Neetel Inside 文芸新都
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もうすぐ夏も終わりになる。それは、私の集中を削ぐヒグラシの鳴き声が示している。この時期は、妙に心がはやる。家から、飛び出したくなる。ジッとしていられないのだ。だって、夏が終わるんだ。夏が終わるのだというのに、どこの世界にジッとしていられる奴がいるんだ。私は意味もなく上を見上げる。狭い、天井だ。
 私はぼんやりと、葬儀が進行するのを眺めていた。坊主の読経がはじまる。私はこの経の一部分をいたく気に入っていた。抜け毛、抜け毛、と、聞こえる部分があるのだ。小学校三年生の頃に発見した。それ以来、この部分を聞くと笑いがこみ上げてきて、どうしようもなくなる。笑ってはいけない雰囲気なので、なおさらだ。
 だが、今日はその部分を発見することが出来なかった。何かに駆られるようなヒグラシの鳴き声が、ずっと私の頭の中を占めて、何も考えることが出来ないのだ。気づけば、経は終わっていて、私は少しがっかりした。
 坊主が退散すると、近所の若い男連中が四人出てきて、めいめいに棺の棒を担いだ。私たちは彼らを先頭にして、とぼとぼと歩く。建物から出ると、蝉の鳴き声が、いっそうまして私の頭に響いてくる。軽い頭痛を呼ぶその音は、中学生の、あの、夏を思い出させる。
「骨って軽いんだよ、とても」
 それは、きれいな声だったように覚えている。あるいは美化されているのかも知れない。それは、私が彼のことを好きであった、などというロマンチックな話ではない。わたしは、彼のことを何も知らないし、知ろうとも思わない。逃げ出してよいというのだったら、今すぐにでも私はこの葬儀を飛び出して、どこかの原っぱで、寝そべっていよう。
 一言もしゃべったことのなかった男子が、私に伝えようとしたのだ。骨が軽いと言うことを。その事実を。その事実は、何ら思想的な背景を持たない。死生観の問題などでは全くない。彼が言いたかったのは、骨は、軽い。そのこと。そして、彼は軽く笑うのだ。
「骨って軽いんだよ、とても」



 じりじりとした暑さは周りの風景をにじませ、私たちの足は自然と重くなる。遠景が、歪んで見える。視界のほとんどが緑に染まる、舗装もされていない土手を、私たちは行く。少し離れたところに、それほど大きくはない川が流れていて、小さな子供たちが水遊びをしている。光のしずくが反射する。目が、痛む。一体、私は光に弱いのだ。目を細めながら歩いていると、周りの景色がすべて一体化してしまって、ひとつの色に見える。緑色だ。私は妙に明るい緑の中を、何も分からずに行進しているのだ。なんだか可笑しかった。
 光は痛いが、嫌いじゃない。星とか、とても好きだ。このあたりは天文台が置かれるくらいに星がよく見える。見えすぎるくらいだ。夜になると、気持ちが悪くなるくらいにおびただしい量の星が、空を埋め尽くす。じっと見ていると、なんだか、生き物のような気がしてきてしまい、目を背けたくなる。だが、私は目を背けない。じっと、それに耐える。そうすると、だんだんと神経が麻痺してきて、脳味噌が直接夜空につながっている、そんな錯覚に埋没していく。ふわりと風。地面を覆う、草いきれの匂い。
 二キロメートルほどは歩いただろうか。ペースをあわせての徒歩であったから、途方もなく疲れてしまった。参列者は皆、汗をびっしょりにして、手で扇いでいるものもいた。そうすると、どこからともなく、業者がやってきて、彼を灰にしてしまう準備を整える。彼は眠ったままでその準備が終わるのを待っているのだ。どこの大臣だ。私は思う。自分で、燃えに行ったら良いんだ。自分で準備した火の中に、突っ込む。頭が、うまく回転しない。
 どこからか、蝉時雨に紛れて、すすり泣く声が聞こえる。彼の母親だ。私は、彼女も一緒に火の中に入ったら良いんじゃないか、と思う。背中を蹴飛ばしてやろうか。どこの大臣だ。
 蝉時雨、すすり泣く声。私の頭は、どうしようもなく空っぽだ。いっそ、すがすがしい。空は、青いし。
 こんな青空の中で、今から焼かれに行く彼の気が知れなかった。そんな狭苦しい棺から出てきて、こうやってぼんやりとしていればいい。そして、骨が軽い、とか、言ってればいいじゃないか。それで、何となく笑えばいいじゃないか。
 そんな私の反論もむなしく、彼の棺はごうごうと燃える火の中に突っ込まれていった。なんか、お祭りみたいな雰囲気だ。蝉時雨の中、彼の母親のすすり泣く声が、龍笛みたいに、祭り囃子にアクセントを加えるのだ。パチパチと、火のはぜる音が、リズムをとっていた。
 時間は蕩々と過ぎていった。みんな何を話すでもなく、ジッと炎に見入っていた。実際、炎の揺らめく様は、見ていて飽きない。人を引きつけるのだ。だからだ。彼は私が止めるのを聞くまでもなく、火の中に入っていったのだろう。

       

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