Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 スーシィは王の打倒を確認する。しかし、その違和感に気がついたときスーシィは自分がまだ一歩も動いていないことを思い出すように赤い絨毯を足元に感じ始めた。
「流石であった」
 20歩先からの言葉。わずかに疲弊を思わせる王の言葉にスーシィははたと顔を上げる。
「我の幻を打ち破り、自我を取り戻した。誠に見事だ」
 背筋が冷たい汗で覆われて自身のマナが枯渇寸前なのを知ったスーシィは奥歯を噛んだ。
「幻影魔法……この国の神器は鏡?」
「左様、正確には黄金鏡だ。とてつもなく悪性の神器。今はその割れた破片をお前に見せたに過ぎない」
「私がそれを見て死んだらそこまでの話になるところだったのね」
「黄金鏡は見た者の心を惑わす神器。死ぬかどうかは人それぞれだ」
「一体いつから取り込まれてしまったのか、まるでわからなかった……」
 王は短く溜息をついて視線を下げる。
「この神器の恐ろしさはそこにある。見ようと思っていた時と見た時の認識がずれるようなのだ。結果としていつの間にか求めた者の心を操り、支配してしまう。故にこの国では幾重もの厳重な保管によって守られていた」
 傍らに控えていた侍従長が険しい顔つきで口を開いた。
「王様、それ以上は配下達の手前何とぞご容赦ください」
「我とてこのような話はしたくもない。しかし、お主らの中にこの鏡を見てみたいと思う者はいるか? 破片ですら危険な代物、奴らが盗んだ大部分は今もこの世界のどこかで使われているのやもしれんのだ」
「それは何故破片になったの」
「もともと分割したものを封印していたのだ。1つにするには強大すぎる力故の神器だからな」
 王は閉口したように見えるスーシィに嘲笑にも似た声をわずかに上げて見据える。
「わかったであろう。これが我が国を挙げて事にあたる次第だ。マナの歪みどころの話でない。我らは明日にでも黄金鏡に取り込まれ、いつの間にや支配されておるかもしれんのだ」
 スーシィの自嘲したような声はふと王の中の心をざわつかせた。
「ユウトがいればその問題がより早く片付くとは思わない? あの使い魔はルーンの力を無限に行使する神器のような存在。私が此処に来たのはあなたの協力があって初めてユウトを元に戻す算段がつくことを計算できる段階になったからよ。時間が惜しいのはこちらも同じ。かといってここで歩み寄らなければ2つとも逃すことになりかねない」
 王はわずかな静寂に思考を巡らせて玉座から杖を2回振る。瞬きの間に一面の光が集束し人の形を象る。
「なっ、調停者!」
 侍従長は焦りのあまりに王の顔を窺った。
「砂漠の女王、こちらから出せるのはこの人材だけだ。お前には戦果を期待する。これは、パートナーとしての契約だ」
 言下に振り返った少女は赤い瞳に赤い髪を携えた鋭い気配の少女だった。
「ルルーナ。これから一時的にこの者に協力し、使い魔ユウトを手中に収めよ。アカリヤ王の命令ぞ」
「承知いたしました」
 少女同士の奇妙な会話にスーシィらは気味の悪い気分を味わいながら一礼する。
「ご助力感謝いたします」
 ルルーナの放つマナの気配はかつてのフラムと変わらなかった。

 その頃、学園の中では生徒がプテラハに連れて行かれるという噂で持ちきりだった。
 混乱の中で退学を申請する者も後を絶たず、何故そのような噂が漏れたのかは教師も究明までには至らなかった。
 そんな最中、会議室ではスーシィの失態とルルーナという強力なメイジをどう扱うのかが話し合われている。
「スーシィ学園長、私たちの生徒が16人もプテラハに譲り渡す契約を署名したというのは本当ですか。それも学園長自らが捕らわれ、自らが助かるのと引き替えに」
 ホワードは年甲斐もなく声を荒げて円卓に身を乗り出す。
「ですからあの時私は言ったのです。生徒を第一に考えず、特待生などというかたちでアリス事件に関わる生徒を呼び込むのは反対だと」
 ユーレスが冷静な顔で両手を組んだ。
「私も言及したいことがあります。スーシィ学園長はイクシオンのリーダー格と思われる者をなぜ追撃したのかということです。私たちが部下を捕らえたことで一時はこちらが有利だった」
「過ぎたことを……問題は生徒がプテラハのメイジによって危険に晒されているということではないのか」
