70kgの重りを感じさせずに飛距離を伸ばし、四谷は先程のブレード付近へと砂煙を巻き上げながら見事に下り立った。
みし、みし。と俺の内部から多数の骨が軋む音がし、何倍もの重力に近い『圧』が体を襲ったが、歯を食いしばって耐える。
「大丈夫か……って、お前本当に無表情だな……」
俺を下ろした四谷が呆れた様子で言った。今はもう意識していないが、無表情は癖になってしまっているようだ。
俺は突然のスリリングな出来事とその衝撃で過呼吸気味になり、まともに返事ができなかった。
ただ頭を振り回すように頷き、俯きながら呼吸を整える。
校庭には俺達以外誰もいなかった。今プールを使っているクラス以外は、どこの学年も体育の授業は入ってないらしい。
それほど時間を空けずに、何食わぬ顔でアキも校庭へと降り立つ。やはり逃げることは不可能ということか。
疲弊した俺と四谷を交互に眺める鉄の乙女。アキはどの武装を使えば俺達を……いや、四谷を殺しきれるか計算している。
四谷がいなければ俺など数秒で肉塊にできるのだから。
「格闘戦に持ち込めれば……捕まえられる事ができる。捕まえたらすぐにスイッチを押せ、いいな」
腰を低くして両腕に力を込め、四谷は俺の前に仁王立ちした。完全に待ちの姿勢へと移行し、後の先を取る形になる。
相手の攻撃を受けるのを、覚悟の上で。
そして恐らく次は……『切り札』と『奥の手』が来る。
アキの計算が終わる前に、俺は四谷に言わなくてはならない事があった。
「四谷」
「あ?」
「頼むから、アキを壊してくれ」
「やだ」
「死ぬかもしれない。お前が」
「死ぬかよ。……壊してほしいのか?」
「ああ」
「わかった、壊さない」
「次は多分、とっておきがくる。受け止めるな、避けろ」
「わかった、受け止める」
ああ、そうだ。いつだってこいつは――。
「衝撃波緩和装置、機動」
タイムリミット。
アキの細い肩から腕から腿から臑から背から脇腹から、小型の扇風機にも見える機械がせり出てきた。
同じタイミングで反対方向から衝撃波をぶつけて、自他への影響を少なくするための装置だ。
つまり、これからアキはほんのわずかの間『衝撃波が発生するような速度で動く事ができる』。
そして、同時に左掌にピンポン球くらいの穴が開き、深淵を覗かせる。
ここから発射されるは、アキの骨格の一部。人間で言うと肘の先、橈骨と尺骨の部分に当たる。
それらを合体させ一本の太い骨にしたような、チタン合金製の無骨な杭。
これが左手から発射され『地平線の彼方まで減速無しでかっ飛んでいく』。
どちらか一つ使うだけでも大和型戦艦を大破できる、立派な戦術級兵器と言えよう。
この兵器を同時併用し威力を加算ではなく乗算する最終戦術行動『無影無踪』は、生物に使用するにはあまりに過剰な破壊力である。
それが今、俺の友人に対して向けられている。
「カウント、5から……5」
四谷の構えとは対照的に、自然体で四谷を見据えるアキ。
三者、動かず。……いや、俺だけは二人と状況が違っていた。
「4」
体が、金縛りにあったように動かない。動けない。
「3」
舌が乾く。
「2」
唾が飲み込めない。
「1」
目を背けることが、できない。
ゼロ、の声は聞こえなかった。
ただ、わけのわからない爆音と台風の如き豪風に晒され、俺は横に吹き飛ばされて。
起き上がって元の場所を見ると、そこに二人はいなくて。
『無影無踪』の軌道の先にある塀が、綺麗さっぱり無くなっていて。
「準殺害目標排除。駆動部損傷。総電力の78%を消費。戦闘力……13%に低下。任務の続行に支障無し。任務を続行します」
元の場所から20mほど先。盛大に抉り取られた地面の上に、アキが一人佇んでいた。
あの馬鹿、射線上にいた俺を庇ってアキの進路を無理矢理変えたんだ。そしてそのまま……。
……四谷……!
