Neetel Inside ニートノベル
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「ということで、持ってきましたー」
「は、あ?」
 待合室で、以前と同じように不機嫌そうに椅子に腰掛け、佇んでいた彼女に到底日本語では通じ得ない言葉を僕は繰り出す。うむ撤回。
「あ、えーと。練習がてらに質問書きました!」
「だから、何の話よ」
 あれ。まだ伝わらない。
 彼女のボルテージがちょっとずつ上がっていくのが目に見えた。なので、正確に伝えたいこと、渡したいものをさっさと引き渡しておくことにする。
 怖いからね。おふざけはダメです。
「あ、ごめんごめん。えっとね、これ。君に聞きたいことを纏めて手紙にしてみたんだ」
 訝しげに彼女は僕が差し出している手紙を受け取る。
 そして中身を取り出して、一瞥してからくしゃっと「ちょ、ちょっと」
「全く。読めたもんじゃないわ」
 まあ、確かに彼女の言いたいこともわかる。僕自身が書いた文字にも関わらず、読めないところもあったりする。どういうことなのか僕にもさっぱりだ。ミミズがのたくったどころが、阿波踊りを団体さんで行ったような跡である。要するに読めない。
 でも丸めることなくね? と若者風に憤ってみる。合わねえ、と直ぐに判断し、やめる。慣れないことはするもんじゃないんですよ。会話然りね。
「ていうか、どうして手紙なのよ。口頭で良いじゃない」
 僕もそうしたい。けれども、僕は口下手なのだと自覚している。なので、言葉をじっくり練られる手紙にしようと思い立ったのだ。左腕の練習をってのが一番大きいけど。
「うん、まあリハビリの一環としてね」
「もう少しまともになってから寄越しなさいよ」
 それでは本末転倒も良いところだ。そこまで出来るようになったらアドバイスなんかいらねえよ。自分で、何とかできるかもしれないだろ。出来ると断言出来ない自分が嫌だ。
「でも、あっ、って」
 あう。またこれかい。大事なときに限って。ええと……病名は何だったか。
「どうしたのよ。急に変な声を出して」
「さっきから痛むんだよ。無い部分が」
「ああ、幻肢痛」
 慣れたような口ぶりで、僕が喉に引っ掛けてあった言葉をいとも簡単に引き出す。しかし彼女くらいなら知ってて当たり前なのだろう。もしかしたら経験者かもしれない。
「あ、そうそう。確かそんな名前」
「森川に言った?」
 やけに森川さんのことを馴々しく呼ぶ。付き合いが長いんだろうか。僕の森川さんとどんな関係なんだよ! とは決して言わない。言いたくもない。
「うん。なんか鏡貰った」
「ミラーセラピーね。気休めにしかならないけど一応続けなさいね」
「詳しいね。経験者なの?」
「まあね。もう治ったけど。二年くらい続いたかしら」
 やっぱり、と思うと同時に気分が滅入る。こんな状態を二年も続けられるか、ちょっと自信が無い。……ああ、抗わなきゃ駄目なんだっけ。
 抗う抗う抗う。呪詛のように自分の耳にも彼女の耳にも、入らない大きさで呟く。
「何言ってるの?」
 少し不安の色を顔に乗せた彼女が、僕の顔を下から上目遣いでのぞき込む。ちょっと可愛いとかそんなことは一切思ってない。断じて。
「何でもないよ。単なる唸りじゃないかな」
 あっそ、と答えて彼女はすぐにテレビの方に顔を向ける。ここに居るときは何故かいつも機嫌が悪い……気がする。以前は気づかれたかどうかすら、わからなかったし。
 取り敢えず、くしゃくしゃになった手紙を拾い上げ、代わりに台詞をポイ捨てしていくことにする。
「見てろよ! 書道は爆発だー! って言わせるくらい、上手くなってやるからな!」
「意味ないじゃないの、それ」なんて彼女からのツッコミが後ろから飛んできたけど、無視して僕はスタコラサッサと病室に駆けていった。
 
 むう。
 僕は手と足を組んで、いつかのように考え事をするポーズをしていた。本当に単なるポーズなのかもしれない。
「ううん……やっぱり口で聞くしかないのかなあ」
 でも口下手だしなあ。例えば紙に書いて持っていって、それを使って会話しようとする。おそらく僕はそれでもテンパってしまうだろう。そもそも人と共通項を通じて話すこと自体、殆どなかったのだ。何故だと言われても困るけど、多分家庭環境? ……いや、父のせいにはしたくない。
 何かに共通した会話ではなく、主に人に合わせた会話をすることが多かった。俺こんなことがあったんだ、私あんなことがあったの。そんな他愛もなく、生産性もない話くらいしか、僕はいままでしてこなかったのだ。だって適当にうんうん頷いてりゃ、話し手は勝手に満足してくれるし。聞き上手と言われたことならある。
 そういや、たまに相談事を持ってこられたこともあったな。相談というよりも、ただ話を聞いてくれっていう、そういう相談。
 それは相談ではないよなーと今となってはわかる。それはただのストレス発散でしかないのだ。悩んでることによって生じたストレスが、行き場のない力を生み出す。それに振り回されるのを恐れ、僕にはけ口を求めてくる。
 よく運動して発散しろ、とか言うアホがいるがそれは何の意味もないことなのだ。確かに動いてる間は楽しかったり、苦しかったりで悩んでいることは忘れることが出来るかもしれない。
 ただしそれはその場限定なのだ。後になってみたら、ああ僕にはこんなにも嫌なことがあるんだ。と強い反動で悩みが押し返してくる。疲労が取れ、脳に酸素が行き、頭が回る。そして結局思い出す。単なる逃避でしかない。
 精神的なもので生じたストレスというのは、それを精神的に誰かにぶつけるしか解消する方法はない。
 つまるところの愚痴、というやつだ。
 こうこうこういうことがあって、腹が立っているんだ。ふーん、それは大変だね。そうなんだよ。うんぬんかんぬんだから……。
 とまあこうして、こういう人達が僕のもとに集まったこともあった。
 要するに目には目を。歯には歯をなのだ。精神的なものは精神的なもので打ち消す。
 何故こんなどうでもいいことを考えたのかと言うと、僕は彼女と腕が無いという共通項で話すことがとても、怖いのだ。
 今までは人の話ばかり聞いてきた。自分から口を出すことはあまり無かった。
 だから、今になって。怖いとか、そういうよく分からない感情に縛られてしまう。もし僕の言葉で、昔彼女にあった嫌なことが掘り起こされるかもしれないとか。そんな意味のない杞憂ですら、僕にとってはとても身近なことに感じられるのだ。
 だから僕は手紙を書く。
 どれだけ時間がかかろうと。
 言葉を練って、選り好みして。
 それは単なる会話のシミュレーションなのかもしれない。ただの擬似会話。そういや僕の体にも擬似があったな。擬似右腕。
「まー今は字の練習ですにゃー」
 自分を誤魔化す為に、おどけた振りをして言う。
 心を地面に、落としてしまわないように。

       

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