 スーシィは教師たちの会話を聞いて頭を抱えるように片手を上げる。
「あの、スーシィ先生」
「学園長よ」
 マレアスが半泣きになりながらスーシィに小声で訴える。
「もう少し、マナの放出を抑えて貰えませんか……僕これじゃあとばっちりです」
「こっちは女王に神器で取り込まれそうになってヘトヘトなのよ。悪いけれど手加減してるほど余裕はないわ」
 そう言うとスーシィの手から水が伝って円卓を光らせる。
 論争の最中にあった者達も円卓の上に流れる水にはたと気づいてスーシィを見た。
「何の真似ですか、これからどうしようかというときに」
 スーシィはこの水を瞬時に凍らせる。
「私たちに必要なことはこれからではなく、この事態をどう凍結させるかよ」
「凍結ですと?」
「使い魔ユウトが全ての事の発端になっているのならあなた達はただ時間稼ぎをすればいい。私の教え子が帰ってくるまでのね」
「例の出自不明の学生ですか。確かに彼女は4の使い魔を召喚した稀少なメイジではありますが……あれはアリスのそれとは違い魔力を有する4の使い魔ですぞ」
「その側にイノセントドラゴンがいることはご存知?」
 全員の顔色がわずかに変わったのをスーシィは見逃さない。
「とんだ茶番ですな。もしそのような事が事実であれば、私たちが身を粉にして集めた特待生など鼻から不要ではありませんか。もともと特待生そのものが囮だったということになる」
「なんということを……私たちを騙したのか」
「いえ、まったくの囮というわけでも無いわ。本当にユウトに匹敵する使い魔を出すものが現れるかもしれない。その可能性も少しは考えている」
 けれどとスーシィが続けるのに誰も口を挟まない。否、挟めなかった。空間を満たすのはスーシィの放つ異質な冷たい空気。教師たちが何か言を発する度にその温度は低くなっていき、それが無言の圧力だと分かっていながら教師の誰1人としてそれに対抗できなかった。
「本当にそれだけでユウトをどうにか出来ると思っているのかしら。炎神フラムと呼ばれる四大魔術師を破ったユウトに今この国でまともに戦える者がいるとしたらそれは誰? 断じて昨日今日で入学した特待生なんかじゃないわ」
 もはや口を挟むのも烏滸がましい。四大魔術師はフラムが最後の1人となって久しく、ここ百年余りはそれぞれの国が魔法の力を変化させて強さを求めていた。
「私は自分への最後のけじめとしてここに留まっているだけの人間よ。この国の王でさえただでは協力しなかった。その意味をよく考えなさい」
 スーシィは無言のうちに光の粒となって消失する。その姿が実体ではなかったことに気づかされ皆が驚き恥じ入っていると、王の謁見に同伴していた教師が徐に口を開いた。
「我が国の王はそれでも力をお貸しくださいました」
「ルルーナといったか?」
「はい。見かけは少女のようですが、実力は恐らく期待できるかと」
「王様の派遣だものな、相当に違いない」
 そうだと騒ぐ教師の中でユーレスだけは悲愴な面持ちで声を荒げた。
「違う……そうじゃない、そうじゃないです!」
 その形相に教師たちの浮いた心も淀み始める。
「これは過去の異名である炎神フラムという名を試しているんです。もはやユウトという使い魔を倒すことこそが四大魔術師を超える一つの指標とされるという意味にとって変わった。これが、これこそ王の考えに違いありません」
「た、確かにフラム学園長は名高き四大魔術師の1人ではあった。しかしそれはもう百年以上も昔の話であって――」
「では、逆に伺います。手っ取り早く自国の魔法使いが最強であることを示すにはどうすればいいと思いますか?」
「それは……」
 教師の誰も意見は述べられなかった。それが逆にユーレスの言葉を肯定しているようである。
「ユウトという使い魔が四大魔術師の指標となるのであれば、それは各国がこぞって狙うに値する。いや、実際もうすでにプテラハは狙っているがユウトの居場所が分かってしまえば今後ともその使い魔は狙われ続けるだろう」
 瞳の奥で漆黒を映す中年の男は落ち着き払った声で淡々と言い終えると円卓から立ち上がる。
「私たちにはスーシィという異国の王女を学園長にした責任がある。彼女の方針は間違ってはいないし、世界をこれ以上混乱に陥れるのは得策ではない。今は黙ってプテラハの要求を呑むべきだ」
