「なーる程」
放課後の校庭で、浅田は硬式ボールを俺に向かって投げた。
「そう言うことか」
「結構深いだろ」
「うーん……」
「西野は知ってたのか?」
俺は西野に向かってボールを投げた。
かなり逸れた。
西野は何とかボールを捕ると、俺の睨んだ後、返してきた。
「知る訳ないでしょ、そんな事」
速く鋭い軌道を描いたボールは、俺のグローブに大きな音を立てて収まった。
「渡辺は?」
俺は渡辺に向かってボールを放った。
「ぼっ、く……もぉぉぶっ」
再び逸れたボールを追いかけた渡辺だが、ボールはグローブに収まることなく、顔面に命中した。
中嶋と浅田は笑い転げた。
「……バカ」
西野は呆れて溜め息をついた。
ボールを見失った渡辺は、近くの茂みにボールを探しに行った。
「それで、別にスランプと言う訳じゃなくって、レギュラーになる夢が破れちゃったって事?」
「多分、そう」
「うーん」
「……喜多は、球技大会野球やるって、言ってた?」
「……分からない」
「やるだろ、絶対」
浅田は自信たっぷりに言った。
「そんな事で野球好きは直らねぇ……そこで俺達が勝ち続けて、その野球好きにもう一回、火を付けてやる」
皆が頷いた。
渡辺がこちらに走って来た。
「浅、田くん……!」
渡辺が振りかぶる。
「お、よっしゃ来い!!」
浅田は身構える。
が、ボールが渡辺の手に引っ掛かり、ほぼ一直線に地面へと投げられた。
そして、地面に叩き付けられたボールは勢い良く跳ね上がり、再び顔面に命中した。
中嶋と浅田が再び爆笑した。
「…………」
苛立ちを見せる西野。
「こ、今度っこそ」
「来い!」
振りかぶる渡辺。
「それっ!」
今度はしっかりと投げてきた。
しかし、ボールは予定していたコースを大きく外れ、西野の顔面へと勢い良く向かっていった。
その場にいたほぼ全員が、驚きで凍り付いた。
「あっ……」
「え」
「ウソっ」
「マジ?」
しかし、西野はそのボールを難なく捕えると、光の早さでレーザービームを渡辺に放った。
「ぃっ…………」
瞬殺だった。
「お、おぉ……」
中嶋が声を漏らす。
「わ……渡辺ぇ――――っ!?」
浅田がヒステリックな声を上げた。
当日。
これ見よがしと太陽が輝いて、身体がチリチリと焼けるようだ。
「うぉーし、体調万全、かかって来いぃ」
中嶋が底無しの元気を見せるなか、俺は逆に絶不調だった。
原因は、よくわかっている。
昨日、映画を見て号泣し、そのまま寝れずに朝を迎えてしまったのだ。
何とか目の充血は止まったけど、体力は目に見えて優れなかった。
「沢辺くん」
渡辺だ。
「ホントに、大丈夫かなあ」
「俺の事?」
「ううん、喜多くんの事」
「……大丈夫だろ」
自分の事だと思った自分を悔やんだ。
「アイツに、ネバーギブアップの精神を教えてやるんだ」
浅田が会話に割り込んだ。
「そうすりゃ、アイツは勝手に野球やり始めるさ」
「でも、どうやって」
「アイツに、負けそうで勝つ試合をするのさ」
計画済みかよ。
「そのためには、専用のシフトがいるだろ?」
浅田は何人か野球部員を連れていた。
「話は分かったか?」
浅田が振り向いた。
「おう、バッチリな」
「アイツは中学時代、地区予選で知り合ったんだ。喜多はきっと、エースになれる」
「さて、その為には決勝まで勝たなきゃいけない。だから、そこの作戦は西野嬢、頼んだ」
「良いけど、なんで西野嬢なのよ」
「むしろ、姉御なんじゃ……」
野球部員の一人は鉄拳で机に沈んだ。
「よーし、勝つぞ!! 負けた奴はミンティオな!!」
「おーっ」
ミンティオ!?
まさか、アイツ……!!
