっくに」
「そうだったかしら、まあ顔で採用したようなもんだしね。私もそろそろ結婚を考えないといけないし」
「……」
 学園長は男の前に立ってもへそのあたりにしか視線がない。
「どう?」
「は、何がですか」
 当然男にそのような気はあるはずもなく、スーシィの実年齢も知らないために返答のしようがなかった。
「興がないヤツね。クビにするわよ」
「ちょっと待って下さい!」大慌てする男の背から他の声がする。
「あの、お取り込みのところ失礼します」
 現れたのは男教師とは対極的にまだ少年のような教師だった。
「マーちゃん。遅かったわね」
「僕をマーちゃんって呼ぶのはやめて貰えませんか、スーシィ園長」
「学園長ね、それにマーちゃんはマーちゃんよ、あなたを採用する条件の1つがそれだったはずよ」
「そ、そうですけど……」
 ブロンド髪に小顔の少年はあどけない瞳で男を見上げる。
「ユーレス先生でしたか、丁度良かった。今日こちらに着いた学生が女子生徒なんです。僕どうしたらいいのか……」
「あら、女子生徒は女性教師の役目でしょ。アンナはどうしたの」
「アンナ先生なら入学式まで休暇を取っておられたかと。私が行きましょうか」
「休暇? お子ちゃま先生にはハードスケジュールだったかしら。とりあえず、あなた達2人はだめよ、女子校舎に入ったらまた収集がつかなくなるわ」
 スーシィはマントを羽織って部屋を出る。
「それでは、私は研究があるのでこれで」ユーレスが一礼して去って行くと、残された少年のような教師は廊下を歩き出すスーシィに縋るような瞳で見た。
「僕がこう言うのも何ですけど、すっごく可愛い子なんで男子寮には近づけないように気をつけてくださいね」
「あら、珍しく男らしい発言ね、マレアス君」
「一言余計ですよ! それに僕はその名前あんまり気に入ってないんです」
 マレアスのマントは珍しく前任の学園長を思わせるような白だった。
「そのマント。どうしたの?」
「これですか? 祖母が送ってくれたんです。珍しい生地で作られてるんだそうです」
 スーシィは何か嫌な予感と共に廊下を歩いていく。マレアスはふと身を翻した。
「それじゃ、僕はここで。いいですか? くれぐれもさっきの話、よろしくお願いしますよ」
 普段、女子の容姿に口を出すようなことのない人柄だけにスーシィはいたずらっぽい微笑を浮かべてマレアスに近づいた。そっと耳元にささやく。
「お付き合いのお願いはしないの?」
「もうっ、からかわないでください!」
 顔を真っ赤にして去って行くマレアスを笑いながら見送ってスーシィは階段を降りていく。
 石造りのエントランスには少女がぽつりと1人立っており、その出で立ちから田舎上がりの下級娘だということは見て取れた。
「こんにちは、レディ」
 はたと少女はスーシィに振り返る。田舎娘にしてはさもありなん、褐色を帯びた健康的な肌と茶色い髪、黒っぽい瞳はごくごく普通の少女に見えた。
 これが、凄く可愛い? スーシィは胸中でマレアスの言葉を疑ったが、そこは個人の見解だと割り切って話を続ける。
「ようこそ、フラメィン学園へ」
「あ、はい! よ、よろしくおねがいします」
 緊張しておどおどする少女の姿を見るのを楽しむようにしてスーシィは説明をする。
「入学式まではまだ日があるから部屋へ案内するわ。今は教員のほとんどが出払ってるから適当にこの学園を見て残りの数日を潰して貰う格好になっちゃうけど」
「はい、わかりました」
 この子はひょっとするとだめかもしれないとスーシィは分析する。魔法の素養だけではない、どんなときにも冷静で居られなくては戦いの中で呑まれてしまう。こと戦闘においては冷静沈着さ、それは絶対必要な素養だった。
「名前は?」廊下でスーシィの半歩後ろを歩く少女。
「アリシアです」
「本名のほうよ」慌てたようにアリシアは聞き返す。
「本名……ですか?」
「そう、私はスーシィと呼ばれてるけど本名は別にあるわ。ス・ズロービン・シィラニコフ・ベル。こういうの聞いたことあるでしょ?」
「ない……です」
「ならあなたの先祖は家名を捨てた魔法使いの末裔になるわ」
「そう、なんですか?」
「本名、真名とも呼ばれるそれはそのとき使えていた王と先祖から賜るものだし、あなたの住んでいた国に元々あなたの祖先はいなかったというだけの話よ」
 アリシアは納得したように頷いていた。
「そういえば、私の村には長い名前を持つ人はいません。もしかしてみんなそうなんでしょうか」
「新国ならわざわざ名乗る人はいないかもしれないわね。どこの国?」
「カミュラという国です」
「十数年前に出来た国だったわね、王様は何をしているの?」
「魔法を学ぶために街には通いましたけど、詳しくは――」階段を上っていく2人は1人の生徒とすれ違う。
「あ。こ、こんにちは!」
「あ、はい。こんにちは」
 男子生徒は面食らい恥ずかしそうに駆け降りていく。
「あなたもしかして自分に魅了の魔法を掛けてる?」
「え、どうしてですか?」
 スーシィは訝しみながらもアリスの部屋の前に訪れる。
「どうしたんですか?」
「昔の友人の部屋なのよ、ここ」
 そういって中へ案内すると、そこは綺麗に清掃されていた。かつてのアリスの名残はなくともアリスを否応なしに思い出させるその部屋は少しだけ物哀しい。
「大丈夫ですか?」
「ええ、何でも無いわ。それより、向こうでは召喚の儀を行っていないの?」
「はい、召喚は職業魔法使いになってからと言われていたので」
「ここではなるべく早くに使い魔を呼んで貰うことになるからそのつもりでいてね」
「は、はい」
 徐に杖を取り出すアリシアの手を慌てて掴む。
「何考えてるの、ここでっていう意味じゃ無いわよ」
「え、でもすぐに呼んで貰うって」
「環境が変わってからすぐに呼ぶのはあなたの精神に負担だから、なるべくって言ったのよ。まずはここに慣れてから」
 そう言うスーシィにアリシアはほっと胸をなで下ろす。
「それじゃ、荷物を置いたら食堂に案内するわ。といっても今は春の休日だからやってないけれど」