 そう言い残して男は空間にスペルを綴って転移する。
 教師たちはそれぞれに言いたげな顔をしながら独り言のように呟いた。
「プテラハの言いなりになるなど……生徒には何と説明すれば良いのだ」
「いっそ、試験を作りませんか?」
 ひらめいたようにマレアスは身を乗り出す。若さ故の明るさは教師らにもわずかな光を与えたようだった。
「まずプテラハという国は魔法軍隊として知名度が高いことを生徒に知って貰いましょう。我々にとっては優秀な生徒が他国に行ってしまうのはマイナスになり得ますが、やる気を出させることがまず必要です。彼らの中にプテラハに行きたい者があればそれを後押しし、教育水準を同じにして実力に差が無くなるようにすれば彼らも志望する者を取らざるを得ないはずです」
 ホワードは白髭を掻くようにして長杖を持ち直しながらマレアスを見つめる。
「マレアス君」
「はい」
「君は1つ重要なことを見逃してないか。彼らが魔法軍の中でも恐らくはトップのエリートたちであると云うことだ。教育水準を同じにして特待生制度の意味がなくなってしまっては魔法界そのものの損失に他ならない。であれば、彼らに我が国の人材損失の穴埋めを教育費などで打診するか、もっと他の強攻策が必要だ」
 それに賛同したのは風の魔法使いロジャーだった。
「私もそう思います。プテラハの言い分を鵜呑みにしては魔法界そのもの、延いてはこの世界の均衡さえ危うくなりかねません」
 薄緑色の帽子の下に影が落ちるとロジャーは立ち上がって円卓に残る教師を見た。
「私たちは魔法使いである前に教育者でもあるのです。誰が好んで他国のために優秀な生徒を育てるのでしょう。売国奴どころか教育者としての鑑にもならない。教育費などというもので彼らが支払いをするとも思えない。もはや私たちには特待生に教えることが出来るものなど何もないのです」
 教師達はそれぞれが頷きロジャーの言い分をもっともだと褒めそやした。
「では、使い魔召喚の儀に細工を施すしかありませんな。皆もそれでよろしいですかな」

 広い平原の中、転送先に集められた特待生は集合授業を行うと聞いていた。
 いよいよ使い魔の召喚が始まる。そう囁かれていた生徒たちの目の前に1人の人物が立つ。木造りの台から小さい体を突きだして声を張り上げた。
「今日はあなたたちに使い魔を召喚して貰うわ。こちらから1人ずつ、召喚と契約を交わして4の使い魔を召喚できた者は晴れて特待生から優遇生となれるわよ」
「優遇生ってなんですか」
「王国神官クラスの職位が約束される特別な生徒よ。それじゃ、時間も惜しいから早速始めるわ」
 特別な魔法陣が9つ用意されその前に特待生が列を作り始める。
 数にして2090人。
 多くの教師がその誘導作業に追われる中、陣を管理する教師は固い表情で生徒たちの詠唱を見守っていた。
「3の使い魔ですね」
 呪文を教わり召喚を行っていく生徒たち。異形のモンスターから愛らしい動物まで呼び出されるも、そのほとんどが3の使い魔だった。期待外れに肩を落とす者から愛着を持つ者、契約を結ぶのに戸惑う者など滞りはなくその作業は進んでいく。
 それでも元々の素質が高いため、詠唱を覚えてから扱うまでの時間はものの数分しかかからない。
 ほぼ半数を終えた頃にはすっかり日が沈み、夜も深くなっていた。
「今日はこれで終わりにします。召喚を終えなかった者は明日またここへ集まって下さい」
 スーシィが生徒全員を見送った後、固い表情でその場を後にすると教師たちは示し合わせたように集まる。
「大丈夫だったか」
「1人も4の使い魔は召喚していません」
 その言葉に安堵する一同。アンナやマレアスはその場からそっと離れた。
「何処へ行くんだ2人共」
 アンナは小さい肩をびくりと震わせて光の魔法に白肌の顔を映す。
「私はルネアの様子を見に行くだけです」
 アンナがそのまま去って行くとマレアスは振り返りながら真っ直ぐにユーレスを見た。
「ここにいる皆さんはどうかしています。魔法を修めることがどれほど苦難に満ちたものであるかは皆さんが一番よくご存知のはず。なのにその生徒たちのパートナーを決めるたった1度しかない召喚の儀に細工するなんてそれこそメイジの鑑にもならない」
 教師たちの顔に動揺が走る。ホワードが重々しくマレアスに近づく。