先程の跳躍よりずっと重々しげにアキが近づいてくる。
俺がふらふらで今にも倒れそうなのと同じかそれ以上に、アキはボロボロだった。
左腕は装甲が剥がれ俺も深くは考えてない小型の機械が詰まってるのが見えるし、おろしたてのようだったメイド服はどうにか原型を留めている、と言った所だった。
もう、手を伸ばせば届く距離だ。近くで改めて見ると、凛とした目つきに高すぎない鼻、潤いのある唇に小振りな顔。
俺の想像にあったアキと寸分も違わない。いい仕事をしているな、俺。
まあ、こいつに殺されるなら死に方としては幸福な部類に入るだろう。
アキは無言で俺に右手を差し出す。当然、倒れそうな俺を気遣ってではなく、銃口を向けているだけだ。
俺は重い両手を上げ、抵抗の意志がない事をアピールする。
「あー、アキ。どうせもう俺は絶対死ぬわけだ。最後にいくつかいいか?」
アキには文字通り血も涙も無いが、人工知能はこの状況からの逆転は100%無いと考えるだろう。
少しの間の沈黙。そして銃をむけたまま一言。
「……手短にお願いします」
やはり、聞き入れてくれる。
さっすがアキちゃん、話がわかる。
「何で、誰の命令で俺は殺されるのかな?」
「お答えできません」
一蹴。
「じゃあ……悪いけど、殺害命令出した奴に『死ね、この猫耳と露出とニーソと触手とふたなりとメイドフェチのロリコン野郎』って伝えといてよ」
「『死ね、この猫耳と露出とニーソと触手とふたなりとメイドフェチのロリコン野郎』ですね、了解しました」
顔色一つ変えずに鸚鵡返しするアキ。
さっすがアキちゃん、機械的。
「そして最後に……」
俺は自分が出せる最速を以てアキの両手首を掴み上げる。
「捕まえた」
さっすがアキちゃん、おバカだ。
そんな俺の精一杯の行動に、アキは全く動じない。
「抵抗は無駄です」
捕まれた事など意に介せず、俺の脳天へ指先を向ける。そして――
――スイッチが、押される。
しばしの静寂の後、崩れ落ちたのはアキだった。
「俺……家帰ったらさ、黒歴史ノート全部探して焼き払うわ」
息も絶え絶え、血みどろ土まみれの状態で塀の向こうから大ジャンプを決めた人外が、緊急停止スイッチから手を離す。
「お疲れ。本当にすまなかったな、四谷」
「本当にすまなかったで本当にすんだら千葉県警は烏合の衆だぜ!?」
四谷は疲れと怒りのあまり、よくわからない事を口走った。
何だこりゃ、何だこりゃと言いながら高周波ブレードの隣に持ってた杭をぶっ刺す。
「悪かったって。俺もアキも無事なのはお前のおかげだし感謝もしてるが、アキを壊さなかったのはお前の判断だぞ」
「こんなかわいい娘殴れるかっつーの! あ、そうだ。助けたんだからアキちゃんとの交際をお許し下さいお父様」
「貴様にお父様と呼ばれる筋合いは無い……おい、起きろアキ」
俺は背中のパネルを開き、12桁の暗証番号を打ち込む。ついでに挟まっていた紙切れを抜き出した。
初期化完了、これで俺がアキのマスターだ。
アキが閉じていた目を開き、寝ぼけまなこで俺の指紋と眼球を認識する。
「おはようございます、独立型多目的ロボット葉原秋です。何が起こったのか分かりませんが損傷率が非常に高いです」
お前が暴れたからだよ、と言う言葉を飲み込んで俺は最初の命令を下す。
「いいかアキ、お前は俺に生き別れの兄の面影を重ねていて、普段はご主人様と呼ぶがたまに『お兄ちゃ……きゃっ、ま、間違えました! 申し訳ありませんご主人様!』と狼狽し赤面しながら言うんだ。わかったな」
「了解しました、お兄ちゃ……きゃっ、ま、間違えました! 申し訳ありませんご主人様!」
うむ。タイミング、表情、仕草、口調と、教えてもいないのにどこをとっても完璧だ。俺は砂っぽいアキの頭を撫で、悦に浸る。
「凄いな。やはり猫耳と露出とニーソと触手とふたなりとメイドフェチのロリコン野郎は格が違うわ。つーかアキちゃんの方が表情豊かってどうなのよ」
「家庭の事情だ、あまり気にするな」
はいはい、と四谷は呆れたように呟く。
「まーた俺だけ除け者かよ。マジもう、ねぇ? これ絶対なんか嫌がらせの類だよな。意味分かんない。つーか体痛い。病院行くわ」
そして、ふて腐れる。
いつもの事だが、今回ばかりは本当によく頑張ってくれたと思う。
特別の、特別だ。
「アキ、そいつにハグしてやってくれ」
「了解しました、お兄ちゃ……きゃっ、ま、間違えました! 申し訳ありませんご主人様!」
「え? ちょ、ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
授業終了のチャイムが鳴り響いた。
四谷がアキに抱きしめられ「うおおおおお! 最高や! 上野はんは神やったんや!」と何故か関西弁になってるのを横目に、俺はさっきの紙を開く。
中には、見慣れた流麗な書体で、一言こう書いてあった。
「未来を変えろ」と。