 アリシアはスーシィと別れた後、学園内を一通り見終わってから部屋に戻ってきた。
 空虚なだだ広い部屋に少し怖くなりながらベッドの上に寝転がった。
「はあ、疲れた」
 体も洗わないで寝るのはイヤだった。しかし、洗浄の間までの距離はあるいて数分。そんなところまで往復するのを考えるとアリシアは明日の朝にしようと思ってしまう。
「眠るの?」
 誰かの声がした。またあの女の子が目の前にいた。アリシアはその子がどうして自分の部屋にいるのかと問いかけようとする。
「…………」
 目を瞑ると気持ちよい心地に呑まれていく。胸の苦しさを少し和らげるために細い両足をベッドに乗せた。
「はあ」
 服が皺になっちゃうかなと思ったところでアリシアの意識は暗闇に溶けていった。

 頭の中が振動するような音でアリシアは飛び起きた。
「なにっ?」
 部屋の中は昨日と変わらない。自分はどこにいるのだろうと思ってからカミュラから留学していたのだと思い出す。
 校舎に響く鐘の音。日はとっくに昇っていて朝日が窓から絨毯を照らし付けていた。
「やだ、服が」
 案の定、服はよれきっていてアリシアは下着姿になってから自分の鞄を開ける。
「あんまり持って来てないもんな」
 学園の制服が支給されるようになるまでアリシアはほとんど服が無かった。
 それほど裕福な家庭でもなかったし、下着の替えは持たせてくれたけど衣服の替えは1着だけだった。
「はあ」
 昨日の服からぽろりと2つの棒が落ちる。
「うそ……」
 陽に照らされた杖は2つになっていた。先端に歪な木の裂け目。
「折れた……? うそ、うそうそうそっ!」
 両手でその2つを持って日にかざしてみても全く変化はない。ゆっくりとその先端をつなぎ合わせるとぴたりと1本の杖になる。
「こんなことって……」
 アリシアは顔を覆って崩れ落ちる。
「…………」
 折れた杖を膝の前に置いてもう一度目を覆う。ゆっくりと指の隙間から折れた杖を見る。
「2本……」それを何度も繰り返す。
「2本、2本……2本!」
 現実はどうやっても変わらず、アリシアは大きな胸をたゆませながら絨毯の床に仰向けに倒れた。
「うぅ……」
 涙がぽろぽろと零れ始め小さな唇がわななく。母親が1ヶ月分の生活費と同じだと言って買い与えてくれた杖。それがあっけなく折れた。これから輝かしい学園生活が始まろうというのに。
「いつもは体を洗うから……」
 昨日に限って魔法の練習もせずに寝てしまった。その罰のように折れた杖、その仕打ちはあんまりだと思った。
「アリシア? いるの?」
「え?」
 アリシアは大慌てで服を着て2本の杖をポケットに押し込んだ。
「今行きます!」
「どうしたの? 大丈夫?」
 扉の前にいたのはスーシィの姿だった。
「あなたここ最近見かけなかったから呼びに来たのよ。もう入学式だし流石におかしいと思って」
「え?」
 アリシアは入学式という言葉におかしな返事を返した。
「どうかしたの?」
「あの、昨日私が来てお会いしましたよね」
「何言ってるの。昨日はミュバードから5人の生徒がやってきたのよ。あなたが来てからちょうど1週間。これで特待生2090人が揃ったわ、とりあえず定員を満たしたところよ」
 アリシアは軽く昨日の記憶を辿ってみた。しかし、どうやっても1週間もの記憶の1日分もない。昨日来て、今日が入学式なのはおかしすぎた。
「先生、私――」
「あ、スーシィ学園長。入学式の流れについてですが……」
 スーシィが男の教員と話し込んでいる間、アリシアは周囲を見渡すと見知らぬ顔が大勢行き交っている。
 一見してすぐにここの制服ではない服を着ているのが新入生だというのはわかった。
「みんな強そう……」
 そして綺麗な子も多い。田舎娘の自分より都会の子の方が何倍も綺麗に見えるし、衣服も上等だった。男の子もみんな大人びた雰囲気がある。
「ごめんなさい、アリシア。私はこれから少し職員会議をするからあなたは先にホールに行って」
「わかりました」
 教員と何か話しながらスーシィは去って行った。アリシアは1人心細くなりながらも昨日の記憶を頼りにホールへと向かう。
「わあ、すごい人だ」
 今まで見たこともないほど大勢の人たち。大人から子供まで数千人の大移動だった。
『あー、聞こえるかな。拡声魔法異常なしです』

       

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