「君も賛同してくれたんじゃないのか。こうしなければ我々は母国を裏切ることになるのだ。それは死よりも重い罪だ。我々に戦う術がない以上こうして生徒を守るほかない」
「それは……詭弁です……」
 ユーレスが教師たちの輪から外れて声を上げた。
「マレアス先生の言うことも最もです。私たちは生徒の安全と言っているが、裏を返せば他国に生徒が渡るのを恐れているだけだ。それは国の忠義に反すると。しかし、その件については既に王へ謁見がかなったことで解決しているではないですか。王は我々にルルーナというメイジを派遣して下さった。彼女が王の代弁なのです」
「彼女に責任を転嫁するわけには行かないでしょう。そんな真意のわからぬものを勝手に解釈することなど許されない」
「ですから、ここは彼女本人に意見を聞こうではありませんか」
 ユーレスがマレアスを見るとマレアスは頷いて校舎へ走って行った。十数人の教師はその背中を見ている中、老人のような教師が徐にユーレスを窺う。
「そのような方法で生徒を見捨てることに意義があるのかね」
「大人たちは責任の所在を恐れているだけです。生徒のことももちろん心配でしょうが、誰だって罪の無いことをしたいのが人間です。ただその免罪符は正義でなくたって構わない」
 老人の口元はよくも悪くも歪んで見えた。
「それに、同期の友達が助けを求めていましたから」
「人間を知った気になっていると、思わぬところで足を掬われるぞ」
「忠告ですか」
「忠言耳に逆らうか?」
 ユーレスは黙してマレアスの影に焦点を合わせる。マレアスは赤毛の影を背中に引き連れてくると息も絶え絶えに訴えた。
「っさあ、今やっていることをこの方に話して下さい」
「…………」
 教師は誰1人として口を開かなかった。それが意外だったのか焦りを見せるマレアスが口を開き掛けたとき、教師が声を上げる。
「実は前々から伺おうと思っていたのですが、なぜあなたはお一人でこちらに来られたんですか」
「何故……」ルルーナはそれきり声を発しない。教師たちに落胆の色が広がっていった。
「やはりそういうことですか」
「致し方ありますまい」
 教師は一様に暗く沈んだ表情で各々に散っていった。最後にはユーレスと老人、そしてマレアスだけが残る。
「どういうことですか」
 マレアスは何か得体の知れない感情に揺れ動きながらルルーナの辺りに歳相応の不安げな瞳を泳がせた。
「調停者じゃよ」
 老人は静かに言い放った。ユーレスの視線に頷きながらルルーナに杖を向ける。
「 」
 ルルーナの瞳が一瞬発光したかと思うと老人の杖は燃えて灰となった。
「感情を持たない王の命令だけを受けて動く傀儡と言えばわかりやすいかの。調停者はその起源を王の暴走を戒めるものとして代々役割を担い、民の代弁者として生きていた時代がある。しかし、長い歴史の中で王の血は民衆に溶け込み、王としての力が問われ始めた。」
 ルルーナは燃える杖を見届けると再び色の無い瞳を取り戻してマレアスを見ていた。
 ぞっとすると同時にマレアスは不安を露わにする。
「こんな人にどうやって意見なんて聞けるんですか。この国の王様は自身の国を作るメイジに感心がないのですか?」
「それは恐らく我らに戦いを求めておるんじゃろう」
「プテラハとの戦いですか?」
 ユーレスは手を顎に持っていき考え込みながら老人より先に否定した。
「違う、多分ユウトという使い魔とだ。一連の原因は全て彼にある。彼が無事に始末されればプテラハは己の未熟さを認めざるを得ない。また、ユウトを倒せたとなれば魔法的にはこちらの国が上だということを暗に証明できる。プテラハが強気で要求することはやはり難しくなるだろう。最小の力の投入で最大の結果を出す方法を選ぶ。これが今の王のやり方なんだ」
 老人は蓄えた髭を撫でながら黙って目を瞑っていた。
「調停者と呼ばれる者の強さがいかにせよ、我々はどちらかに着かねばならぬ。使い魔を殺して力を誇示する側にまわるか、生かして奪われる側にまわるのか。プテラハに協力すれば使い魔は死にはしない。しかし、たった1匹の使い魔と千を超える生徒では比べるまでもない。王様はよく考えておられる」
 夜も更けていく中、3人は静寂の中に肯定を示していた。

       

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