しかし、そんな事などおかまいなしで、おーっ、という叫びが、教室で次々に連鎖反応を起こし、教室は気合の叫びで充満した。
その叫び声に元気を貰った俺は、ふと、鞄の中を見た。
どういう訳か、元気ドリンクが入っていた。
誰が入れたのかは分からないが、これで大丈夫だ。
1回戦。
それはもう、強かった。
――相手の話である。
相手はなんと、全員野球部。
特に、渡辺が下手だと分かったとき、全員の打球が渡辺に向かっていく。
「……ひでぇ」
浅田が呟く。
恐れるべき野球部と西野は、全員敬遠。
だが、お釣りが付くほど相手は得点し、9対28。
コールドゲームにならないため、最悪の試合だった。
「ううっ、ごめん……僕のせいで……うっく」
渡辺が泣きじゃくっている。
「いや、渡辺は悪くない。悪いのはあの7組だからな」
浅田は渡辺を慰めると、俺に小さな声で言った。
「…………どーすんだよ、ミンティオ、結局食べろってのか?」
どうやら、そのようだ。
「あ、浅田くん」
喜多率いる、4組が現れた。
「すごい……負けっぷりだったね……大丈夫?」
「喜多!!」
浅田含め、そこにいた3組の面々が、喜多に詰め寄った。
「へ?」
「勝てよ!! 絶対に優勝して、敵を取ってくれよ!!」
「……え、うん。頑張るよ、俺」「絶対だからね!! 頼むよ!!」
とこれは中嶋。
「あの腐れ外道が優勝するのを止められるのは、あなた達しかいないのよ!!」
……西野だ。
みんな、プレッシャー掛けすぎだろ。
それにも構わず、浅田は、こんなことを言う。
「負けたらミンティオな!」
…………。
「……なんなの、それ」
ツインテールの女の子が、不思議そうに言った。
その女の子は雰囲気が西野にそっくりで、怒らせたらいけない気がした。
その雰囲気を、浅田も感じたようで、急に言葉遣いが大人しくなった。
「……とにかく、負けたらミンティオ食べるってこと」
「絶対、裏がありそうなんだけど」
「……」
その女の子の側に図書室の園山がいた。
「……とにかく、勝てよ」浅田はギクリとしたが、怯まずに言った。
「どんな手段でもいいから!」
「いや、それはちょっと」
俺は言いかけて、西野の拳骨を食らった。
傷みの中で顔を上げると、そこには黒い顔をした西野がいた。
「勝てばいいのよ、勝てば」
「…………」
コイツも腐れ外道だ……。
結局、言いたい放題言っただけの3組だが、喜多にとってはそれなりの役割を果たしたようだ。
「おっしゃー! いけーっ」
次々に勝利を納め、予選リーグを突破した。
「……複雑だなー」
ミンティオの事もあり、勝ってがっかりする一方で、やっぱり敵は取って欲しい思いもあり、浅田はジレンマに陥った。
「……自分で蒔いた種は自分で何とかしような」
俺が言うと、浅田はむくれた。
「分かった分かった。中身だけ捨てようとしてゴミ箱の中が真っ白になって虚しくなったけど、それで良いんだろ」
「食べ物、粗末にすんなよ」
何が良いのか分からないが、気持ちは容易に想像できた。
「……カレーライス一年分とか、訳分かんねーよ。カレーじゃなくてもこの様なのによう」
浅田は独り言を呟いた。
その時。
「そこっ!! 危ない!!」
中嶋が叫んだ時には、既に手遅れだった。
「…………」
浅田がファウルボールをまともに食らって伸びていた。
「ファウルボールにご注意くだ……さい、ってヤツ?」
「この場合は食べ物を粗末にした罰だと思う」
「やっぱり?」
そう言って浅田は気を失った。
「よっし、次は7組との決勝戦だね!」
喜多達は、強豪をものともせず、とは言え多少の苦戦を強いられたものの、決勝まで這い上がっていた。
「俺たちの敵、取ってくれよ」
「ああ、やってやる」
そのムードに関わらず、直後に浅田が口を開いた。
「負けたら承知しねーからな。ミンティオ一年分だからな」
またそれかよ。
「諦めなよ、浅田。あれ、君の自業自得じゃんか」
事情を知っている喜多が笑う。
「……知るかよ。負けたらホントに一年分だからな」
「分かったよ。でも代わりに、俺が勝ったら浅田、お前が全部食えよ」
「おーう、上等じゃねーか。もし勝ったら、鼻でミンティオ食べてやってもいいぞ」
「乗った。俺も鼻から食べてやるよ」
よく分からないが、喜多にの心に火が付いていた。
「勝てよ」
浅田が呟くように言った。
「頑張るよ」
喜多は親指を突き立てた。
試合前のグラウンドの周りには、人だかりができていた。
その一角、ホームからそれほど離れていない場所に、俺達は座っていた。
「楽しみだねーっ……浅田が鼻でミンティオ食べる所っ!」
中嶋がにやにやしている。
「……俺かよ。よりによって」
「当たり前じゃん。だって、あそこの学級委員、西野にそっくりだったから、実は入れ換わってるんだよね」
「…………え?」
全員が、さっきまで西野だった人の方を向いた。
「……気付かなかった?」
嬉しいのか、驚いてるのか分からない顔をしているその人は、声以外、完全に西野だった。
「……もしかして、さっきのツインテールの?」
「うん」
「じゃ、今バッターボックスにいるのは、西野!?」
「そうだけど?」
西野は、完全に4組の学級委員になりきっていて、下手なスイングで空振りまでしていた。
仲間にも内緒ってことだろう。
「……マジかよぉ」
それを聞くと、浅田の顔から、色が消えた。
「明日があるさっ」
「……中嶋、なんでそんな余計なことを……」
「面白いじゃん」
「……全然面白くねーんだけど」
浅田は溜め息を吐いた。
3回の裏、4組の攻撃だ。
7組の怒濤の猛攻を受けてはいるが、どうにか凌いで0対3。
今、西野が下手なスイングでどうにか一塁進出を果たし、次の打者が三振した後に喜多がセンターフライでアウトになった。
「あーっ、惜しいのに!」
「あと5センチ手前だったらなー」
女子2人はそんな会話をしているのだけど、浅田はと言うと、、
「ミンティオ、ミンティオ!」
まるで呪文だ。
さらに渡辺は、
「うぅ、僕のせいで……」
まだ引きずっていた。
「お前ら、少しは応援しろよ」
「なんだよ……頑張れっ……はい、これでいいだろ」
小学生かお前は。
「……ごめん。僕のせいで……」
そんな事は一言も言ってない。
「おわっ!」
中嶋が声を上げる。
「……大丈夫かな」
見てみると、喜多の後の、さらに後の打者が、悶絶していた。
「……大丈夫か!?」
ピッチャーが駆け寄る。
どうやら、デッドボールらしい。
……苦しそうだ。
「ぜー、が、がぎぐぐげげ」
ガ行五段活用だ。
などとどうでもいいことが頭をよぎったが、取りあえずは意識を失ったそいつを担架で保健室まで運んでいった。
「……重症だね」
保健室で、4組の学級委員に中嶋は言った。
「代わりの人呼ばないと!?」
「いるのかな、代わりなんて……」
「どー言うこと!?」
「うちのクラス、不登校の人がいるせいで、人数が少ないんだ」
「……ほーぅ。……よーし、じゃあ沢辺、あなたその不登校ね」
「え」
俺はビックリして、中嶋を見た。
学級委員も驚いていた。
「え……今、何と?」
「沢辺がその不登校の子になりきるってこと!」
「色々マズイだろ、それは」
「じゃ、この気を失ってる人にしよう!」
「あ、いいかも!」
4組の学級委員まで……。
「いや、そういう問題じゃなくて、単に代わりで行くなら、別に浅田とかでもいいんじゃないのか?」
「だってさ、沢辺、なんかそれっぽいし、て言うか、顔とかそっくりじゃん」
「ホントだ!」
…………。
何も言えなかった。
この学校は本当はクローン高校とかそういう名前じゃなかろうか。
「さーさ、そうと決まったら、早速、着替えようかっ!」
「え、ちょっ、え?」
「試合終わっちゃう前に――ごめんなさい!」
「……お前ら何を……って待て、その人気絶してるからって……つーか何で保健室の先生まで!?」
……誰か知らないけど、ゴメンナサイ。
かくして、偽者2号はグラウンドへと赴いた。